43.英語にするとウォーリー。綴りはworry

 シィナと屋上で話をした翌日、私はアモルの部屋の前で待機していた。

 今日、私はアモルを冒険者ギルドに連れて行き、はぐれの淫魔討伐の緊急依頼の顛末を報告するつもりだった。

 今までなんやかんや理由をつけて報告を先延ばしにしてきたが、そろそろ行かないとペナルティを食らってしまいかねない。

 どうにかアモルのことをギルドに認めてもらうと決めたからには、必要以上にギルド側からの信用を下げるのは避けるべきだろう。


 そういうわけで、アモルの部屋の前で彼女が支度を終えるのを待っているわけなのだが……。

 その合間の時間で、ここ最近抱えてしまっている悩みについて思考を巡らせていた。


 そう、悩みだ。

 英語にするとウォーリー。綴りはworry。

 私にだって悩みの一つや二つくらいあるのである。


 まだか細い可能性として存在しているだけで、私自身としては甚だ認めたくないことではあるのだが……。


 ……私って、マジでヘタレなんだろうか……。


 以前フィリアにキスをされかけた時も、同じことで悩んだ記憶がある。

 あの時、フィリアからキスをされるのを待つのではなく、私からフィリアにキスしてみせるくらいの度胸を見せていれば、今頃私は悲願を達成できていたはずだった。

 私の悲願とは、ずばり可愛い女の子といちゃいちゃにゃんにゃんすること、略していちゃにゃんだ。


 結局あの時は、次にフィリアと二人きりでいい感じの雰囲気になったら私がヘタレなどではないことを証明すると心に誓って、悩む思考を打ち切った。

 あれ以来はアモルにつきっきりだったこともあって、まだフィリアとそういう雰囲気になったことはない。だからまだ私が本当にヘタレなのかどうかはわかっていないと言える。

 そう、わかっていないと言えるのだが……。


 つい先日の、シィナとのやり取りを思い出す。


 なんてことはない。いつも通りフィリアの魔法の修行を手伝ってあげていたところ、屋根の上からシィナがこちらを覗いている光景が偶然私の目に入ってきたのが始まりだった。

 すぐに屋根の向こうに隠れてしまったのだけど……ここしばらくシィナの様子がおかしかったし、なんだかいつの間にか少し疎遠気味になってしまっていた。

 もしなにか困りごとや悩みごとがあるなら力になりたいと思って、魔法で彼女のもとまで飛んでいったのだ。


 そしてやっぱり、彼女は確かになにかに苦悩しているようだった。


『ち、ちがう……わたし、こんな、こと……したい、わけじゃ……』


 歩み寄ろうとした私を突き飛ばした後、自分の頭を抱えながら俯いて、体を震わせる彼女は、とても苦しそうに見えた。

 理解できない自分の感情に押しつぶされそうになっているかのような……。


 シィナはいつも無表情で反応も薄く、どんなことにも動じない子だと思っていたから、私は平静を装っていながらも内心で少し驚いてしまった。


 おそらくシィナは私と出会う以前の過去に、想像も絶する辛い体験をしてきている。

 なにせ聞いたところによると、彼女は齢一二じゅうにの頃に冒険者になったと言うのだ。

 ……一二歳。

 そんな年端もいかない子が、しかもたった一人で冒険者なんて危険な職に就こうだなんて、普通は思わない。


 おそらく彼女にはそれ以外の選択肢がなかったのだろう。

 加えてあの、積極的に魔物の血や臓物を浴びるかのような苛烈な戦い方……それから戦いの中で浮かべる、血に塗れた笑顔。

 きっとそれほどまでに――殺し合いですら楽しもうとしなくては耐えられないほどに、心が歪み、荒んでしまう凄惨な境遇だったのだろう。


