23.今こそスライム大作戦が始動する時!

 スライム、と呼ばれる生物がいる。

 名前の通りドロドロとした性状の体を持ち、その身に触れた有機物を溶かして吸収する能力を持っている。

 どこかに核が存在しており、それを破壊すれば完全に活動を停止させることができる。しかしその体は緑や青と言った濃い色で着色されていることが多いため、どこに核があるかを見極めることは容易ではない。

 さまざまな特性を備えたスライムがいる中、共通している一番の弱点として動きが緩慢であることが挙げられるが、その反面、一度接触を許してしまったら悲惨な結果を迎えることになる。

 スライムはその体の性質上、一度くっついてしまったら簡単には引き剥がすことができない。鎧で防ごうとしても、その隙間から体液を送り込んでくる。

 仮に手を丸ごとスライムに包まれたりなんてしたら、骨まで溶かされて手を欠損することを覚悟しなければならないだろう。 

 基本的な生息地は湿地帯。湿った大地に紛れ込んでいることなどもよくある。油断していると足元から飲み込まれて回避の手段を奪われ、じっくりと溶かされ食べられてしまうなんて危険が常に付き纏うため、湿地帯を探索する時は潜伏したスライムに特に注意する必要がある。

 前世ではなにかと弱く見られがちだったスライムであるが、実際にこうして存在すると害獣以外のなにものでもない。


 さて、なぜ私が急にスライムについて語り出したのかというと、彼らが持つ特性の一つに目をつけたためである。

 すなわち、有機物を溶かして吸収する捕食能力を持っている、という部分だ。


 有機物とは、有機化合物。つまりは炭素を含む化合物の……うん。ともかく、燃やした際に黒く焦げて灰になる物は有機物だ。

 動物や植物はもちろんとして、それらを材料にしてつくられた物も基本的に有機物に当てはまる。

 逆に土や鉱物と言った灰にならないものは有機物でない物、無機物と呼ばれる。


「……きょう、は……きげん……いい……?(ハロちゃん、なんだか今日は機嫌よさそうだね)」

「ん? ああ、そうだね。どうしてだろうね? シィナが一緒だからかな」

「……えへ、へ……(もーっ、そんなこと言ってー。えへへ……)」


 ちょうどお昼頃だろうか。

 私は現在、街からそこそこ近い距離にある湿地で大量発生したというスライムを、シィナとともに討伐しに来ていた。


 残念ながら、今回はフィリアはお留守番である。

 本当ならフィリアにも私のスライム大作戦を発動したかったのだけども、なんだかんだ冒険者は普通に危険な職業である。

 いくら魔法の実力があろうとも、それだけでは足りない。

 知識や経験、状況判断能力、その他諸々が伴っていなければ、いつ死んでもおかしくない。


 同じSランクのシィナならともかく、今回ばかりはフィリアを連れてくるわけにもいかなかった。


「すら、いむ……あんま、り……たいじ、したこと……ない(スライムってちょっと苦手だなぁ……核がどこにあるか全然わかんないし、あんまり大きいと奥まで剣が届かないし、下手に近づくと飲み込まれちゃうし……)」

