第116話

 メールを送信したところ、返信が全員から来たのはそれから十分後のことであった。

 マーズはそれを確認する崇人を見ていた。

 崇人はその気配に少しだけうんざりしながら眺めていく。どうやら全員が参加するらしい。まあ、参加しない人はいないだろうと考えていたのでそれは崇人の想定通りであるといえる。


「……とりあえず全員が明日でOKらしい。僕もそのように回答しておいた」

「そう。ありがとう……助かったわ」

「それくらい覚えて欲しいもんだよ、まったく」


 マーズは崇人の苦言に両耳を塞いで聞こえないふりをして、そのまま自分の部屋へと入っていった。



 ◇◇◇



 次の日。

 騎士道部の部室にはそれに似つかわしくないものが置かれていた。例えば冷蔵庫、例えばブルーシートなどだ。

 冷蔵庫は百歩譲としてもブルーシートを使う理由が到底理解できないだろう。少なくとも今現時点で騎士道部に所属している人間しかそれは到底理解できないことであるのは事実だった。


「……時間は今日の午後。授業が終わってからね。授業は確か早く終わるはず……よね?」

「一年生はそうだろ。二年生は午後アリシエンス先生の講義があるからサボタージュは無理」


 崇人の言葉を聞いてマーズはがっくりと肩を落とす。

 崇人はそれを見て小さく溜め息を吐くと、


「無理なもんは無理だよ。訓練とか演習ならともかく、単なる顔合わせとそれに付随する話し合いだけだぞ。嘘でも言えば何とかなるかもしれないが、万が一後でバレれば何されるか解ったもんじゃないし、下手したらそれを教唆したってんでマーズまで何か言い種をつけられる可能性だってあるわけだな」

「まぁ、そりゃ解りきった話よ。ただ午後の自由が確定しているなら午後イチでやっちゃおっかなーって思っただけ」

「なるほどな」


 崇人は頷く。それも道理だ。


「でも、そうだとしても、二年生が午後イチから参加は無理だ。まぁ、一時間しか無いし、それに『大会』云々はアリシエンス先生も知っているはずだからな。延長とかは無いだろ……きっと」


 そう言って崇人は目線を横に逸らす。余談だがアリシエンスは話の大好きな人間である。リリーファーのことを話していたのに気付けば料理のレシピとか味の好みの話をしていたり……そういうのがざらにある。そのためかアリシエンスの持つ講義は基本的に二時間或いはその後が何もないところに置かれている。今までの最大は一時間の講義で授業が七週連続進まなかったことだろう。言わずもがな、その七週分は雑談で消滅している。

 それを見てマーズは歩き出す。


「まぁ、いいわ。もう一時間目も始まっちゃうわよ? 遅刻して怒られるのもつまらないんじゃないかしら」

「そう言われたらマーズのことを手伝っていたから遅れました、とでも言うさ」

「いくらなんでもそれってひどくない? 責任の押し付けだよね?」

「さぁどうかな」


 そう言って崇人は笑みを浮かべ、教室の外に出た。マーズもそれを見て後を追う。


「それじゃ、また授業が終わってからということで。授業が終わり次第追いかけてちょうだい。私たちは午前の授業が終わってからすぐに向かうから」

「ああ、解った」


 鍵を締めたのを確認して、マーズと崇人はそこを後にした。



 ◇◇◇



 午前の授業が終わったシルヴィアたちはマーズに言われたとおり、騎士道部の部室へとやってきていた。既に部屋は空いていて、中に入るとマーズが出迎えてくれた。


「やっぱり一年生は午後の授業はないってことでいいのかしら?」


 マーズが訊ねると、シルヴィアは頷く。

 それを見てマーズは心の中で溜息を吐いた。もしこれで一年生もダメだった……ということになればこの時間に行くことが出来ない。メリアにはこの時間からだと言っているので、今更時間変更を申し付けても何かぐちぐちと言われるに違いなかった。


「……まあ、いいわ。とりあえず荷物を持ってもらえる? これから鉄道でターム湖の方まで向かうから」

「こんなにたくさんの荷物を……どうやって?」

「それは新入生の腕の見せどころでしょう?」


 それを聞いてファルバートは、一歩前に出る。


「それはどうなんでしょうか。もともとマーズさんがやろうと言い出したものです。マーズさんが何らかのことを実行しておく或いは準備しておくのが常なのではないでしょうか」

