クマとおじいさん

ピピピッ。急に電子音が鳴った。ゆっくりと電車はスピードを落としていく。

「あれ? 誰かが止めたのかしら……」

窓の外は白一色で、何があるかはよく分からない。

「じゃあ降りてみる?」

「ここはなんの場所だったっけ……」

リリーは首を傾げている。それに続いて電車から降りた。

静かなホームには、手のひらサイズの人形がぽつりと置いてあった。駅も小さく、一車両分ぐらいのスペースしかない。

うーんと唸っている横で、駅を見渡した。行き止まりかと思ったけど、奥に細い道があるようだ。よく目を凝らさないと気づけない。

「あそこから進めそうだ」

「本当だ! ……それにしてもどこ、ここ?」

その細い道の先は、静かで小さな空間だった。上から見たら細長い台形に見えるだろうか。壁は光が当たらないから、影で灰色に見えているのかもしれない。ちょうど目線のところに、ホコリを被った木箱があった。壁に引っ付けられているようだ。奥には小さな扉がついているけど、開くのかは分からない。これ以外の物は無いから、結局ここは行き止まりなのかもしれない。

「こんな場所があったなんて……」

リリーすら知らない場所とは、一体どういうことだろうか。アリスが隠していた場所? しかしいくら広くても、遊園地内であることには変わりない。その中で気づけないなんて、かなり怪しい。しかしあまりにシンプルなので、謎があるようにも見えない。

箱には手動式のレバーが付いていたので、回してみる。ギギギッとキツそうな音を立てて、箱が開く。ブツブツ途切れたメロディが辺りに響いた。随分年季の入った人形がくるくると音楽に合わせて回り始める。元は綺麗だったであろうドレスの色も褪せて、肌もひび割れていた。音が歪んでる上に、音量もでかいので結構怖い。

「久々のお客様だな」

二人で振り返ると、白い髭を生やしたおじいさんが立っていた。

「うわっ!」

リリーと同じリアクションをしてしまうと、老人は愉快そうに笑った。

「あなたは、ここの従業員の方ですか?」

久々に見たキリッとした態度だ。不審者は親の仇の如く、絶対に排除するという強い意志が滲み出ている。

「おやおや、驚かせてしまってすまないねぇ。人が来たのは本当に久々なんだ……良かったらお茶でも飲んでいきなさい。年寄りの暇潰しにお付き合いしてくれんか?」

ちょっと迷ったけど危険な人には見えない。リリーの方を向いて、二人で頷きあった。

奥の扉が開かれる。意外と広い空間だった。縦に長細い作りになっていて、向こう側にも扉があるのが見えた。

室内はほとんどが木で作られた、淡い光が差し込む優しい空間だった。木彫りの人形や、家具は少し歪なところもあり、誰かが手作りした跡が残っている。

「これは貴方が作ったんですか?」

近くにあった兵隊を手に取る、繊細な模様が入っていて、なかなか完成度は高い。

「ここにいてもすることがないからねぇ。趣味がてらに作っているんだよ」

大きい機械の周りには、様々な種類の木が置いてあった。あれで切ってから加工するのだろう。

「さて、いきなりだけど……君に紹介したい人がいるんだ。いいかい?」

「まだここに誰か?」

ゆっくり頷いて、部屋の端に呼びかけた。部屋はないようだけど、壁で区切られているから見えないスペースはいくつかあるようだ。そこは台所だろうか。

誰が来るのかと待っていたら、意外なものが現れた。てっきり人かと思っていたけど、おじいさんが呼んだのは、体に鎖を巻きつけたクマだった。

「……っ!」

さっとリリーが俺の前に出て身構えた。まだ冷静な部分は残っているけど、顔は厳しいままだ。静かに睨んでいる。

俺も緊張で体が動かなくなった。目を閉じると思い出す。あの大きな鎌が俺に降りかかって……。

「鎖が繋がってるから大丈夫じゃよ」

おじいさんがクマを撫でた。それでも動かず、じっと下を向いたままだ。なんだか居た堪れない気持ちになって、クマを眺める。何故だろう、あんな経験をしたのに、不思議と怖くなかった。

俺が立ち上がっても、何かを堪えるようにぎゅっと身を固めている。ふわふわと柔らかかったはずの体は、まだところどころ血で汚れている。彼? の血ではないだろうけど、大変な思いをしたことは確かだろう。

