100.女子会②(ミア視点)

 ミアは頭の奥がぐらぐら揺れて、思わず近くにあったソファにドスンと座り込む。身内の前だという気安さもあるが、あまりのショックに礼儀などかまっていられなかった。

「そんなのイヤ」

 自分の声がまるで泣き声のようで、ミアは思わず両手で顔をぬぐうように撫でる。目の奥は熱いけれど涙はまだ出ていなかった。


 何を聞いたのか理解したくないと、小さな子供のようにいやいやをしたい気持ちを懸命に抑える。そんな態度は、エリカに絶対に見せることが出来ない恥ずかしい行為だと思うから。それでも今見た幸せな光景を否定なんてしたくなくて、混乱してざわめく雑音を懸命に追い出した。


 ユリアもたぶん同じ気持ちなのだろう。ギュッとこぶしを握り、クシャリと顔をゆがめた。

「エリカ様は去年身を引くように婚約を解消して、春には大きな事故にあって、記憶まで失ったのよ。化粧で隠せると言ってもお顔に傷まで作った! これ以上彼女から何を奪うというの? 茶会の後、エリカ様にアルとのことを考えてくれと言ったのは私だわ。身内になれたら嬉しいとは言ったけれど、間違ってもオーラフさんのことじゃない」


 本当にそうだ。

 茶会の時、ユリアは本気でエリカにそう言っていた。アルバートとのことを前向きに考えてくれと。従兄オーラフではなど頭をかすめもしなかったのはミアと同じだろう。


 エリカはヒロインにふさわしい女性だけど、間違っても悲劇のヒロインなんかじゃない。優秀だけど、実際にはごく普通の優しい女性だ。

 そんな彼女が奪われるだけ、誰かに与えるだけなんてあっていいわけがない。


「エリカ様が伯父様と結婚? なんでそんな話になるの? だいたいリュウオーなんて現れるわけないじゃない。ただの伝説、おとぎ話でしょう? 王家の人間ならアルバート兄様だっていいじゃない!」

 ミアが同調すると、ユリアがハッとしたようにカルラを見た。

「カルラさん。だから私たちに見せたの?」


 痛ましそうな顔でカルラは頷いて、普段は集まらない組み合わせの親戚を見渡す。

「そう。ミアとユリアはエリカさんのファンだと聞いているわ。目標にしているし、大切な友人であるとも聞いてる」

 その言葉に同意するよう、ミアとユリアは「もちろん」と頷いた。


「アネッタとドリカも呼んだのは、このことを知ってほしかったからなの。エリカさんは普通の女性よ。明るくて働き者だし、勉強家でとっても頑張り屋さん。うちの子たちもエリカさんが大好きなの。そしてうちの弟が初めて、唯一愛した女性だわ。たぶん彼女以上の人なんて現れない。あの子、本当にやっとのことで彼女を振り向かせたのよ」

 何も知らなかった頃のカルラは、パウルと面白がって二人を観察していたと打ち明けられ、ミアは泣き笑いのような顔になる。


「今のエリカ様は、アルバート兄様のことが好きよね?」

 確認するようにミアが問うと、カルラは「もちろん」と頷いてくれる。

「最初は控えめだったけれど、今はとてもアルを大事に考えてくれているってわかるわ。アルも真面目に彼女と付き合っている。前は一生独身でもいいか、なんて言ってたあの子が、求婚を受け入れてもらったって言ってたのに。エリカさんを守りたいんだって言ってたのに。今のままじゃただの崇拝者の一人よ。何かあっても、せいぜい調査員として彼女を助けられるかどうか」

 もし婚約者であれば側にいることが出来る場合でも、今のままではただの他人、第三者扱いになるのだと教えられ、ミアはさらに呆然とした。


「カルラってば、そんなに弟思いだった?」

 少し意外そうにドリカに問われたカルラは、黙って首を振る。

「本音を言えば、一所に落ち着いていられないアルが、誰かと家庭を築くなんて考えられなかったわ。でもあの二人を見たでしょう? 私、あの二人を見ているとワクワクするのよ。この一か月間ずっと見ているうちに、だんだんと応援したくなったの。夫も同じことを言っていたわ。だから何か力になれないかなって」


 ミアは顔を真っ直ぐに上げる。

 ミアだって力になれるならなりたい。

 大人の事情なんて分からない。ただ願うのはエリカに不幸になってほしくはない。幸せになってほしい。できることなら、エリカとはずっと笑い合える関係でいたい。

 でも、もしも彼女が明らかに王家に利用されたなら――。

 それでもエリカは笑顔を見せてくれるだろうけれど、ミアのほうが笑えない。そう思った。


「アネッタさん。伯父様――いえ、王太子殿下はどうお考えなの? エリカ様をお嫁さんにしたいと言ってるの?」

 アネッタはオーラフが王位を継承したのち、次の王太子になる予定の女性だ。今も彼女の夫ともども女王補佐として働いているので何か知っているのではと思ったが、彼女は首を振り、眉根を寄せた。

