第48話 密談

 土曜日。


 楠田順子はこの三日間、三柱町で取材活動をしていた。


 彼女は、水曜日にデスクの佐々木と、この町にやって来たが、彼は到着するなり、順子を下ろして車でどこかへ消え去った。


 次の日の朝、佐々木は、彼女が一人で泊っていた彼女の祖父の家に、ふらりと現れると、牛乳や菓子パンの入ったビニール袋を順子に差し出してから、ずかずかと家に上がり込んで来て、リビングのソファーに座ってくつろぎ始めた。


 彼は、呆れて見つめる彼女に構わずに、「楠田ちゃん、しばらくここに滞在してネタ集めてよ」と言った。


 彼女は「わたし、今日には帰るんですけど」と断ったが、佐々木は、「ああ、君の他の仕事は僕が何とかするからさ。頼むよ」としつこく食い下がった。


 順子は「何で、わたしなんです? 週末、休日なんですけど」と言ったが、佐々木は「君、どうせ彼氏とか、いないんでしょ。いいじゃない。好きな仕事できて」と言って、手帳を取り出すと、何やらメモをはじめた。


 彼女は心の中で「佐々木、牛乳飲んで下痢しろ」と呪った。


 彼は手帳の紙を破って彼女に渡した。そこには調べるべき事柄が、汚い字で箇条書きされていた。また、彼女の携帯に写真が何枚か送られてきた。昨日撮った写真のようで、背広を着た男女が数人写っていた。


「誰です?」と彼女が聞くと、「それを調べるのも君の仕事だよ。じゃ、よろしく。僕、眠いから、ちょっと横になるね」佐々木はそう言って、両腕を頭の後ろにやって、ソファーに寝ころんだ。


「ちょっと! 何で寝るんですか!」と順子が言うと、彼は薄眼を開けて、「だって、僕、休日だしね。あ、玄関の鍵はかけといていいから」と言って、途端にイビキをかき始めた。順子は、「夜までいる気か」と、佐々木を睨みつけた。



 順子は、あまりにもムカついたので、家を出ると玄関先で、編集局長の安部に電話をかけた。彼は、彼女が大学生の頃、大学に講師で来ていた事があり、また彼女の父親とも付き合いがあったので、個人的に連絡することがあったのだ。彼女の最も尊敬するジャーナリストの一人だ。


『順子ちゃんか。どうした』


 安部は、幹部とは思えないほど気さくに電話に出た。後ろの方から、慌ただしい声、電話の呼び出し音が聞こえて来る。順子は仕事中、申し訳ないと思いつつ、佐々木のことで泣きついた。泣きつくのは今回が初めてだ。


