第10話:空気の読めない男、捨てられる女

 人目を惹くほどの長身の外国人女性が三条大橋を、まず頭はぶつけないと思われるものの、彼女は用心深くも少し屈んでから橋をくぐるのだった。


 彼女はバッグからスマホを取り出して、この光景を撮影しなければと使命感にも似た感情に突き動かされて川縁に等間隔で座っているカップルたちを写真に収めた。


 彼女が現在見ているカップルたちの間隔は5メートル間隔だが、日も暮れて夜になると、さらに納涼床の季節になれば2メートル間隔にまで縮む。


 この、まるで計算されたかのような等間隔は、心理学が働いているのか、はたまた物理学が働いているのかは定かではない(こういう毒にも薬にもならない事には諸説はいろいろあるものなのよ)。


 さらに、この現象が三条大橋以南→四条大橋以北に集中していることも不思議現象とされるのに一役買っている。

 しかし世間では、これを“暗黙のルール”の一言で片づけてしまい少々切なさを感じなくもない。


 カップルに挟まれ川縁に独り座っている外国人男性が彼女に手を振り声を掛けてきた。

「やあ、レイン。こっちだよ」


「彼らの言葉で言ったら、今の貴方は“空気の読めないヤツ”ね」

 彼女は肩をすくめながら男性を皮肉った。


「何の事だい?」

 やはり空気の読めないヤツ。

 一人で鴨川を眺めるのならば、せめて三条以北でないと、例え外国人であろうと男性一人では目立ちすぎる上に、明らかに“配慮の欠ける人”扱いを受けてしまう。

 事実、彼女が現れるまで、両隣のカップルの嫌そうな顔といったら…レインは彼らに対して申し訳なさそうに男性の隣りに腰掛けた。


 まあ、どうでもいいわとレインは話を振っておきながら自ら答えを告げることなく早速本題に入った。


 男性の胸に新聞の束を叩き付ける。


「今週だけでエレメンツの仕業と思われる事件が5件も発生しているわ。明らかにスノーが持ち出したエレメンツの種を発芽させた人間が悪事を働いているみたいね。フォグ、任務を遂行するためとはいえ、この国の警察に目を付けられるようなマネは控えてもらえないかしら?」


「スノーが私の元から持ち出した種は15個。その内5つも発芽したのか。すごい確率じゃないか。本来なら1割もいれば上々といったところなのに」

 顎に手を当てて感心しているフォグに、レインは新聞紙を棒状に丸めると加減する事なく彼の頭を叩いた。


「感心している場合じゃないでしょ!エレメンツの存在は最高機密なのよ。刈り取りをするにしても誰に種を蒔いたのか、把握できているの?」


「いいや」フォグは頭を振るも「だけど心配には及ばないよ。僕が渡された種は君たちのコピー・エレメンツの危険性を完全に取り払った、いわゆるモンキー・エレメンツで、発芽してもせいぜい60日ほどしか実を結んでくれない。その後は“ただの人”に戻るだけで何の心配も無いよ。だから安心して」

 乱れた御髪おぐしを整えながらレインに説明した。

 だけど、レインの形相はさらに厳しさを増し。


「属性は把握していても、能力は個人によって様々なのよ。どんな能力を有しているのか?全然分からないのに、そんな猛獣と何ら変わらない連中を60日も野放しにはしておけないわ」


「だからってキミのNbニオブのナンブをこの街に放す方が世の中を混乱させるんじゃないかい?僕は君にだけは大人しくしていてもらいたいんだけど」

 馴れ馴れしくもレインの肩に手を回して彼女をなだめようと試みるも、見事にその手をパシンッ!と強く叩かれてしまった。


 川上から流れてくる川風に髪を乱され、レインは手櫛で髪を整える。


「私が一番危惧しているのは、私たちが実らせたエレメンツはサンジェルマンの研究資料から得た劣化版でしか無いこと―」

 説明の途中だというのに、フォグは“『得た』とは物は言い様だね”と表情で彼女をちゃかしているのが解る。


 かつてサンジェルマンの屋敷に強行突入した法王庁の手の者によって現場に残されていた資料を基にエレメンツを開発したものの、核心部分が欠けていたせいでオリジナルには程遠い代物しか完成にこぎつけられなかったのが彼らの持つ“種”の現状である。


