他人を頼るべき

一方、さくらの方は、彼女の性格として、


『私がやらきゃ…!』


と思ってしまうところを、自身の精神状態を極力健全に保つため、敢えて皆に甘えた。そこでヘタに無理をして自分が追い詰められてしまったら意味がないから。


世間には、何でもかんでも自分一人でできることこそが<自立>だと考える風潮があるのでようだけれども、それは決して現実的ではない。人間はそんなに万能じゃない。


自身のキャパを超える部分については、自分にはできない部分については、むしろ積極的に他人を頼るべきだろう。何もかも一人で抱え込んで追い詰められ、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう事例を見るまでもなく。


あくまで何もかもを一方的に他人に押し付けるのではなく無理をし過ぎないためという節度をわきまえることと、逆に自分のできることで誰かを助けるという、『持ちつ持たれつ』を維持するという前提はあるけれども。


それと同時に、子供は親に一方的に頼らなければ生きていけないからまた別だし、そもそも親は自分の一方的な都合で子供をこの世に送り出したのだから、責任を負わなければいけない立場にある。


そういう意味で、親は子供と<友達>にはなれない。友達はそんな形で相手に対して一方的に責任を負わなければいけない存在じゃない。あくまで人間として対等な立場でなければ成立しない。立場が対等でないそれはむしろ<主従関係>と言った方がいいかもしれない。


さくら達の関係で例えるなら、現在は自分のことさえ自分では何一つできない恵莉花えりか秋生あきおは、さくらとエンディミオンが自分達の勝手な都合でこの世に送り出した存在で、かつ一方的に面倒を見なければすぐに死んでしまうのだから、まさしく子と親の関係を象徴しているし、それに対してさくらとアオの関係はあくまで対等な<友達>のそれだった。


今は恵莉花と秋生の世話で手一杯なため、アオが一方的にさくらを助けている形になるけれども、それまでに、作家と担当編集者という関係以上にさくらを頼ってきたのだから、アオにしてみれば当然のこととしか思っていない。


そしてかつてはエンディミオンが一方的にさくらを支配していた時期もあるので、これはいわば<主従関係>にあたるだろうか。


しかしそれは現在では、ややさくらが優位ながらほぼ対等な関係にある。現在の日本の法律上は<内縁関係>ですらないものの、夫婦に準じたそれだった。


なお、夫婦は、生計を共にし一体となって家庭を守る関係なので<友達>ともまた違うものの、これもまた対等であって初めて夫婦と言えるのかもしれない。そうでなければ主従関係になってしまうだろうから。


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