「大丈夫さ。私がいる。私なら核以外を蒸発させられるし、それに、あの魔法のことも話しただろう?」

「……まほう……(あの魔法って、今日の朝に言ってた?)」

「ああ」


 ちなみに、シィナが来てからは生活のサイクルが変わるため一人の時間も増えるかとも思っていた私だが、全然そんなこともなかった。

 というか、むしろ減っている気がする……。

 しかしそれも冷静に考えれば当たり前である。人数が増えるんだから一人の時間が減るのは自明の理だ。

 なんであの夜普通に寝たんだよ私……。


 結局、例の欲の解消も一切できていない。

 それだけならまだいいが、いやよくないが。状況は以前よりひどくなっていた。


 シィナはフィリア以上に無防備で、挨拶代わりにすりすりをお見舞いしてくるくらいは日常茶飯事である。

 フィリアのように暴力的な肉体ではないことがかすかな救いと言うべきか、惜しむべきところと言うべきか……。


 そんなシィナに対抗するように、最近はフィリアも割とスキンシップを取ってくるようになっていた。

 元々無防備かつ無意識に私を誘惑してくることが多かったフィリアが、意識的にも私を揺さぶってくるようになったのである。

 シィナほど激しくはない。ほんのちょっぴりくっついてくることが多くなったくらいだ。だが、フィリアには例の最強の武装がある。

 フィリアからしてみれば母や姉を取られまいと必死に甘えているだけのつもりかもしれないが、私にとっては大問題である……。


 今の状況を例えるのなら、目の前で人参をぶら下げられている馬だろう。

 ただその光景と、匂いだけが私の欲をそそる。しかし、それを食べることができる日など永遠に訪れない。

 欲を解き放つことは決してできず、延々と悶々した日々を送り続けるだけ……そんなものは地獄にも等しい。


 限界は早々に訪れた。

 そんな私が新たに企てた計画こそ、このスライム大作戦なのである。


 この作戦での肝となるものは、私が作ってきた、ある魔法だ。

 その魔法、名付けてスライムリフレクターは、簡単に言えばスライムの粘液による溶解能力を無効化する魔法である。

 要はこれさえあればスライムの唯一にして絶対的な攻撃手段の一切を無力化できるのだ。


 ただし、実はこの魔法には一つだけ重大な欠陥がある。

 欠陥があるというか、敢えて残したんだけども。


 実はこのスライムリフレクター……効果の対象にできるのは生物だけなのである。

 どういうことなのかというと、この魔法で皮膚などと言った人体を守ることはできるのだが、衣服を守ることはできない。

 その結果どうなるのかというと……そう、服だけが溶ける。


 もうおわかりいただけただろう。


 一。この魔法をシィナにかける。

 二。魔法がある安心感のもと、縦横無尽にシィナに立ち回ってもらう。

 三。その時に飛び散った粘液がシィナにかかり、シィナの服が溶ける。

 四。あーやっちゃったなぁ気づかなかったなぁー、的な感じに魔法の欠陥に今気づいた風な反応をしつつ、適当に私がスライムを殲滅。

 五。露出過多で恥ずかしがるシィナを見放題……!


 いつもならシィナに戦ってもらうと惨殺ホラー劇場が始まってしまい、例のトラウマが再発してしまう危険がある。

 だが、スライムなら核以外のすべてが粘液で構成されている。

 スライムなら八つ裂きにされたとしても、内臓とか血とかは別に飛び出たりしない。だからいくら飛び散ろうが怖くもなんともない。

 相手がスライムという時点で一番の問題はクリアしていた。


 魔法の欠陥に関しては、そもそも事前に試作品と伝えてある。

 試作品である以上、多少の見落としがあってもおかしくはない。

 怪我をしないようにすることに精一杯で衣服を守ることを忘れていたなんて、いかにもうっかりな見落としじゃないか。


 ふふふ……あいかわらず完璧な作戦である。

 以前の淫魔の液体薬事件の時のように本番までもつれ込める作戦ではない。けれど今の生殺し状態を脱却する作戦としてはじゅうぶんだ。

 すりすりの際にいつも押しつけられている、小さめながら確かな柔らかさを持つ双丘の正体……今日こそ、この目で拝む時!

 しっかりこの目に焼きつけておくんだ!