 血と戦いと絶望に彩られた場所。それが彼女にとっての世界だった。

 だからたぶん、私やフィリアと過ごす穏やかな時間が、そんな彼女の心をひどく惑わせてしまったんだろうと思った。


 魔物と戦う時は誰よりも鮮烈なシィナもまた、本当は一人の繊細な女の子に過ぎない。

 そう思ったら、普段彼女のことを過剰に怖がっていたことが途端に恥ずかしくなってきてしまった。

 だから私は今までシィナを怖がってしまっていたことを正直に白状し、その上で、できればシィナの力になってあげたいことも真摯に伝えたのだが……。


 そうしたら、その……。

 な、なぜか彼女に……キ……キ、キ……。


 ……こほん。

 …………キ、キス……されてしまった……。


「う、うぅ……」


 思い出しただけで、顔が熱くなる。耳まで熱を持つ。

 早鐘を打つ心臓を抑えようと手を胸の前に握るけれど、少しもマシになんてならない。


 まるで幸せな夢でも見ているかのように熱がこもった彼女の視線を、今もはっきりと覚えている。


 まあその……キスの後半の方に関しては、意識がだいぶ薄れてて正直よく覚えてないんだけど……。

 ……必死に私を求めてくれるシィナを、なんだかとても愛おしく感じてしまったことだけは覚えている。


 ……はぁ……。

 …………シィナ……。


「……はっ!?」


 いつの間にやら唇を指でなぞってあの時の感触をリフレインしてしまっていたことに気がついて、ブンブンと頭を振った。


 くっ……ダメだダメだ! こんなんじゃダメだ!


 キスをされた後、私はシィナに好きだと告白された。

 だけど結局その時の私はフィリアの時と同じように、私も好きだと返してあげることができなかった。

 シィナのことが嫌いなわけじゃない。そんなことありえない。

 曲がりなりにもシィナは初恋の相手なんだ。


 ただ、その……いつも表情に乏しい彼女が、今まで見たこともないくらい嬉しそうな顔でスリスリしてくる姿を見ていると、どうしても胸がドキドキしてしまって……う、うぐぐ。


 あの時、シィナに私も好きだと返してあげていれば……今頃きっとシィナと……!


「なぜいつも私は大事なところで……!」


 むぐぐぐぐぐぐ……!

 ……いや、落ちつくんだ私よ。一旦深呼吸をして心を鎮めるんだ。


 ひっひっふー、ひっひっふー……よし。

 ……少し真面目に二人のことを考えてみよう。


 十数日前、フィリアに好きだと告白され、昨日はシィナにも告白された。

 正直、なんで私なんかがこんなにモテてるの? と疑問と混乱で頭がいっぱいなのだが、あんなにも真正面から好意を向けられて嬉しくないはずもない。


 幸せにしたい。二人を。今までずっと辛い経験をしてきたぶん、これからはずっと笑っていてほしい。

 それはそれとしてえっちなこともしたいけど。


「ひとまず、二人が私とどうなりたいのか、さり気なく探っていくべきか……」


 私としては両方といちゃいちゃにゃんにゃんしたいところだが、人には人の価値観がある。

 この世界では一夫多妻が普通に認められているものの、あくまでその一夫は、貴族や商人と言った後ろ盾が強固なお金持ちが主に該当する傾向にある。

 平民なんかは普通に一夫一妻の健全な関係が圧倒的多数派だ。

 だから親に奴隷商に売られたフィリアや、血と戦いに明け暮れてきたであろうシィナにとっては、一夫多妻は馴染みのない制度であろうことは想像にかたくない。


 好きな人に自分だけを見てほしいという欲は当たり前のものだ。

 もし二人が、あるいはどちらかが、一夫一妻の関係を望むようなら……私は、どちらかを選ばなくてはならなくなるのだろうか?


