第61話
会議終了後。
通路をマーズとヴァルベリーは並んで歩いていた。
「……私たちは残念ながら海の専門家ではないから、あの艦長の話にどうこう言えないけれど」
「マーズ、あなた不安なの?」
「正直ね。十二時間もかかるなんて思えないから」
マーズが思ったところはそこだ。
十二時間かかるといったが、正直な話そこまでかかるものなのだろうか。
確かに十三体ものリリーファーを載せている、その重量もあるだろう。
だが、そうだとしてもこれは元々リリーファーを大量に運ぶために開発されたものである。
軍事作戦は一分一秒の予断も許さない。そんな時にのろのろと動いていればどんな影響が起きるのか計り知れない。
「だからもっと速く進むはずなのに……」
「まだ何回も航海をしているわけでもないからな、慎重になるのも仕方がないだろう。……それに彼らはベテランだと聞くし問題もない」
ラウフラッドは勤続三十五年を数えるベテランである。その技術はラグストリアルもお墨付きであり、様々な国の行事でも良く出される人間である。
此度の重要な任務につき、彼が選ばれたのはもはや当然のことだった。
「ベテランとは言うけれど、ベテランでもミスは犯すものよ。弘法も筆の謝りと言うでしょう?」
「…………マーズ、それはいったい?」
その言葉(正確には諺であるが)を知らなかったヴァルベリーはマーズに訊ねた。
「昔の言葉よ」
だがマーズは一言、それだけを答えるのみで、ヴァルベリーもそれに対して追求することはしなかった。
巨大潜水艦アフロディーテ第二会議室。
ここではハリー騎士団が会議を行っていた。
「マーズ、代表者会議はどうだったの?」
エレンの問いにマーズは首を横に振った。代表者会議はいい結果を得られなかったようだ――エレンは直ぐにそれを感じ取った。
「それじゃこちらとしても会議を行うことにしましょうか」
第二会議室はハリー騎士団のために用意された部屋である。会議室と言っているが、すぐとなりには十人が同時に眠れるベッドルームが存在しており、実質はここが共有空間の一つと言っても過言ではない。
マーズは代表者会議終了後に改めて騎士団内部で会議をすることを決定していたため、それについては伝えていた。
そして今、ハリー騎士団のある一人を除いた全員が、この場所に集まっている。
「さて……君たちに集まってもらったのはほかでもない。これからの戦争について、少々話がある。私たちが行く場所がどこであるか、君たちは理解しているかな?」
「ヘヴンズ・ゲート自治区、ですね」
答えたのはコルネリアだった。
「そうだ。そして私たちはヘヴンズ・ゲート自治区南端にあるレパルギュア港へ到着する。とはいえ我々は敵軍の兵士。そうみすみす上陸できないだろう」
「ならば……どうすると?」
「リリーファーによる一斉砲撃でも行うつもりか?」
エレン、ヴィエンスの順に考えを言っていく。
「間違っていないわ」
そしてマーズの返答はハリー騎士団の気持ちを引き締めるものでもあった。
ヴィエンスは冗談のつもりでも言ったのだろうか。少し顔が引き攣っている。
「おい……その作戦は本当か?」
ヴィエンスの問いにマーズは頷く。
対してヴィエンスは立ち上がり、椅子を蹴り上げる。
「ヴィエンス……!!」
「どういうことだ……また苦しむ人を増やすのか、また悲しむ人を増やすのか!! 戦争というものは何も生み出さない! 悲しみしか生み出さない! 苦しみしか生み出さない! 憎しみしか生み出さない! 破壊しか生み出さない! そんなことを、過ちをまたくりかえすのか!?」
「……陛下の命令だ。我々は命令に従うほかあるまい」
「陛下……つまりヴァリエイブル連邦王国が、そうすると……?」
「ヴィエンス、お前ももう軍属となった身。少しは割り切ったらどうだ」
そう言ったのはエレンだった。