「――いたね。スライムだ」

「……おお、きい……?(あ、ほんとだ。でも……あれ? 大量発生って話だったけど……大きいのが一体しかいないよ?)」


 スライムが大量発生したという湿地をしばらく探索し、見つけたのは、当然のごとく大量発生したというスライム。

 ……ではあるのだが、一体しかいない上に、なにやら異様に体が大きい。

 いや、正確には一体ではないか。


「あれは群体スライムだね……大量発生した個体が全部くっついてるみたいだ」

「ぐん、たい……(群体スライム……あれがそうなんだ。初めて見たなぁ)」


 私とシィナは今、段差に隠れて様子を窺っている状態だ。群体スライムはまだこちらに気づいていない。


 群体スライムとは、多くのスライムの集合体のことだ。

 体液をその体を構成するスライム全体で共有し、無数の核を持つ。大量の体液で攻撃が阻まれて核に攻撃が届きにくいだけでなく、一個や二個程度核を破壊した程度では倒せないため、厄介と言えば厄介な相手だ。


 見たところ群体スライムは、その巨体を構成するすべてのスライムを養うことのできる栄養を求め、そこら中の草木を貪りながら沼地を徘徊している。

 今はただ、ひたすらに辺りを食い散らかしているだけ。しかしやがて栄養がじゅうぶんに補給できなくなった時、人の気配が多くある街を目指して進軍を開始するだろう。

 私やシィナのような冒険者ならばともかく、触れたものすべてを溶かしつくす巨大な魔物が襲ってくるという状況は、一般人からしてみれば恐怖の権化でしかない。


 もっとも、そのような脅威となる前に私とシィナがこうして倒しに来たわけなのだが。


「予定とは少し違ったけど、シィナ。いけるかい?」

「ん……!(群体スライムっていうのと戦うのは初めてだけど……大丈夫! ハロちゃんがついてるもん!)」

「そうか。じゃあ、今から例の魔法をかけるよ。じっとしててね」


 シィナの手を握り、私とシィナにスライムリフレクターを行使する。

 こんな欠陥魔法じゃなくて、ちゃんと衣服も守れる完全版スライムリフレクターも普通に使えるのだが、自分だけにそれをかけると万一にでもバレてしまう危険があるので、ちゃんと同じ欠陥魔法をかける。

 まあ、無駄な心配だとは思うけどね。スライムは動きが遅いし、私はシィナと違って後衛だし。


「……よし。終わりだ。行くよ、シィナ」

「ん……!(頑張ろうね、ハロちゃん!)」


 ふっふっふ……さあ、今こそスライム大作戦が始動する時!


 私とシィナは一緒に段差から飛び出し、群体スライムへと向かう。

 一緒とは言ったが、シィナの方が身体能力が圧倒的に高い。先に群体スライムへ攻撃を開始したのもシィナだ。


 いつもならシィナが一瞬で終わらせてしまっていただろう。

 だけど今回ばかりはそうもいかない。群体スライムにシィナの攻撃の効果は薄い。核以外をいくら斬り刻もうとも、すぐにくっついて再生してしまうためだ。

 巨体だけあって刃も奥までは届かず、おそらく無数にある核のうちの少しの表面しか傷つけることができていない。

 そういうこともあって、シィナはやはり非常にやりづらそうにしている。

 一応、剣を振った時の衝撃波でスライムの体を確実に少しずつ削ってはいる。だが今回の群体スライムは三階建ての建物くらいの大きさがあるので、あれで削り切るには相当な時間が必要だ。


 シィナだけなら、そうなってしまう。

 だが、今この場には私がいる。


「フレイムランス」


 誤ってシィナに当ててしまわないように気をつけて火の魔法を打ち込んでいく。

 もっとも、シィナなら見てから回避するくらい簡単にできるだろうけれど。


 中級魔法、フレイムランス。

 ランス系魔法はとにかく万能と名高い魔法だ。

 中級魔法の中では一番術式が簡単で、消費魔力が少なく威力が高く射程距離も長く。ほんのちょっと術式をいじるだけで水に氷に雷にと、バリエーションも完備している。とにかく使いやすさの塊のような魔法だ。


