第52話 朝鮮独立戦争?
「えー、反対するつもりは毛頭ないのですが……、もちろん……、すべて主席のおっしゃる通りにするつもりですが……」
「続けよ」翔一が言った。
「日本は信用できない国です……」
「つまり?」
「不誠実なのです……」
翔一は泰南に、この場にいる若い官僚にも理解できるように説明しろと言った。彼は「はい」と言って話を続けた。
「えー、主席が亡くなられた後、2002年の日朝首脳会談では、
泰南は会議室の役員たちを見回した。みな「うんうん」と首を動かしていた。
「しかしです。日本は一時帰国した五人を、再び我が国に戻すことはしませんでした。約束を反故にしたのです……」
翔一は、修理の終わったスマートグラスをかけ、密かにその資料を読みながら、「そりゃ当然だと思うけど。拉致被害者たちは北朝鮮に戻りたくなかったと思うし、日本の家族も返したくなかったんじゃないか……」と考えながら、泰南の話を聞いていた。
「非核三原則という建前でノーベル平和賞をとった佐藤芸作なぞは、実際はベトナム戦争でアメリカを支持し、核武装も肯定している大嘘つきなのです! そう! そうだ! 世界は日本に騙されているのだ!」
泰南は唾をとばし、しだいに言葉に熱が入っていった。他の高官たちの目つきも鋭くなっていった。
「大韓帝国を併合した時(1910年)はどうだった! 朝鮮の独立を奪って征服したにもかかわらず、奴らは何と言った。明治天皇は対等合邦だと宣言したのだ。何が、差別しない? 植民地ではない? 征服ではない? なにが対等だ! 言っていることと、やっていることが常に違う! 自己欺瞞も甚だしい! そんな国をどうやって信用すればいいのだ!」
「そうだそうだ」といくつもの声があがった。
泰南は、ふと翔一を見ると、汗を拭きながら「あの……、ほほほ……、その……、どうやって信用すればよいのでございましょう……、ほほほ」と言い直した。
翔一は、「こりゃ大変だ」と思った。国同士が、お互いに信用できないんじゃ、どうしようもないじゃないか、と頭を悩ました。
一方、晶勇は爪の脇のささくれを引っこ抜いたら、血が出て来たので、あわてて指をしゃぶっていた。
北京。中南海。
「本当によろしかったのですか」
広大な庭園は奇岩や様々な植物で彩られていた。
池のほとりで、国務院総理の
「朝鮮か」
「ええ。
習禁屏は水面を見て微笑んでいた。
「なぜです? 我が国と日本の会談の時間を削ってまで、彼らに尽くすのは。まさか、彼らの持つ核を恐れている訳では」
「一発でも使った途端に自国を亡ぼす核をか。杞憂するのは愚か者だけだ」
「台湾と同程度の人口で国民総所得はその三十分の一以下。なぜ彼ら小国のためにそこまで」
「言わせるな」
「もしや、日本に恩を売るつもりですか。これから始まるだろうアメリカの経済戦争に向けて、一時も早く日本をこちら側に引き入れるとか……」
「関税が引き上げられれば日本の打撃も相当だろう。生産をあれだけ我が国に移行したのだからな」
「では朝鮮は……」
禁屏は表情を変えずに話し続けた。池の向こうからは小鳥の鳴き声が聞こえていた。
「朝鮮は統一を望んでいるが、アメリカが力を持つ限りそれは不可能だ。可能性のある単純な方法は、朝鮮が、アメリカにではなく、日本に対して独立戦争を仕掛けることだ」
「それなら韓国は北と行動を共にするだろう。嫌韓を煽っていた日本の連中は驚くだろうな……。南北の二国は共に戦い、ひとつになる」
「アメリカは同盟国どうしの紛争には大規模に介入しづらいでしょう」
「だが、それでも多くの人命が失われる。我が国やロシアが介入しなければ朝鮮は確実に敗北する。そして、東アジア全体の経済が悪化する。朝鮮の統一は果されるが、彼らが立ち直るには半世紀はかかる……」
「犠牲が大きすぎます。喜ぶのは軍需産業だけ、と」
禁屏は小さく首肯した。
「そこで朝鮮を日本に近づけ、彼らの経済を潤わせ、朝鮮半島の対立構造を変える」
生剛は頷いた。
「湿った藁には火がつかない、と」
「落日の帝国は、すでに一国では世界の覇権を握れぬ。半島の火種を取り除くには、隷属化した日本をどうにかせねばなるまい……」
「しかし、金月成が本物だと信用できないのでは」
禁屏が池から視線を生剛へと移した時、彼の目は楽しそうだった。
「月成主席の護衛を覚えているか」
「ええ。まるで歴戦の勇士のような、おそろしい迫力でした」
「彼に聞いてみたのだ。金月成主席は本物かね? と」
生剛は「ええ、そうしたら、何と?」と言って身を乗り出した。
「そしたらな。彼は言ったのだ。くくくっ。主席は日本の高校生です、と。かーっかっかっかっ!」
大笑いする禁屏の横で、生剛は「はっ?」と理解不能な顔をしていた。
「まさか、あんな奴が冗談を言うとはな……。まあ、いい。誰でもいいのだ。誰でも……。重要なことは、誰が行うかじゃない。何を行い、それがどのような結果を生むか、そこだ。我が国とアジアのためになれば、何でもいいのだ。かっかっかっ」
鯉が水中で翻ると、水面は大きく揺れた。生剛は言った。
「たしかに、彼らの話を聞く分には良い方向に進みそうですが、たとえ小石でも水面の波紋は大きくなるものです。我が国に対して悪影響や、また、妨害工作がないといいのですが」
それを聞いて、禁屏は真顔で言った。
「妨害? ないわけない……。資本主義の巣窟には平和を望まぬ
鯉が水面から飛び跳ねると、水しぶきが彼らのズボンにかかった。
平壌。国務委員会庁舎。
「私から説明させてください」
「委員長、それから皆も誤解している」
部屋にいる人々は、晶勇に注目した。
「主席は、日本を信用しろと言っているわけではない。利用しろと言っているのだ」
翔一は口をあんぐりと開けた。晶勇は話を続けた。
「考えてもみろ。我が国の目的は祖国の統一だ。そのためには朝鮮戦争を終結させ、アメリカと平和条約を結ぶ必要がある。だが、アメリカはそれを望んでいない。サランプ大統領は信用できないが、今がチャンスなのだ。軍産複合体にどっぷりと癒着したハラリー元国務長官が大統領になっていたら、こんな機会はなかったのだ。今ならアメリカを動かせる。将を射んとする者はまず馬を射よだ。日本は馬であり鹿だ。風は東から吹く。今こそ風にのるのだ。日本を調略し、朝鮮統一の足掛かりにするのだ!」
会議室の人々が皆「うおー」と立ち上がり、激しく拍手をした。
翔一は、あわてて「待て待て」と立ち上がった。
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