44.なんだかちょっと泣きたくなってきちゃったよ……?

 シィナとアモルとともに、冒険者ギルドへ向かう道を歩く。

 道すがら、通りすがる人々が私たちの近くを決して通ろうとはせず、遠巻きに眺めてくるものだから、アモルは少し気が気じゃないようだった。

 フードを深くかぶって、不自然に周囲を見渡したりと、かなり挙動不審だ。


「お、お姉ちゃん……これ、大丈夫なの……? わたし、もしかして淫魔ってバレてるんじゃ……」


 私に引っつきながら、アモルが小声で問いかけてくる。

 私は少し苦笑しながら返した。


「大丈夫だよアモル。心配しなくても。この反応はいつも通りだから」

「いつも通り……?」

「……あな……たじゃ、ない。ぜんぶ……わた、し……(そうなんです……アモルちゃんじゃなくて、全部わたしのせいなんです……うぅ……)」


 少し前を歩くシィナが振り返ってそう言うと、アモルはビクッと肩を跳ねさせて、私の後ろに隠れた。


「そっ、そ、そうなんです、か……な、納得、しました。あり、ありがとう……ござい、ます……」

「……べつに……(あぅ……辛い……でも、街の人はともかく、アモルちゃんがわたしのこと怖がってるのは全部わたしのせいなんだから、受け入れないと……)」


 ……出て行く直前のシィナは猫耳がピコピコと動いて上機嫌っぽかったのに、今はかなり垂れ下がっている。

 少し元気がない感じだ。

 以前までは気づけなかったけど、もしかしたらシィナは結構繊細な子なのかもしれない。


「シィナ。今日は帰りにマツロカグオ産のお魚を買っていこうか」

「……! マ、マツロカグオ、さん……!(マツロカグオ産!? すっごくおいしいって有名なあのっ!?)」

「うん。アモルの歓迎会、やってなかったからね。たまには贅沢しないと」

「……ふ……ふふ……(そっかぁ。えへへ、今から帰った時が楽しみだなぁ)」


 シィナはいつもなら私の隣にいるところを、今は少し前を歩いている。

 おそらく、アモルに遠慮してくれているのだろう。


 シィナは自己主張が少ないだけあって、自分がどんなに無理をしていたって誰にも言おうとはしない。

 昨日、屋根の上で一人で思い詰めていたのが良い例だ。

 いや、思い詰めていたんだから悪い例って言うべきなのかもしれないけど……。


 なんにしても、私なんかを好きと言ってくれた彼女が曇る姿はできるなら見たくない。

 今後またあんなことになってしまわないよう、私がちゃんと見ていてあげたいところだ。


「……(……もしかしてハロちゃん、わたしが無理してるかもって……心配、してくれたのかな。自意識過剰かな……でも、えへへ……もしそうだったら、嬉しいなぁ)」


 猫耳が再びピコピコと動き出す。

 好物であるお魚のうち最高級に近いものを食べられるということで、無事に元気を取り戻してくれたようだ。

 こちらに背を向けているから表情まではわからないが、それなりに長い付き合いから、彼女が珍しく微笑んでいるような気配が伝わってくる。


 ……そのせいで周囲の人々の一部が小さく悲鳴を上げて逃げ出していたけど、そこは言わぬが花だろう。シィナも気づいてないみたいだし。


 そんなこんなで異常ながらいつも通りな道中を経て、冒険者ギルドにやってくる。

 シィナが扉を開けると、これまたいつも通りギルド内が静まり返るが、上機嫌なシィナはもはやその程度のことなど気にも留めないようで、どんどん受付の方に足を進めていく。


「えっ、と……本日はどのようなご用件でしょうか……?」


 掲示板に目もくれず一直線にやってきたシィナに、受付嬢の人が困惑の声を上げる。


「シィナ、大丈夫。ここから先は、全部私に任せて」

「……ん……(あ、うん。こういうの、ハロちゃんの方が得意だもんね)」


 シィナは無言で立ち尽くしたまま、かける言葉を考えている様子だったが、ここから先は私の役目だ。

 元からシィナには力添えを頼んだだけで、最初にアモルを受け入れる判断を下したのは私なのだから。


