104.デートの支度

 フルールはしばらく勝ち誇ったように胸を張っていたものの、萌香がなんの反応も示さなかったのでつまらなそうに唇を尖らせた。

「もう! あんたのそういうところが嫌なのよ! そこはこう、え~っ、羨ましい、みたいに反応してくるところでしょう? 私、アルバート様とデートだって言ったのよ?」

 なぜか怒っている風なので、続きを待っていた萌香はキョトンと首をかしげた。


 ――ええっと。ここは、どちらのアルバート様なのか聞くべきところだった?


 アルバートという名前は特段珍しいものではないようだが、まだ萌香はこちらの有名人などは把握しきれていない。知っている人の顔を急いで思い出していくものの、フルールと同世代のアルバート様がわからなかった。同世代ではない可能性もあることを考えると、ますますわからない。


 萌香が困った顔をすると、フルールは「ノリが悪い」と、諦めたように大きくため息を吐いた。


「はいはい。嘘ですよ。あんた今、アルバート様の専属メイドだもんね。どうせあの方の婚約間近の恋人なんかも知ってるんでしょ。ふんっ」


 ――あっ。そういうこと?


 どうやら彼女の言うアルバート様とは、萌香のよく知る彼のことだったらしい。彼女たちがアルバートを狙ってるなんて話も聞いたなぁ、などということを思い出したものの、フルールのどこか子どもっぽい表情に萌香は少し頬を緩ませた。

 複数人でいるときに比べ、彼女一人だと毒気がかなり少ないようだ。

 ブツブツ文句を言うフルールの話を聞くと、仕事でアルバートが常に萌香の側にいる今の状態を、どうやら萌香が彼の専属メイドになったという噂となっているらしい。

 「すっごく羨ましいんだけどっ!」と言われたけれど特に否定することはしない。

 萌香が半アウトランダーだからなんてトップシークレットだし、関係ない人に説明する必要もない。

 しばらくして、ようやく彼女言葉が途切れたところで萌香は、

「それで、本当はなんなんですか?」

 と軽く首を傾げて見せた。


 たぶんデートなのは間違いないだろう。

 彼女のワンピースは上流階級の服のお直し品であることは間違いない。エムーアは階級や立場で服装が変わるのがややこしくてめんどくさいけれど、覚えればならない常識だったので必死に覚えたのだ。


 少し目が輝いた萌香を見て気を取り直したのか、フルールは何でもない風を装って口を開いた。

「幼馴染が田舎から出てきてて、夕食を食べに行く約束をしてるの。それだけよ」

 その割には頬が少し赤らんでいる。


「男の方なのね?」

 あえていつもと言葉遣いや話し方を変えて、彼女の話し方のテンポに合わせてみると、フルールはあっさりと頷いた。

「そうよ」

 言葉は短いけれど、身近にいる、気になる異性ということなのだろうことは伝わった。


 ――素直にしていれば、可愛い女の子なのにねぇ。


 他に仲間がいるときは悪口や嫌味が多くて気分が悪くなる相手だが、フルール一人なら、割と普通の女の子だ。周りに流されやすいタイプなのかもしれない。

 シフトを思い返すと、彼女がつるんでいたメイドは二人いるけれど、どちらも他のお宅に派遣されている。だから年の近い萌香の所に来たのだろうと得心がいった。

 フルールはダン家にいるけれど、住み込みではなかったはずだ。


「わかったわ。控室で待ってて。荷物を置いたらすぐ行きます」

 部屋に呼ぶほど親しくはない相手だし、メイド用の控室も、今なら誰もいないだろう。

「えっ?」

「口紅でしょう? 直接塗ってあげる」

 萌香が少し顔をしかめてそう言えば、フルールはあっさり納得した。

 高価なものだから手から離したくないと思ったのだろう。だが、


「化粧も少しなおしてあげる。それ、全然にあってないわよ」

 絵梨花とも普段の萌香とも違うあえて高飛車なトーンで話して、指をチチッとふると、いつものおとなしやかな萌香とは違う雰囲気に、フルールは「えっ?えっ?」と言いながらもおとなしく頷いた。