 一方で、上級魔法はちょっと威力が高すぎて周りに余計な被害が出たりとかがよくあるので、実はあんまり使われない。

 そもそも強い魔物を前にして魔法に意識を集中させたり発動までに時間をかけたりとか普通に自殺行為だ。

 無論、使い道がないわけではないし、ちゃんと強いのだけど、使い所が結構限られる。

 先手に一発だけとか、雑魚殲滅用とか、そういう使い方がほとんどだ。


 なにはともあれ、大抵の魔物はこのランス系魔法を連射していれば終わるってことは魔法使いの冒険者の中で共通の認識である。

 ランス系魔法を無詠唱で速射できるようになれば、魔法使いの冒険者としては一人前と言えるだろう。

 魔法使いって頭よさそうなイメージあるけど、やってることは「とりあえずふっ飛ばそう」的な思考停止の脳筋ですよ。


 まあ正直な話、群体スライムくらいならもっと大きな魔法で一瞬で蒸発させることもできるのだが……スライム大作戦のためにもそれは控えねばなるまい。


 ……しかし……。


「…………うぅむ……」


 ……なかなかスライムがシィナの体にくっつかないな……。


 戦闘が始まってからそろそろ一分くらい経つが、シィナは今もまだ元気よくぴょんぴょんと辺りを跳び回っている。

 私が以前教えた空中に足場をつくる魔法を、彼女はすでに完全に使いこなしていた。

 斬撃によって飛び散る体液を華麗に回避し、その勢いを利用して攻撃したり……。


 ……お、おかしいな……まさかシィナ、私の魔法が服には効果がないことに気づいてる……?

 いや、そんなはずは……くっ、まさか故意に欠陥を残したと思われないよう、試作品と伝えてしまったのが仇になったのか……?

 効果があるかわからないから、できるだけ食らわないように立ち回ってる?

 大丈夫だよ! ちゃんと防げるよ! 体のどこに当たったって絶対怪我なんてしないから! 服は溶けるけど!


 なんで? いつもは血しぶきをとんでもないくらい浴びてるじゃん。それで全然平気そうにしてるじゃん。

 今回もそんな感じでスライムの体液を浴びまくることを想定してたのに……。


 なぜ……どうして……。

 おかしい……なにかがおかしい……。


「……(血が出ないし、ハロちゃんもいるし、なんだかいつもより安心して戦えてる気がする。ちゃんと周りも見えるし……でも、うぅ……ハロちゃんの魔法のおかげで浴びちゃっても平気だってわかってるけど、それでもやっぱり、あんなぬるぬるしたのに触れたくないなぁ……血より全然浴びたくない……)」


 ……くっ! やっぱりシィナ、絶対自分の意志で粘液躱してるって!

 ダメだっ、このままではシィナがスライムを浴びるより先に群体スライムがやられてしまう!

 頑張れ! もっと頑張るんだ群体スライム! 負けるな! 立てー!

 広範囲に粘液を吐いたりとかもっとあるだろ! こう、果汁ブシャー! って感じに! スライムがそんな攻撃するとこ見たことないけど!

 なんでそんな緩慢な動作で飲み込もうとするんだ! そんなカタツムリみたいな遅さでシィナに当たるわけないじゃないか! もっとこう、ネズミに襲いかかる猫みたいにだな……!

 くっ、いけ! そこだ! 今だやれー! ……ダメか!


 くそ……群体スライムはあてにならない。

 ここは私がアドリブでなんとかしなければ……!


 どうする? どうすればシィナにスライムの体液を当てられる……?

 シィナは速い。あれに確実にスライムを浴びせるには、おそらく広範囲に粘液を散らす必要がある。


 なら……そうだ、フレイムランスの術式をいじろう!

 今は少しでも槍の形が崩壊したら爆発するように設定してある。ここにある程度の貫通属性を持たせて、群体スライムの体内で爆発するようにするのだ。

 そうすれば爆発の衝撃で飛び散った粘液がぴょんぴょんしてるシィナの体にかかって、ミッション成功……! 完璧な作戦だ!


