83.異世界転移したらまずマヨネーズでしょう
「おねえちゃんは木之元麻衣って知ってるか?」
カイにそう訊ねられ、萌香は一瞬迷ってから正直に頷いた。
その一瞬の迷いにカイがふっと苦笑を漏らす。
「あー。やっぱこれは、タイムトラベルか? 俺、異世界転移したぁ! って思ってたんやけどなぁ」
その冗談のような口調に、萌香は「両方、かな」と言う。
記憶が戻ってから大体の予想もしていたのだろうか。カイはワシャワシャと萌香の頭を撫で繰り回した。その親し気な態度に周りが驚いていることを感じるものの、萌香は邪魔をするなとの空気を作る。
「カイさん。私ね、麻衣ちゃんの、中学の同級生なんです」
あえて無邪気に笑うとカバンからスマホを取り出し、カイの「おお」という声を聴きながら電源を入れる。起動する間にカイが語ったことによると、エムーアに来たのは二十二歳の冬だそうだ。
「会社の先輩の結婚式に出たことまでは覚えてるんやけどな」
当時社会人一年生で、初めて結婚式に参列して緊張したと笑う。西暦で考えれば、彼は萌香より五歳年上なだけだった。
萌香は微笑みを返しながら写真をスクロールし、高校の時に木之元麻衣と一緒に撮った写真を表示した。今見ると萌香の頬がパンパンで自分でも噴き出しそうになる。
麻衣は女優さんらしく美少女だ。
「ね?」
私の友達よ、可愛いでしょうと、ちょっと自慢を込めてしまう。
「うわっ、懐かし! 二人ともむちゃくちゃ可愛えな。ヨウ、見てみ。母ちゃん昔この人に似てたんやで。もっとかわいかったけどな」
息子の背中をバシバシたたきながらもしっかり惚気るカイに、みんながスマホをのぞき込む。カイの妻子がスマホに驚かないのは、カイのものを見たことがあるからだろうか。むしろパウルのほうが後ろのほうで目を丸くしている。
「俺のスマホは、こいつが五歳の時に電源が付かなくなったからなぁ」
「スマホ、持ってたんですか?」
やっぱりという思いと、それならすぐにアウトランダーだと判明してたのでは? と疑問に思う萌香に、カイとメリがいたずらを見つかった子どものように肩をすくめた。
カイの持ち物はしまわれたまま、数年間忘れ去られていたのだそうだ。
結婚後、新居に移るときに見つけ、カイは記憶はないものの操作はしっかり覚えていたらしい。それでメリは、ごく最近まで都会の道具という認識だったそうだ。
「田舎者の世間知らずでねぇ」
メリのふふっと笑った顔が少女のようで、萌香は少しだけ懐かしさに胸がぎゅっとなった。
「そういやな、このおねえちゃんがさっきマヨネーズ言うてたんや。一味足りひんってモヤモヤしとったんやけど、マヨネーズやってんな」
なぜか、「異世界転移したらまずマヨネーズを作るのがセオリーだろう」と主張するカイに、萌香以外がキョトンとしている。メリは楽しそうだが、息子(ヨウと呼ばれていたか)は、すみませんとでも言うように頭を少し下げたので、カイも照れくさそうに笑った。
「いやあ、つい興奮して。すみませんね。でも鰹節と青のりは諦めたけど、どっかにマヨネーズ売ってないもんですかね。兄さんたちはご存知じゃないですか?」
案の定誰も知らないということで一瞬カイはがっくり肩を落として見せるが、上目遣いで萌香を見る。
「作れへん? いや、まだ若いから料理は厳しいか」
聞いておきながら勝手に諦めるカイに、今度は萌香が苦笑する。
「私、こう見えても中学生から主婦してましたから。マヨネーズは自由研究で作ったこともありますし」
卵と塩、酢と油があれば作れるとつい言ってしまい、急遽厨房に移動することになってしまった。
「手伝うよ」
それまで黙って様子を見ていたアルバートが萌香の隣に立つ。黙って見上げると
「指示してくれれば大抵のことはできる」
と、何でもないことのように肩をすくめた。
「ありがとうございます」
あまりに自然に隣に立たれたことに萌香は気恥ずかしさを隠しながら、材料をそろえてくれたヨウにも礼を言った。
「計量スプーンと計量カップがないから、大体になりますね」
そう言いつつ、記憶の中の使い慣れた大さじに近い大きさのスプーンと、大体二百ccだろうと見当をつけたカップ、それからボウルを借りる。
「卵は黄身だけを使います」
卵が新鮮でなかったら諦めるつもりだったが、毎日生みたて卵を仕入れているらしく、殻もザラザラで白身も盛り上がっているので一安心だ。
「卵を生で使うのですか?」
案の定メリとヨウが目を真ん丸にしているが、カイが二人に「ええねん」とニコニコ笑って宥める。
ボウルに黄身と塩と酢を入れると、アルバートにかき混ぜるのを頼んだ。
少し形は違うが泡だて器はあったものの、ハンドミキサーはないのでとても助かる。
「もったりしてきましたね。じゃあ少しずつ油を入れていくので、アルバートさんはそのまま混ぜ続けて下さい」
お酢を少しずつ入れては混ぜるを繰り返す。やがて白っぽくなれば完成だ。
「はい、出来上がりです」
スプーンでほんの少しすくって、指先につけて舐める。
――うん、いい感じにできた。
その間、鉄板でお好み焼きを新たに作っていたカイが熱々のお好み焼きにソースを塗る。そこにマヨネーズを塗り、縦横に切っていった。
「じゃあカイさん、どうぞ?」
カイが食べるのをドキドキしながら見守ると、彼は大きく口を開けてぱくりとお好み焼きを食べ、ニカッと破顔した。