「先延ばしにしてしまっていた緊急依頼の報告に来た。内密にしたい話も含まれている。ギルドマスターと直接話したい」

「緊急依頼……先日の、ハグレの淫魔の件でよろしいですか?」

「ああ、そうだ」

「わかりました。ギルド長の方に話を通してきますので、少々お待ちください」


 受付嬢の人が奥に消えてからしばらくして、また戻ってくる。


「お待たせいたしました。面会の許可が下りましたので、どうぞこちらにいらしてください」

「ありがとう。助かるよ」

「……ところで、そちらのお二方もお連れの方ということでよろしいのでしょうか?」


 シィナとアモルを見ながら、受付嬢が少し怪訝そうに言う。

 シィナはともかく、アモルは見たことがない子だったので不思議に思ったのだろう。


「うん、付き添いだよ。名目上、私が解決したということにさせてもらってるけど、この二人も今回の依頼の解決に尽力してくれた功労者だ。一緒に面会させてほしい」

「わかりました。そういうことであればギルド長も納得なさるでしょう。では、こちらへ」


 受付嬢の先導で、ギルドマスターが待つ部屋へと移動する。


 ギルドマスターはこのギルドをまとめる偉い立場に立つ人なだけあって、普通はこんな簡単に面会の許可は下りない。

 今回こんなにもスムーズに話が通ったのは、要件が緊急依頼の報告という重要なものであったことと、私やシィナがSランクという最高ランクに位置する冒険者であったことが大きい。


「こちらです。どうぞお入りください」

「ああ」


 扉を前に、そのドアノブに手をかけることを一瞬躊躇する。

 柄にもなく、少し緊張しているらしい。


 こうして直接ギルドマスターと顔を合わせるのは、割と久々だ。

 最初に会ったのは、Cランクに上がった時になる。

 Cランクは、プロの冒険者と判断されるようになる一つのラインだ。

 だからCランクに上がった冒険者は皆一度、ギルドマスターとの面会が義務付けられる。


 そして最後に会ったのが、私がSランクに上がった時。


 ……よし。


「失礼する」


 意を決して、ドアノブをひねる。

 部屋の中では、かつて見た時となんら変わらない姿のギルドマスターが、なにか書類を書いていた。


「……来たか」


 書類から顔を上げ、その女性がこちらを向く。

 

 まるで睨むかのような強気な鋭い目つきが、相対する者を威圧する。

 左目に深い裂傷の跡が残っており、左目だけ瞳孔が虚ろになっている。おそらく、左目が見えないのだろう。

 回復魔法と言えど万能ではない。初めから欠損していたり、怪我を負ってから長い時が経過してしまうと、完全には治せなくなる。


 あいかわらず、凛々しい雰囲気の人だ。

 強く、鋭く――研ぎ澄まされた一振りの剣のように。

 シィナとは別種の、体が強ばるような恐ろしい印象すら受ける。


「ずいぶんと遅い到着だな、《至全の魔術師シュプリームウィザード》。緊急依頼が、なぜ緊急と呼ばれるかわかるか? 急を要するからだ。その報告を先延ばしにするなど、本来ならこの程度の小言で済ませていい所業ではないのだがな」

「それについては悪いと思ってる。だけど、こちらにもやむを得ない事情があったんだ」

「無論、それについてもすべて話してもらうつもりだ。座れ。そこの二人もだ」


 私にも、なんならシィナにも、彼女はなんら臆する様子を見せない。

 しかしそれも当然と言えば当然と言える。


 この冒険者ギルドのギルドマスター――名をソパーダ・スード。

 聞くところによれば、今は引退しているものの、彼女もまたかつてはSランクの冒険者であったらしい。


 私たちが席につくと、「さて」と机に肘をついた。


「まずは、件の淫魔がどうなったかだ。解決したとは聞いた。だがその淫魔がどうなったかについてはなにも聞いていない。きちんと殺したか? 行方を知らぬままでは、本当に依頼が解決できたのか定かではないからな」