「ふむ……」


 ファルバートの言葉を聞いて、マーズはなにも言えなくなってしまった。だって彼の言っていることは間違いないのだから。


「まあ、いいわ。これは私が何とかしておくからあなたたちは先に駅に行ってなさい。私も後で追うから」


 そう言って新入生たちを強引に外へ引きずり出したマーズ。最初は疑問を浮かべている新入生だったが次第にことを理解し、散り散りに駅へと向かっていった。

 それを見てマーズは溜息を吐く。

 先ずはこの大量の荷物をどうすべきか。

 さて、どうすべきだろうか?


「うーん……」

「どうなさいましたか、何かお困りのようですが」


 その声を聞いてマーズは振り返る。気づくと扉の前にはアリシエンスが立っていた。


「あ、あれ……アリシエンス先生、午後は二年生の講義があったはずじゃあ……」

「それがね。なんでも課題に支障をきたしそうだったから、それじゃ来週もあるから、ということで自習に」

「そうだったんですか。課題というのは……」

「ああ、いや。私の教科ではありませんよ? 課題は出さない主義ですから」


 そう言ってアリシエンスは鼻を鳴らす。いや、実際問題そこで偉ぶる気分にはなれないしなれるわけがないのだが。別に課題を出さずとも一定の評価基準のもと、評価を行っている先生だっている。いないわけではない。

 ただ、実際には評価するのが非常に面倒であり――学生を無事進級させるための口実とはいえ、課題を出すのを渋る先生がいるのも事実である。アリシエンスもその一人で、彼女の出す小テストにより成績が決定される。


「先生の問題は難しいと評判ですよ」


 そう言ってマーズは笑う。

 それを聞いてアリシエンスは目を丸くして、


「あら、それは予想外でしたね。私としては随分と簡単に作ったつもりなのに」

「そりゃ、エリートで最前線を突っ走ってきたあなたと、今の世代しか解らない学生の言葉を同義と思っちゃいけませんよ。昔と今は大きく変わってしまったんですから、それを理解しなくては」

「なんだかあなたに言われるとは思わなかったわ」


 アリシエンスは一歩踏み出し、部屋の中へと足を踏み入れる。


「ところで、何かお困りのようでしたが?」


 そこでマーズは思い出した。そうだ、そうだった。サクラを見に行くための器材を入れる袋のようなものを探していたのだった。

 それを簡略化してアリシエンスに伝える。はっきり言って今の彼女の行動は部活動中ほかならないのでほかの先生に協力を得るのはあまり好ましくない。けれど、アリシエンスはその笑顔を崩さずに、


「ははあ、なるほど。解りました。それじゃその素材はなんでも構いませんので? 魔法を使った素材でもじゅうぶんに結構である……そういうことでいいんですよね?」


 その言葉はマーズが伝えたかったこと、そして今さっきマーズが伝えたことを簡単にかつ解りやすくまとめたものだった。さすが長年先生としてこの学校にいるだけあるというものだ。

