第136話

 ヴァリス城地下。

 インフィニティ格納庫。

 二人の作業員がインフィニティ格納庫を清掃している。


「しかしまあ……ここはほんとうに使う機会が少ないなあ。なのにどうしてぴかぴかに磨いておく必要があるんだ?」

「知らねえよ。ただ一応、いつ出撃してもいいようにきれいにしておくんだよ。それが俺たちに課せられた仕事だ。何も言わずにただ言われたことをこなすのがプロってもんよ」

「まあ、そうなんだろうけれどさあ……。あんまり綺麗すぎて汚い場所が見当たらないぜ? さっきから埃一つみえやしねえ。もうお終いにしてしまいたいくらいだ」

「……まぁ、確かにそれもそうだな。ここが使われる時は国が相当ヤバい時に限られるからな。即ちここが使われていないということは国が未々安心ってこった。平和でいいことじゃねえか」

「それもそうなんだがなぁ……」


 会話を切り上げ、清掃を再開する作業員の二人。

 しかし既にそれなりに綺麗になっていたのもあって――そう磨かなくとも床は埃一つ無い綺麗な状態へと姿を変えた。


「どうよ! ここまで綺麗にすれば仕事した実感が湧くってもんよ!」


 えっへんといった感じで作業員は鼻高々な様子。

 その時だった。



 ――ミシッ。



 亀裂が走ったような、そんな音がした。

 正確には亀裂というよりも何かが動き出したような音。


「……お、おい。今何か動いたような音がしなかったか?」

「動いたような音? ……いや、そんな音は聞こえなかったが」

「ほんとうか? ほんとうに聞こえなかったのか?」

「何だ、疑り深いな。聞こえなかったと言ったら聞こえなかったよ。それ以上でもそれ以下でも無い」


 しかし。

 その音は不規則に、徐々に大きくなってくる。

 彼ら作業員も無視できないほどに。


「おい……やっぱり聞こえないか?」


 その言葉に今まで聞こえなかったほうの作業員も漸く慌て始めた。


「ああ、聞こえるよ……」

 振り返り、その音源を見る。


 そこにあったのは、インフィニティが堂々と動く姿だった。


「インフィニティが……動いてる……!」


 二人の作業員は驚愕する。

 当然だろう。あれには何も載っていない。誰も載っていない、要するに『無人』状態にある。


「おかしいだろ。あれは無人状態の筈だぞ!? どうして、動いてやがるんだ!!」

「そんなこと俺が知っていると思うか?! とにかく逃げるんだよ! あいつの進路上に居たらぺっちゃんこになっちまう!!」


 人が載っているという確証も掴めないまま、二人の作業員はインフィニティの進路から外れるように避けた。

 インフィニティは、まるで人間のように大きく頷くと、ゆっくりとゆっくりと飛び上がっていった。

 壁を、天井を破壊し、飛び立っていった。

 ただ作業員の二人はそれを唖然とした表情で見守るしか出来なかった。



 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇



「インフィニティを呼び出しました。あと数分もすればコロシアムに到着します」


 うつろな目をした崇人はヴァルトに告げた。

 ヴァルトは笑みを浮かべながら、崇人に頷き、彼の頭を撫でる。

 崇人はそれを受け入れ、ただ頭を撫でてもらう。


「よく出来た。さすがはインフィニティの起動従士、と言ったところか。世界を我々のものにする計画……それが順調に進んでいて僕は嬉しいよ。そして、その計画にインフィニティを利用出来ることも嬉しい」

「自分はリーダーの考える計画に参加することができて、光栄です」


 トーンの上下もない、作られたような調子。

 しかし崇人はこれが普通だった。もしかしたら抗っている可能性も考えられるが表面に出ていない時点でそれも水の泡、行動をしているのは洗脳の証拠だ。


「アインにはあとで大量の金をくれてやらんとな……。それにしてもあいつ、地位などいらぬと言っていたな」


 ヴァルトは疑問を呟く。それは、先程アインとの会話であったことだ。

 アインとヴァルトは金銭のやり取りをした。それはアインが崇人の洗脳を実施したからだ。そして、現にアインは崇人の洗脳を完了させた。だから、それに見合う報酬を支払った。

 ヴァルトとしてはこのアインという存在を手放したくなかった。アインとは今回だけの付き合いとなっていたが、アインが望むならば専属として、それなりの地位を与えるつもりだった。

 だが、アインはそれを望まなかった。金銭だけ受け取るとそのまま姿を消してしまったのだ。


「……まあ、今となってはどうでもいいことだが、ある意味惜しいやつを亡くしたと言ってもいい」

「死んでいませんがね」


 そう言ったのは『新たなる夜明け』の幹部であるレシューム・マクリーフだ。

 レシュームの話は続く。


「そもそも、あいつはどこか気難しい感じでしたよ? 俺たちが考えている別の洗脳をしたら困るから監視をつけようとしていましたが、集中が切れると洗脳が出来なくなるの一点張りでしたから」

「確かに何か裏があるのかもしれない。……だが、現に洗脳は成功している。それによって我々が得る利益は莫大と言ってもいい。少しくらい寛容であってもいいのではないか?」


