第90話
「私が今安全を確認しておきたいこと、そして取り返しておきたいものがあるわ。それはリリーファーと騎士団のみんなよ」
「騎士団の人たちはフレイヤが入っていた牢屋とは別区画の共同牢に入っていると思う。本当ならば先にそちらを助けておくべきかと考えたが……先ずはリーダーである君を助けるのが先決であると考えた」
「……それってつまりどういうこと?」
「死を待つ人間がやることってのはね、案外想像がつかないものだよ」
フレイヤとアルジャーノンがその共同牢に着いたのはそれから数分も経たないうちのことだった。フレイヤは今両手に手錠をかけられている。理由は簡単で、こうであれば他の人間に疑われることなく地下牢を動き回ることが出来る――そう考えていたからだ。
しかしその考えは、あまりに甘かった。
共同牢のある空間は血の臭いで立ち込めていた。そして壁や床や柵のいたるところに血がべっとりとついていた。
「これは……いったいどういうことだ!!」
床に転がっていたのは、人間だったもののその成れの果てだった。
そして共同牢の奥から咀嚼音が聞こえてくる。咀嚼音だけではない。何かを引きちぎったような音、何かを刺す音だ。
そしてそれらの音が、ある一つの行動を指していることに気付くのに、そう時間はかからなかった。
「しくじった……。やつら、最初から騎士団の人間を生かすつもりなんて無かったんだ! 『食人鬼』ユリウス・グローバックと同じ牢に閉じ込めるなんて、ユリウスに餌を与えたに等しいのに!」
「ちょっと待て。今……『食人鬼』と言ったか? 人を食うのか?」
「時折人間は遺伝子に異常が見つかって、人肉を食べたいと思う人間が出てくる……そんな学説を知ってますか。随分昔に発表されたものですが」
アルジャーノンの言葉にフレイヤは頷く。
「あぁ……聞いたことがある。だがそれはあくまでも推論だったはずでは……!」
「いいえ」
フレイヤはアルジャーノンが言ったその事実を認めたくはなかった。騎士団のメンバーがそんな最期を迎えたなんて考えたくなかったからだ。
だがアルジャーノンは残酷な現実を、彼女に突きつけた。
「食人鬼は存在する。誰もがそれを隠したがっていただけだ。法王庁もそうだった。そんなものが人間だと認めたくなかった。人間が人間の肉を喰らうのだからね。普通に考えれば有り得ない話だろう? ……だが存在してしまったんだ。食人鬼という人間は人間のカテゴリーエラーだ。人間を食べる人間は決して普通ではない。『異常』だからだ」
咀嚼音が響く共同牢の前で、フレイヤはその事実に打ち拉がれそうになっていた。
自分たちが今まで戦ってきた役目も任務も職務も時間も勲章も何もかもがパァになった。
食人鬼という、人間にカテゴライズするにはあまりにも異端だと認定された人間によって。
「食人鬼が……人を食べる人間が……そんな馬鹿な……」
咀嚼音が止まった。
それと同時にフレイヤとアルジャーノンは息を潜めた。気付かれても牢屋の中にいる食人鬼ユリウス・グローバックがこっちに来ることはないだろうが、とはいえ用心はしておかなくてはならない。
「……大丈夫そうだね」
再び咀嚼音が聞こえるようになって、アルジャーノンは溜息を吐いた。
「どうする。確認だけしておくかい?」
「いや、いい。……彼女たちが死んでしまったのは残念な話になる。私だけ逃げ帰るようになってしまって、それは本当にみじめだ。けれど、今はあなたを、法王庁から裏切ったあなたを無事にヴァリエイブルに送り届ける任務があるから」
「それはどうも」
そう言って、アルジャーノンは小さく頭を下げた。そしてふたりはユリウスに気付かれないように、こっそりとその場所から出て行った。
二人が居なくなって共同牢にはユリウスただ一人が残っていた。
ユリウスはニヤリと笑うと、何かを持ち上げた。それは、人の頭だった。