「いえ。具体的なことは何も。ただ、父が何か面白そうにしていたことを考えると、だんだん腹が立ってきたわ。政略結婚なら年の差の夫婦は珍しくはないといったって程があるでしょう」

 

 これも明らかに政略結婚にあたるのだと気づき、ミアは口元に手を当てた。


「国民の気持ちが大事ってことなのよね」

「そういうことね」


 ミアやユリアは政に関わることは、たぶん一生ない。

 礼儀作法は叩き込まれても、基本的には普通の一般市民だ。

 そんな自分がエリカをどう思って来たか。彼女のファンクラブである白花会のみんなはどうか。

 そんなことを考えながらユリアを見ると、彼女も眉を寄せて難しい顔をすると、ふと何かに気づいたように顔を上げた。


「ねえ。じゃあ何か起こる前に、エリカ様の隣にいるのがアルであること、それが自然なことだって周知させることが出来ればいいんじゃないかしら」

「どういうこと?」

「だって、以前のエリカ様はフリッツさんと婚約されてたし、その状態でエアーリアが戻ってきても次の王妃になんて声は出なかったと思うの」

 そうよね? と周りを見るユリアに、ミアはこくこくと頷く。確かにそうだ。

 するとユリアは親指を唇のあたりに当て、少し考え込んだ。

「そもそもエリカ様達はどう考えているのかしら?」


 そこにちょうど執事がやってきて、朝食の準備がととのったことを知らせてくる。今日は女子会という名目で、このメンバーだけでの食事だそうだ。



 こじんまりした朝食室でテーブルに着くと、いつもとは雰囲気が違うことに気が付いた。朝食室はどこの家庭もそう大差がない。キッチンのすぐ近くにある朝食室には大きな食卓があって、ごくまれに夜も過ごせるようバーカウンターがついていることもある。その程度の差だ。

 工夫できる点は、壁の絵やテーブルクロス、時に飾り棚があったり花を飾るくらいだろうか。

 親戚のうちで、女性だけで朝食をとるということが珍しいからかな? と思い、少し大人になった気分でミアは席につくと、上品な雰囲気のメイドが早速給仕を始める。

 朝食なので一品一品の提供ではなく、サラダやオムレツの乗った少し大きめの皿や、パンの入った籠、そしてミアとユリアの前にはオレンジジュースが、カルラたちの前には冷たいお茶が置かれた。

 ごく当たり前に普段見る光景のはずなのに、メイドの所作が美しくて、ミアはその手元から目が離せなかった。


「萌香さん、ありがとう。ではいただきましょう」

 カルラの声にハッと顔を上げる。

 萌香は、たしかエリカが仕事の時に使っている名前だと聞いたばかりだったのだ。

 改めてメイドの顔を見てみれば、伏し目がちで目立たない雰囲気にしているものの、それは確かにあの茶会で見た、メイド姿のエリカだった!

 こんなにそばにいたのに気付かないなんてと目をぱちくりさせていると、ユリアも驚いたように目を丸くしている。


 ――エリカ様にお給仕してもらっちゃった。


 茶会でイチジョーに行ったときもそうだったが、エリカは何かするごとにがらりと雰囲気が変わる。それでも今の給仕のときのように、彼女のすることから目が離せなくなるのだ。


 驚いた顔のままでエリカのほうを見ると、彼女は一瞬だけミア達にいたずらっぽい微笑みを見せ、またメイドの顔に戻ってしまった。

 それはまるで、お芝居のカーテンコールで大好きな女優さんと目が合ったときのような気持ちになり、ユリアと二人、こっそり上げそうになった悲鳴をジュースを飲んで誤魔化した。

 もしかしたらミア達は今、エリカのお芝居の中の登場人物として立っているのかもしれない。

 ふいにそんな気がして、食事が終わるまで大人の女性のように振舞うことに専念してしまう。先ほどまでエリカの話をしていたことなど、もちろんおくびにも出さない。そんなミア達を見てカルラが面白そうに微笑んだ。



 あえてエリカに声をかけないまま食事が終わり、彼女に食後の茶を淹れてもらうと、カルラがパンと軽く手を叩いた。


「では萌香さんの仕事はここでいったん終了。ここからはエリカさんとしてお茶に付き合ってもらうわ」

 その声に、エリカの雰囲気がスッと変わる。

 アネッタとドリカが驚いたようにエリカを見ると、彼女は優美なしぐさで一礼した。


「ではお言葉に甘えてご一緒させていただきます。改めまして、イチジョー・エリカです。アネッタさん、ドリカさん、はじめまして」

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