62.天空都市ラピュータへ
様々な話し合いの末、萌香はクリステルの元で就職をすることになった。
クリステルは今、新事業としてメイドの派遣会社を始めていた。各階級に合わせた様々なタイプのメイドを紹介したり、一時的に派遣するのである。そこにどうかと誘われたのだ。就職にあたり紹介状必須の社会において派遣業は画期的らしいが、今の萌香には願ったりかなったりだ。
だがその前に、女王陛下に拝謁しなくてはならないのだけが気が重い。
「萌香であっても、“エリカ”なのは変わらないものね」
クリステルが思い出したようにそう言い、そう言えばそうだと皆が頷く。
耳の後ろにエリカの印である赤い花のような痣があるのだ。絵梨花がいなくても、エムーアで萌香はエリカという存在なのだと聞かされ、(なんだかややこしい)と思ってしまう。
しかもラピュータに行くということは、あの汽車に乗っていくということなのだ。興味がないと言ったらうそになるが、問題は宙に浮く線路……想像しただけでも血の気が引く。
結局トムたちが帰るのに合わせてラピュータに行くことになった。
「じゃあ、俺と一緒に行くか?」
汽車に乗ることに腰が引けている萌香に、アルバートはニヤッと笑ってそう提案した。一見意地悪な表情なのでトムがたしなめるが、なんのことはない、いつものように萌香をからかっているだけだ。その証拠に、彼の目はいたずらっ子のように輝いている。
「それって、あのバイクでってことですよね?」
「俺の背中に顔を付けて目を閉じてれば、外は見ないで済むぞ」
彼の提案にその姿を想像するが、線路と並行しているらしい道路だって宙に浮いているのだ。しかも体がむき出しのバイクではあまりにも無防備すぎて、恐怖感が半端ない。
「いえ、でしたら汽車のほうがずっとマシです」
本気でぶるっと震える萌香の肩を、トムの婚約者であるメラニーがクスクス笑って優しく叩いた。
彼女が遊びに来たのは鈴蘭邸訪問から五日後のことだ。メラニーにとっては今回予定外の訪問になったので、シモンが一足先にラピュータに戻るのとほぼ入れ替わる形になってしまった。事情をあらかじめ説明してあったが、トムの意思を尊重し、萌香をもう一人の妹ということですんなり受け入れてくれた優しい女性である。
「汽車は個室をとりましょう。席というより広めのお部屋になっているし、くつろげると思うわ。外が見えても怖くないわよ」
面白そうにチラッとアルバートを見るメラニーに、萌香はホッとして礼を言った。
天空都市に入ってしまえば、自分が高いところにいることは気にならなくなるだろう。女王陛下に拝謁し、その後はクリステルのところでしばらく世話になる。離れに部屋を用意してもらったので、家具のいくつかはもう送る手配が済んでいた。
自動車本体は、またしばらく保管してもらうことになった。日本に帰れるのがいつになるかは分からないが、万が一処分したことで帰れなくなると困る。
その他の私物は、壊れたものもあったが、使えるものは回収した。
車の存在は今後も他の人には内緒であるため、後日トムとアルバートの前でそれらを出していったのだが、メイク道具や小道具、アウトドア用品など、出てくるものが珍しいらしい。おもちゃ屋に行った子供のような目をしている二人の顔がおかしくて、笑いをこらえるのが大変だった。
車にソーラータイプの充電器を入れていたため、早速スマホの充電をしたのだが、結果は圏外だった。それでもGPSが使えるかも? と地図を開いたのだが、現在地はある意味半分予想通り、太平洋の海の上だ。
――うん、ラピュータだもんね、そうだよね。
と、逆に安心する。とはいえ、ラピュータの名前と位置以外はガリバー旅行記と全然違うのも、よくよく考えればありがたいことだ。
男性陣は地図アプリに興味津々だった。
世界地図を出し、縮尺から考えるとエムーアはこのくらいの大きさだと思うと萌香が示すと、その小ささにシモンが息を飲む。エムーアは孤立した世界だ。だがここが地球なら、本当はとても広い世界が外にはある。けれどそれはこの国の人にとっては幻なのだ。なぜなら、海に出ても見えない壁がぐるりと囲んでいるのが分かっているかららしい。
「壁ですか?」
「ああ、見えない壁がぐるりと囲んでいるから、船で海に出ても円を描くようにぐるっと回るんだ」