「何をいうか……お前だってカーネルでずっと戦闘の教育を学んできたから! そんなことが言えるんだよ! 何もかもを落として戦闘を優先する!! カーネルのあいつらはそういう人間だったろうが!」
「……」
エレンは何も言わずに、ゆっくりとヴィエンスの方に向かって歩き出した。
そしてヴィエンスの目の前に立ち止まると、エレンは拳を握った。
刹那、彼女の右ストレートが、ヴィエンスの頬に命中した。
「な、何を……!」
「うるさいからな。こういう人間の口を塞ぐにはこうした強硬手段に出たほうが一番だ」
「うるさいだと? 人々を殺して、何がうるさいというんだ!!」
「平和なんて、どこにも存在しないんだよ!!」
ヴィエンスの声よりもさらに大きな声でエレンは答えた。
その声によって、第二会議室は沈黙に包まれた。
「……平和なんてものが存在するのならば、平和なんてものが直ぐに実現する手段があるというのなら」
エレンは身体をわなわなと震わせながら、話を続ける。
「そんなもの、直ぐにでも実現してやりたいよ。この世界は戦争抜きではもはや成り立たない世界に成り下がってしまったんだ。平和なんてものは存在しないんだ! 人々は死に、階級により人生が決まり、弱い立場にいる人間は充分に生きることすら蔑まされる! 戦争によって生きる場所を失った人々の行き着く先はどこだ? 言わずもがな、それは簡単なことだ。……死、だよ。最初は友達か誰かが支えてくれるかもしれないが、それが長く続くわけでもない。いつかはその救援に終わりがやってくる。終わりがやってきたら、また別の場所へ向かう。……いつかはそれも無くなって、放浪の旅が始まる。そうなったらもうおしまいだ。何もかもが」
まるでそれを経験したかのような口調で、エレンは話す。
その話をしている間、ハリー騎士団の面々はうつむきながらその話を聞いていた。
「おしまいになっても、強い立場にいる……そうだな、例えば軍の高官や政治権力を握っている人間どもが悲しむと思うか? 人一人が死んでも世界は回っているし、その歯車が止まるほどのちからもない。世界は戦争という大きな歯車によってうごかされていて、それによって利益を得ている人間が多い、ってわけだ」
「毎年三月に行われている『国際アスレティック大会』なんてものがその一例だ」
エレンの言葉にマーズが横入りする。
「国際アスレティック大会?」
訊ねたのはコルネリアだった。
国際アスレティック大会。
毎年三月に行われる大会のことである。戦争ばかりが続くこの世界だが、この大会が開催されるこの時期においては『平和条約』が結ばれ戦争行為が禁じられている。
では、その大会とは何か。
国際アスレティック大会は『リリーファーだけでなく普通の兵士にもスポットライトに当たるチャンスを』という名目から始められたもので、主催は毎年異なり、去年は法王庁が行った。
競技は水泳、マラソン、自転車によるロードレースの三つで行われる。
もちろん、ただの競技ではない。
この大会の本当の目的はスポンサーとなっている会社の兵器をいかにして売り込むか――である。
リリーファーによる戦争が主流となった昨今、通常兵器の売り上げは限定的なものとなり、非常に落ち込んでいる。
そのためにラトロが企画を提案し、それがそのまま法王庁やヴァリエイブル連合王国の協力を得て開催にこぎつけたのが二十年前のことである。
「それじゃあ、そんな昔に出来た……というわけでもないんですね」
コルネリアがマーズから聞いた大まかな説明を理解して、そう頷く。
「……戦争はビジネス、ってことか」
「残念ながらそういうことになる」
ヴィエンスの言葉に答えたのはエレンだった。
エレンはヴィエンスの目の前から踵を返し、ゆっくりと元の場所へともどっていった。
「戦争はビジネスだ。そして我々もそのビジネスに組み込まれて存在している。それを嫌ったのがラトロであり私たちだった」
エレンはそう言って、テーブルに置かれていたグラスを傾ける。