『そうか、君には苦労をかけるね。謝るよ』

「い、いえ! ち、違います! 局長が悪いんじゃないんです!」


 順子はあわてて言った。


『佐々木は、しょうがないヤツだ。ジャーナリストとしては、超一流なんだが』

「超一流?」


 順子は、聞き間違いかと思った。局長がそんな風に人を評価することは聞いたことがない。しかも、それがあの佐々木である。


『アイツが新聞協会賞を二度受賞しているのは知ってるか』

「え、一度じゃなくてですか。皆、マグレだって噂してましたけど」

『ああ、そうか』と安部は軽く笑った。

『アイツはピューリツァー賞にもノミネートされたことがある』

「ええっ! 嘘ですよね! 最高の栄誉じゃないですか!」

『俺が、勝手に応募したんだが、アイツ、それを知って受賞を断わりやがった。アホだよな』

「な、何でですか! わたし、信じられません! わたしたち、みんなの目標なのに!」

『だからアホだって言ったろ。記者クラブだって追放されたくらいだ』

「ええっ! 佐々木さん、追放されてるんですか! ちょ、ちょっと、ありえません! それで、どうしてデスクをやってられるんですか」


 順子は何度も目を白黒させた。


『ああ、アイツはアホだが、メディア最後の砦だ。それは社長もよく分かっている』

「どういう意味です」

『メディアが、世論をいくらでも間違った方向にコントロールできるのは知っているな』

「モホークヴァレーの公式ですよね」

『そうだ。わが社も株式会社だから、株主やスポンサー、そして政府省庁の意向を、完全には無視できない』

「え、ええ」

『だが、アホならそれが許される』

「え? ええっ!?」

『彼らの意向に反しても、アホだからしょうかないな、ってな』


 順子は再び目を白黒させた。そんなんでいいのかと、自分の会社が心配になった。


『すこし性格に難はあるが、ジャーナリストとしての能力は確かだ。アイツは誰にも流されない信念を持っている。順子ちゃんは国際部に転属希望していたな』

「はい!」

『じゃあ、それまで彼の下で、色々学んでくれ。すまん、ちょっと来客だ。では、健闘を祈る』


 安部はそう言って電話を切った。


 順子は複雑な気持ちになった。が、電話をカバンにしまった時には、すでに佐々木に頼まれた仕事を始めようと決意していた。




 写真の人物は、桜田高校を調べていることが、すぐに分かった。彼らには仲間がいるらしい。


 一度、新聞記者として、さりげなく話を聞いてみたが、彼らは雑誌の取材だと言った。彼女には、それは嘘だとすぐに分かった。いつも二人一組で行動していたからだ。二日ほど観察すると、彼らは日向翔一の友人、大野秀樹を調べていることが判明した。


 土曜日の朝、順子は、秀樹の話を聞いてみようと、彼の家を訪ねた。秀樹が自分の部屋に彼女を通すと、そこには、なぜか細田保志もいた。


「どうも! おはようございます! 楠田さん! オレです。細田保志です。やす君て呼んでください! さ、どうぞ、狭くて汚い部屋ですが、遠慮なく」


 彼は満面の笑みで、彼女に座布団をすすめてきた。


 順子は、あいまいに笑ってから、最近何か変わったことはないか、秀樹に尋ねた。彼は、誰かに尾行されていると言う。


 だが、誰かは分らず、理由の心当たりもないらしい。学校や家庭でも特に問題は起きていないと言う。保志が「オレのことも聞いてください」と身を乗り出してきたが、秀樹に邪魔するなと窘められた。


「そう言えば、日向君は元気?」


 順子が何気なく聞いた。保志は「ええ! すごく元気です! 昨日も……」と言いかけると、秀樹は、あわてて保志の口をふさいで、「へへへへ」と笑った。


「翔一はスイスに行ってるけど、昨日は一緒にオンラインゲームをしたんです」と言った。

「ふうん。そうなの。彼、すずちゃんのことで、相当参っていたから、すごく心配してたの」

「え! それなら、すず先輩はもう……」と保志が言いかけ、また秀樹に口を塞がれた。


 秀樹は「フガフガ」と暴れる保志をヘッドロックして、「ち、ちょっと、すみません」と言って部屋を出た。しばらくして、二人戻って来た時には、保志は大人しくなっていた。


 順子は、何か隠してるわね、と彼らを怪しんだ。


 もしかして、秀樹君が不審者に尾行されているのは、翔一君のことかしらと推測した。


 彼女は、ついでにどんなゲームか尋ねると、保志は、すぐさま「マジック・オブ・ザ・アドヴェンチャーっていうRPGです!」と答えた。


 彼女はそのゲームの名を手帳に書き入れた。




 北朝鮮、平壌。メーデー・スタジアムの控室。


 演説が終わり、ソファーで、ほっとひと休みしている翔一から少し離れ、カザルスとエラリーは密かに話をしていた。エラリーがカザルスに言う。


「どうだった?」

「いい演説だった」


 カザルスは満足そうに答えた。


「そうだけど、そうじゃなくって、アイツらのこと」


 エラリーはカザルスに顔を近づけ、声を低くした。

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