アルバートは指でくるっと輪を描いて見せた。
筒の中に閉じ込められた世界を思い描いた萌香が眉根を寄せる。そんなことがありえるのだろうか。その向こうの世界が時々浮かび上がる。それが蜃気楼……。
でも、萌香の知ってる世界から考えれば、このエムーアのほうが蜃気楼みたいなものだ。衛星からも見えない国。しかも大きさは日本くらいは余裕である。地球でないとは思いたくない。でもわからない。わからないけれど、来れたのだから帰り道だってあるはず。
「自分のいる世界が球体だなんて、王族や研究者以外知らないだろうな」
困ったようにそう言った教えてくれたアルバートに、トムが驚いたような顔をした。立場によって知識が限られているため、そんな秘密をあっさり話していいのかと思ったらしい。
「秘密ってわけでもない。アウトランダーのもたらした知識だから、どこまで出したらいいか精査中ってだけなんだ。すぐに必要な知識でもないからな」
実際、ここを地球だと仮定して話すと、すぐに理解できるのはアルバートだけだった。王家の人間でありアウトランダーの調査員であるアルバートは、みんなよりも知識が広いらしい。
自分をアウトランダーだと認めてしまったほうが話が早くなると分かったが、それでも萌香は気が重い。なぜか自分が萌香だとはっきりしてからのほうが、絵梨花だったらよかったと思う瞬間が増えたのだ。二十年間萌香として生きてきたのに、自分の中の一部が違うと言っているような錯覚を起こす。
それは主にトムといるときに多く、自分がどれだけ彼に兄になってほしいと思っているのかと、がっくりするのだ。
そのことについて、アルバートに話してみたことがある。
「それは、トムがお前の兄貴だからだろ」
と軽い調子で返されたが、萌香がうつむくと、
「萌香がエリカじゃないなら、トムは他人ってことなのか? もしかして惚れた?」
心底不思議そうな顔で問われ、ギョッとした萌香はぶんぶんと頭を横に振って否定した。
「そういうんじゃないです。自分は絵梨花じゃなくて萌香だと思っているのに、トムさんは自然に
萌香の男兄弟は弟の信也だけだ。
そのはずなのに、トムは何か違うのだ。
さっきもトムに恋愛感情を? と想像しただけで、正直気持ち悪いと思った。もちろん婚約者がいる相手に恋するなんて不毛なのだが、完全にそれ以前の問題である。心の底からトムのことは「お兄ちゃん」だと思うのだ。
ただ、その近しい感じをうまく説明できない。自分が知らないだけで、実は亡くなった兄がいたのだろうかと考えるが、日本の家に写真や仏壇はないし、話を聞いたこともない。三つ子の魂百までと言った感じで、小さいころの夢をずっと引きずっていたのかもしれないと考えると、自分の幼稚さが少し恥ずかしくなるわけで……。
「トムは兄貴でいいんじゃないか? あいつもそうして欲しいって言ってるんだし」
「甘えたままでいいんでしょうか?」
「むしろそうしとけ。たとえ、もう一人ひょっこりエリカが出てきても、萌香も妹だってあいつは言うぞ。賭けてもいい」
クスッと笑ったアルバートに頭をクシャっと撫でられ、萌香はホッと笑みを見せた。自分でも何となく、そんな気がしているのだ。
ただ矛盾する気持ちに落ち着かない。それだけ。
「じゃあ、萌香の目に俺はどう見えるわけ?」
目線の高さを合わせてアルバートに目をのぞき込まれ、萌香はドキリとする。
「アルバートさんのことですか?」
絵梨花にとっては兄同様だったという、トムの友達。
彼は優しい。なぜか意地悪そうに振舞うし、すぐにからかってくるが、萌香が嫌だと思うことは決してしない。話をしてても真剣に聞いてくれるし、驚くほど理解してくれるのは彼がクリステルに似たからだろうか。
多分、萌香が今一番信頼を寄せているのはアルバートだと思った。お兄さんのようであって、ちょっと違う存在。
「えっと、絵梨花の求婚者候補?」
よくよく考えそう答えたが、アルバートは首を傾げた。
「それは萌香のって意味か?」
「いえ、私じゃなくて絵梨花です」
「でもお前がエリカだろ?」
「違います」
それだけは信じないんだなぁと、萌香は苦笑した。アルバートにとって、絵梨花の苦手な部分が消えててほしいという願望だろうか?