 そうと決まれば早速改造を施さなければ……! 群体スライムがやられる前に!

 とりあえず、術式のここをこうして……あれをああで……よし。あとはちょっと爆発の威力を高めにして……。


 ……よし、できた!

 ふっ、さすが私だな。戦闘中に魔法を組み直すとは……やはり天才! 《至全の魔術師》の名はだてではない!

 あとはタイミングを見計らって、群体スライムをこれで吹き飛ばすだけだ!


 …………今だ!


「フレイムランス!」


 初めに見た時と比べて、すでに半分以下の大きさになってしまっている群体スライムに、改造したフレイムランスを放つ。

 おそらくこれで体内の核はすべて消し飛んでしまうだろう。

 すなわち、これが最後のチャンス。


 いけるか……?


「……!(あ、ちょっと強そうな魔法……ハロちゃん、これで決めるつもりなのかな?)」


 フレイムランスが群体スライムの中心部まで侵入すると、一瞬、カッと強い光を放った。

 そして次の瞬間、爆音とともに群体スライムの体が破裂し、その粘液の体が周囲に無差別に飛び散った。


 当然その無差別の中には、シィナがいる場所も含まれている……!


「……!?(わぁっ!? ハ、ハロちゃん派手にやりすぎだよっ!?)」


 ちなみに私はアホではないので、ちゃんと粘液が届かない位置にいる。

 そもそも私、さっきも言ったけど基本的に後衛だからね。敵の攻撃が届かないところからチマチマ攻撃するのが本職なのだよ。ふふふ……。


 なにはともあれ、私は成し遂げたのだ!

 粘液は私の計算通り、相当な広範囲に飛び散っている。いくらシィナと言えど、あれを回避し切ることなどできはしない。シィナの動きを何度も見ている私が言うのだから間違いない。

 勝った……ふふふ。

 これで私は、シィナのあられもない姿を拝むことができるのだ。


 さて……今のうちに「あぁー! これ欠陥魔法だー! あーやっちゃったなー! 気づかなかったなー! ごめんねシィナー!」的に謝るシミュレーションでもしておこうかな?

