36.樹の上

 枝にギュッと抱き着いて下を見ないようにしてる少年たちは、下にいる萌香にまったく気づいていない。年上らしき少年はすすり泣きながらも、がんばってゲイルを励ましているようだ。


「ゲイル!」

 ユリアの弟の名前は聞きそびれたため、とりあえずゲイルに呼び掛ける。耳に届きやすいことを考え、わざと敬称は抜く。ほぼ裏方とはいえ、萌香は元演劇部員だ。しっかり二人の少年に声は届いた。

「え、だれ?」

 ゲイルがハッとしたように顔を上げ、驚いたような、ホッとしたような声を出す。キョロキョロしたあと、こわごわと下を見たゲイルが萌香に気づいたようだ。


「今助けを呼んだから、おとなしくそこにいて」

「で、でも」

 動こうにも動けない二人は、ごめんなさいと言いながら余計に泣いてしまった。高いところが怖いだけだろうか? と、不思議な気もするが、萌香も高いところは苦手なので気持ちはわかる。


 すうっと深く息を吸い、ゆっくり吐きだす。

 高いところは嫌いだ。でも仮面をかぶれば大丈夫。


 萌香は脳内に木登りの得意な青年の姿を作り上げ、自我をスッと奥へと追いやった。


 ジャンプして、一番近い枝に両手をかけてぶら下がる。筋力が落ちたと思っていたが、思いのほか体が軽い。ワンピースなので少し動きにくいが、そのまま下を見ずにスルスルと難なく木を登り、少年たちのすぐそばまであっという間にたどり着いた。

「やあ、ゲイル。もう泣くな。助けがもうすぐ来るよ」

 落ち着いた萌香の声に少年二人がピタリと動きを止め、ゆっくりと萌香を見た。

「エリカ……さま?」

 自分が演じている男の役に合わせて低く落ち着いた声音で話しかけたので、少年たちはそこにいるのが萌香だとは思わなかったのだろう。良い感じのショックを与えられたようだ。


「どうしてこんな高いところまで来たんだい?」

 男っぽい口調のまま萌香がニコッと笑うと、ユリアの弟らしき少年が一度だけすすり上げグイっと涙をぬぐう。そして萌香の質問には答えずゲイルをかばうようにしながら、「あなたは?」と訊いてきた。突然現れた見知らぬ相手だ、当然のことだろう。

「私はイチジョー・エリカ。はじめましてだね。君はホリ・ユリア嬢の弟君かな?」

「……はい。ユリアの弟、ホリ・ロベルトです」

 木の枝にまたがりながらも礼儀正しく自己紹介するロベルトに、萌香は微笑んだ。冷静になれば事故につながる危険はずっと減る。

 ゲイルのほうは、先日会った時とは雰囲気の違いすぎる萌香にキョトンとしたまま、何かを探すように萌香をじーっと見続けていた。


「で、話は戻すけど、君たちはどうしてこんなところにいるんだい? ピクニックをするには高すぎる場所じゃないか」

 片手で周囲をぐるっと指す萌香に、ロベルトは少し赤くなって一瞬言いよどんだ。萌香がイチジョーの人間であり、母親から迷惑をかけるなと言われていた相手だと思いだしたのだろう。だがそこで言い訳をするつもりはなかったのか、ごめんなさいと潔く頭を下げる少年たちに、萌香演じる青年はヒューッと口笛を吹きたくなった。