 アリシエンスは首を傾げる。


「えーと……ないことにはないですが」

「それは?」

「――魔導空間を利用した収納ですよ」


 魔導空間。

 名前のとおり魔法によって導かれた空間のことをいい、この空間では上も下も理解出来ない。それどころか重力が働いていないため、そこにいる存在は常に浮いているのだ。

 その魔導空間に収納? どういうことだろうか……マーズは問おうとしたとき、アリシエンスがあるものを取り出した。


「ほんとは私のものでしたが、少しの間お貸ししましょう。別に減るものでもありませんし」


 そう言ってアリシエンスが手渡したのは、がま口の財布だった。小さい財布で小銭が幾らか入ればもうその財布は満杯になってしまうだろう。そう考えるほどの小ささだった。


「……これが魔導空間と繋がっている、というんですか?」


 こくり、とアリシエンスは頷いた。

 アリシエンスがそう言ったとはいえ、そう言われた当の本人が未だに訝しんでいた。魔導空間による収納……そんなことが本当に可能なのだろうか? ということについてだ。

 アリシエンスの言葉を嘘だとは思いたくなかったが、しかし俄には信じ難いものだということは事実だ。


「……魔導空間に不安を抱いているのですか? 別に問題ありませんよ、魔導空間は『絶対に』不具合を起こすことなどあり得ません」

「絶対、ってそれ何か起きるフラグだと思うんですよねぇ……」


 マーズは呟いたが、敢えてなのか偶然なのかアリシエンスはそれを無視して、話を続ける。


「まあ、話をするより実際にやってみるのが一番ですよね」


 そう言ってアリシエンスは財布の口を開けて、ブルーシートを中に入れた。ブルーシートの大きさと財布の口の大きさはもちろん一致しない。ブルーシートのそれが大きく上回っているのだ。自然、入ることはないだろう。


「……入るわけないですよ、アリシエンス先生。やっぱり別の方法を――」


 ――考えましょう、とマーズが言ったその時だった。

 ブルーシートの端がゆっくりとそのがま口の中に入っていくのをマーズとアリシエンスは目撃した。マーズは目を丸くさせ、それに対してアリシエンスは笑みを浮かべる。


「どうでしょう? きちんと入りました。お貸ししますが……それでもどこかおかしい点でもありますか?」

「い、いえ……。あの、さっきは……その……!」

「いいんですよ」


 アリシエンスは優しくマーズに語りかける。


「無知は悪いことではありません。それを理解しないまま振りかざすのが悪いことです。あなたはいま、ひとつの知識を学んだではありませんか。それでいいのです。いいんですよ」


 マーズは、頭を下げ続けていた。


「だから、顔をあげてください。こんな場面見られちゃうと私の方が困ってしまいますから」


 アリシエンスの言葉を聞いて、マーズははっと気づく。そして急いで顔をあげると、


「ほんとうにすいませんでした」

「いえ、大丈夫ですよ。それじゃ……これをお貸ししますね。あとどう使うかはご自由に。返すときは私の教員室にでもお願いしますね」


 そう言ってアリシエンスは部室を後にした。



 ◇◇◇



 マーズは梱包を済ませ、部室を後にした。それはシルヴィアたちが出て僅か十分後のことだった。梱包、とはいったものの実際にはブルーシートや食べ物などをすべてアリシエンスが貸してくれた魔導空間へと繋がっている財布に入れただけに過ぎない。もちろん若干整理はしたが、いかんせん中が見えないためにきちんと整理はできていない。もしかしたら中では乱雑になっている可能性も充分にありえるのだ。

 それはそれとして。

 マーズは遅れたことを謝罪するためにスマートフォンを手に取った。スマートフォンでメールを送るためだ。そのアドレスは既に崇人経由で聞いているために問題はない。ただ、彼女たちが知らないために受け取りを拒否される可能性も充分に考えられるが、その場合は改めて電話でもすればいいだろう。そう思って、件名に、マーズである旨を打ち込み、本文に、これからターム湖へと向かう旨を打ち込んで送信した。

 崇人がいうようにマーズはこういうところが疎いらしく、よく理解できていないところが多い。だが、マーズはスマートフォンの画面に映し出される送信完了の画面を見てほっと一息吐くのだった。これが出れば確実に送信できている――ということを崇人から聞いているためだ。裏を返せば、マーズはそれほど通信機器に疎いということになる。じゃあ、今までどうやってほかの人と連絡をとっていたのか? という感じになるが、崇人曰く、電話で凡て行っていたのではないかということだ。メールとかそういうものを使わずとも電話するなり直接会いにいくなりしていたからこそ、メールという電子的な書式を知らないということである。


「……まあいい。とりあえず向かうとしよう。えーとターム湖へと向かうには……」


 マーズはスマートフォンを操ってウェブブラウザーを起動する。素早く検索ウインドウに駅名を打ち込んで、検索をかける。

 ネットというのは非常に素早い世界である。零コンマ何マイクロ秒遅れるだけでほかの通信会社に遅れをとってしまう。人間の活動している時間軸よりもはるかに小さい時間軸で戦われる世界、それがインターネットというものである。

 検索画面に出てきたのは鉄道会社のホームページだ。それを見てマーズは直ぐにスマートフォンを仕舞った。どうやら解決したらしい。


「……それじゃ、改めて向かいますか……!」


 そしてマーズもターム湖ほとりの運動公園へと向かうべく、先を急いだ。

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