 私に懐いてくれているシィナでも、さすがにわざと欠陥を残したなんてバレたら絶対怒られ――。


「……! あ……(やだぁ! ぬるぬる来ないでぇ! ――あ)」

「……へ? え、はっ? なっ、ちょっと待っ――ひゃわぁっ!?」


 スライムの粘液がかかる直前、シィナはそれに向かって思い切り剣を振り回した。

 それは斬ることを目的としてではなく、いわば剣の腹で薙ぎ払うように。

 それによって発生した衝撃波が粘液のすべてを吹き飛ばし、シィナにかかることはなかった。


 それだけなら、まだ作戦の失敗を悔やむ程度で済んだだろう。

 問題はその後である。

 シィナが払ったその粘液が、本来当たらない位置にいた私の方にすっ飛んできたのだ。


 普段なら華麗なる反射神経とかそんな感じのあれで回避できたに違いない。

 しかしこの時の私は完全に勝利を確信して、すっかり油断しきっていた。


 つまりは予想外の事態にテンパって、飛んできた粘液をもろに浴びてしまったのである。

 それも、頭からベッタリと……。


「けほっけほっ! うぇぇ、苦ぁ……口の中ちょっと入った……」


 スライムの粘液を体中に浴びるだなんて、本来は非常に危険なことだ。

 全身が溶けて生死に関わる重傷を負うことになる。

 しかしそこはスライムリフレクターのおかげでなんの問題もない。口の中に入ったスライムだって無力化できる優れものだ。私が作った魔法なんだから当然である。

 もっとも……例によって重大な欠陥があるのだが……。


「ハ、ハロちゃ――!? ハ、ハ……ハロちゃ、ん……っ?(ごめんハロちゃん! 大丈……はわぁっ!? ハ、ハロちゃん、そ、その格好……!?)」


 駆け寄ってきたシィナが目を見開く。

 半ば予想はできていたが、私自身まだ自分がどうなっているか正しく把握できていなかったので、それを確かめるためにも視線を下に落とした。


 やはりと言うべきか。体中に粘液を浴びてしまったせいで、衣服の大部分が破損している。

 頭からかぶった量が特に多かったからだろう。首と胸回りの破損が特にひどい。下着が見えてしまっているのは当然として、その下着もボロボロだ。

 他の部分もところどころに穴が空いて、そこかしこで肌や下着が露出してしまっている。

 破れた衣服の隙間からスースーと風が入り込んできて、少し肌寒かった。


 服を着ているというよりも、もはやボロ布を羽織っているだけと言い直した方が正しいような有様だ。


「あぁ……魔法に欠陥があった、みたいだね。けほっ……服も守れるようにしておくのを忘れてしまっていたみたいだ……」


 故意にこういう設計にしたと思われないよう、ひとまず言い訳をしつつ、体中に張りついた粘液を払えないものかと四苦八苦する。

 ひどいのは服の状態だけでなく、残った粘液もだ。


 体中にベトベトした感触があって、非常に気持ちが悪い。

 いくら払おうとしても効果はなく、今も少しずつ服の布を溶かしている。

 核を失ったスライムの粘液はそれなりに揮発性があるのだが、それでも完全になくなるまでは時間がかかってしまう。


「……む、むね……!(ハ、ハロちゃんっ。む、胸、今にも見えちゃいそうだよ!? か、隠さないとっ)」


 無表情か、そこからほんの少し表情が変化するだけが常のシィナにしては珍しく、明らかに慌てたような反応。

 確かにシィナの言う通り、やはり首や肩、胸の部分の破損がひどい。


「ああ……わかってる。でも、大丈夫だよ。この辺りにはそうそう人は来ないからね」


 これが街中とかだったら急いで隠す必要があっただろう。

 しかしここは辺鄙な湿地の一角である。滅多に人は来ない。

 別にシィナに見られるくらいならどうってことないので、そこまで気にする必要もないだろう。


「わ、わたし……いる……!(いや人が来ないとかじゃなくて、目の前にわたしいるよ!? は、早く隠してー! 見えちゃうからぁ!)」

「……? あぁ、そうか。そうだね。今ここにいるのは私だけじゃない。シィナがいれば、もし誰か来てもどうとでもなるさ」

「ちが……!(そうじゃなくてぇ! いつもは完璧に察してくれるのに、なんでこういう時だけ鈍感なのぉっ?)」


 はぁ……こんなことになるなら着替えを持ってくるべきだったな。

 でも、そんなことしてたら欠陥を見逃してたことバレちゃいそうだ。


 なにが悪かったんだろうか……完璧な作戦だと思ったのに……。

 この服もう着られそうにないな。帰ったら捨てなきゃな……。


「……!(ダ、ダメ……残ってるスライムで肩の紐が溶けて見えちゃう! こ、こうなったら、わたしが隠さないとっ!)」

「シ、シィナっ?」


 ふと、シィナが急に抱きついてくる。

 突然すぎてちょっとビクッとしてしまった。いったいどうしたのだろうか。

 いつものすりすりかとも思ったが、すりすりしてくる気配はない。


「えっと……シィナ? いったいどうしたの? このままじゃシィナの服にもついちゃうよ……?」

「……はした、ない……!(もう、もうっ! ハロちゃんは無防備すぎるのっ! 見られるくらいどうってことないみたいに……! わたしだからよかったけど、も、もしここにいたのが別の悪い男の人とかだったら……ハロちゃんきっと今頃……うぁー! ダ、ダメ! そんなの絶対ダメぇ!)」