 もしそうなってしまったら……。


「……いったいどっちを選ぶのかな、私は」

「どっち、って?」

「ああ……フィリアとシィナ、どっちと生涯をともに――ん!?」


 普通に答えかけてしまったが、今この場には私しかいなかったはずだ。

 慌てて隣を見ると、アモルが私の顔を覗き込むようにしてこちらを見上げてきていた。


「ア、アモル? い、いつからそこに……?」

「んー……お姉ちゃんが、すごく寂しそうに唇に指を当ててた辺りから?」


 なるほど! 一番見られたくなかったところからですねっ!?


 なぜ私はちゃんと周りを見ていなかったんだ……と、顔を真っ赤にしながら頭を抱えていると、アモルが不安そうに顔を歪ませた。


「お姉ちゃん、ぼーっとしてたから……考えごとしてるなら、邪魔しちゃ悪いかなって、黙ってたの。でも……もしかして、ダメだった? 聞いちゃいけないことだった……?」

「い、いや、そんなことないよ。アモルはなにも悪くないというか……むしろ私の方が、気づくのが遅れてごめんねって謝りたいくらいだ。だから、そんな気に病まなくたって大丈夫だよ」


 そう言いながら、今にも泣き出しそうだったアモルの頭を撫でる。

 それだけで彼女は嬉しそうに顔を綻ばせて、ぎゅっ、と私の胸に抱きついてきた。


 アモルは淫魔の常識に当てはめれば成熟しているらしいけれど、実際に生きた年月はまだ二桁もない。

 人の常識に当てはめれば、まだ全然子どもの範囲だ。

 こうして大好きなお姉ちゃんに可愛らしく甘える姿はまさしく年端も行かない幼子のようで、私は頬を緩ませながら、よしよしと彼女の頭を撫で続けた。


「……そういえば」

「うん? どうかした? アモル」


 私に抱きついたまま、アモルがもぞもぞと上目遣いで私を見つめてくる。


「さっきお姉ちゃん、あの胸の大きな人と、怖い人と、どっちと生涯をともにするかって言ってた、よね?」

「う……い、言ったかな? そんなこと……」

「言ってた、はず。お姉ちゃんの言葉なら、全部覚えてるもん」


 アモルは少し自信ありげに頷いた後、こてんと小首を傾げる。


「お姉ちゃん、あの二人のことが好きなの?」

「え、あ、う……そ、そう、だね……す、好き……だよ」


 どもりながら答える。

 本人の前であれば言えなかっただろうけど、相手が関係のないアモルだったから、なんとか口にすることができた。


 きっとこの時の私は相当不審に目線を右往左往とさせていたことだろう。


「じゃあ、あの二人もお姉ちゃんのことが好き?」

「そ、それは、私が勝手に言えるようなことじゃ……」

「……よくわかんないけど……好きならどっちかなんて選ばなくても、どっちとも一緒にいればいいんじゃ……?」

「えぇと……そういう単純な話でもないんだ。私はともかく、二人がどう考えてるのか……好きな人に自分だけを見てほしいっていうのは当然の感情だからね」

「そう、なの? ……わたしは、お姉ちゃんの魅力を他の人にも知ってもらえるなら誇らしいけど……うーん……?」


 アモルは心底わからないという風に、大量のはてなマークを頭の上に浮かべている。

 アモルが一緒に暮らすようになってから人の常識について教えるようにはしているが、淫魔として過ごした価値観は彼女の中に深く根付いている。根本的な考え方までは変えられるものではない。


