矛を収めてほしい

『アオと一緒なら、僕はどこでも天国さ』


ミハエルのその言葉は、本心だった。吸血鬼であり人間の社会では保護対象とならず社会保障も受けられない彼にとっては、仕事を失うくらいのことはそもそも困難ですらない。いつものことだ。


それに、いざとなればミハエルがアオを養ってもよかった。


ただしそれは、人間の視点から見ればいろいろ法に触れる可能性のあるものがほとんどだったが。


吸血鬼のネットワークを利用した株のインサイダー取引もその一つだろう。


いくら身分を偽造しても吸血鬼はこの世に存在しないことになっている。なので情報のやり取りも結局は偽造した身分を基に行うため、普通では繋がりを追うことができず、インサイダー情報を流しそれを基に株取引を行ったとしても人間では辿ることができない。


加えて、株取引に使う口座も、偽の身分で作ったものだからこれも人間から見れば違法なものだ。


しかし人間の法律の外にいる吸血鬼達にとっては人間と折り合いつつ人間の社会で生きるには必要なものでもあった。昔は(一部では現在もだが)密猟などで生計を立てていたりもしたようだ。漁業権や狩猟権が取得できないからである。


けれど、生きる為には仕方ないとはいえやはり正当化はできないこともミハエル達は承知していた。


それもあって、日本でならもっと上手く人間と共生できるかもしれないと思って来たというのも事実だ。


が、やはり<法の壁>というものは、日本でも変わりはなかった。キャラクターとして吸血鬼の場合だと<ただの忌まわしい怪物>というイメージは薄れつつありながらも、現実の中で生きるには世知辛い部分もやはりある。


だが、今はまだそれでもいい。今は無理でも、いつか人間にその存在を認めてもらい、空想上の存在ではない<現実にそこにいる種>として人間と共生できる世界が、もしかしたら数百年後くらいにはできるかもしれないという希望は持てた。


「アオは諦めかけていた僕を救ってくれた。だから今度は僕がアオを救う番だよ」


ミハエルは穏やかな表情できっぱりと言う。


「ミハエル……」


そんな彼を見ているだけでも、アオは救われる思いだった。




で、結論から言うと、アオの今回のパワハラじみた抗議についてはお咎めなしだった。その代わりと言っては何だが、上司によるさくらへの暴言についても同様にお咎めなしということで、うやむやになってしまった。


ただ、上司の方も、出版社のコンプライアンス部門から厳重注意を受け、今後は控えるようにという忠告も受けたりはしたが。


『次はないぞ』


ということである。


それによってアオの方に対しても『矛を収めてほしい』という無言の要望だっただろう。アオとしてもこれ以上、事を大きくするつもりはなかった。


こういう風に曖昧なままなあなあで終わらせるということはよくある。だからこそ子供に対しても偉そうにはできないとアオは思っていたのだった。


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