「は、はしたない?」

「じかく、して……! ハロちゃ、ん……!(ハロちゃんはもっと自分の体を大事にしなきゃダメ! 全然自覚ないみたいだけど、ハロちゃんってすっごく魅力的なんだから……! このままじゃいつか絶対襲われちゃうよ!)」

「じ、自覚って?」

「わたし、の……ハロ、ちゃん。だれにも……わたさ、ない……! ハロちゃん、も……わたしいがい、の……ひと……みせちゃ、だめっ……! ぜったい、だめ……!(わたしが一緒の時には絶対絶対、ぜーったいハロちゃんに手出しなんてさせないけどっ、いつもこうやってわたしがいるとは限らないんだからねっ? ハロちゃんもちゃんと自分のこと大事しないとダメなの! じゃないといつか……うぅ。ハロちゃん、わかったっ?)」

「あ、ああ……わ、わかったよ。すまないシィナ」


 激しい剣幕と、シィナ自身のホラーな雰囲気も相まってガチでビビりつつも、どうにか彼女の言いたいことを咀嚼して頷いた。

 要するに「あなたはわたしだけのものなんだから、わたし以外に見られるかもしれない場所で、はしたないことをしちゃダメ!」ってことだろう。


 辺りに人がいないのは明白だけれど、まあ、千里眼の魔法とかも一応存在している。見られている可能性がゼロだとは言い切れない。

 大分貴重な素材がないと行使できない千里眼の魔法で、こんな辺鄙な湿地を覗く理由がわからないが……。

 そもそも別に私の体を見たいような人なんてそんないないと思うんだけどね……中身もあれだし……。


 シィナに言われた通り、腕で胸を隠すようにすると、彼女はようやく私から離れてくれた。


「……かえ、り……どうし、よう(うぅ、今のままだと帰りに困るよね……どうしよう……)」

「ああ、それなら問題ないよ。転移の魔法があるからね」

「……べんり……(あ、そういえば……その魔法、すごく便利だよね)」

「そうだね。でも前にも言ったと思うけど、これ使えることがバレると戦争が起こりかねないから。内密にね?」


 割と気軽に使っている気もするが、実は転移は結構やばい魔法だったりする。

 敵の本丸にいきなり戦力を送り込めたり等の最悪の戦術が簡単にできるようになる魔法なのだから、冷静に考えれば至極当然である。

 いわゆる禁術というやつだ。まあ便利だから使うが。


「ん……(ハロちゃんを危険にさらすようなことは絶対しないから、安心して!)」


 釘を刺す私の発言に、シィナが自信満々に頷く。

 シィナはこれ以上ないくらい私に懐いてくれているし、普段から無口でもあるので、シィナの前でならどんな魔法も気軽に使えるというものだ。


 ……しかし、結局スライム大作戦は失敗か……。

 以前の淫魔の液体薬の時も、最終的に今回のように自分がその被害を被ることになった。

 やはり悪いことを企むと自分に跳ね返ってくるように世の中はできているのだろうか……。


 因果応報。身から出た錆。

 もう少し、まともな作戦を考えた方がいいのかもしれない。


「……(……うぅ、なんでだろ……ぬるぬるしたスライムが顔や胸の辺りにいっぱいかかってて、ああやって大事なとこ手で隠してるハロちゃん見てると……な、なんだかドキドキする……か、顔も熱くなってきて……ダ、ダメ! これ以上こんなじっくり見てるのは、いくら友達でも失礼だよっ!)」

「それじゃあそろそろ帰ろうか。早くお風呂に入りたいしね」

「ん……(そ、そうだね! 早く綺麗にしないとね!)」

「……?」


 少しシィナの様子がおかしい気もしたが、たぶん私に代わって周りを警戒してくれているんだろう。

 転移魔法は結構細かい魔法なので、ちょっと集中しないと使えない。シィナもそれはわかってくれている。


 これがもし逆の立場なら、内心ドキドキしながら何度も盗み見てたんだろうけどね……あくまで逆ならの話。

 シィナに限って、それは絶対にない。

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