 レインの熱弁はまだ続く。

「そしてサンジェルマンはきっと匣を守るためにオリジナルのエレメンツを実らせた人間を護衛に付けているはず。その人物を下手に刺激して“経験値”を稼がせたりしたら、それこそ私たちでは手が付けられなくなってしまう。だから、その事を熟考して行動して欲しいの」


「誰かも解らないオリジナル・エレメンツの宿主との戦いは極力避けて確実に仕留められる確信を得れば抹殺をしろとは、これはまた超難題を吹っかけてくれるね、レイン」

 左の眉毛だけを上げて笑って見せる。この男はとことん人を食った態度を見せてくれるわ。


 呆れたものだ。

 組織の名前をさも自身の名のように名乗った挙句あちこちに金をばらまいて猟犬を放つわ、本来始末屋でしかないスノーに単独行動を取らせるわで、もしかしたら、スノーに種を盗まれたというのは“わざと”では?とついつい疑ってしまう。


「戦闘も抹殺も必要事項ではないわ。我々の目的はあくまでも匣の奪取とサンジェルマンの確保ということ。その事をくれぐれも忘れないでちょうだい」


「はいはい了解です。レイン様。貴女の仰せのままに」

 了解しつつ、両手の人差し指を自身の両目に当てがってレインの両目に一直線に移動させる素振りを見せた。と。


 彼のその両手をレインは力一杯に叩き落とした。

「次会った時にそれをやったら殺すわよ」

 冗談交じりのフォグの目とは対照的にレインの目は険しさに満ちていた。


「キミに殺されるのなら本望だよ。だけどナンブに殺されるのは御免被りたいね」

 ついでにハハハと笑いを添えて。


「レイン。キミが先にこの場から立ち去りなよ。男の僕が先に発ったら、まるで捨てられた女になってしまうよ。それでもいいのかい?」

 即座に立ち上がらない理由を告げると。


「チッ!!」

 レインは何も告げず、ただ舌打ちを鳴らしてフォグの元から立ち去った。





 時同じくしてー。


 自身を尾行していた少女を追っていた田中・昌樹はとあるアクシデントに見舞われていた。


 地面に着かないよう注意していた足が、壁にくっ付いて離れなくなってしまったのだ。


 今度は踏ん張ったてはみたものの、引き剥がせそうにない。困った。心底困った。


 足音が接近してきているのが分かる。

 ベタ足と呼ぶべきか、とにかく足の裏全体で地面を蹴っている走り方。


 方向どころか距離まで正確に掴めそうだ。


「参ったな…」

 少女が接近してきたところで困ることなど一つも無いが、とにかく壁から足が離れてくれないと家にも帰れない。


 ふと気配を感じたので反対方向の通路の角に目を向ける。


「あっ」

 驚くあまり、つい声を発してしまった。


 今一瞬だったけど、顔から頭の天辺から黄色の男性がこちらを覗き見ていたよな?

 エリンギみたいな頭をしたヤツが。


 何であんなのがいるんだ?


 ここからだと大学も近いし、大学生が何かの仮装でもしているのかな?


 ふと湧き起る発想を抱いている自分を否定したい思いに駆られる。

 その発想とは?


 ー黄色だって?―



 壁にくっ付いてしまった脚へと目を移す。


 まさかな…。


 たまたま色が同じじゃないのか?一度は否定したものの、何故か自身を納得させようと試みる昌樹であった。





◇ ◇  ◇  ◇  ◇


 エレメンツの仕様


 オリジナル・エレメンツ:Ag(宿主:田中・昌樹)


 コピー・エレメンツ:Nb(宿主:レイン)


 モンキー・エレメンツ:C(宿主:那須:きなこ)


 不明:Fe(宿主:スノー)


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