「うっま! うまいわ。マヨネーズ! ほんまにマヨネーズや! ほれ、お前たちも食うてみ」
目をキラキラさせて家族に勧め、「兄さんたちも」とアルバート達にもヘラを渡す。
「うまい!」
「まあ、おいしい」
「へえ。こりゃいいや」
それぞれの反応は上々で、萌香はニコニコしながらその様子を眺めた。アルバートは「ん」といった程度だったが、美味しそうに口の端があがったので嬉しくなる。
「よかった。アルバートさん、混ぜるの上手ですね」
「俺はお前が言った通りにしただけだぞ?」
萌香の褒め言葉にアルバートは首をかしげる。
「けっこう難しいんですよ。それに私がやったらすぐ疲れて一人じゃ無理でしたから、手伝ってもらえて嬉しかったです」
「そうか。喜んでもらえたなら何よりだ」
「はい。ありがとうございます」
萌香がにっこり笑うと、気のせいかアルバートの目の端が赤くなったように見えた。
残った卵白は新たに卵を追加して、厚焼き玉子にする。
だしはあっても醤油がないので出し巻きは難しかったが、塩と酒と少量の砂糖で作ってみる。もう一つは砂糖と塩の甘い卵焼きだ。
「私は普段甘い卵焼き派ですけど、叔父は出し巻き派だから、てっきりカイさんも出し巻き派かと思いました」
卵焼き器どころかフライパンもないので鉄板で焼くものだから、思った以上に厚焼きにするのは至難の業だ。不格好だが、複数回に分けて巻いていく卵焼きをみんなが物珍しそうに見ていた。
「おかんは出し巻きやってんけど、ばあちゃんが甘い卵焼きやったねん。俺ばあちゃん子やったねんな」
出し巻きはやはり「ぽい」感じにしかならなかったが、甘い卵焼きは懐かしい味だったらしい。一切れずつ食べたカイは懐かしそうに目を細めた。
「ええなぁ。別嬪さんなのに料理も上手で! 嫁に欲しいわぁ」
自分が独身ならとわざとらしく悔しがるカイに萌香はクスクス笑う。萌香は年配者に可愛がられることが多いので、正直聞きなれた冗談だ。
「せや。うちの次男坊なんかどや? 俺に似て、けっこう男前やし」
がしっとカイが息子の肩を抱くと、ヨウは苦笑しつつもまんざらでもない顔を見せた。左手の薬指に太目の指輪があるので彼は独身らしい。
エムーアでは独身男性は左手の薬指に指輪をはめ、結婚するときに妻にその指輪を渡す習慣があるのだ。大昔、家の鍵が指輪の形で、それを妻に預けることが結婚のあかしだったことの名残らしい。
既婚男性は、元の指輪を妻と半分に分けた(風な)細い指輪をする。
ちなみにパウルは細い指輪を二本はめているので、妻とは死別し、今のところ再婚の意思がないということが分かる。
わざとらしく検分するようにヨウを見た萌香は、頬に手を当て「残念だわ」というポーズをとった。
「うーん、ごめんなさい。私、年下で可愛いタイプが好みなんです」
ヨウは間違いなく年上で、がっちりとした男っぽい男性だ。なのであえて正反対のタイプを言った。断るときの定石、ただの冗談、軽口である。
もちろんカイにもそれは通じていて、「真逆やんけ」とゲラゲラ笑い、なぜか後ろでパウルが噴き出す。
卵焼きをみんなにも進めると、メリが甘い卵焼きをとても気に入り、今度教えてほしいと言うので快諾した。マヨネーズと卵焼き、ほかにもカイの故郷の料理を教えると。代わりに出汁とソースを分けてもらう約束をしたのでホクホクだ。
最近中古の保冷庫(冷蔵だけできる小さな箱)をもらったので、久々に色々料理をしたいとワクワクする。五年以上毎日家族のために料理をしていたので、ずっと物足りなかったのだ。
「アルバートさんとパウルさんはどっちが好きですか?」
物珍しそうに卵焼き(白身多め)を食べた二人は出し巻き派らしい。しかもかなり気に入ってる様子なので意外に思った。
――和食がいける口なのかな? けっこう嬉しいかも。
「そういえばカイさん。たこ焼きは作らないんですか?」
ここまで来たら、たこ焼きがないほうがおかしいと思う。こちらに来てからもたこ料理は何度か食べたので、材料は大丈夫なはず? と思っていると、カイは
「念願のタコ焼き機が来週入る予定やねん。ほなら振舞うけん、食べに来てな」
「やった。はい」
「そういえば、お嬢さんの名前を聞いてませんでしたね」
今更ながらメリがそう言うので、萌香は心の中で「あー」と言って少し上を見た。瞬きほどのあいだ悩んでから柔らかく微笑んで見せる。
「申し遅れました。日本名は恵里萌香です」
本当ならばイチジョー・エリカと名乗るところだが、今はアウトランダーとして来ている。あとはイチジョー・エリカという名前が持つ影響をとっさに考えた。
絵梨花の手帳によれば、地方に行けば行くほど聖女が神聖視されているという。耳の後ろにあざがあるだけでも、エリカという名前であることがすでに幸運の象徴のようなものらしい。しかもイチジョー・エリカでは、名前が聖女と同姓同名であるが故に人の期待は大きくなる。
身近な友人や学友はそうでもないが、ラピュータから離れた土地の出身だったり身分が低い人だったりすると、エリカはほぼ偶像扱い。その夢や期待を裏切らないよう、絵梨花は細心の注意を払っていたのだ。
今ここでエリカだと名乗れば、カイはともかく、地方出身らしいメリとヨウの態度は変わってしまうだろう。それは嫌だと思ってしまった。
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