怨み続けるということが

ミハエルは言う。


「誰かを愛する時、その立場は様々だよね。


恋人として愛する。


夫婦として愛する。


親として子を愛する。


子として親を愛する。


兄姉として弟妹を愛する。


弟妹として兄姉を愛する。


祖父母として孫を愛する。


孫として祖父母を愛する。


だけどそれらすべてに共通してるのは、


『私と出逢ってくれてありがとう』


という気持ちだと思うんだ。


『この世に生まれてきてくれてありがとう』


『私の下に来てくれてありがとう』


立場は違えども、本質的にはそういう気持ちの表れこそが<愛>なんだと思う。


極端な話、相手が無生物でもそれは成立するよね。


『そこに存在してくれてありがとう』


ってことでさ。


そうなると、もう、見返りなんて必要ないと思うんだ。だって、自分の前に存在してくれているだけで『ありがとう』って思えるんだから。見返りなんかなくても関係ないよね。


僕も、アオやさくらやあきらがいてくれるだけで『ありがとう』って思える。


これを言うと彼が嫌がると思うから言わないようにはしてるけど、エンディミオンのことだって、『さくらと出逢ってくれてありがとう』って思ってるんだ」


ミハエルのその言葉に、さくらが頷く。


「私の両親も同じことを言ってました。


『さくらが私達のところに来てくれたことに素直にありがとうって思える。これを<愛>って言うんだろうな』


って」


するとアオも、洸の頭を撫でながら、


「ああ…私の両親は残念ながらそれを教えてはくれなかったが、今なら分かるよ。ミハエルやさくらや洸に対して、


『生まれてきてくれてありがとう』


『私と出逢ってくれてありがとう』


と思えるんだ。それを<愛>だというのなら、まさしくその通りだと感じる。


こうして洸を抱いているこの気持ちが<愛>でなくて何なのだ?


私の両親や兄は、この気持ちを知らずにいるのだとしたら、それはとても残念なことじゃないだろうか。こんなに満たされて、心が穏やかになる感覚。それを知らぬというのは、すごく悲しいことのような気がする。


あの人達が、もし、こういう気持ちで私に接してくれていたら、私はあんなにもあの人達のことを嫌うことはなかっただろう……


私は、両親や兄のことを今でも許してはいない。けれど、あの人達がこの気持ちを知らないのだとすれば、同情的な気持ちにもなるのだ。


被害者が加害者を許してもいいという気持ちになる時というのは、この感覚に包まれている時なのかもしれないな……


もちろんすぐには許せないだろう。別に露骨な虐待の被害を受けてきたわけでもない私ですら両親や兄を許せないと思うくらいだし。


ただ、この感覚に五年十年と浸り続けていると、怨み続けるということがそもそもできない気がしてしまうのだ……」


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