13.たの、楽しかったんだぁ……

「……どう、か……した……?」


 不意にそんな声をかけられて、はっとする。


 昔の過ちに思いを馳せているうちに、猫にするようにシィナの顎の下を撫でていた手を止めてしまっていたらしい。

 シィナの顔が目の前にあり、私の目を覗き込むようにしている。


 妖しいほどに綺麗な、血の色をした瞳。

 思わず「ひっ」と声が漏れかけたものの、ぎりぎりで耐えることができた。


 あいかわらず不思議そうにしているシィナに、私は慌てて取り繕う。


「いや、シィナと初めて会った時のことを思い出していてね。確かあの日、私がここでシィナに声をかけたのがすべての始まりだったな、と……」


 ……そう、あれこそがすべての始まりにして最大の過ち……。


 元々、私はシィナの評判や噂は小耳に挟んでいた。

 二つ名がついた由来も、彼女がどういう人柄なのかも、事前に聞いていたのだ。


 いわく、生き物を惨殺することが趣味。

 いわく、血を見ると途端に笑顔になる。

 いわく、ともに依頼に行った者は皆恐怖で顔を引きつらせながら逃げるようにして街を出ていく。

 いわく、元々髪は白かったが返り血を浴びすぎて赤黒く染まった。

 いわく、いわく、いわく……。


 うわぁ、やばいなそいつ。絶対関わり合いになりたくない。

 噂を聞いた当初はそんな風に思っていたものだ。

 だというのに私はシィナを見た瞬間、そのあまりの見た目の可愛さに「百聞は一見に如かず……だな!」的な感じに、それまで聞いていた話をすべて出鱈目として思考の外に放り投げてしまった。

 その結果があれである。


 もうアホかと。なんで外見しか見なかったのかと。

 百聞は一見に如かず? まあ確かにそうなったな? 百聞を信じなかったからシィナのアレな面を一見して全部理解したな? よかったな?

 いや、これっぽっちもよくないけどね?


 ……まあ、その、正直に言うと、懐かれていること自体は嬉しかったりする。

 こんなにもはっきりと好意の感情を向けられて悪い気がするわけがない。

 ましてやシィナは一度は恋もしかけた相手だ。すぐさま急転直下だったが。

 そんな子にこうして抱きつかれて、猫のように甘えられる今の状態が嬉しくないかと言われれば嘘になる。


 ただ、そんなかすかな嬉しささえ余すことなくかき消してしまうくらいに恐怖の方が大きいのが現状だ。

 以前の、完全に気を許していた直後に惨殺ホラー凝視劇場を見せられた出来事。あれが私の中で軽くトラウマになってしまっていて、どうにもシィナに苦手意識を持ってしまっている。

 初恋は特別だのなんだのと言うが、マジで初恋の失恋はアレな意味で特別かつ強烈に私の胸の奥に刻まれてしまっていた。


 恐怖症。トラウマ。患ったことがない人にはピンとこないものだろう。

 しかしこれがマジで厄介な代物だ。

 写真越しだとか映像越しならなんともなくとも、いざ相対すると猫が虎にもライオンにも思える。

 足ががくがく震えるし、じっと見られるだけで思わず泣きたくなってくる。

 シィナが友好的な態度を取ってくれているから今はまだ平気だが、戦闘モードのシィナはもうマジで洒落にならないレベルでやばいし怖いし逃げ出したい。

 無論、手を出そうだなんて思えるはずもない。


「……い、らい」


 ふと、私から少し離れたシィナが、掲示板の方に顔を向けた。


「うけ、る……? ……あの……とき、と……お、なじ…………い、っしょ……に……」


 苦手ながらも一所懸命に口を開いて、自分の意志を示そうとしてくれる。

 あんなに大胆に頬や顎を擦りつけてきたりしていたのに、こんな時ばかりは断られるのが不安なのか、無表情に浮かぶ瞳がほんのわずかに揺れているように見えた。

 その姿は控えめに言っても可愛い。


 あぁー……これでシィナがアレな性癖じゃなければなぁ……。

 いや私が言うなって話だけど。

 これまで、何度そんな風に思ったか数知れない。


「一緒に、か。実は、ファイアドラゴン討伐を受けようとしてたんだ。転移魔法を使っての日帰りでね」

「……とぶ、とかげ…………にがて……」

「シィナが得意なのは近接戦闘だからね。しかたないよ」


 だから一緒には行けませんね?