「ううっ……」
「どうやら、まだ生きているみたいだな? そりゃあ当然だ。俺は苦しむのを見ながらそいつの腸を食うのが一番なんだからなあ!」
ユリウスは狂ったように笑う。
彼はこのタイミングが一番好きだった。苦しんで悲しんでどうして自分がこうなってしまっているのかという憎しみのこもった目線を浴びながら、その人間の肉を食べるのが好きだった。
おかしい。一般的に考えればおかしい感性の持ち主である彼だが、だからといってそれを彼の目の前で否定する人間はいないだろう。
なぜなら否定した瞬間に彼は殺戮に走るからだ。この共同牢に入っているのも、『放っておくと人間の肉を食べるために暴走してしまう』という判断からであり、実際彼はなんの罪も犯していない。しかし、人肉を貪ることにかんしての道徳的観点から見れば罪は重い。
そこで法王庁が考えたのは、ここをひとつの刑執行部屋にしてしまおうということだった。どんな刑であるか、それは火を見るより明らかだ。
生きたままその身体を、ユリウスに食べられる。それはどんな苦行よりも苦痛かもしれない。だが、その間に自らの行いに後悔する時間が与えられるし、それと同時に罪も実行出来る。そして死体も殆ど消化してくれるという一石三鳥なのだ。
そして、ユリウスはその顔を見つめる。
綺麗な顔をしていた。だが今その人間は胃腸を掻き回され大腸を引っ張られ、徐々にユリウスの腹の中に消化されつつあるため、もはや正気を保っていない。
「どうしたのさ。もっと頑張って? 頑張らないと面白くないじゃないか」
ユリウスの言葉を聞いているのかどうか解らないその人間は、ただ虚ろな表情を浮かべていた。
それを見てユリウスは溜息を吐く。
「せっかく綺麗な顔をしているのだから、少しくらい表情豊かにしてもいいだろうに……なんだかなあ」
ユリウスは微笑んで、腸を噛みちぎった。
「ああっ……!」
それと同時に、人間は嬌声を漏らす。
「そう、それだよ。啼いてくれ。啼くんだ。生きたいという気持ちを僕に見せておくれよ! そうすることで僕は楽しい食事が出来るんだからさ!」
狂っている。
きっとその人間はそう思ったに違いない。
だが、それを言う余裕などその人間は持ち合わせていなかった。そんな余裕なんてなかった。
いつ死んでもおかしくない状況を、こう嬲り殺しに近い状態に置かれているのは屈辱ともいえるだろう。誰が想像つくだろうか。人生の最後は、自らの肉を食われるのを目撃して苦しみながら死んでいくというあまりにも残虐なシナリオだということを。
このシナリオを考えたのがカミサマだというのなら、カミサマは一生恨まれるべき存在だろう――その人間はそんなことを考えていた。
寧ろ、そんなことを考えていないと痛みが和らがないのだ。結果としてダメージ蓄積はかわりないが、くらっているかくらっていないかを精神的に軽減するのは有効な手段である。それをするかしないかで大分違う。
ただし、もうこの人間が生きることができないのは、誰にだって解っていたし本人だって自覚していた。
だが、まだその人間は『生きたい』と思っていた。生きたいと願っていた。
だから、こんなタイミングでも生きてみようと、生きられるならば耐えて見せようと思っていたのだ。
「……さて、そろそろ普通に食べるのも飽きたな」
そう言うと、徐にユリウスはサバイバルナイフをその人間の下腹部に充てがった。下腹部はすでに『食感が悪いから』という理由で毛が処理されていた。つまり今のこの人間は生まれたままの姿だった。
そして、躊躇なくそのナイフを通していく。もはやその人間は痛みの感覚が麻痺していて、どこを切られているのかも解っていなかった。
もともと彼女の身体にあった割れ目に沿うようにナイフで切っていく。その部分が開かれるまでに切られるようになるまで、そう時間はかからなかった。
