決着――そして帰還、そして……

 全力で砦の中を駆け抜けながら、ちらりと背後を確認したけれど、追っ手の姿はなかった。代わりにかすかな煙が漂い、何かが燃える音や物がぶつかる音、大勢の足音がする。みんな火事のほうに気を取られていて、侵入者どころじゃないのだろう。そこへ、前方から何かが空中を飛んできた。雉だ。

「こっちです!」

 雉の案内にも助けられて、僕たちは砦の入り口まで戻ることができた。そのまま砦を抜け出そうとして、はっと気づく。

「犬がまだ中にいる。助けないと」

「大丈夫です。犬なら船で待っていますから。鬼が桃太郎さんたちの所に集まっている間に、犬が宝物庫の鍵を見つけて、中の財宝を船に移してたんですよ。それに実はこの火事も、おいらと犬の仕業しわざなんです。篝火をちょいと拝借して、倉庫の薪に燃え移らせたんです」

 雉の言葉に、僕も猿も安堵あんどする。それならもう、ここに用はない。鬼は悪さをするとはいえ、今は砦が焼け、財宝も奪われるという災難に見舞われている。それをさらに叩くなんて非道な真似まねはしたくない。

 船へ急ごうとすると、背後から、

「待て」

 厳かな声に呼び止められた。同時に、槍が僕の横すれすれを飛んでいき、目の前の木に突き刺さった。

 振り向かなくてもわかっていたけれど、振り向いたらやはり、そこに立っていたのはあの赤鬼だった。片手に金棒を持っている。

 僕は覚悟を決め、刀を構えた。猿と雉も、油断なく身構えている。

 己を鼓舞こぶする意味も込めて、僕は少し赤鬼を挑発してみた。

「いいのか? 僕たちなんかに構ってたら、その間に砦が焼け落ちてしまうぞ」

「それは手下に任せてある。砦などより、おまえの命をここで絶つことのほうがよほど重要だ」

「財宝を奪ったからか?」

「違う。そんなものはまたいくらでも集められる」

 なんだか妙だ。財宝も砦もどうでもいいんだろうか。

 赤鬼は金棒を振り上げようとした。僕はとっさにそれを制した。

「なぜそうまでして僕を殺そうとする。財宝や砦を放り出してまで殺す値打ちが、僕にあるとでもいうのか」

 赤鬼の手が止まった。何事か思慮しているような表情だ。それでも、その目が放つ力は揺るがない。

 しばしの間の後、

「いいだろう。おまえには知る権利がある。教えてやろう、おまえが何者なのか」

 心臓がどくんと高鳴った。それは、ずっと知りたかったことだ。

 女神様の言葉がよみがえる。

「鬼が島へ行きなさい。行けば分かる」

 まさか、このためだったんだろうか。でもなぜ、鬼が知っているんだろう。

 赤鬼はゆっくりと語り始めた。

「結論から言おう。おまえの父親はわしだ。そして母親は……山の女神だ」

 すぐには言葉の意味が飲み込めなかった。僕をだまそうとしているんじゃないかとすら思った。

 赤鬼はこちらの疑いを察して、

「信じられんのは無理もない。わしにとっても、今にしてみれば幻のような出来事だった。あれは何年前だったか。異国の鬼との争いで、わしは死を覚悟するほどの傷を負っていた。そこに手を差し伸べてくれたのが女神だ」

 過去の事実を俯瞰ふかんして、そのまま述べているような淡々とした口振りだった。そこに偽りやごまかしは感じられない。僕は口を差しはさまず、彼の話に耳を傾けた。

「女神は傷を手当てするだけでなく、みずからきび団子を作って振る舞ってくれた。食べれば傷の治りが早くなると言ってな」

 思わず腰のきび団子を見た。これはおじいさんとおばあさんが作ったごく普通の団子だから、特別な力なんてない。力はないけれど、目印にはなる――もしやそのために、あれほど必要だと感じたのか?

「そうして共に過ごすうちに、女神は子をはらんだ。わしはろせとさとした。わしの血につらなる者が神の血も引いているなど、争いや災いの種にしかならん」

 がつんと頭を殴られたような錯覚に襲われた。そもそも僕は、この世に生まれないはずだったのか?

