侵入――そして逃走

 猿が操船をにない、雉を水先案内にして、船は順調に進んだ。そうこうしている内に、ごつごつした岩山のある島が前方に見えてきた。鬼が島だ。

 上船できそうな場所を雉に探してきてもらうと、ちょうどいい浜があると言うので、そこに船を寄せた。うまい具合に、鬼の気配もない。僕たちは島へ上陸し、慎重に様子をうかがいながら鬼の根城を探した。

 まず岩山の近くまで行き、その周囲をぐるりとめぐってみた。平地が少ないこの島で、住みかに向いていそうな場所を考えた時、真っ先にここが浮かんだのだ。

 茂みをかき分けながら、そろりそろりと歩を進めていると、不意に犬が足を止めた。おまけにピンと耳を立てている。犬は声をひそめて、

「何者かの気配がします。熊や鹿なんかとは違うから、きっと鬼です」

 僕たちはいっそう慎重に岩山に近づいた。よく見ると、ここまではどこもかしこも草木がい茂っていたのに、少し先からは開けている。岩山のほうから人影のようなものが現れたので目をらすと、人ではなく青鬼だった。筋骨隆々りゅうりゅうと呼ぶにふさわしい体格で、片手にやりを持っている。頭から二つ飛び出ているのは、人間ならあるはずのないつのだ。

 茂みで身を隠しながら、もっとよく見える所まで移動すると、そこにあったのは岩山を利用したとりでだった。おそらく、もともと洞穴のようにえぐれている所があったのだろう。それを利用して堅固な砦が築かれている。青鬼はその番兵のようだ。


 僕たちはいったん、そこから少し離れた所まで移動し、これからどうするかを話し合った。犬は神妙な口調で、

「あの砦の中に、何匹もの鬼がいます。少なくとも二十匹は。私には匂いで分かります。当然ながら、金銀財宝も砦の中でしょう」

 僕は腕組みして、方策を練った。

「さすがに、いきなり正面から切り込んでも、あっという間に他の鬼が集まってきてやられるだけだろうね。こっそり中に忍び込んで、宝のありかを探って……いや、探して運んでいる間に、見つかってしまうか。それよりは、鬼の長を見つけてやっつけたほうが、他のやつらがひるんで総崩れするだろう。あるいはいっそ、鬼の長を人質、いや鬼質にとるという手もある」

「何にせよ、中へ入り込めないことには話になりませんが、ずっとあの番兵がいるんじゃなあ……」

 猿が難しい顔でため息をつく。そこへ雉が、

「おいらが番兵を引き付けます。その間に砦に侵入してください」

 みんながいっせいに雉を見た。軽い気持ちで言っているのではなさそうだったが、僕は念を押した。

「大丈夫かい? 陽動ようどう役というのはとても危険な役割だよ。敵に正面から姿をさらすわけだから」

「覚悟の上ですよ。それに、いざとなれば空へ逃げられます。この中で一番向いてますよ」

 胸を張ってみせる雉からは、信頼に足る風格が感じられた。僕がうなずくと、犬と猿もうなずいた。砦に侵入した後どう動くかや、万一鬼に見つかった時のことなども打合せし、僕たちは再び砦付近に戻った。


 砦の前では相変わらず、青鬼がいかめしい面構つらがまえでにらみを利かせている。一分いちぶの隙もない。そこへ雉が樹上から舞い降り、青鬼の鼻先をかすめてまた舞い上がった。

「うわっ、なんだこいつは」

 驚き慌てる青鬼をからかうように、雉はその周囲をぐるぐると飛んだ。青鬼は次第にいら立ち、槍を振り回して追い払おうとする。それをかわしながら、雉はさりげなく砦から遠ざかっていく。その思惑にも気づかず、青鬼は自分の持ち場を離れて雉を追っていった。

 この機を逃すまいと、僕たちは素早すばやく砦の中に入り、そこからは別行動をとった。ひとかたまりになっていては、かえって鬼たちから見つかりやすくなるし、時間もかかると考え、ばらばらになって財宝や鬼の長を探すことにしたのだ。犬はまっすぐに砦の奥を目指し、猿は左、僕は右の通路へと別れた。

 そこここで篝火かがりびがたかれているものの、外光がないため砦の中はほの暗い。所々に開けた場所があり、鬼がたむろしていることもあった。そのたびに物陰に身をひそめ、注意深く奥へ奥へと進む。その最も奥まった所に、見るからに重々しい扉があった。