 ――多少やんちゃだけど、二人ともいい子じゃないか。お姉ちゃんたちは苦労しそうだけど、かわいいねぇ。


 口笛を吹く代わりに笑みを深めた萌香に安心したのか、二人は次々に事の経緯を話し出した。


「僕たち、あっちのお屋敷の中を見てみたかったんです。秘密がありそうで面白そうだったから」

「それにね、この樹も大きくて、秘密基地とかありそうだねって二人で話してたんだよ。ハックルベリー・フィンみたいじゃない?」


 突然出てきた知っている物語のキャラクター名に、萌香はわずかに目を見開く。やっぱりここは地球? と考えたからだ。

 だがそんなことは表には出さず、笑顔のまま

「なるほどね。それで中は見えたのかい?」

 と先を促した。助けが来るまで話をつなぐのだ。


「うん。ほら見て、あっちだよ。秘密の花園みたいだよね」

 ゲイルたちの指さす方に萌香も目を向ける。

 さわさわと風が通り抜け、素晴らしい見晴らしだ。

 さわやかな青い空にふかふかとした白い雲。木や草花の濃い緑と、その奥に見える何か特別な秘密がありそうな大きな屋敷。その中は誰も入っていないとは思えないほど、美しく整っているように見える。屋敷までの白いアプローチ、その周りの木や花。それを見下ろす、萌香たちが登っている樹は大きく枝を広げ、何か特別なことを覆い隠しているようだ。

「たしかにそうだね。何かワクワクするものが待っていそうだ」

 頷いた萌香にゲイルとロベルトは嬉しそうに笑った。

「エリカ様は女の子なのに、男の子の気持ちが分かるんだね! すごいや!」

「ここまでも自分で登ってきたんですよね? 僕の周りの女の子じゃ考えられない!」


 ――ああ、そうだろうね。私もスカートで木登りすることになるとは、夢にも思わなかったよ。

 そんなことを思いつつ、萌香であって萌香ではない彼女は大きく口を開けて笑い、人差し指を唇に当て

「秘密だよ?」

 とウインクして見せた。宝物のような秘密の共有に、少年たちが目の光を強める。


「ならどうして泣いてたんだい? 降りられなくなったから?」

「えっと、それもあるんですけど……」

「ん?」

「おばけがね、いたんだよ」

「おばけ? こんな日に?」

 この世界にお化けの類がいるとは知らなかったが、こんな爽やかな場所に出てくるとは、場違いも甚だしいのではないだろうか。


「おばけなんて言ったのに、バカにしないんですか?」

 驚いたようなロベルトに、萌香はキョトンと首をかしげる。

「なんで? 嘘をついてるの?」

「嘘なんかついてないです。本当に見たんだから! あっちのお屋敷を見てたら、黒いモヤモヤーっとしたものが見えて、びゅーってこっちに向かってきたんだ!」

「それで僕たちビックリして落ちそうになって。でも下に降りようと思うのに急に体が動かなくなっちゃうし、どうやって助けを呼んだらいいのかもわからなかったし」


 二人が訴える声は本物だ。もしかしたらコウモリの類を見間違えたのかもしれないが、萌香はそれを実際に見ていない。この世界のこともまだよく知らないため、二人の言葉を簡単に否定できないし、するつもりもなかった。だから素直に信じて、

「それは怖かったね。二人が落ちないでよかったよ」

 と言ってこぶしを差し出す。ゲイルとロベルトは一瞬戸惑った後、その労いに応えてコツンとそれぞれこぶしを当ててきた。

 だいぶ少年たちがリラックスしてきたようだ。これなら梯子をかけても、スムーズに降りられるだろう。


 ホッとすると同時に、風のせいで自分の髪が枝に絡み、スカート部分が一部枝に引っかかってしまっていることに気づいた。

「エリカ様、どうしたの?」

「んー、髪と裾が枝に絡まっちゃったみたいなんだ。冒険をするには合わない格好だったから仕方がないけどね」

 ジーンズが恋しいし、髪もゆるっとした洒落たシニョンではなく、きっちりお団子にしておけばよかったと思う。片手ではうまく取れそうにもないため、萌香にも助けが必要そうだ。


 その時、下からミア達の声が聞こえた。

「エリカ様? 助けを呼んできました!」


 その声にゲイルたちが反応し、下を見る。萌香は髪が引っかかっているためよく見えないが、メタリックブルーのバイクが少しだけ目に入った。


 ――ああ、そうか。バイクも空を飛ぶものね。はしごより安心そうだ。


「アルバート兄さん!」

「アル!」

 ゲイルたちが口々に呼ぶ声は嬉しそうで、どうやら親しい人が助けに来てくれたらしい。萌香は少年たちに気づかれないよう、ホッと息をついた。

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