95.絵梨花っぽく

 翌日から萌香は鈴蘭邸に籠り、絵梨花が残したものが何かないかあちこち探したり、本を読んで過ごした。


 カイに萌香の軽自動車を見せたところ弄ってみたいというので、彼はアルバートと二人で主に車庫で過ごしている。萌香が持っていた工具では心もとないだろうけれど、二人でああでもないこうでもないと楽しそうなので、気が済むまで放っておくことに決めた。

 明後日の金曜日にはラピュータに戻るのだし、萌香としても誰にも邪魔をされずに鈴蘭邸をじっくり調べたいため、一人のほうが都合がいいからだ。


 ――分解してみたいって言われた時は、さすがにびっくりしたけどね。


 あちこちばらして組み立てたいのは、永遠の少年心のなせる業なのか? と萌香は首を傾げつつ、あれは今後も使う予定のないものだ。一応イナとシモンにも了承を得たうえでOKした。せいぜい心行くまで楽しんでもらおう。



 昼食はハンスがわざわざこちらにまで運んでくれるため、彼に給仕をしてもらいながら三人で食べた。

「ハンスはずいぶんお給仕に慣れたわね」

 あえての絵梨花モードで萌香が労うと、ハンスが嬉しそうに顔を輝かせる。

 他に邪魔も入らないため、鈴蘭邸で萌香相手ならのびのびと動けるのだと、後でこっそり教えてくれた。

 繰り返し練習したものは必ず身になるだろうから、その練習に役立つなら萌香も嬉しい。何より萌香自身も勉強になるため一石二鳥だ。ハンスはよく練習しているのに加え、元々の所作がきれいだから見てて気持ちいいし、学ぶ点がたくさんあるのだ。

 本人に言ってしまうと、彼がなぜか挙動不審になってしまうことが分かったのでもう言わないけれど。



「萌香の作業は進んでるのか?」

 午後の作業に入ろうかと動き始めたところで、萌香はアルバートに声をかけられた。

 この二日間車をいじるということで、今の彼の恰好は普段に比べてずいぶんカジュアルな雰囲気だ。デニムっぽい丈夫な白シャツの袖を肘までまくっていると、腕の筋の感じが萌香のツボにはまったらしく、妙にドギマギしてしまう。指も綺麗で色っぽいのに、腕までかっこいいのは反則ではないだろうか。

 普段のトラウザーズとは違った作業パンツも体にフィットした感じで、その雰囲気にカイと二人で「このまま日本にいても馴染みそう」だと、うんうん頷いてしまった。


 アルバートがいないときにカイを捕まえて、

「カイさん、どうしよう。作業着姿のアルバートさんがかっこよすぎるんだけど! でてもいいかな? なんだか一日中見てられる気がするんです!」

 と訴えてしまい、めちゃくちゃ笑われた。もはや呼吸困難になるレベルまで笑われた。


 ――そこまで笑わなくてもいいじゃない。どうせミーハーですよ。


 カイには「なんや、アイドルのおっかけか?」と、うちわかペンライトを振る真似をしながらからかわれてしまうが、アルバートに対するミーハーは今に始まったことではない。

 茶会でデズモンドから助けてくれた時から、彼は萌香にとってはアイドルだしヒーローなのだ。

 普段兄のように接しつつ、遠くから愛でて、「かっこいい」と息をくくらいが平和で楽しくて最高だと思う。しかも今はそれを聞いてくれるカイがいるので楽しすぎ、ちょっと気持ちが加速している気がしないでもないけれど、やっぱり楽しいからいいかと割り切った。


 だいたいカイが車のパーツの写真を撮る合間に、アルバートの写真も撮ってくれるのが悪い! しかもアングルとかめちゃくちゃオシャレで、とても消す気になれないのだ。ゲイルとロベルトにも見せたいような独り占めしたいような、とにかくいい写真が多すぎて困る。


 ――本気で別の保存方法かプリント方法を探さなくちゃ。




「作業ですね。えっと、思ったより順調に進んでます。自分ならどこに隠すかなと考えたら、大抵そこにヒントや品物がありますし」

「本人だから、考え方が同じってことか」

「たぶん。自分がここで生きてたらどうだったかなって考えると、たいていそうなるあたり、名前や生き方が違っても、やっぱり自分なんだなって感じで面白いです」


 絵梨花はマメに記録を残していて、ダンスのことならホールの整理棚に、踊り方のポイントだけではなくドレスについてや、資料になる本や動画も残していた。他の人が見ても、「だからここにしまってたんだな」と考える程度の隠し方だ。

 作法や、聖女のことについても色々分かってくる。

 彼女の直筆で書かれた事柄は、自分がエリカとして生きていたら? と想定して読めば読むほど、自分自身になっていく気がした。乾いた地面が、待ちに待った雨を吸収しているような勢いで吸い込まれて行く感じだ。


 それは記憶ではなくて記録だけれど、エリカが記憶喪失になったと考えれば、こんな感じだろう。


 例の力についても細かく記録を残していたけれど、それは萌香が力を使わなくては見つからないところに隠してあった。もしこの力がなければ普通の一般市民として生きられるから、むしろ気付かないほうがいいと思ったのであろうことが分かる。

