こうしているとまるで


*****


 夕食を終えて、俺は二階の寝室、その押入れに向かった。

 どうしても、あと一組――――布団がいる。

 自分の分の布団を万年床にしていたから馴染みがなく、夏休みに一度干しただけでずっと使い回していたから、あるのかどうかすら分からない。

 ともすればこの村に来て、初めての一晩以降開いた事も無い押入れの中から、古びた木の香りが押し寄せてくる。

 少なくとも――――カビ臭さは、感じ取れない。

 開けた戸から、視線を走らせると反対側に一塊の包みがある。

 敷布団、掛け布団を合わせたような厚みから言って、間違いない――――客用の布団だ。

 それを引っ張り出し、中身を確認していると一階から電話の音が聴こえた。


「……りょう! 悪いけど、出てくれ!」


 開けっぱなした戸から、一階にいる怜へ叫び、少ししてから電話の音が消える。

 続けて、ぼそぼそとした喋り声が、つけっぱなしのテレビの音に混じって聴こえてきた。

 俺に代われ、と言われないという事は恐らく寄り合い所から何か連絡事項か、でないのなら……怜の家からだろう。

 ――――柳の奴が怜の父さんへ何か変な事を言ってない事を、祈るだけだ。


 客布団のチェックの間、何度か雷が鳴り――――その度に、雨音が強くなった。

 どうにか布団は湿っても虫に食われてもなく、きれいなままだ。

 怜の分の布団を敷き終え、最後に俺の分の布団を担いで階下へ降りると。


「あ、キョーヤ君。出して、だって……って、何その布団……?」

「いや、俺……。電話? 誰から?」

「沢子から。……怒られちゃった」

「怒られた? 八塩さんに……? ……はい、もしもし」


 しょげ返った怜から受話器を受け取ると、寄り合い所のどんちゃん騒ぎに混じって、今にも消え入りそうな細くおとなしい声が聞こえた。


『もしもし、七支くん。お変わりありませんか……?』

「あぁ、大丈夫……って、数時間前に会ってるよね」

『それは、そうですけれど……。あ、連絡です。明日、休校になるとの事でした』

「休校? ……行って戻ってきた感じ、特に問題は無かったけどな」

『無事で何よりです。けど……危ないんですから、今度からは、その……』

「怜に言ってくれ、それはさ」

『ええ、もちろん言いました』


 横目に見ると、怜は気まずそうにして目を伏せる。

 八塩さんが果たしてどんな内容のお説教をしたのか、猛烈に気になるけれど――――。


「それより、そっちの様子はどう? 何かあった?」

『ええ。……柳くんが、碧さんをゲームでハメてたぐらい、ですね』

「……何やったの?」

『酷いんですよ、柳くん。ゴール直前で真後ろに甲羅を投げたり、碧さんがショートカットを跳んだ瞬間にカミナリ使ったり、わざわざ追い抜いてからバナナを直に当てたり……それで、拗ねちゃって』


 ――――“カート”か。何やってんだ、あいつは……。


『それで、碧さんがやり返そうと“桃鉄”で挑戦したんですけど……続き、聞きたいですか?』

「いや……なんとなく想像つくからいい」


 ――――それこそ、人と遊んじゃいけないゲームのナンバーワンだろうに。

 さしもの碧さんとはいえ、同情してしまった。

 というか何でそんなにゲーム機がいっぱいあるんだ、寄り合い所。


「……まぁ、こっちも電気も止まってないし、電話も繋がるから大丈夫だよ。怜にもう一度替わる?」

『あ、いえ……もう、言いたい事は済みましたので。それでは、おやすみなさい。また明日ですね。怜ちゃんにもよろしくお伝え下さい』

「分かった。わざわざありがとう、おやすみ」


 電話を切るとすぐ、怜から問いかけが飛んできた。


「……ねぇ、そのお布団は?」

「あ? あー……これか」


 流石に同じ部屋で眠る訳にはいかないからだ。

 わざわざ二階から運んできたのは、俺が居間で寝るため。

 そう教えてやると――――



*****


 ――――今は。


「……ふふっ。何だか楽しいね、こういうの」

「なぁ、やっぱり、俺……」

「ダメ。それとも……ボクを、一人にする気かい? 怖いなぁ、ボク」

「…………おい」


 ――――背負って下りた苦労は水泡、二階の畳敷きの寝室に逆戻り。

 二人分の布団を敷くには少し手狭な寝室に、ほとんど距離なく布団を並べて――――同じ部屋で寝る事になった。


 いつも一人で眠る部屋に、眠る様子のない気配がひとつ。

 壁側を向いて眠る俺の後ろ頭に投げかけられる声はどこか無邪気で、浮き足立っているけど……俺は、気が気じゃない。

 この状況……意識しない方が、おかしいだろう。

 逸らそうとすればするほど、眼が冴えていくようだ。

 耳障りだった風と雨のBGMも、今はありがたい。

 この部屋がもし沈黙に包まれていたら――――それこそ、ダイレクトに気まずくなる。

 ただでさえ。

 ただでさえ――――数時間前、あんなこと・・・・・をしたのだから。


「さっさと寝ろよ……怜」

「眠れないよ。……もう少し、お話しよう。キミだって、どうせ眠れないんだろ?」

「……あぁ、そうだよ。お前と二人きりで寝てんだ。すぐ寝れるように見えるか、俺が。欲しかったよ、太い神経が」


 ……情けない。

 情けない事に、意識が全然止まないのだ。

 覚えてしまった咲耶の――――、の柔らかさが、暖かさが、ずっとじんじんと口に残ったままだ。

 おかわりを三杯、食後のお茶、寝る前に歯を磨いて、それでも不死鳥のように蘇ってくるあの感触が。


「……美味おいしかった?」

「っ!?」


 そんな考えを見透かされたか――――びくんっ、と体が震えて掛け布団が跳ね、シーツと擦れて音が立つ。


「何……が……?」

「え……? 何って、晩ご飯の事だけど……」

「あぁ……う、うん。美味かった……な。そういえば、初めてだ。怜の料理」

「そっか。……キミが美味しかったなら、何よりさ。……ねぇ、キョーヤ」

「何?」


 背後で布団の擦れる音がして、寝返りをうって反転したのか声は遠くなる。

 向けられていた視線を、感じなくなった。


「ボク、も……初めて、だった……から……」


 途中からうわ言に変わり始めたように、声を震わせながら怜が呟くのが聞こえた。



*****


 ――――俺が寝付けたのがいつなのかは、分からない。

 確かな事は眠気に負けて落ちる直前、俺の布団の中に、もぞもぞと潜り込んでくる感覚があった事。

 気を許したばかりの猫みたいに遠慮がちに寄せてくる、怜の体温と。


 ――――静かに漏れて背にかかる息が、確かに“声”になっていた事。



 ――――俺が、浮かされるようにその声に返事をした事。






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