 とは言え、無理に変える必要もないだろう。

 危険な思想なら矯正しなくてはいけないけど、そうでないのなら、アモルはアモルらしく育ってくれればそれでいい。


「さて……アモル。出かける支度は済んだんだよね?」

「うん。お姉ちゃんにもらった新しい上着も、ほら」


 私から離れると、アモルは纏ったケープを見せつけるようにその場でくるりと回る。

 なんの変哲もない普通のケープなのだが、裾が翻ることで小さなドレスのようにも見えた。

 淫魔としての本人の可愛らしさも相まって、どこかの館のお嬢さまのようだ。


「外じゃこのフードで、できるだけ顔を隠した方がいいんだよね?」

「そうだね。見られても大丈夫だけど、もしかしたら勘のいい人には怪しまれちゃうかもしれないから」


 アモルは淫魔なだけあってかなり可愛い。少しだが、子どものものとは思えないくらいの色香も纏っている。

 いくら勘がよくても、多少違和感を覚える程度で淫魔だと見破られることはまずないだろうが……用心しておくに越したことはない。


「あと、アモルのことは対外的には淫魔じゃなくてドワーフの子どもとして扱うつもりだから、そのつもりでね」

「ん。わかってる」

「……本当はもっと気軽に出歩けるようにしてあげたいんだけど……ごめんね。窮屈で」

「んーん。わたしのために、お姉ちゃんがいろいろしてくれてること、よく知ってるから……大好きだよ。お姉ちゃん」


 また私にピッタリとくっついて、アモルは屈託のない笑みを浮かべる。

 それに一瞬だけ見惚れてからハッとし、ブンブンと首を横に振って、アモルの手を引いて玄関に向かって歩き出した。


「……ハロ、ちゃ……ア、モルちゃ……(あ、ハロちゃん! アモルちゃんも! えへへ、待ってたよー)」


 玄関の扉を開けると、近くの柱に寄りかかっていたシィナが出迎えてくれた。

 あいかわらず表情の変化には乏しいが、猫耳がピコピコと元気に動いていて、彼女の機嫌が良いことを知らせてくれる。


「シィナ。今日はありがとね。私の依頼、引き受けてくれて」

「……アモル……ちゃ、の……ため……(まあ、わたしのせいでアモルちゃんいっぱい怖がらせちゃったし……アモルちゃんのためにも、これくらいはしてあげないと)」

「ふふ、そっか。やっぱりシィナは優しいね」

「……ふ、ふふ……(ふみゃぁ……ハロちゃん、それ、すごく気持ちいいよぉ)」


 猫にするようにシィナの顎を撫でてあげると、シィナは心地よさそうに少し目を細める。

 アモルには怖がられてばかりなのに、そのアモルのために行動できるシィナは、やっぱり根がすごく優しい子なんだろうと思う。


 ちょっと前までヤンデレでサディストな子だとか思っててごめんね、シィナ……。

 辛い境遇のせいか心が歪んじゃってる部分もあるけど、ちゃんと気遣いもできる普通に良い子だったよ。

 魔物と戦ってる時はやっぱマジで怖いけど……。


「…………アモル、ちゃ……(えっと……あのー、アモルちゃん……?)」

「ひっ……」


 アモルは外でシィナが待っている姿を見た瞬間、私の後ろに隠れてしまっていた。

 今も私の服の裾を掴んでプルプルと震えていて、シィナの前に顔を出そうとはしない。


「ご、ごめ、ごめ……なさい……ま、まだ……慣れ、なくて……」

「……べつに、いい……(うぅ、まあそうだよね……でも、まだって言ってくれたし……! いつかは仲良くなれる……よね? うん!)」


 シィナの猫耳と尻尾が見るからにしおれていく。

 完全に元気をなくしたというわけではないにせよ、それなりに落ち込んでしまっているらしい。


 アモルにもこういうシィナの感情の機微がわかってくれば、あまり怖がらないでくれるとは思うんだけど……まだ難しいか。

 こればっかりは時間をかけてどうにかしていくしかないだろう。


「それじゃ……行こうか二人とも。冒険者ギルドに」

「ん……(うん! もしなにかあっても、ハロちゃんとアモルちゃんはわたしが守るからね!)」

「……う、うん……」


 フィリアには、アモルの保護の許可を得るために出かけることはもう伝えてある。

 アモルの部屋に向かう前、「いってらっしゃいませ、お師匠さま」と送り出してくれた彼女の笑顔を思い出しながら、私は二人を連れて冒険者ギルドへ向かうのだった。

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