第164話

 その歓声に、崇人は何が起きたのか理解できなかった。

 先ずそれについて理解する必要があった。

 歓声の湧き上がる方向を見て――彼は絶望した。

 はじめに、それはボールに見えた。兵士と思われる男が檀上で、紐のついたボールを持っている。顔と剣には血が付いている。そして、断頭台にはマーズの身体が――。



 ――首から上が無い形で、横たわっていた。



「……マーズ?」


 改めて、兵士が持っているボールを見る。

 よく見るとそれはボールでは無い。紐のように見えていたものは、紐に比べれば細く繊細で、いつ切れてもおかしくないものだった。ボール本体には赤い液体がべったりと付着しており、もともとの『肌色』が見えにくくなっている。そしてボールに付属するのは開いたままになっている目と、鼻、それに口――。

 兵士が持っていたのは、マーズ・リッペンバーの頭部だった。


「諸君、マーズ・リッペンバーは処刑された。彼の『災害』の主犯と呼ばれているタカト・オーノと協力し、国家を転覆させようとした罪について、裁かれたのだ」


 静かに、告げる。


「まああああああああずうううううううううううううう!!!!」


 崇人はスピーカーの電源がオンになっていることも構わず、叫んだ。

 そしてヴィエンスと戦っているのも無視して、走る。

 目的地は、ステージ。


『おい、馬鹿! ……あのままだと、国民を踏み潰しちまうぞ!』


 ヴィエンスの言葉も、今の崇人には届かない。


「国民を踏み潰す? そんなことはどうだっていい! マーズが、マーズが、あああああ!」

「ハハハハ! 見よ、あれがインフィニティだ! 最強のリリーファーと謳われたリリーファーを乗りこなす起動従士だよ!」

「許さない……許さないぞ……!」


 インフィニティが駆動する。

 足元に居る人々を気にせずに。

 吹き飛ばされ、踏み潰され、無残にも死んでいく人々を余所目に。

 崇人はもう、何も考えられなかった。

 マーズが死んでしまった。

 マーズが無残な姿になってしまった。

 それを、見てしまったから。


「お前は……お前だけはっ!!」

「殺す、か?」


 マーズの首を持ったまま、兵士は見上げる。

 インフィニティはもはや暴走寸前だった。いつ十年前のようになってもおかしくないだろう。

 兵士は――帽子屋はそれを狙っていた。

 暴走へと持ち込むことで、彼の考えている計画の完成形へ一歩近づく。

 そのためには、暴走が必要不可欠だった。


「インフィニティに引き寄せられるように、一機のリリーファーがやってくる。それは神への挑戦だよ。この世界を作り上げた神の……階段を上る第一歩とも言えるだろう」


 暴走するインフィニティの攻撃を避けるため、或いはインフィニティの攻撃を受けて死んでしまったため、人々は広場に居なかった。

 ただ一人、帽子屋だけが檀上に立っている。


「世界は大きく変わろうとしている。その選択を、その特異点は君だ。君に委ねられている。世界は、君によって委ねられていると言ってもいい。ただし、この世界は案外シンプルに構成されている。良くも悪くも、君が『生きたい』世界へと変貌を遂げる。その選択をするのは君自身であるし、君自身が責任を負わなくてはならない」


 インフィニティの動きは止まらない。

 帽子屋は微笑む。


「僕を殺してもマーズ・リッペンバーは戻ってこない。それどころか、世界はあっという間に滅んでしまうだろうね。君という存在が世界に齎す影響は途轍もないということだよ」

「でも、お前がマーズを殺したことには何も変わりはない……!」


 首を横に振る帽子屋。


「そうだね、間違っていない。けれど、僕の計画は必ず実行される。君がどのように動いたとしても……最終的には一つの結果へと導かれる。それは紛れも無く、僕の考えた結末だよ」


 帽子屋は笑っていた。

 世界を操作する、その計画を――その一端を、崇人に伝えることが、ここでの彼の使命だった。それを行うことで、今後有利に進むことが出来る。そう考えたのだ。

 だが、それでも彼は諦めない。


「たとえお前たちの敷いたレールに従っていたとしても……脱線してでも、俺は平和な世界を生み出してやる! 誰も死なない世界を、俺は、あいつを、エスティを失った時に誓ったんだ……!」


 それを聞いた帽子屋は小さく鼻で笑った。


「宣誓、ねえ! そんなもの意味など無いのだよ! 僕たちの計画の範疇ではねえ!!」


 帽子屋は高らかに笑い、そして、床にマーズの頭を置いた。


「お前の考えなどどうでもいい! 今は、マーズを殺したお前を殺すだけだ!!」

「それが、ほんとうに出来ると思っているのかな?」


 帽子屋は跳躍する。

 一瞬でインフィニティのコックピットと同じ高さまで跳躍した帽子屋は、ニヤリと笑みを浮かべる。


「別に僕は悪いとは思わないけれど……、僕をここで倒そうと思うのならば、その考えを少しはただしたほうがいいと思うよ。無理難題だ。僕はここに生き残る。計画の最後を達成するまでは、生き残るのだよ。生き残らなくてはならない。生き残らなければ、この世界が最善な方向に進むことは無いのだよ」

「進まないとか進むとか、そんなことはどうでもいい!」


 腕を動かし、帽子屋にダメージを与えようとする。

 しかしながら、それを予測しているのか、帽子屋には一切ダメージが入らない。


「……どうして、マーズを殺した?」

「未だ冷静でいられるのだね。それはそれで、面白い。いいサンプルになる。君は特異点だ。それは前も言ったかもしれないが……、それによって世界がどうなるのかは、君が知る必要も無い」

「世界がどうなってもいい」


 崇人は即答する。


「マーズを殺したお前だけは、殺してやる。マーズと同じ目に合わせる。苦しんで、泣いて、叫んで、命乞いをしたとしても、絶対に許さない。マーズはそうやって苦しんで死んでいった」

「……僕は、彼女を苦しみから解放したんだよ?」

「解放? ふざけている! そんなことが有り得るか!」

「有り得ないことは有り得ない。どこかの人間がそんなことを言っていたね。まあ、それをどうこう言うつもりは無いけれど、僕は敢えてこれを言い続ける。彼女は苦しんでいた。それは生き死にの問題では無く、もっと根本的なものだ。解決するには、そうするしかなかった。だから僕はその――」

「手助けをした、っていうのか? ふざけるな! マーズがそんな選択をするはずが」

「ない、って?」

「ああ!」

「そんなこと、ほんとうにそうだと言えるのかい?」


 そうだ――とすぐに彼はその言葉を言うべきだった。

 しかし、彼の口はそれを言おうとはしなかった。

 頭では言いたかったのに、身体がそれを否定した。

 帽子屋は微笑み、インフィニティに触れる。

 駆動時、インフィニティの機体は五百度を超える高温になる。だから、人が触れることなんて出来ないはずだった。

 だが、帽子屋はそれを素手で触れている。それもまた、帽子屋が人間では無い別の存在であるということを示しているようにも見えた。


「さあ、ゲームをしようじゃないか……タカト・オーノ」


 帽子屋はインフィニティのコックピットがある凹凸に腰掛けて、そう呟いた。

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