「人間の子宮って、どんな味がするか聞いたことはあるかい?」
授業をする先生のように、ユリウスは優しく語りかける。
しかし彼女は答えない。
「子宮の味はね、とてもコリコリしているんだ。やっぱり、子供を育てる場所だからね、それなりに歯応えがあるんだよ。ただちょっと味がついているけれど……それは正直美味しくない。それは洗い流すのがベストだ。ただね、あんまり食べたことがないんだよ。理由は簡単で、女性がここに来ないからだ。最後に食べたのは……えっと、もう半年以上食べてないかもね」
彼女は息も絶え絶えで、ただその説明を聞くだけだった。その説明の一片を聞くだけでもその男、ユリウスがおかしな人間であることは直ぐに理解出来る。
「……だからさ、子宮は洗い流すのが一番。まあ、ここにはおあつらえ向きに水道もあるしそれを使って洗い流す。それがいい。さあって……」
そして彼は切開を再開する。
切り開いた中身を見て、彼は感心する。
「やっぱ軍人にもなると臓器の配置がきちんとしているのかな。今までの中で一番綺麗な配置をしている……さすがは軍人」
そして彼は素早く子宮を見つける。それはとても珍しい形をしていた。だから見つけるのが早いのかもしれなかった。
それを素早く取り外して、彼は嬉しそうな表情でそれを彼女に見せつける。
「ほら。これが君の子宮だよ。滅多にないよ。自分の子宮を肉眼で見ることが出来る機会って! 大体は写真とか、レントゲンとかになるからね!」
そう言ってユリウスは再びそれを彼女の前から戻して水道の蛇口の下へ持っていく。蛇口のネジをひねり、水を出してそれを洗う。
洗い終わったそれをそのままで口に入れた。だが、それは一口では食べきれることの出来ないものであるから、三分の一くらい入れたところで噛みちぎった。しかしユリウスの言うとおり噛みごたえがあるらしく直ぐに噛み切ることは出来なかった。
何度も何度も何度も咀嚼を繰り返し、飲み込んだと同時に溜息を吐いた。
「……ちょっと臭いが残るけど、それでも美味しいね。珍しい味だから、仕方ない。めったに食べることができないのさ、人間の子宮というのは」
そう言って二口目。二口目はそう時間もかからず再び溜息を吐く。三口目にもなればさきほど言っていた臭いに慣れたのか満面の笑みで食していた。
「いやあー、ご馳走様。美味しかったよ、君の子宮」
ユリウスは笑顔でそう言った。
――地下牢での、ディナータイムはまだまだ続く。そして、それはユリウスがとても楽しみにしていて、彼の表情が愉悦に歪む瞬間でもあった。
アルジャーノンとフレイヤは共同牢を後にして第二目標であるリリーファーの回収に向かった。騎士団の皆がああなってしまったことに対してフレイヤは悲しみに暮れていた。だが、そんなことを長々としていじける暇も此方にはなかった。
今はただ、前に進むだけだ。
後ろを向き続けていたって何も生まれないし何も生み出されることはない。これは事実だ。
かといって前を見続けるのもよろしくない。引っ張っていく立場の人間ならば時折振り返って確認すべきだからだ。個々の進捗を確認するためには、たまには戻ってみた方がベストなのである。
「……リリーファーの格納庫はこの先にあるはずです。そう遠くない場所で助かりましたね」
「あぁ」
アルジャーノンの言葉にフレイヤは短く答える。
「リリーファーは確か通常の格納庫ではなく、研究開発用の試作品がある格納庫だったはずです。そちらにあるということは既にチェック済みですから」
「ところで、一つ質問していいか?」
アルジャーノンの説明中、唐突にフレイヤは訊ねた。
フレイヤが訊ねたのは何故だか解らなかったのでアルジャーノンは一瞬動揺したが、それを彼女に悟られないように、アルジャーノンは首肯で返した。
「……あなた、起動従士の素質があるって判定されたことは?」