「だが、いくら言っても女神は承知しなかった。仕方なく、わしはそのまま鬼が島へ戻り、女神も山へ帰った。それから数年後。やはり子をそのままにはしておけんと思い、山まで行って女神と再会した。子はどうしたのかとたずねたら、女神は『流してしまった』と答えた。気がふさいでいる様子で、それ以上何も言おうとしなかった」

 「流して」ってまさか、流産じゃなくてもっとそのままの意味で……流してしまった!?

「わしは安心して鬼が島へ戻ってきた。生まれてすらいないはずの子に、後々こんな形で出会うとは考えもせずにな」

 おおよそのことはわかった。でもまだに落ちないことがある。僕はそれを赤鬼にぶつけた。

「なぜ僕がその時の子供だとわかるんだ? 一度も会ったこともないのに」

「おまえの面差おもざしは女神によく似ている。一目見てピンときた」

「え?」

 思ってもみなかった理由を出され、夢の中の女神様が記憶からよみがえる。いかにも神々しいお姿だったけれど、お顔はどんなだったか……。

 僕よりも先に猿が、

「ああ、なるほど。そうか。出会った時から誰かに似ていると感じてましたが、言われてみれば桃太郎さんは、女神様に似ておられる」

 雉も、

「女神様を照らしている光があまりにまばゆくて、はっきりとは御尊顔を拝めませんでしたからね。そのせいで今まで気づきませんでしたよ」

 僕もはっきりとはお顔を拝せなかったけれど、本人ならすぐに気付きそうなものだ。そんなに似ていただろうか。

 赤鬼はさらに理由を並べた。

「名前に『桃』を冠しているのもまた、因縁いんねんを感じさせた。女神は桃をこよなく愛していた。桃には邪を払う神力があるからな。わしには到底、口にすることもできんが。そのような少年がきび団子という、わしにとっては因縁深い食物をたずさえて鬼が島へ、それもわしの砦へ自らやってくる……単なる偶然で、そんなことがそうそう起きると思うか?」

 確率はかなり低いだろうな、と僕でも思う。おまけに桃は、川へ流すのにも利用されている。


 そのとき不意に、女性の澄んだ声がこの場へ割り込んできた。

「その子は確かに私の産んだ子。そしてもちろん、あなたの子です」

 声がしたほうを振り向くと、そこに立っていたのはまがかたなく、夢で見た女神様だった。身にまとう衣は、まるで蝶の羽のように優美で気品があり、つややかな髪は、そよ風を受けて清流のようになびいている。その半歩後ろには犬が付き従っていた。僕も猿も雉も、とっさにひざまずいた。

 女神様は赤鬼に向かって、

「子が生きているとわかれば、あなたはきっと殺しに来る。あなたと向き合えるぐらい成長するまでの間、この世に存在せぬと思ってもらうよりほかにありませんでした。子を守るためには」

 その朗々ろうろうとした声音は、耳に心地いいのに鋭さも合わせ持っている。そっと顔を上げてうかがうと、声と同じぐらい毅然きぜんとした眼差し、凛とした立ち姿が目に飛び込んできた。そして同時に、

「本当だ……」

 と認めざるを得なかった。現実の世界で改めて見ると、容易に血のつながりを連想できるぐらいには似ていた。ただおそらく、二人で並んでいたら、親子よりむしろ姉弟と思われてしまうだろう。それぐらい女神様は、実年齢はともかく見た目は若々しかった。

 犬が女神様のそばを離れ、たたたっとこちらに駆けてきた。僕の前で足を止めると、いったん女神様を振り返ってから、またこちらを見て、

「驚きましたよ。船に財宝を積んでいたら突然、女神様がいらっしゃって。桃太郎さんの所へ行きたいとおっしゃるんで、案内してきたんです。いやはや。改めて見比べると、やはり似ておられますなぁ」