 ヴァルトの言葉にレシュームは頷く。


「ま、リーダーが言うならば俺たちはそれに従うだけなのですが。とりあえず報告だけはしましたよ。注意は……一応しておいたほうがいいかもしれないですね。俺たち、世間的にはテロリストなのですから」

「そうだな。確かに今はそうだ。だが、これが終わったとき、我々は英雄になっているかもしれないぞ?」


 立ち上がり、崇人に告げる。


「タカト・オーノ。まもなくインフィニティがコロシアムに到着する。我々は君をインフィニティに載せる。そして、君にはあることをやってもらいたい」

「なんでございましょう」

「……コロシアム、そしてヴァリス城の完全破壊だ」



 ――シン、と場が静まった。



 内容を理解していないのか、崇人は首を傾げ、ヴァルトに訊ねる。


「……どういうことでしょう」

「言ったまでのことだ。このコロシアム、そしてヴァリエイブル連邦王国の首都であるヴァリス城を完膚なきまでに破壊する。そうすることで何が起こるだろうか? 想像がつかないわけでもない」

「現世界の状況を鑑みるに、ヴァリエイブルは他国から攻め入られると思われますが」

「そうだろう。だが……僕達は最強のリリーファーを保有している。そして、それを動かす鍵となる起動従士である君も、だ」


 ヴァルトは告げる。


「それによって何が引き起こされるだろうね? ヴァリエイブルの国政はずたずたになるだろう。ヴァリス、エイテリオ、エイブルの三カ国がそれぞれの権益を守るために解散する可能性もある。いや、寧ろ僕達はそれを狙っているんだよ。それによって世界のバランスを大きく崩す。法王庁もアースガルドもペイパスも、最近戦争をしたばかりだ。国力などそう回復していない。そこでインフィニティによる襲撃……世界はどうなるだろうね? きっとそれは僕が想像する以上に、君が想像する以上に、壮大で緻密で繊細な未来を迎えるだろう。それを望んだのは僕だ。そしてティパモールの民だ。過去、ティパモールを殲滅した罰をヴァリエイブルに、そしてティパモールを無視した世界に罰を与えてやるんだよ」


 言葉の後、ヴァルトは笑い出す。狂ったように笑い出す。

 狂人だと考える人間も少なくは無かった。

 だが、彼らはそれをただじっと見つめるだけだった。


「世界を変えるということを知って、僕はどれほど待ったか! 兄さんが世界を変えることを失敗してどれほど苦しんだか! 世界は戦争を繰り広げるばかりではないか! 安寧の地など無い……人間にそうつきつけるばかりではないか! ならば、どうすればいいのか」


 振り返り、崇人へ訊ねる。

 崇人は何も言わなかった。いや、正確には言う前にヴァルトが答えたといえばいいだろうか。


「簡単だよ。安寧の地を作ればいい。戦争を! 終わらせればいい! 今の歪んだ世界を、状況を! 凡てゼロに戻しちまえばいいんだ!!」


 凡てを無に帰す。

 それはかつて様々な人間が口にしたセリフにも思える。崇人の昔居た世界でもコンピュータゲームの世界で魔王たる存在がそんなことを口にしていた。

 もし、魔王たる存在がこの世界に居るとするならば、魔王はどんな言葉を人類にかけるのだろうか?


「……解りました。凡てを無に帰すため、タカト・オーノ。インフィニティとともに力を使いましょう」


 跪き、言う崇人。

 それを聞いて愉悦の表情を浮かべるヴァルト。


「そうだ。あとは凡て破壊するのみ。破壊して破壊して破壊して破壊して破壊して破壊して破壊して破壊する。それ以上の意味を持たない、人間が持つ古来の技術だ。いや、それに関しては技術すら必要としない」

「今回の目的は『破壊』、ただそれだけで宜しいでしょうか」


 ヴァルトは首肯。


「あぁ、上々だよ。計画も滞りなく進んでいる。あとはこのまま世界を破壊するのみ――」

「ならば、時間はあまり多くありません。急いで行いましょう。タカト、インフィニティが到着次第、インフィニティに乗り込み、活動を開始しなさい」


 レシュームの言葉に崇人は頷く。そして、彼は一礼して部屋を出て行った。


「……それにしても、不気味とは思いませんか?」


 訊ねたのはレシュームだった。


「なぜだ?」


 首だけをレシュームのほうに向き、彼は言った。

 レシュームは顎のほうに手を当て、


「なんというか、あまりにも洗脳が効きすぎている気がするのですよ」

「何を言っている。洗脳なんて効きすぎたほうが逆にいいのではないか? それに使いやすい存在ならば死ぬまで使う。それがいい。休暇なんて与えるものか。なぜなら、その行動に意味を持たないからだ。意味を考えないからだ」