「あります。僕達は起動従士の素質で厳しくランク付けされますから。より起動従士と相性のいい人間が上に行く形です。僕はまずまずなので一端の神父やってますけどね」
「即ち、乗れるということね。訓練は?」
「時折、訓練はします。それでも実戦に耐えうるかは別ですが……」
「それでも構わないわ」
フレイヤは頷く。
「なんだ……。まだここに仲間の起動従士が居たのね。ならば心強いわ」
フレイヤはほっと溜め息を吐いた。
対してフレイヤが確認したかった事実が解り、そしてフレイヤが何をさせようとしているのかが解ったアルジャーノンは慌てふためく。
即ち、フレイヤが考えていた事は――。
「僕をリリーファーに乗せて戦わせるつもりだ、なんて言い出しませんよね?」
「惜しいな。正確にはそれをしてもらった上でヴァリエイブルに帰還することだ。まぁ、一番手っ取り早いのはこっちに向かっていると噂の騎士団と合流するのがベストだろうな」
「惜しいというか殆ど一緒ですよね、それって?」
アルジャーノンは明らかに慌て始める。
それを見てフレイヤは失笑する。
「一緒……か。まぁ、そう言われればそうなのかもしれないな。私としてはまったく別個で考えていたのだがな」
「それ、まったくの嘘ですよね? 絶対に最初から僕をリリーファーに乗せようと考えてましたよね?」
「そりゃまぁ……味方は多い方がいいからな!」
彼女はそう言って満面の笑みで返した。何と無くアルジャーノンは、フレイヤの周りが輝いているように見えた。
しかしその裏にはどす黒い感情が流れているのだ――出会って間もないアルジャーノンですら、そんなことを考えてしまうのだった。
そんなときだった。彼女達の立っている場所が激しく揺れ始めた。
生憎彼女たちは直ぐに跪き、危険を回避した。
「まさか……攻撃を開始したというの!?」
フレイヤは急いであるものを探しに駆け出した。
それは窓だ。窓さえ見つかればそこから外の様子を見ることが出来る。外で何が起きているか認識出来る。
だから彼女は窓を探していた。走って走って走って走って、それでも見つからなかった。
「どうしたんだい、フレイヤ。急に走り出したりして……」
それから少し遅れてからアルジャーノンがやってきた。アルジャーノンはフレイヤの前に立って息を整えた。彼女と同じくらいしか走っていない気がしたが、フレイヤは未々走ることが出来そう――アルジャーノンはそんな印象を感じた。
フレイヤは小さく溜め息を吐いて、それに答えた。
「さっきの振動はほかでもない、リリーファーによるものだ。コイルガンかレールガン、はたまたそれ以外か……。いったいどれによる攻撃なのかは解らないが、まぁ、リリーファーが放ったというのは間違いないだろうな」
「その自信って、一体全体どこから湧き出てくるのかな。少し見習いたいくらいだ」
「強いて言うなら経験からかしらね。私は一般兵士でも起動従士でも長い職歴がある。マーズみたいに最初から起動従士だったわけではないから起動従士自体は短いがな」
フレイヤはそう言って窓を探そうと再び走りだそうとした。
だが、それよりも早くアルジャーノンの腕が彼女を捕らえた。
「どうしたアルジャーノン。私は早く外を……!」
「そんなものはリリーファーに乗れば嫌というほど解る。そうだろう?」
「それは即ち、リリーファーの格納庫には窓があるということか?」
「いいや、そういう訳ではない。ただし、外には出やすくなるだろうね。君のリリーファーが置かれているはずの研究開発用の格納庫から外に脱出出来る扉があったはずだ」
アルジャーノンの言葉にフレイヤは頷いた。
アルジャーノンの背後にある壁には、『研究所A』と書かれたパネルが打ち付けられていた。
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