「……殺してはいない。でも、行方を知らないわけでもない。その淫魔は、この子だ」


 私がアモルを指し示すと、ソパーダはピクリと眉を動かした。

 空気がピリピリと震え、途端に緊張感が増す。


「……続けろ」


 そのまま問答無用で罰せられそうになることも危惧していたが、とりあえずは話を聞く姿勢を見せてくれたことに安心する。

 まだまだ油断はできないけど、話を聞いてもらわないことにはなにも始まらないのだから。


 アモルと会った時の状況、彼女の生い立ち、そして今の彼女の意志。

 それを一つ一つ、嘘偽りなく説明していく。

 下手に嘘をついても、あの鋭い眼光に見抜かれてしまう気がしたし、元々騙すつもりもなかった。


「……? ……!?(え、ハロちゃん魔眼にかけられてたの……? えっ!? わたしが助けてたの!? た、確かに反射的に剣振っちゃった時、あれ、なんか斬ったかな、って感覚はあったけど、えぇっ!?)」


 なんか途中シィナもところどころで驚いているような気がしたが、たぶん気のせいだろう。だってその時に話してるとこ、シィナががっつり関わってる部分だったし。シィナが把握してないはずがない。


 私がすべてを話し終えると、ソパーダは呆れたように肩をすくめた。


「おおよそはわかった。つまり貴様は、そこの淫魔に危険性はないと判断し、保護する方向に動いたわけだ」

「そうなるね」

「……貴様自身が、一度はそいつに魔眼の力を向けられたことも。淫魔という魔物が、どんな魔物調教師でも飼うことが禁止されている第一級の危険生物に指定されていることも。そいつが嘘をついているかもしれないことも。その他のこともすべて承知の上で、その判断を下したと」

「そうだ」


 ソパーダの鋭い眼光にさらされて、アモルはずいぶんと肩身が狭そうだ。

 とても不安そうにしている感じが伝わってくる。


 どうにか安心させてあげたかったが、これでもかというくらい剣呑な空気が漂っている現状では、残念ながらそちらに構ってあげられるほどの余裕はなかった。


 まるで、刃物を眼前に突きつけられているかのような錯覚さえ覚える。

 額に汗がにじむ。緊張で、無意識のうちに手を握り込んでいた。


「……ふむ、なるほど。貴様は取引がしたいのだな。そこの淫魔がこの街で暮らすための交渉。そして欲しいものは、私が、冒険者ギルドが、その淫魔の存在を黙認するという事実か」

「ああ」

「……はぁ。まったく……」


 二つ返事で首肯した私を見やると、ソパーダは頭を抱えるように額に手を当てた。


「貴様は甘いな。甘すぎる。あれほど魔物に情をかけるなと教えたはずが、こんなことをしでかすとは」

「考え方の違いだ。あなたのことは知っている。情を捨て、甘さを捨て、人を守る刃になる……そうして呼ばれたかつての二つ名が――《正義の刃グラディウス》。だけど、私はアモルを守りたいと思ったんだ。たとえ魔物でも、彼女は私をお姉ちゃんと慕ってくれた」


 私がそう言うと、ソパーダがまるで睨むような視線で私を射抜く。

 あまりに怖すぎて心の中で一瞬ビクッとしてしまったが、その反応を表に出してしまうことだけはギリギリで堪えた。


 が、頑張るんだ私! もしここでビビってるところを見せちゃったら、下に見られてアモルのことでなにかしら不利な条件を突きつけられるかもしれない……。

 アモルのためにも、どうにか強気な姿勢を維持しなければ!