「なんで自分で気づかなかったんだろう」

「自分のことを一番わかっているのが、自分自身とは限りませんよ。私も、他の犬から言われて初めて、自分のしっぽがみんなより毛深いことに気づかされましたから」

 そういうものなんだろうか。

 赤鬼はけわしい目を女神様に向けて、

「どういうつもりだ。母が子を生かそうとするのはまだわかる。それのみならず、成長した子にわしの財宝を奪わせ、あまつさえ殺させようとするとは。もしや……わしへの復讐ふくしゅうか?」

 鋭くにらまれても、女神様はまったくひるまなかった。それどころかきっぱりと、気高く、

「復讐とは大仰おおぎょうな。子を守る気概もない情けない男など、恨む値打ちもありません。一時でもあなたに心を許した己を恥じ、悔やみはしましたが」

 口調はあくまで穏やかで優雅なのに、冷え冷えとした空気を放っていた。赤鬼とはまた別種の威圧感がある。

 本当に恨んでないんだろうか。

 赤鬼もまた、少しも動じなかった。

「それなら一体、何のためだ?」

 女神様は僕を見ながら、

「あの子はいずれ、『父親』と向き合わなくてはいけなくなります。桃太郎と称する特異な若者のうわさは、自ずと鬼が島へも届くでしょうから。何より、本人が己の素性すじょうを知りたがっています。私はその膳立てをしたまでです。養い親が存命のうちなら、あなたが貯めこんだ財宝を持ち帰れば恩返しにもなるので、ちょうどいい頃合いと考えました」

 慈愛と厳しさの同居した瞳で見つめられ、思わず背筋を正した。身の引き締まる思いというのは、きっとこういうのを言うんだろう。

 女神様は僕の前まで歩み寄ってきて、すっぱりとおっしゃった。

「私ができるのはここまでです。後はあなたが考えて、あなたがしたいようになさい。それがどんな結果になろうと、私は手も口も出しません」

 突き放されているのに、包み込まれているという、不思議な感覚を覚えた。

 僕は女神様にまっすぐ向き合いながら、心にかかっていることをたずねた。

「どうして僕を、川に流したんですか? 流れてきた桃を誰も拾わなかったら、死んでしまうかもしれないのに」

「下手に私が動き回れば、かえって探し出す手がかりを残すことになりかねませんでしたから。何より、この程度で命を落とす程度の天運なら、当座の危機を回避したところで、遠からずあの鬼の手にかかるだけです」

 女神様の目が、ちらりと赤鬼に向けられる。僕も赤鬼を見ながら、

「では、もう一つ……僕が刃を向ければ、親殺しになってしまうのではありませんか?」

「あれはあなたの親ですか?」

 逆に問われて、すぐには答えられなかった。女神様は僕を見つめながら、さらに問うてきた。

「あなたは誰の子ですか?」

「僕は……」

 理屈から言えば、赤鬼と女神様の子なんだろうけれど、何かしっくりこなかった。じゃあ、おじいさんとおばあさんの子かと言われると、それもちょっと違和感がある。あの二人はとても大切な存在だけれど、「親」という枠にはおさまらない気がした。

 僕はどこから来たのか。何によって生み出されたのか。僕の根源をたどった先にあるのは――。

 僕は決意を込めて、女神様に答えた。

「僕は、桃から生まれた桃の子です。それ以上でもそれ以下でもないし、それで充分です」

 女神様は静かにうなずかれ、赤鬼はいっそう厳しい表情で僕を見た。僕は赤鬼に向き直り、刀を構えた。

 あそこにいる鬼は、僕がこの世にいることを許そうとしない。それのみならず、人々を苦しめ続けている。このままのさばらせておく必要など、どこにもない。

 赤鬼も金棒を持ち上げた。互いが間合いをはかり、しばし一歩も動けなかった。

 膠着こうちゃくを打ち破ったのは、何か大きな物が倒れるような音だった。おそらく、砦の一部が崩れたのであろう轟音ごうおん。赤鬼の気が一瞬そちらにそれたのを、僕は見逃さなかった。

