住めば都

ストーカーの女性にマンションから出てくるところを見られたことに気付かず、アオはそのまま引っ越し先の物件の候補を見に行った。


「こちらの物件は南向きで日当たりも大変よく―――――」


等々、不動産業者の典型的なセールストークについては殆ど右から左へと聞き流し、アオはただ、


『ここでミハエルと暮らすとしたらどんな感じになるかな…』


ということだけを延々と考えていた。


ロフトを見ると、


『このロフトを寝室にして……ああでも、トイレに起きた時にいちいち上り下りするのは面倒だし寝惚けて足を踏み外したりしてもなあ……』


と考えたり、


バスルームを見て、


『この広さなら二人で入るのもちょうどいいかな。広すぎると寒いし』


などと思い描くのだ。作家という仕事をしているだけあって、その空想は具体的かつ緻密だった。


しかし、どうもピンとくる物件がない。


どれもこれも、『帯に短し襷に長し』な物件ばかりで、『これだ!』というものがなかった。


もっとも、今住んでいる部屋を決めた時にも、他の候補と比べて飛び抜けて良かったという訳ではなく、単に、


『コンビニが一番近かった』


というだけで決めたものだったので、どうせ住んでしまえばそれに自分を合わせて行くことになるのも分かっていた。


ミハエルからも、


「アオが選んだものでいいよ。僕は拘りはないし、『住めば都』って言葉通りにどこでも合わせられるから」


と言われており、あまり気にするまでもないとも思う。


極端な話、いわゆる<事故物件>と呼ばれるようなものでもミハエルにしてみればまったく気にならないのだ。


なにしろミハエル自身が<超常の存在>である。幽霊や怨霊の類など彼にとっては空気にも等しい無害なものでしかない。


怖いのはむしろ人間なのだから。


だからいっそ、人里離れたところに引き籠ってしまってもと思ったのだが、それだと今度はさくらが打ち合わせに来るのが大変になってしまう。


その辺りの兼ね合いを考えると、あまり思い切ったこともできないのだった。


「とりあえず明日また、見せてください」


予定していた物件をすべて回って、アオは不動産業者にそう告げた。候補はまだある。ここで焦っても意味がない。


という訳で、今日のところは帰ることになった。


出た時にあのストーカー女性に見付かったことに気付かず、そしてその女性が数時間経った今でもマンションのエントランスが見える場所に潜んで監視していることに気付かずに。


『帰ってきた……! やっぱりここに住んでるんだ……!』


不動産業者の運転する自動車に乗って帰ってきたアオを見付け、ストーカー女性はまたあの笑顔のようにも見えながら実は笑顔じゃない表情を浮かべたのであった。


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