「情を捨てず、甘さを抱え……それでもなにかを守りたいと? 傲慢だな。情とは隙だ。甘さとは弱さだ。見せれば容易くつけ込まれる。一度そいつの魔眼にやられた貴様なら、すでに身を以て理解していることのはずだ」

「この子は……アモルは、もうそんなことはしない」

「そこの淫魔に主眼を置いた話をしているわけではない。貴様だ。貴様が甘すぎることが問題なのだ。仮に、貴様を襲った淫魔が真に悪意を持っていたらどうなっていた? もし《鮮血狂いブラッディガール》が助けてくれなければ? 貴様はなにかしら大切なものを失っていた。そればかりか関係のない他の多くの者たちを傷つけ、危険にさらしただろう」

「それは……」

「貴様がその甘さを露呈し、また同じような目に合わないと言い切れるか? その時もまた、今回のようにうまくいくとでも? 貴様の甘さは、見通しまで甘くしてしまうどうしようもないものか?」

「……」

「貴様は強い。だがそこに相応の意思が伴わないのであれば、ただ力が強いだけだ。ただ強いだけの力など、はた迷惑なだけに過ぎん。ましてやそれが人々に向けられようものなら、災害と同義だ。そして貴様は一歩間違えば、その災害になっていた……力ある者には、常にそれを制御する責任が付き纏う。甘いなりになにかを守りたいと願うのなら、まずは誰も傷つけないためにその自覚を持て」

「……はい」


 普通に正論で説教されて、しょぼんと項垂れる。強気な姿勢とか無理でした。


 私に非があるからしかたないのだが、それにしてもこの人、口論が強い……。

 私も結構口先を回すの得意なつもりだったけど、ちょっと自信なくなってきたぞ。


「さて、本題だ。《至全の魔術師》。貴様はそこの淫魔を守りたいと言ったな。それが冒険者どころか国の法に違反していると知りながら、Sランクという自分の貴重な立場を盾に」

「……そうだね」

「まあ、それに関してはいい。時に革命が正義足り得るように、規則に盲目に従うだけが正義ではない。貴様にとってはその選択が正しいことだったのだろう。だが、なんであれ意志を貫き通すためには、なにかを捨てなければならない時が必ず訪れる。誰であれ、必ずだ。貴様にその覚悟があるか?」

「それは、アモルを守るためにどれだけの対価を差し出せるか、私から提示してみろってことでいいのかな」

「違う。そんなものは私が決める。私が今聞いていることは、貴様に覚悟があるかどうか。その一点のみだ。もっとも、未だ情も甘さも捨てられない腑抜けの貴様に期待などしていないが」

「……」


 明らかに挑発されている。

 なにかを試すつもりなのはわかるが、なにを試したいのか、ソパーダがなにを知りたいのかが、いまいち掴めない。


 ソパーダの狙いがわからない不安はあったけれど……どうであれ、ここで覚悟があることを示さなければ、アモルがこの街で暮らすことを黙認してもらおうなどという結果は到底得られない。

