平和すぎる
さくらは編集部に戻り残りの仕事を片付け、その間に、エンディミオンは食材を持ってさくらのマンションに帰った。
冷蔵庫に入れておくためだ。
実は、最近になって、エンディミオンは時々、さくらの傍を離れるようになっていた。さすがに二十四時間常に張り付いていなくても大丈夫だと納得できたからだ。
確かに日本でも危険がゼロということはない。しかしエンディミオンが渡り歩いてきたような地域に比べれば、女性が一人で出歩いていても事件に巻き込まれる確率は圧倒的に低というのが実感できたからというのもある。
ただ、さすがにミハエルがいるアオの部屋に行く時は決して油断しないし、普段は他にしたいことがあるわけでもないので、特に用がなければさくらの傍にいるだけだった。
さくらのマンションまでは電車で十五分ほどの距離だが、エンディミオンはそれを走って移動した。
いや、『走って』と言うか、『跳んで』と言うかだが。
ビルのような高い障害物を除けば、その上を跳び越えて最短距離を移動するのだ。
これは、あまりに平和で平穏すぎる日本での暮らしで体が
基礎的な身体能力の時点で圧倒的なために、人間に比べれば『鈍る』ということも少ないダンピールではあるが、さすがに吸血鬼や同じダンピールを相手にする場合にはそれは大きなアドバンテージにはならないため、やはり鍛えておく必要はあるからだ。
だから、
『体が重いな……まったく、平和すぎるってのも考えもんだ』
とか思ってしまう。
だがその時、
「!?」
エンディミオンのダンピールとしての嗅覚に捉えられたものがあった。
『吸血鬼の臭い……!?』
瞬間、彼の体にざわっとしたものが奔り抜ける。
道路を跳び越えようとしていたところにあった標識に手を伸ばして掴まり、体を支える。
そして臭いのした方へと視線を向けた。
そこには、歩道を行き交う人混みの中で、若い男性と腕を組んで歩く若い女性の姿があった。しかもその女性も、エンディミオンの方を見ていた。向こうも気付いたのだろう。
間違いない。その女性が吸血鬼なのだ。どうやら純血の吸血鬼ではなく、後天的に吸血鬼となった<眷属>と思われた。純血の吸血鬼と眷属とでは、若干、臭いが違うのだという。
「……」
しかし女性は、数瞬、エンディミオンを見詰めたかと思うと、
「どうしたの?」
と一緒にいた男性に問い掛けられ、
「…あ、ごめん、なんか飛んでたように見えたから。でも気のせいだったみたい」
などと応えて、何事もなかったかのように男性に甘える仕草を見せた。
「……」
対するエンディミオンも、険しい表情を見せてはいたものの、その女性が歩いて行くのを見送っただけで、何もしようとはしなかった。
それから視線を外し、標識を蹴って、さくらのマンションの方へと跳んだのであった。
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