 それだけ重いプレッシャーと、誰にも言えない秘密を背負ってたのだろう。

 その意外な力の使い方に、長いこと疑問だったことも解けたし、自分のほうがおそらく絵梨花よりも力が強いことが分かったため、少しだけ複雑な気持ちになる。


 それでも萌香はエリカとして生きると決めた。

 初めからずっとここにいたかのようにふるまって見せると決めている。


 絵梨花のマメさには本当に感謝しかない分、自分がすべてを忘れてのうのうと楽しく日本で生きていたことが申し訳ないと思うのだ。だからこそ頑張らなきゃいけないとも。


「全部読んで調べて私の身になったら、私も絵梨花っぽくなるかもしれませんね」

「あー、出来ればそれはやめてほしい」

 げんなりしたアルバートに、萌香はわざと頬を膨らませて見せる。

「なんでですか。絵梨花は割とアルバートさんのことが好きだったのに」

「兄貴としてだろ?」

「ご不満ですか?」

 実際にはもっと複雑でしたけど。


 ――私が絵梨花っぽく振舞えるようになったら、エムーアの人間らしくなったってことだと思うんだけどな。そしたら……。ううん、変なことを考えるのはやめよう。


「いいや、まったく。――じゃあ、おれに手伝ってほしいこととかないのか?」


 すげない答えの後に付け足すように聞いたアルバートに、萌香は少し考えてから頷いた。

「気が向いたときでいいんですけど、ダンスの練習に付き合ってもらえませんか? 日本だとこちらみたいなダンスをする機会がなかったから、私は全然踊れないんです。今動画を見ながら頭に入れてるんですけど、やっぱり相手がいないと難しくて」


 もしトムやシモンがいたら喜んで相手になってくれると思うが、残念ながら二人はラピュータだ。萌香の休暇が終わればすぐ会える距離でも、お互いの仕事の時間を考えるとなかなか難しい気がした。


 それでも今後、絶対にダンスは必要になる。

 絶対に覚えたほうがいい。

 それは絵梨花の記録の気合の入り方でも感じたことだった。

 もしかしたら絵梨花にとってのダンスが、萌香にとっての演劇にあたるのかもしれないけれど、それでも一秒でも早く覚えるに越したことはないと思うのだ。演技だと思えば驚くほどトレスできるけれど、一人ではこれでいいのか心もとない。


「いいよ。今夜にでも相手しようか」

 アルバートがあっさり了承してくれるあたり、こちらの世界のダンスはごく普通の日常の一部なのだなと感じる。

「ありがとうございます。男性パートも覚えたいので、そちらもお願いします!」

「なんでだよ」

「覚えたいから?」

「ああ……。よく分からないけど、分かった」

 

 ――どうして呆れたような顔をされるのかしら?


   ◆


 夕食後萌香は、イナのアドバイスで練習用のドレスに着替えた。

 ダンスの時は長くてボリュームのあるドレスを着るのが主流なので、実際に着て練習したほうが、足さばきなどの感覚が掴みやすいのだそうだ。それに合わせて靴もヒールのあるものに履き替える。絵梨花の履いていた靴なのでいい感じに馴染み、靴ずれの心配はなさそうだ。


「おお、エリちゃん、可愛いな」

「わーい、カイさん。ありがとうございます」

 カイのストレートな称賛に、萌香はくるっと一周回ってからスカートを少しつまんでお辞儀して見せる。スカートの裾が回転でふわりと広がる感じが気持ちよくて、テンションが上がった。女心をくすぐると言うか、揺れる感じがエレガントで楽しい。

 ひらひらと面白がって揺らしている萌香のことをイナが面白そうに笑うのが見え、ちょっと照れくさくなった。イナに言わせると、カイの前だと萌香はかなり雰囲気が変わるらしい。


 それでも今着ているのは和ロリとも謁見用のドレスとも違う、一番自分にしっくりくるドレスだ。少しだけ子どもの頃の日本でのお誕生会を思い出し、お姫様のような気持ちになる。

 練習用とはいえ非日常感がある美しい水色のドレスは、女の子ならぜったい楽しくなるわと、自然に笑顔になった。


「じゃあ始めようか」

 ある意味デフォルトともいえるアルバートの感情の読めない声に、萌香は「はい」と返事をして彼の目の前に立った。気のせいか少し不機嫌そうに見えるが、萌香が首をかしげると軽く頭を撫でてくれるので、気にしなくてもいいのかもしれないと思い直す。


 曲は萌香が急きょ頭に入れてきた一番基本だというものと、王宮でよく踊られるものの二曲にした。

「うまく踊ろうと思わなくてもいいし、足を踏んでも文句は言わないから」

 あまりにも生真面目にアルバートからそう言われ、萌香も(さっきのは足を心配しての表情だったのね!)と納得する。できるだけ踏まないよう気を付けよう。


「はい。じゃあ、よろしくお願いします」

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