「確かに……それはそうですが……」


 熟考するレシュームの頭をぽんぽんと叩くヴァルト。


「安心しろ。あいつは大丈夫だ。仮になにかあったとしても、僕が赤い翼を守る。それだけは、約束しよう」


 ヴァルトの言葉に、レシュームはただ頷くだけだった。



 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇



「ああ、こんなところにいらっしゃった!」


 通路を進んでいたマーズたちは、背後から迫ってくる声に気づき足を止めた。

 近づいてくる声はどこか聞き覚えのある声でもあった。

 燕尾服に身を包んだ、執事めいた男性。


「確か……グランドさん?」


 息も絶え絶えに到着したグランドだったが、息を整える暇もなく、言った。


「緊急事態です。急いでコロシアムにお戻りください! 大変なことが起きようとしているみたいなのです」

「……ここで話しなさい」


 マーズの目つきが鋭くなる。

 彼女の言葉を聞いてグランドは頷くと、語り始める。


「現在国がティパモールとこの付近一帯に非常事態宣言を発令しました。それによりこの付近とティパモール近辺の住民の方々は直ちにヴァリス城へ避難する必要が出てきました。しかしながら手が足りずどうすればいいのか我々も困っていたのですが……まもなくイグアス大臣を筆頭に部隊が到着するとのことで」

「ちょっとまて! 部隊? 避難? 非常事態宣言? そんなこと聞いてもいないし、それを発令することの重大なことが起きたというのか!?」

「起きたよ、今ここで」


 声が聞こえた。

 一歩、また一歩とゆっくりこちらに向かってくる。

 そして、漸くその声の主の姿が見えてくる。

 その存在は黒い服を着ていた。しかしそれは恐ろしい程に肌を隠していなかった。豊満な胸が殆ど露わになっていたし、黒い鍔の広いとんがり帽子を被っていた。背中も恐らく殆ど見えているのだろうが、黒いマントでそれは見ることができない。

 笑みを浮かべて――いわゆる『魔女』がそこに立っていた。


「あら……。どうやら、私の聞いていた話とは違ったストーリィになっているみたいね」


 魔女は言った。

 マーズは魔女をにらみつつ、訊ねる。


「どういうこと?」


 魔女は妖艶な笑みを浮かべ、


「私の聞いていた話だとここに、この間戦った少年も来るはずだったのだけれど……ああ、そうだった。少年はさっさと捕まって、今はアインの指示を受けているのだったっけ。私としたことが忘れていた」

「……ということはあなたを倒して先に進めばタカトは居るのよね?」


 マーズは護身用に所持していたナイフを取り出す。

 それを見て魔女は高笑い。


「あなた……魔女にそれで挑むつもり?! 流石に笑っちゃうわ……。馬鹿なんじゃないの?」

「馬鹿かもしれない。でも、私はあなたを倒さねばならない。私たちは! あなたを倒して、タカトに会わねばならない!」

「それもそうよね。インフィニティを悪用されれば世界は滅ぶかもしれない。あの坊ちゃんはそれを思って、あの子を使っているのかもしれないけれど。……はっきり言って私たちにはなんの関係もないわ。シリーズがそう言っているから、指示に従っているというだけ。あの白い箱庭から滅多に登場しなくなったシリーズの代わりに、外の世界で汚れ仕事をするのが私たち『スナーク|狩り≪ハント≫』の仕事なのだから」

「スナーク狩り……」


 マーズは魔女の言葉を反芻する。

 魔女はゆっくりとこちらに近づいてくる。


「……でもそんなこと覚えてなくても別に構わないわよ。だって、あなたたちは――ここで死ぬのだから」


 持っていた杖を、振り翳す。


「――雷の力を、我に与えよ!!」


 雷撃が、電撃が、降りかかる。雷撃はちょうどマーズの一歩前辺りに直撃した。

 冷や汗をかいた彼女だったが、それでも後退することは無かった。


「ヴィエンス、コルネリア、それにリモーナ。あなたたちはグランドさんの指示に従ってさっさと逃げなさい」

「そんな……!」


 マーズの言葉に動揺する一同。

 いち早く行動したのはヴィエンスだった。


「……コルネリア、リモーナ。行こう。助けを待っている人が居る。それを救うのも、俺たち騎士団の役目とは思えないか?」

「救う、騎士団? あんたたち、ほんとに救えると思っているのかしらぁ?」


 おちょくっている。

 魔女は彼らの感情を逆なでしていた。


「何が言いたい!」


 コルネリアは一歩前に出て、魔女に進言する。


「簡単よ。……これからやってくる部隊とやらは民衆を救いに来たのではない。混乱を収束させに来たのよ。そのためならばどんな犠牲も厭わない……。部隊はそう考えている。少なくともそのリーダーを務める、イグアス・リグレーはね」

「イグアス大臣が……!? まさか! そんなこと……」

「有り得ない、って?」


 マーズの言葉に返す魔女。

 彼女の心の隙間に入るように、ねっとりと粘っこく言う。


「……一年前の『赤い翼』の事件。あなたも覚えているでしょう? 事態を収束させるためならばどのような犠牲を払ってでもいい。そんな命令をあなたは受けたはずよ。忘れたとは言わせない。今が平和の世界だからそんなこと忘れてもいい……そんなこと思っていたのかしら? だとしたらその甘い考えは捨てたほうがいいわね。だってこれから始まるのですから。大いなる時代が。人間がどん底まで叩きのめされ、生きていく、そんな『冬』の時代が!」

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