声
駅までの十五分ほどの行程は、特に何事もなく過ぎた。エンディミオンの姿を見咎めた者もいなかった。
そうして駅に着くと、いつものように定期を自動改札にかざして通り過ぎたが、切符を買っていないエンディミオンはふわりと宙を舞い、改札を突破した。
『はあ…やれやれ……』
いくら駅員からは見えていないとはいえあまりにも手慣れた感じで堂々とキセル行為を行う彼に、さくらは頭を抱えそうになった。
とは言え、
朝のラッシュ時に比べれば少ないとはいえ、それでもたくさんの人間でごった返すホームでも、異様な風体の彼に気付く者は一人もいなかった。
と、その時、中年のサラリーマン風の男が強引にさくらとその後ろに並んでいた者との間を通り抜けようとして彼女を押してしまい、エンディミオンのことが気になっていたさくらは、いつもなら難なく踏ん張れるところがついバランスを崩してしまった。
「あ…!」
たまたま最前列にいた彼女が危うくホームから転落しそうになったのを、がくんと引きとめられた。
「気をつけろ…」
エンディミオンだった。彼がさくらの腕を掴んでくれたのだ。
しかも、彼女がしっかりと態勢と立て直したのを確認すると、さくらを突き飛ばしておきながら謝りもせず助けようともせず更に他の人間達を押し退けながら進む中年のサラリーマン風の男の後を追い、殆ど隙間なく立っている人間達の間をまるで風のようにすり抜けて追いつき、前に踏み出そうとした男の足に自分の足を引っかけた。
すると、踏み出そうとした足が前に出なかったことで男はつんのめり、派手にその場に転んでしまった。
「な…え……っ?」
何に躓いたのかまるで分らず、しかも不様にすっ転んだ自分を周囲の人間達が嘲笑をこらえていることに気付き、
「くそっ! なんだってんだ……!」
男は吐き棄てるように悪態を吐きながら急いで立ち上がって、階段を駆け上がって去ってしまったのだった。
「まるで豚だな」
呆気にとられてその様子を見ていたさくらの隣で、いつの間にか戻ってきていたエンディミオンが心底呆れたように呟いた。
「……ぷ…」
その声に反応するように、さくらの近くに立っていたやや派手な化粧をした年齢不詳の女性が笑いをこらえる。
どうやら、気配を絶って周囲の人間の目には留まらなくなっていても、声を発すればそれは聞こえてしまうことが察せられた。
だから、さくら自身は敢えて何も言わずに、素知らぬ顔をしていたのだった。
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