「……で、も……この、まえ……ハロ、ちゃん……が、おしえ、て……くれた……まほう…………すこ、し……つかえる、よう、に……なった、から……」


 そう言うシィナはかすかに自慢げに見える。


 私は魔法で遠距離攻撃やら浮遊やらできるので無問題だが、近接戦闘主体のシィナはどうしても空中の敵とは戦いづらい。

 これまでどうしていたのかと聞くと、超人的な跳躍で一気に近づいて一撃で仕留めたり、剣を思い切り投げたりして倒してきたらしい。力技すぎる。

 シィナが剣を四本も装備しているのは、そういう投擲への使用のためや、剣が折れた時の予備の意味合いがあるそうだ。


 そんなシィナに以前教えたのが空中に足場を一瞬だけ作る魔法だった。

 獣人は身体能力に優れる代わりに魔法的能力に低い傾向がある。シィナも同じように魔法は得意ではないそうだが、私が教えたその魔法はシィナの魔力や感性に合わせて専用にカスタマイズを施した特別製だ。

 他の人が使うならばひどく不安定で発動すら難しくとも、シィナに限ってはファイアボルトなどの下級魔法と同程度の難易度で発動できる。そういう風に私が作った。


 教えた当初は、それでもまったく使い物にならない程度だったが、どうやら彼女は地道に練習を重ねていたらしい。


「そ、そうか。使えるようになったのか……」


 ねえ……なんで私、シィナにあんな魔法教えたの?

 いや、なんか不便そうだなって軽い気持ちで作って教えたんだけどさ……。


 くっ、これではシィナの同行をやんわりと断ることができない!

 シィナが一緒なら確かに依頼は楽になるが、例によって惨殺ホラー劇場を見る羽目になってしまう……。

 これまでなんだかんだ言いくるめてきて、一緒に食事に行ったりすることはあれど、依頼に行ったことは初めて会った時以来一度もなかった。


 と、ここで袖を引っ張られたような感覚がして、そちらを向くと、シィナがなにやら物欲しそうな目で見つめてきていることに気がついた。


「え、偉いね。シィナ」


 たぶん、魔法を使えるようになったことを褒めてほしいのだろう。

 そう思い、よしよし、と頭を撫でる。

 するとシィナはされるがまま、気持ちがよさそうに目を細めた。


 ……ふぅ。

 冷静に考えてみるんだ、私よ。


 思い返してみれば、かつての惨殺ホラー劇場でシィナを抱きしめた時、シィナは壊れ物を扱うように慎重に私を抱きしめ返してきた。

 あれはつまりシィナにとって、私は傷つけたくない対象であることの証明にほかならないのではないだろうか。


 それに、今のシィナを見てみるんだ。

 撫でられて気持ちがよさそうにしている今の彼女が、私を望んで傷つけようとするような子に見えるか? いや見えないっ!

 初対面でそう見えなかったから後々やばい一面を目の当たりにすることになったことなんて今は置いておく。


 シィナは確かにちょっと心が病んでそうな部分はある。

 けれども、私が常に友好的な態度を取ってさえいれば、危害を加えてくるようなことはしないはずだ。


 大丈夫。そう、大丈夫だ。

 大丈夫は世界一汎用性が高い言葉だから。大丈夫、きっと大丈夫。


 何度も自分にそう言い聞かせ続けながら、私はファイアドラゴン討伐の依頼用紙をはがした。


「じゃあ、一緒に行こうか。ああ、討伐証明部位以外にも料理用にお肉をある程度持って帰るつもりだから……その、斬り刻まないようにお願いしたい……」

「……」


 惨殺ホラー劇場が少しでもマシになりますように、という思いも込めて釘を刺すと、こくり、とシィナが頷いた。

 イメージ的には「まかせて」って風に自信満々な感じだ。むんっ、と胸を張って言っているようなイメージ。実際にはただ頷いただけ。


 ……よし。このぶんなら今回はトラウマレベルのホラー劇場にはならないだろう。

 そもそもとして、いくら魔法を使えるようになったとは言っても、たかが足場を作るだけの魔法で空中を飛び回るドラゴンを追いかけるのは難しいはずだ。

 今回は前回と違って、私の魔法が主力になる。そしてその私が速攻で終わらせることでシィナの出番をなくしてしまえば、シィナのアレな一面も解放させることなく万事解決だ。

 ふっ、さすが私。完璧な作戦だな。


 これから先の明るい未来に思いを馳せながら、私は依頼用紙を受付へと持って行ったのだった。


 ――なお、その後のファイアドラゴン討伐にて、ドラゴンを捕捉したのち、私が魔法を放つよりも早くシィナが飛び出して超立体的な機動により一瞬でドラゴンを粉微塵にしたのは余談である。

 そうして降ってきた血と臓器の雨にさらされながら、笑顔で「ほめてほめて!」と言わんばかりに駆け寄ってきたシィナに、がくがくと震えていたことも余談である。

 斬り刻まないとはいったいなんだったのか。

 シィナいわく「たの、しく……て……つい……」とのことらしい。


 ふ、ふぅん……たの、楽しかったんだぁ……。

 あ、あああれが……あれ、ああ、あれ、あれが、た、たの、あれ、たのし。

 うぅわあああああああぁもうやだぁああああああ! たすけてふぃりぁあああああっ!


 それは、もう二度とシィナと一緒には討伐依頼を受けないと固い誓いを立てるような、そんな半日間だった……。

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