 鍵がかけられていて、簡単には開けられそうもない。財宝をしまっておくとしたらこういう場所だろう。どうにかしてこじ開けてみるか、それとも鍵を探してくるべきかと逡巡しゅんじゅんしていたその時――。

 ガーンガーン、とかねを打ち鳴らすような音が砦中に響き渡った。僕は扉のことを頭から振り捨てて駆け出した。犬か猿が鬼に見つかったに違いない。こうなったら財宝も鬼退治もまたの機会だ。命を犠牲にしてまでやるようなことじゃない。

 砦は一気に騒然とし、鬼たちも音がするほうめがけて殺到している。僕まで見つかってはまずいと警戒したが、みんな侵入者のもとへ駆けつけることに気を取られているようで、周囲には目を向けようとしない。おかげですんなりとたどり着けた。

 岩陰からのぞくと、そこで繰り広げられていたのは、一言で言うなら大捕獲劇だった。軽く十匹はいる鬼が、一匹の猿を取り押さえようと右往左往している。鬼たちは金棒かなぼうや槍を振り回して打ちのめそうとするけれど、猿がすばしっこく逃げるものだから、まったく当たらない。それどころか、時に同士討ちまで起きている。

 とはいえ、これだけ大勢で取り囲まれては、猿もなかなか逃げられない。そのうち体力も消耗してくるはずだ。僕は刀を抜きつつ、岩陰から飛び出した。

 思いがけない援軍に、鬼たちの間で混乱が起きた。僕は一気に間合まあいを詰め、一匹の鬼の胴をぎ払い、返す刀でもう一匹の鬼の足を切りつける。鬼たちがひるんだ隙に猿のもとへ駆け寄ると、猿も攻撃の手を器用にすり抜けてきた。合流した僕たちは、そのまま敵陣を突破するつもりだったが――。

「うわっ!」

 僕の肩めがけて飛んで来た金棒を、あやういところでかわした。どこから投げられたのかと視線を走らせると、そこには一匹の赤鬼が立っていた。他の鬼よりさらに大柄で、目にはそれだけで相手を怖気おじけづかせる威厳がある。

 赤鬼は重々しい声音で命じた。

「どけ」

 その一言で、僕たちにつかみかかろうとしていた鬼がいっせいに離れた。一瞬にして、赤鬼と僕たちの間に道ができたかのようだった。おそらく、こいつが鬼の長なのだろう。

 赤鬼が悠然とこちらへ近づいてくる。僕は油断なく刀を構えた。猿も僕にぴたりと寄り添い、にらみを利かせている。

 赤鬼は僕の刀が届かない間合いで足を止め、こちらを見下ろしてきた。威圧感が全身に押し寄せる。向こうは丸腰で、周りの鬼はただ見守っているだけという好機なのに、少しも動けなかった。

 赤鬼が静かに口を開いた。

「それはきび団子か?」

 思いも寄らない問いに、すぐには言葉が出てこなかった。思わず首をかしげたけれど、赤鬼の視線が僕の腰に注がれていることに気づき、戸惑いながらもうなずいた。

「確かにそうだが、それがどうした」

 心なしか、赤鬼が目を細めた。こちらの疑問に答えることなく、なおも問いが重ねられる。

「おまえ、名は何という?」

 軽く見られているのかと腹を立てそうになったけれど、赤鬼の眼差しにあなどりの色はない。あくまでも真摯しんしな表情にただならぬものを感じ、僕は素直に答えた。

「桃太郎」

 赤鬼の顔が、かすかに強張こわばった。何か僕のことを知っているのだろうか。

 意図の見えない問いは、さらに続いた。

「おまえの母親は誰だ?」

 真っ先に浮かんだのはおばあさんの顔だったけれど、向こうが知りたがっているのはきっとそっちじゃない。育ての親じゃなく、生みの親のほうだ。

「僕は桃の中にいて、そこから生まれてきた。それより前のことはわからない。育ててくれた母親は、その桃を拾ったおばあさんだ」

 赤鬼は何も答えない。代わりに、

「金棒を」

 端的な命令が辺りに響くと、数匹の鬼が先ほど投げられた金棒へ走り、それを赤鬼に手渡した。赤鬼が金棒を振り上げ、僕が刀を構えなおしたその時――。

「火事です! 砦の奥が燃えてます!」

 手下らしい鬼が駆け込んできて、緊急事態を知らせるために声を張り上げた。動揺が走り、場がざわつく。赤鬼も金棒を下した。僕と猿はその隙をついて、鬼たちの間を縫って逃げ出した。

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