気がついたら手を伸ばして頭を撫でていた。クマが顔を上げる。

「ごめんな、ロディー」

「お、覚えててくれた、のか……?」

「ああ、こうして話せる日が来るなんてな」

この間会った時、あの押入れで見かけたのと同じ手触りだ。ほつれた糸も、こちらを見つめるつぶらな瞳も。全部同じ。俺の……人形。ロディーなんだ。

忘れていたはずの思い出が蘇った。寝る時もどこに行くにも、いつも胸にいた。内緒の話もたくさんした。一番のお気に入りで友達だった。そんな彼に思い切り抱きつく。この大きさなら持ち歩けなかったけどね。

「うう……マスターぁ……」

「なんだよ、その呼び方」

「だって、マスターはマスターだから……ぁ、俺のご主人様でぇぇ……っ」

涙が出てる様子はないけど、顔はぐしゃぐしゃだ。それがなんだかおかしくて、シワを伸ばすように広げた。

二人でベンチに座る。ロディーは少し照れ臭そうな顔をしていた。腕を回してお腹を撫でる。今は俺の体よりも大きい。

「マスターはそこ、前から触るの好きだよな」

「そうだったっけ? でも本当ぽっこりしてるな。狭い場所に入ったら詰まっちゃいそうだ。……これ鎖は外せないのかな。痛くない?」

「うーん。痛みは感じないんだ。何かが触れてるっていうのは分かるんだけど。あとマスターの暖かさなら、ちゃんと分かる」

「そういうことなら、これを試してみようか」

いつの間にか老人が隣に来ていた。穏やかじゃない器具を取り出して、大きな鎖に当てる。若干毛が抜けたようだけど、全身の鎖は床に落ちた。

「ここから綿が飛び出しちゃってるな。あ、ここもそろそろ取れそうだ。このボタンも……。で、この赤って何の色だ?」

「どっかの部屋に入ったら、いつの間にかこうなってたんだ。誰かが部屋いっぱいに絵の具を撒いたのかな」

「とりあえずロディーは関係してないんだな?」

「うん。痛くも痒くもないぜ」

だらしなく大きな腹に寄りかかると、そのまま力が抜けていく。布団よりも気持ちいい。顔を埋めると、懐かしい匂いがした。

「……それで、どうしてあんなことしたんだ?」

ぴくりと腕が動いた。またしゅんと泣きそうな顔になる。

「……マスターを他の人と同じにしたくなかった。ああなる前に、誰かに心を殺される前に俺がって……でも、マスターを殺すなんて……そんなことできなかった! 何も知らないままでいて欲しかったのに……っ」

「ロディー……」

「ここから抜け出すのは一か八かだったけど、マスターを外に出しさえすれば大丈夫だと思ったんだ。リリーに負けちゃったけどね。でも、まだ可能性は残ってる。アリスに会わなければまだ……。アリスに会わせたら、きっと今のマスターは無くなってしまう」

「無くなるってどういうこと」

「アリスはもう帰って来られない。そしてマスターはアリスに近いから、このまま会ったら二人とも行ってしまうことになる。夢に閉じ込められてしまう」

「それは遊園地内にずっと残ることになるとか、あの人達と同じ状況ってわけじゃないんだな?」

「マスター……マスターはアリスに近いというか、ほとんど同じなんだ。マスターがアリスになっていた可能性もある。もう少しだけ何かが違ったら……ううん、まだそうなるかもしれない。次はマスターの世界で皆が、閉じ込められる」

「……えっ、ごめんロディー。どういうことなのか、イマイチ分からないよ」

「アリスは待ってる。自分と同じ、もしくは自分自身を……それがマスターなんだ」

「アリスに会うなってことか?」

「それが一番安全だ。何も知らないままアリスに関わらなければ、アリスが一人で消えるだけで、その内ここも忘れ去られる。アリスに会うと言うなら……それが終わりの時だ。今は分からなくても、あの子の目を見れば分かる。終わりの意味が」

一番この場所に詳しいのがロディーなのかもしれない。急に不安になって、腕にしがみついた。俺はどうすればいい。何をしたら……。

――頼む。アリスを救ってくれ。

誰かの声が聞こえた。会ったことはないけど、どこかで聞いたことのある声だ。胸の辺りがじわりと熱くなって、不思議と不安も消えていた。頭では理解できていないけど、心が、俺の中が見つけてしまった。自分のやるべきことを。

「……ありがとう。後は俺に、任せてくれ」

「ま、マスター……ぁ」

「ロディーは一番大事な、俺の親友だ」

「や、やっぱり俺のマスターはマスターだけだぁ……!」

がばりと覆い被さってきた、でかいけど柔らかい体を受け止める。背中をぽんぽん叩いていると、いい匂いがしてきた。おじいさんがコーヒーを持ってきたようだ。それを机に並べると、自分はそこから一つ取って、揺れる椅子に座りくつろぎ始めた。リリーは隅で何かをじっと考えている。こちらが目に入っていないようだ。

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