 地を蹴って赤鬼のふところに入り込み、刀を斜めに切り上げる。金棒を握ったままの太い腕が、丸太のようにどさりと落ちた。同時に、切り口から血しぶきが上がった。

 赤鬼は苦痛に顔を強張らせ、腕があった所を無事なほうの手で押さえた。とめどなく流れる血は、そうしていても指の間からあふれ出る。

 僕は刀の血をぬぐい、さやに収めた。赤鬼を見据えて宣告する。

「これでもう決着は付いたし、悪さもできないはずだ。だがもし、性懲しょうこりもなくまた誰かを苦しめるようなら、もう一本残ってる腕も僕がもらいに来る。覚悟しておけ」

 最初、赤鬼は歯噛はがみしていたけれど、やがてすべてを受け入れるように目を伏せた。この様子ならおそらく、心配いらないだろう。甘いと言われるかもしれないけれど、やっぱり僕は、たとえ悪者であっても必要以上に痛めつけたくはない。

 女神様はふわりと微笑ほほえまれた。

「それでこそ私の子。誇りに思います。あなたにとって私が親でなくとも、あなたは私のかわいい子。それはこれまでも、これからも変わりません。私のことなど気にせず、前を向いて歩んで行きなさい」

 そう言い残して衣をひるがえし、女神様はどこへともなく去ってしまわれた。きっとあの山へ帰られたんだろう。

 僕は犬たちに向かって、

「僕たちも帰ろう。これ以上ここに用はない」

 みんな一様に、ほっとした顔でうなずいた。

 船へ戻る道すがら、犬にたずねられた。

「いやあ、宝物庫を開けて驚きましたが、すごい量の財宝ですよ。おまけに値打ち物ばかり。船に積めるだけ積んでおきましたが、持って帰った後どうなさるおつもりですか? あれだけあれば養い親のお二人だけでなく、住んでおられる村を豊かにするのに使っても、まだ余りそうですよ」

「村のためになんて使わないよ。気味悪いと避けている僕からそんなほどこしを受けるなんて、きっとみんな誇りが許さないだろうしね。それに、帰ったらすぐにあの村からは引っ越すつもりだよ。もっとましな住人がいる所へね。そして財宝は、ちゃんと心根の正しい人のために使うつもりだよ」

 微笑みながら答えたら、なぜかその場の空気がすっと冷えた。犬がおずおずとつぶやいた。

「やはり似ておられますなぁ……」

「女神様とかい? 僕は男だから、そう何度も女性と顔が似てると言われると、ちょっと複雑だよ」

「いえ、それももちろん似ておられますが、その……手厳しいところとかが」


 こうして僕たちは、おじいさんとおばあさんのもとへ帰った。二人は涙を流しながら僕の無事を喜んでくれた。財宝を見せても、

「それはもちろんありがたいけれど、わしたちにとって何よりの宝物は、おまえそのものだよ」

 と言うばかりで、暮らしが豊かになることには大して興味もなさそうだった。

 僕はさっそく、住みやすそうな土地を探して引っ越した。おじいさんとおばあさんはもちろん、犬と猿と雉も一緒に移り住み、これまでよりちょっとにぎやかな暮らしが始まった。誰かに名前の由来を聞かれても、「生まれた日に川へ行ったら桃が流れてきたから」とだけ答えているので、周囲から僕は、普通よりちょっと利発で、普通よりちょっと力持ちなだけの若者と思われている。

 僕が退治して以来、鬼が人間に悪さをすることはなくなったので、平和な日々が続いてる。赤鬼は僕の存在が「争いや災いの種にしかならない」と言っていたけれど、それらしいことが起きている気配もない。もしかすると、女神様に「子を守る気概もない情けない男」なんて言われたもんだから奮起して、不穏な動きがないよう、にらみを利かせてくれてるのかもしれない。おかげで、重い物を運んだり太い木を切り倒したりする時ぐらいしか、僕が自分の力を生かす機会もめぐってこないけれど、それでいいと思ってる。

 だけど時々、夢を見る。桃に乗って流れ着いた鬼が島で、赤鬼と女神様に会う夢を――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新釈おとぎ話――桃の子太郎の旅、そして…… 里内和也 @kazuyasatouchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