「……なんだかややこしくなった気がするな」
眉間にしわが寄ったアルバートの顔に、今度は萌香が首を傾げる。
「そうですか?」
「んー。兄には見えないってことではあるのか?」
「少なくとも、トムお兄様と同じではないですよねぇ……」
お兄ちゃんみたいな存在でも、やはり違うのは間違いない。この差が何なのかは分からないが、正直な気持ちなので仕方がないだろう。
彼の姿を見れば素直にかっこいいなぁと思うし、いい声だなと感心する。要するに今の萌香は、“アルバートのファン”だというのが気持ちに一番近いと思っているのだが、芸能人でもない相手にそうは言えないのだ。むしろ彼が芸能人なら堂々とファン宣言している。ミーハーになり切れない現状がもどかしいくらいだ。
――いっそ、役者デビューでもしてくれないかしら?
「わかった。じゃあまあ、この話は保留にしておくか」
「はあ、分かりました」
なぜか保留にされたことに首を傾げつつ、萌香は一応同意しておいた。
絵梨花が彼に恋をしてたのか、まだきちんと確かめきれていない。日々の忙しさに、絵梨花の手帳の翻訳はほとんど進んでいないのだ。
だがスマホが戻ったので、アプリに入れていた簡易辞書を使えば多少何とかなるだろうと思っている。初めから順にサラッと読んだ部分には、学校のことや友人について書いてあった。Rの正体はまだ分からないが、そのうち出てくるだろう。
◆
日本の子どもなら、夏休みに入っているだろう七月下旬。
テンバにあるターミナル駅を初めて目にした萌香は、「東京駅?」と呟いた。
もちろん東京駅ではない。だが赤レンガで作られた駅舎の雰囲気はどこか東京駅を彷彿させ、なじみのある感覚に少しだけ緊張がほぐれる。
バイクで移動のアルバートもテンバの駅前で一度別れた。
駅舎の中は広く、天井には蜘蛛の巣のような骨組みですりガラスのようなものがはまり、明るい光が差し込んでいる。
駅の係員に案内されホームに出ると、停車していた汽車は萌香の予想とはまるで違うものだった。
「なんだか未来チックでスタイリッシュだわ」
思わずこぼれた言葉に、メラニーがクスクス笑った。
「どんな汽車を想像していたの?」
「煙が出る黒い車体ですかね?」
蒸気機関車を思い浮かべて萌香はそう答える。空に登る汽車なら、普通それを思い浮かべるよね。
だが目の前にあるのは優美な流線形の車体だ。白いボディーの大部分は大きなガラスがはまっていて、その枠黒く、差し色は空色。
そっと車両の下の線路を覗いてみると、驚いたことに水が張っている。要するに水路なのだ。
「水、ですか?」
首をかしげる萌香に、トムが
「水の上のほうが安定するからね。バイクや車もそうだろ?」
というので、以前ハンスに言われたことを思い出した。浮く何かの装置は、水の力も利用しているのかもしれない。
なんとなく遊園地の水に突っ込んでいくジェットコースターを思い出すが、これがバシャンと水に突っ込むことはないだろう。
案内された個室は本当にちょっとした居間のようで、窓から離れて座れば見えるのは空だけだった。
「どう? 怖くない? もしものときは、ソファーで眠っててもいいわよ」
「大丈夫です。ありがとう、メラニーさん」
怖いことは怖いが、せっかくなら汽車の旅を精一杯楽しもうと、萌香は大きく深呼吸をした。
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