 意志を貫き通すだけの覚悟があるかどうか。

 答えは決まっていた。


「覚悟ならある。私が守りたいと感じる人たちを守れるのなら、幸せにできるなら……私の他のどんなものだって捨てても構わない」


 ソパーダの目をまっすぐに見つめ、真剣な心持ちでそう言い切ってみせると、ソパーダは静かに瞼を閉じた。


「そうか。あくまで甘さを突き通すか……ならば」

「っ!? シ――――」

「ひっ……!?」


 ソパーダが机に足をかけ、手の中に青白い魔力の剣を生成し、アモルに斬りかかる。

 本当に一瞬の出来事だった。私がソパーダの行動を認識した頃には、すでに剣が振りかぶられていた。

 咄嗟にシィナの名前を叫ぼうとしたけれど、それすら間に合わない。


 だけど私が呼び切るよりも早く、その剣がたどる軌跡の先に、一つの影が割り込んでいた。

 ガキンッ! と鈍い金属音が部屋の中に鳴り響き、赤い火花と魔力の粒が宙に飛び散る。


「っ……!(お、重っ……!? あっ! ゆ、床が抜けそう! ぬ、抜けちゃったら弁償なんじゃ……? ど、どうにか受け流して……!)」


 両手で構えた二振りの小剣を交差させ、シィナがソパーダの一撃を受け止めていた。

 些細な変化ではあるものの、珍しく苦悶の表情を浮かべたシィナが、ソパーダの剣を受け流そうとする。

 だけどそれを刹那のうちに見て取ったソパーダは、シィナが受け流そうとした瞬間に魔力の剣を霧散させた。

 力の向きを変えようとした時にそれが突如として消えてしまったことで、シィナがほんのわずかにバランスを崩す。

 ソパーダは魔力の剣を即座に再生成し、そんなシィナの隙とも言えない隙を突く――と見せかけて、私の方に切っ先を向けてきた。


 だけどそれだけの猶予があれば、私もすでに魔法の展開を終えている。


「……ふむ」

「どういうつもりかな、ギルドマスター。いや、ソパーダ・スード。私はてっきり、取引に応じてくれるものと思っていたけど」


 適当な魔物を狩る時であれば本気を出す必要もないので出さないのだが、今回は別だ。

 相手は元Sランクの冒険者。少しも油断はできない。


 私とアモル、シィナを囲うように全力の障壁魔法を展開し、障壁の外側に爆破の魔法陣を張り巡らせる。

 通常の魔法陣は壊れると魔法が発動されなくなるが、これは魔法陣が本来の形を崩した場合でも即座に爆発するように作ってある。

 つまり、私の意思で爆発させることもできれば、ソパーダが発動前に壊そうと試みても爆発してしまう特別性というわけだ。

 術式自体を直接、それも高速で解くことができるなら別だが、私を相手にそんなことができるほどの規格外な魔法の腕を持つ人物は、私自身の他には私の魔法の師匠に当たるあの子しか私は知らない。

 魔法を使えても専門としているわけではないはずのソパーダでは、まず無理だ。


 威力の高い魔法なら他にもいくらでもあるが、今の状況では爆発の魔法が最適だろう。

 逃げ道がないこんな狭い部屋の中で爆発なんか起こされたら、障壁で守られていないソパーダはひとたまりもないはずだ。


「……いや、失礼。少し試したくてな。もう戦意はない」


 しばらく私を見つめた後、ソパーダはそう言うと、あっさりと魔力の剣を霧散させて私に背を向けた。

 最初に座っていた自分のイスの方へと戻り、腰を落とす。


「こんなことされておいて、その言葉を信じろと?」

「別に、そのまま魔法を展開したままでも構わん。私にはもう戦意はないからな。どちらにせよ関係のないことだ。まあ、すでに戦意がないと主張した私に対し、貴様の方からその魔法を起動した場合は別だが」

「……」


 てっきり私は、正義を掲げるソパーダにとっては、淫魔のような危険な魔物を受け入れることなど到底許容できないから、不意を突いてアモルを始末しようと画策していたと思っていたのだが……。

 なぜか今はもう、斬りかかってくる前の時のような剣呑な気配は消えている。


 嘘をついているようには見えない、けど……。


「……ハロ、ちゃ……(えっと……あのね、ハロちゃん)」

「シィナ……?」

「……さつい……なか、った……(なんとなくだけど、ソパーダさんからは殺意とかは感じなかったかなーって……剣もなんか、わたしが受け止めること前提で振られてた感じが……なんとなくだから、確かなことは言えないけど……)」

