72話「止まっていた歯車がいま動き出す」

 1月27日(木)


「んー!」


 昨日の曇空がまるで嘘みたいに晴れ渡った、青空が広がるそんな気持ちのよい朝だった。そしてそんな朝に呼び起こされるかのように、俺は早くに目が覚めた。俺は窓を開け、伸びをしながら朝の空気を肌で感じる。それはやはり冬の朝ということもあって、ツーンとした冷たさがあったが、そんなのも気にならないほど俺は機嫌が良かった。アイツから良い朗報が聞けたのだ。


 修二しゅうじの話によると、なんとあろうことかなぎさは昨日修二に告白をしたらしい。たぶんそれは俺を諦めさせるために、ムリして告白をしたのだろう。もちろんそんな策略は修二には読めていて、その告白を断ったのだが、その際に『自分の犯した過ち』に渚は自分自身で気づいたのだ。それに気づくきっかけが俺からではないことが悔やまれるが、どうせ昨日の渚ではムリだろう。会っても睨みつけるような目をして俺を無視されるし、こればっかしは誰かにサポートしてもらう他なかったと思う。だからこそ、修二には本当に心の底から感謝の言葉を言ってやりたい。これで後はもう渚の行動次第となるのだ。まさかまだみおと俺をくっつけようと躍起やっきになるほど、彼女もバカではないのだから。だからこそこれから渚がどう動いてくるのか、それが重要となってくる。俺はその動きを見て、行動していけば間違いはないだろう。


「よしっ!」


 これは間違いなく大きな一歩なのだ。止まっていた歯車は今、回り始めた。この新たなる日を、こんなにも清々すがすがしい気持ちで迎えることができた。この青空のように、もう後は何もかせとなるものはないのだ。だからこそ頑張ろう。と俺は気合を入れ直し、いつものように朝の出かける準備を始めていた。やはり気分がいいからか、鼻歌なんてかましながら気分上々であった。朝の弱い俺が朝からこんなテンション高いのも中々ないことだろう。そんなことを思いつつ、1人で家を出ると――


「おっ、おおっ、おはよっ、煉!」


 目の前の家からちょうど俺と出かけるタイミングを同じくして渚が出てきた。そして俺にそんな、どこか緊張した面持ちで挨拶をしてくる渚だった。


「お、おう、渚。おはよ」


 昨日までにらまれ、無視されていた人とはとても同じ人物とは思えないそんな渚に俺は戸惑いつつも、同時に内心では少し嬉しく思っていた。こんな言ってしまえば、澪化している渚でも話しかけてきてくれるだけで嬉しい。ホント、昨日はとても辛かった。渚と目が合う度に、俺の心はズタズタに引き裂かれていたのだから。


「いっ、いいっ、一緒に行かない!?」


 いつもならなんてことのない誘いも、まるで乙女みたいになっている渚。


「ハハッ、いいよ。いこっか!」


 そんな姿があまりにも可愛くて、俺は軽く笑いながらもそれを快く受け入れていた。横並びになってさあ、学園へと向かうのだが、いつもならここであるはずのくだらない雑談が始まらない。やはり未だ乙女モードな渚にはそれはハードルが高いようだ。俯いたまま黙って俺の隣を歩いている。でもきっと何か伝えたいことがあるみたいで、チラッチラッとこちらを見ては目が合ってすぐに元に戻るというなんとも愛くるしい仕草をしていた。


「……あのっ、ね? すぅー…………はぁー…………」


 しばらくそんな状態が続いた後、ようやく決心がついたのか、俺を呼び止める渚。でもまだ呼び止めてもなお言えるだけの勇気は用意できなかったようで、一旦自分の心を落ち着けるかのように大きく深呼吸をして、


「今日の放課後、1年生の少人数教室に来て。そこで話したいことがあるの……」


 真剣な眼差しで俺にそう告げた。


「うん、わかった。確認のためだけど、4組の前の教室でいいんだよな?」


 それに俺は場所を間違えたなんておマヌケなことにならないように、場所の確認を取る。『話したいこと』でここではなく放課後にして時間をあけるのは、渚自身が勇気をつけるためだろうか。それともこんな人の目があるような場所では言いにくいような内容なのだろうか。いずれにせよ、その答えは放課後まではお預けなようだ。


「うん、そう。でね、あと……ごめんなさい!」


 そんな思いを巡らせていると、渚が続いて俺に頭を下げて謝罪してきた。


「え?」


 急に謝られたものだから、戸惑ってしまう俺だった。そんな話の流れでもなかったから余計にだ。


「その……いっぱい酷いことしちゃって、私が全部悪いの。ホント、ごめんなさい……」


 そして渚は今までのことを、どこか申し訳無さそうにしながら俺に真摯に謝ってくる。


「ああ、いいよ。でもさ、1つだけ約束。人の幸せのために、自分を犠牲しないこと。それが例え自分の妹であっても」


 でも俺はそこまで気にしてはいなかった。彼女がどうしてそこまで拘っていたのか、それも俺はもう分かっている。結局は自分の思いを殺すためになってしまったけれど、その中にもちゃんと妹のことを思っていた気持ちはあったと思う。引っ込み思案な澪の恋がその性格が邪魔となって報われないなんてことがないように、姉としてサポートしてあげたかったんだと思う。そのやり方はどうあれ、その気持ちは俺にも澪にも伝わったから。ただ、後は自己犠牲をしないこと。これさえ守ってくれれば、俺としては問題なかった。


「……そうね。そしてなにより、相手の気持ちを考えて行動すること」


「うむ。わかってるんだったらよろしい。もう気にしてないから、そう気に病むな」


 結局のところ全ては過ぎたことなのだ。後になってどうこう言う話じゃないだろう。澪だってそこまで怒っているわけではないのだし。俺も怒ってなんかいない。だったら渚だってそう思い詰めることはないのだ。


「うん、ありがと……」


「あっ、そうだ。じゃあ、こっちからも――」


 そんな中、俺はふとした拍子にある、伝えたいことが思い浮かんだ。


「ん?」


「ありがとな、俺を嫌いにならないでくれて」


 あんなことがあった後も、渚は俺を嫌いにならないでいてくれた。それが何よりも俺にとってありがたく、嬉しいことだった。本当に嫌いになられてしまったら、もうこうして肩を並べて一緒に登校することも叶わないのだから。


「ふぇっ、うん……」


 そんな言葉にどう反応していいのかわからずに、目を逸らして俯いてしまう渚だった。まあ、そんな渚の仕草が可愛いこと可愛いこと。やっぱり俺は渚が好きだ。今はもう胸を張ってそう言える。そしてやっぱり好きだからこそ、この想いを実らせたい。俺はそう強く思った。今日の放課後の話でどうなるのかはまだわからないけれど、その動きによっては俺も動き始めるのかもしれない。まだまだこれから不安なことがいっぱいあるけれど、正直今はそれよりもこの2人で登校している気分を味わいたかった。相変わらず乙女モードで、言葉はない。なんか傍から見たら、付き合いたてのカップルみたいに見えてきそうだ。でもこうして言葉を交わさないのも、今の俺にはなんか心地よかった。今は隣に渚がいて、一緒に歩いているというだけで幸せなのかもしれない。昨日は渚で落ち込んで、今日は渚で喜んでいる。つくづく忙しい男だな。そんなことを思いつつ、俺は渚と共に学園へと登校していくのであった。

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