 萌香エリカは十八歳ということになっているけれど、実際はフルールと同じ二十歳だ。

 それでもあえて、年上のメイクアップアーティストの仮面をかぶった萌香は、「いい子ね」と、あでやかに微笑んで見せた。


  ◆


 控室に入ると、フルールが落ち着かな気にソワソワしているのが目に入る。

 「時間がないの?」と聞いてみると、約束の時間まではまだ十分にあり、ここを早めに出るとしてもあと一時間近くはあるようだ。

「ルートはラピュータに詳しくないから、駅で待ち合わせなのよ」


 デートの相手が迎えに来てくれないわけではないと言いたげなフルールを、姿見の前に移動させた椅子に座らせる。

「ふーん。で、ルートさんってどんな人なの?」

「なんで萌香が彼の名前を知ってるのよ」

「今フルールが言ったんだけど?」

「えっ? 言ったっけ? あれ?」

 ソワソワしているフルールが面白い。「で?」と促せば、彼は実家が隣同士の幼馴染で同い年。お互い第三子で、会うのは半年ぶりらしい。

「ルートってば、仕事でラピュータに来てるから飯でも食おうなんて、突然カードを寄こしたのよ。きのう! とつぜん!」

 もっと早く言いなさいとぷくっと膨れるフルールに、萌香も「本当にそうよねぇ」と頷いた。


「そうでしょう。やっぱりそう思うわよね。本当に気が利かないんだから。出かけるために、女の子がどれだけ支度に時間がかかるか分かってないのよ!」

 口紅は切らしているし、新しい服を用意する暇もなかったフルールは、ルームシェアしている従姉妹から服を借りたようだ。古着の上に、他人ひとのもの。どうりでしっくりしないわけだ。

「じゃあ、可愛い姿を見せてびっくりさせないとね」

 萌香が低めの声で言って、鏡越しにニヤッと笑って見せると、フルールは目を丸くし、なぜか少し頬を赤らめた。


「そ、そうよね」

「そうそう。で、彼はどんな女の子が好みなの?」

「好み? ルートの?」

「そう。可愛いタイプ、綺麗なタイプ、あるいはカッコいいタイプ?」

 おそらく可愛いタイプなんだろうなぁと思いつつ聞いてみると、彼女は「エリカ様みたいな綺麗な感じの人ね」と肩をすくめたのでビックリした。


「エリカ様?」

「うん。前にダンスの動画を一緒に見たんだけど、目が釘付けだったわ。王宮勤めの人みたいな華やかな人のこともボーッと見惚れてたし」

「そうかぁ」


 まさかエリカとは――と思いつつ、鏡越しに改めてフルールを見る。

 ダンスをしてた時のエリカなら、ぱっと華のあるメイクだけれど、王宮勤めの女性なら上品な感じだ。


 フルールは小柄とは言えない。

 背は萌香よりも高く少しがっちりした体系だ。でも太っているわけではないし、肌も髪も痛んでいない。

 顔立ちは目と口が少し小さめだけど、鼻筋やあごのラインは綺麗だ。


 萌香がぶつぶつそう言うと、フルールは怒ったらいいのか、それとも綺麗と言われた部分について喜んだらいいのかと、複雑そうな顔になった。


「よし。じゃあ、上品綺麗系でいこう!」

「上品綺麗系?」

「うん。時間がないからおとなしくしてるのよ。いいわね?」

 迫力のある萌香の笑顔にフルールの腰が引けたけれど、鏡に背を向けるように椅子の位置を変える。彼女のメイク道具を一通り確認してから、フルールのメイクをいったんオフにして手早く下地を作った。


 ――舞台の幕開けまで時間がないんだからね。急ぎましょ。


 場末の女一歩手前のような無駄に濃いメイクを落としてみると、釣り目に見せていた目元がやわらかな印象になる。そばかすが多いのも気にしているらしい。

 王宮であった侍女たちのメイクを思い出し、デートにふさわしい可愛らしさを出す。そばかすもあえてそれほど誤魔化さない。

 次に髪もいったん解いて編み込みをして上品なシニョンにする。

「ちょっと笑ってみて?」

 最後の仕上げの前に萌香がフルールの顔をのぞき込むと、彼女はぎこちなくも微笑みを浮かべた。

「じゃあそのまま振り向いてみましょうか」

 椅子から立たせて鏡の方向を向かせると、フルールは一瞬キョトンとした後、ガバッと鏡に飛びついた。

「えっ? うそ。これ私? そばかすも見えてるのに。あれ? みっともなくない?」


 ――ふふん。理想的な反応~。


 元の顔を活かしているので大化けしているわけではない。それでも厚塗りに見せないファンデーションや、きつくしていた目元を素顔に近いやわらかな印象にしたフルールの顔は、デートにぴったりの恋する少女風だ。


