22.初めての外出
一時間後に外出ということになり、さっそく萌香は外出着に着替え、こちらに来てから初めてメイクもした。
ドレッサーの前にはじめて腰かけると気分が上がって、自然と笑みがこぼれる。
メイクのために鏡をしっかり見たことで、自分の目がはっきりとした二重になっていることに初めて気がついた。痩せたことで瞼の脂肪が落ちたようだ。
萌香の母が子どものころ一重で、中学で奥二重になり、二十歳ぐらいにははっきりとした二重になったと言っていた。日本人には珍しくないらしいとも聞いていたが、自分には縁がないと思っていたのでびっくりである。
「メイクなしで、目が少し大きくなったわ」
舞台であれば、役によって目を大きく見せることもあったが、普段のメイクでははずかしくてしたことがない。それでも、素の状態で目が大きくなったことは不幸中の幸いだと思った。ただ残念なことに、瞼の上の傷あとと、下唇の中央あたりがしこりのせいでぽっこりしていて、唇が歪んで見える。屋敷内とはいえこんな顔で人前に出ていたのかと、萌香の上がった気分はそれ以上に下がってしまった……。
メイク道具は見慣れぬものだが、以前メイドたちに教えてもらったことがあるため、試しに自分でしてみる。
「ベニ、おかしくない?」
周りの女性のメイクを参考にしているし、萌香から見て奇抜な流行メイクというわけではないため、真似は簡単だった。とはいえ、初めてなのでやはり不安ではある。
それでも瞼の傷はきれいに消し、アイシャドウのグラデーションで違和感を失くす。唇もしこりが目立たないよう濃い口紅で綺麗にラインを引き、少し下唇がぽってりしたコケティッシュな雰囲気を作った。
着物風の服装のため、華やかにしたほうが服が映えると思ったのだ。
「まあ! とても上手ですね、かわいらしい。傷なんて、全くないようですわ。どうやったんです? とても綺麗ですよ」
ベニの驚いたような視線と、にっこり笑顔のお墨付きをもらい、萌香は少し頬が赤くなる。
メイク自体は演劇で鍛えられているので、十年近いキャリア持ちなのだ。自分より他の人に施すほうが圧倒的に多かったのだが、今の自分にはかなり役に立っている。
外出着は、裾を短くした着物のようなトップスに、パニエを入れたふんわりとした踝までのマキシスカートを組み合わせている。萌香が最初に写真で見て「かわいい!」と思ったあのデザインだ。
着物の下半分はスカートの上を半分覆う形だが、裾にフリルが付けられていて、アシンメトリな形が花びらを何枚か重ねたようでかわいらしい。その小花模様のミニサイズの着物とスカートを身に着けると、幅広のコルセットタイプのベルトを着けた。
かなりの重ね着だが、素材が薄く風通しが良いようで、見た目よりも涼しかった。
「うーん、かわいい」
大きな鏡の前で、前や後ろを確認する。服が可愛くて見飽きないし、こうして見ると「エリカっぽく」見える。
大きな鏡も、見えないしっぽを振って同意しているような気がした。
◆
「これで町まで行くんですか?」
玄関にまわされた自動車を見て、萌香は驚いた。
大きな車だ!
まず目に入ったのは、チョコレート色に輝く長いボンネット部分。
フロントマスクには、丸いヘッドライトに挟まれるように銀色の縦格子がハマっている。
海外のクラシカルな高級車といった感じで、とても、ちょっとそこまでなんてレベルで小娘が使うような車には見えない。
以前チラッと宙に浮く車を見たことがあるが、そばで見てみると、車のくせにタイヤがない。ということは、これも宙に浮くのだろう。タイヤもないのに、これは車と呼んでいいのだろうか。
もう、どこから突っ込めばいいのかわからない。
「何かを不都合でもありましたでしょうか」
運転手の仕事用らしいベストと帽子に着替えたハンスは、萌香の言葉を聞いて、心配そうに帽子を胸に押し当てた。
「いえ、なんでもないわ。ごめんなさい。自動車のことをまったく覚えてないから驚いてしまって」
慌てて笑顔を作るが、内心では、これはどれくらいの高さまで上がるのだろうとドキドキしていた。萌香は高いところが苦手で、実は飛行機も苦手なのだ。遊園地でも、観覧車でさえ少し怖いという筋金入りである。
ほんの少し浮く程度でありますように!
ハンスの開けてくれた後部のドアから、萌香は恐る恐る乗り込む。ベニは助手席らしい。
中に入ると、ゆったり座り心地のいいベンチシートになっていた。
布張りなのだろうか? 見たことのないやわらかな素材のシートは、包み込まれるような快適さがあった。
運転席を見ると、日本と同じ右ハンドルらしい。
ただ、ハンドルが丸くない。あえていうなら、簡易的に作った飛行機のコックピットと言った雰囲気だ。メーターなどの間には、屋敷の中でもあちこちで見る歯車や水が流れるチューブがある。
――いったい、この車は何で動いているんだろう? あれですか? ラピュータ同様、竜が持ち上げてくれてるんですか?
ふっと浮き上がる感覚にゾッとしながら、萌香は懸命に車を背に乗せて走る竜を思い浮かべてみる。
頭に浮かんだ足の短いコミカルな竜はなかなか可愛いらしく、そう考えると段々怖くなくなってきた。
ただ、以前メイド見習いのモナに聞いた話は、あくまでおとぎ話だと聞いている。
実際にどうなのかは、「難しい話はちょっと」と周りを困らせてしまって、いまだ謎のままなのだ。
ガリバー旅行記なら磁石で浮いていたはずだが、どうなんだろう?
窓の外を見ると、思ったよりも高く上がっていることに気づいた。
ゆうに二メートル以上にはなるのではないだろうか。
萌香はコクンと息をのみ、ひそかに深呼吸を繰り返す。
揺れているわけではない。むしろ滑らかな動きだ。ハンスの運転が上手なのか、自動車の性能がいいのだろう。
思えば、後部座席に乗るのは何年ぶりだろう?
父が入院してから、何度かタクシーに乗ったことがある程度だろうか。
免許を取ってからは自分で運転していたし、だれかにどこかへ連れて行ってもらうというのは、とても久々だ。
気を使ってくれているのか仕様なのか、スピードはそれほど出ていない。せいぜい自転車くらいだ。
そう考えると、萌香もだんだんと外を見る余裕も出てきた。
今まで気づかなかったが、屋敷の奥のほうに丘があり、頂上には背の高い木がある。反対側にあるのが学校だ。屋敷も学校も白い壁に茶色の屋根。
夏らしい強い光の中で、建物を囲む木々の緑が色鮮やかだ。
「お嬢様。もしよければなんですけど」
ハンスがバックミラー越しに萌香を見て声をかける。
「はい、なにかしら?」
「久しぶりの外出ですし、買い物の前に領地をドライブするというのはいかがでしょう?」
「えっ! いいんですか?」
それはかなり嬉しい提案だった。ベニも賛成のように見える。
「ハンス。面倒でなければ、お願いしてもいい?」
「面倒だなんてとんでもないです!」
顔を真っ赤にしたハンスは、鏡越しにニカッと笑って見せた。
その姿に、きっと運転の仕事が好きなんだろうなと思った萌香は微笑みを返すと、ゆっくり深呼吸をした。そして、不安なところのない彼の運転を信頼し、領地の風景を楽しむことにしたのだ。
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