「……」


 直接彼女の剣を受けたシィナがそう言うなら、おそらくはそうなのだろう。

 ソパーダが自分で言っていた通り、彼女にはなにか試したいことがあった。そして今はもう戦意がないと言っているということは、その試したいことが彼女にとって満足のいく結果であったということだ。


 ただ、そうなるとやっぱりどうしても気になってしまう。


「……いったいなにを試したかったんだい? あなたは」

「ふむ。まあ、私にはそれを話す義理があるか。私が試したかったのは貴様でも、《鮮血狂い》でもない。そこのハグレの淫魔だ」

「アモルを?」


 アモルは突然斬りかかられたことにすっかり怯え切ってしまって、私の背後に隠れながら私の服をギュッと握って、プルプルと震えている。

 シィナに殺されかけた時のトラウマも蘇っているのか、見るからに顔色も悪い。


 ソパーダはアモルのなにを試したかったのか話を続けようとしたようだったが、あまりにも怖がりすぎた彼女を見やると、少し躊躇するように言葉を詰まらせた。


「いや、なんだ……少しやりすぎたか。そのままだと頭に血がいかなくなって倒れるだろう。少し寝かせてやれ」

「あ、ああ。それはまあ」


 どうやら本当にもう敵意などはないようだ。普通にアモルのことを気にかけてくれている。

 ソパーダの言うことはもっともだったので、アモルを床に寝かせてあげる。

 ついでに、アモルがこれ以上気分を悪くしないよう、アモルからソパーダが見えなくなる位置に陣取るように床に座った。


 シィナはちょっと迷ったように私とイスを交互に見た後、なぜか最初に座っていたイスのすぐ隣の床に腰を落とす。

 私からはちょっと離れた位置だ。


 たぶんだが……本来は私の近くに座りたかったけど、そうなると近くにいるアモルを必然的に刺激することになっちゃうから遠くに座ることにして、でも私もアモルもイスを使ってないのに自分だけ使うのも気まずかったので床に座った……という感じだろうか。

 イスがあるのにソパーダ以外誰も使わないという、なんだかよくわからないシュールな絵面が出来上がってしまったが……一応話ができる状況ではある。


 ソパーダはこの場に広がりかけた微妙な空気を払拭しようとするかのごとく、小さく咳払いをした。


「ひとまずは詫びておこう。突然斬りかかってすまなかった。だが、必要なことだった。そこの淫魔、アモルと言ったか。その本質を確かめるためにな」


 ソパーダは机に片肘をつくと、私を……いや、私の後ろにいるアモルを一瞥する。


「それは、わざわざアモルをこんなに怖がらせてまでしなきゃいけないことだったのかな」

「ここまで怖がらせるつもりはなかったが……そうだ。突然のことでなければいけなかった。突如自分が危機に瀕した時、どう動くか。私自身の目でそれを確認する必要があると判断した」

「危機の中でどう動くか?」

「ああ。もし咄嗟に魔眼を使ってくるようであれば、不合格だった。それはつまり、そいつが己の力をもっとも信頼しているという証明にほかならない。そして、いざとなれば人を傷つけることもいとわない、そういう精神を持っているということ」

「……それは、正当防衛じゃ済まされないのかな」

「人であればそれで済む。だがそこのアモルは、あくまで魔物だ。それも第一級のな。たとえ事故であろうと、その強大な力を人に行使するようであれば容赦はできない。人に害をなす魔物は私の正義にかけて、命に代えても殺す……そう決めている」


 か、覚悟が決まりすぎている。

 すごい圧と眼力だ。戦闘時のシィナに匹敵するレベルの……。

 正直めっちゃ怖い……。


 えぇと、つまり……もしアモルが咄嗟に魔眼を使ってしまっていたら、ソパーダは、私とシィナの二人が立ちはだかろうと、爆発で四肢が吹き飛ぼうとも、その命ある限りアモルを殺すまで絶対に止まらないヤベーやつと化していたということか……?