「そばかすも可愛いわよ。じゃあ最後の仕上げをするわね」

 手持ちの口紅をミックスして色を作って、紅筆でキレイに塗る。それは魔法を施すような感覚で、萌香は細心の注意をはらって仕上げていった。

「どうかな?」

 鏡の前から萌香がどくと、上品で優しそうな雰囲気のフルールが、目をこれでもかと開いている。

「すごい」

「あとはにっこり笑顔を忘れないで。女の子の最高のメイクは笑顔だから」

 昔の女優さんの言葉を伝えると、フルールは鏡をのぞき込んだままこっくり頷いた。

「ルート、可愛いって思うかな」

 小さく呟いた言葉を耳にし、萌香はにっこり笑う。


「さ、時間だし出かけたほうがいいわ。これは塗りなおし用の口紅ね。一回分」

 持ち歩きようの紙に挟んだ口紅を渡し、フルールの背中をポンと叩くと、彼女が涙を浮かべたので、「化粧が落ちるから泣かないで!」と慌てて止めた。


「萌香、あんたって実はいいやつだったのね」

「やあねえ。今頃気づいたの?」

 わざと萌香が呆れた顔を見せてからニヤッとすると、二人で同時に噴き出してしまう。

「気付かないわよ。だってあんた、いかにもおとなしくて弱々しいって感じがしてムカついたんだもん。すぐ泣きそうなのに泣かないし、健気な感じが腹立つっていうか。でもそんなことなかったのね。意地悪して悪かったわ」

「見直してもらえてよかったわ」

 そう言いながら、テキパキとワンピースの襟元の無駄に豪華なリボンを外し、ウエストに巻く。

「なんだかウエストが細く見える」

「でしょ? この方が似合うよ。じゃあデート楽しんできて!」


   ◆


 翌朝。

 まだ身支度も終わってない萌香の部屋に、高速ノックの音が響く。

「あー、フルール。おはよう?」

 ドアを開けて首をかしげる萌香にフルールが抱き着き、どうしたものかと思いつつ挨拶をする。

「萌香。彼から可愛いいって言われた! 次のデートの約束も!」

「うん、よかったね」


 がばっと身を起こしたフルールは、まだ素顔の萌香の顔を改めてみて、ハッと息を飲む。

「ごめん。あんた、そんな傷があったんだ」

 目元の傷と、唇のしこりにショックを受けたらしいフルールに、萌香は「気にしないで」と手を振った。だが、その後に

「だから時々歩き方がつらそうだったの? 足も怪我したんでしょう」

 と言われて驚く。

 たしかに事故の時にガラスが刺さったあとの膝が時々痛むものの、誰にもバレていないと思っていたのに。


「びっくりした? ああ、じゃあ、フットマンの男どもとか、よくあんたを助けようとしてたのも、この分だと気づいてないわね? なんだか認識がガラッと変わったわ」

 男の気を引くためにか弱い振りだと思っていたと首を振られ、萌香のほうがびっくりだ。

「えええ。なんだかショック」

「うん。昨日の萌香を見てわかったわ。あんた、か弱いふりができると思えない。化粧してくれてるときとか、すっごくかっこよかったもん。どちらかと言えば男前で、あやうく惚れるかと思ったわ」

 面白そうな口調で言われ、「それは彼氏だけにしておいて」と萌香は手を振る。


「話はそれだけ? 私、これから急いで身支度しなきゃいけないんだけど」

「あ、ごめん。早くお礼を言いたかったの。ありがとう」

「いいえ。お役に立ててよかったわ」

「――あんた、マジいい奴すぎ」

 心底まじめな顔で言われ、萌香は思わず吹き出してしまい、ケラケラとしばらく笑い転げてしまった。


「萌香も笑ってたほうがいいよ。顔にそんな傷があるのは嫌だろうけど。あんた、よく見るとエリカ様にちょっと似てるしね」

「そう? ありがとう」

 ある意味本人だよ思ってとさらに笑ってしまうと、フルールもつられて笑いだした。

「萌香、困ったことがあったらいつでも言いなね。今度は私が助けるから!」

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