 いや怖すぎか? よ、よかったぞ。そうならなくて……。


 もしそんなことになっていたら、仮にソパーダからアモルを守り切れたとしても、冒険者ギルドからは追われる身になっていた。

 今の家にもいられなくなって、フィリアもシィナも巻き込んで逃亡生活を送る羽目になっていただろう。

 しかも、Sランクの冒険者という追手に毎日怯えながら、だ。

 

 ……だけどそうならなかったということは、アモルは魔眼を使おうとはしなかったということだ。


「じゃあ、アモルは」

「合格だ……今のところはな。そいつが私に剣を向けられた時にしたことは、貴様の背に隠れることだった。つまりそいつは自分の力などよりも、貴様のことを信頼しているということになる」

「……そっか。アモルは私のことを……」

「貴様が魔眼で操られている可能性も考えたが、まあ《鮮血狂い》がいるならそれはないと踏んだ。貴様と違い、《鮮血狂い》に甘さなどない。いざとなれば冷血な判断を迷わず下せるやつだ。これ以上なく、冷酷にな。そういう目をしている」

「ぇ……(れ、冷血な判断? え、わたしってそんな冷たい人に見えてるの? こ、怖がられるのは慣れっこだけど……正面からそこまで言われちゃうと、さすがにちょっとショックが……)」

「それは違うよ。シィナは表に出さないだけだ。傍目からは、冷血で冷酷に判断を迷わず下してるような血も涙もない子に見えるかもしれないけど……その時に感じた自分の気持ちを誰にも話さず、自分一人で全部抱え込んで、苦しんで……そういう子なんだよ、シィナは」

「……(う、うん……あのね、ハロちゃん。フォローしてくれるのはすごく嬉しいんだけど……できれば冷血な判断を下せるってとこも否定してほしかったな……? あとなんで血も涙もない子とか付け足したの? 余計ひどく聞こえるよ……?)」

「……はぁ。やはり甘いな。だが、もういい。貴様の甘さは一級品だ。ここで小言を言うだけ無駄というものだろう」

「…………(確かにわたし、反射的にアモルちゃん殺しにかかっちゃったけど……かかっちゃったけどぉ。わたしって、二人からはそんな危ない人みたいに見えてたの? なんだかちょっと泣きたくなってきちゃったよ……? ぐすん……)」


 ソパーダはふるふるとかぶりを振った後、再び、私とアモルを見定めるように見据えてきた。


「ひとまずは、貴様がそこの淫魔、アモルを御している限りは危険はなさそうだ。かつては貴様に魔眼を使ったと言うように、同じく時が経てばどうなるかはわからんがな。だが今のところ危険がないのであれば、まあ、貴様の取引に応じることもやぶさかではない」

「そうか……ありがとう。あなたが掲げる正義はもっと堅苦しいものだと思ってたけど、意外と寛容なんだね」

「ふん、間違ってはいない。私には私の正義がある。それは貴様にとっては堅苦しいものだろうな。だが、それはあくまで『私の正義』だ。人にはそれぞれの正義がある……主に身を捧げるなり、友を重んじるなり、愛に生きるなりな。それが私の正義に反しないものであれば、私はそれを可能な限り尊重する……それだけだ」


 ……ふむ。

 つまりアモルが反撃してこなかった時点で、私が今回示したアモルを守りたいという正義を、ソパーダは尊重すべきものと認識したということだろうか。


 ……なんというか……。


「不器用……?」

「……妹みたいなことを言うな。人の正義を尊重することも、私の正義の一つなだけだ」


 これでもかというくらいのしかめっ面で返されて、思わず苦笑してしまう。

 何度か会ってはいても、あまり個人的な話はしたことがない人だったし、正義なんてものを大々的に掲げてるからには、絶対魔物殺すマンで法と規則を絶対的な判断基準にする過激思想のヤベーやつだと勝手に思い込んでいたが……案外、割と普通に良い人だったりするのかもしれない。

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