「そういうわけで、実際には作戦も失敗してしまったがね。……どうやら神とやらは『戦争=ビジネス』という考えに賛成しているみたいだからな」
その言葉を言って直ぐに、会議室が少しだけ揺れた。
そしてそれを合図にして彼女たちは悟った。
「出発した……ということか」
「ああ、そういうことになる」
潜水艦アフロディーテは動き出す。目的地、ヘヴンズ・ゲート自治区レパルギュアに向けて。
この戦争はどちらに勝利の女神が微笑むのかは、まだわからない。
そして、この戦争が歴史に大きく名を刻むことになる――ということもまた、誰にもわからないことであった。
巨大潜水艦アフロディーテ第三会議室。
第三会議室はヴァルベリー・ロックンアリアー率いるメルキオール騎士団の専用スペースとなっていた。
「とうとう船が動き出し……我々は大きな一歩を歩んだ」
ヴァルベリーがテーブルを中心にして座っているメルキオール騎士団の面々に向かって言った。
彼女の話は続く。
「諸君。これから我々メルキオール騎士団は重要な作戦のメンバーとして任務を遂行する。作戦はいたってシンプルだ。これからこの潜水艦アフロディーテはヘヴンズ・ゲート自治区にあるレパルギュア港へと向かう。それからの作戦が重要だ。海上に上がると格納コンテナから順次リリーファーが出動、レパルギュアを手中に収める。……ここまでが我々の仕事だ」
「どういうことですか?」
メンバーの一人、ポニーテールの女性が訊ねる。
「どうした、マルー」
「どうした、ではありません」
マルー、とヴァルベリーから呼ばれた女性は立ち上がる。
「我々は陛下直属騎士団、それも騎士団の中では一番の歴史を誇る騎士団です! そんな我々がただひとつのちっぽけな港を手中に収めるだけで、先遣隊ではありませんか!」
「先遣隊も重要な役目だ。……マルー、君が悲しむ気持ちは私にも解る。私だって抗議したさ。どうして私たちメルキオール騎士団が……ってね。だけれど、それは仕方がないことなんだ。この大きな戦争の重要な作戦なのだ、と陛下にいわれてしまった以上、我々としても全力を挙げなくてはなるまい」
ヴァルベリーはそうして『言葉』でメンバーを慰めていく。
たとえその言葉に、いくらかの嘘が紛れていたとしても、メルキオール騎士団のメンバーはそれを疑うこともない。
「それでは、レパルギュアを収めるのが我々の仕事、それに相違ない……ということでしょうか、団長」
「そういうことになるね、ウィリアム」
ウィリアム・ホプキンスはエイテリオ王国の貴族の子息である。しかし彼の親トーマス・ホプキンスが彼の犯した『何か』によってここに左遷させられた――ということをヴァルベリーは知っていた。
しかし肝心の『何か』はわからない。どうして彼がこの騎士団に入ってきたのかがわからない。
志願してもなれないというくらい倍率の高い騎士団に、そういう事情で入れること自体がおかしな話なのだ。
(おおかた金を積んだんだろうが……貴族サマってもんは金さえ積めばなんでも解決すると思っているからな)
しかしながら、そんな細かな事情は今関係ない。
「……では、どうなさるおつもりですか?」
「どうする、とは?」
ウィリアムから若干予想外の発言を耳にしたヴァルベリーはそのままにして返す。
「そのままの意味ですよ。この作戦をそのまま実行するおつもりですか、と」
「それ以外、何の意味があるというのだ」
「何の意味……いや、この騎士団が、もっと言うならばヴァルベリー騎士団長がそのような作戦をすることに意味があるのか、ということを」
「私がしなければ、メルキオール騎士団がしなければ何も始まらないし、何も終わらない。始まらなければ、終わりもやってこないのだ。そうだろう?」
ヴァルベリーの言っていることは正論だった。
対してウィリアムのいったことはわがままに過ぎなかった。
「所詮お前も貴族の子供だということだ。その事実を理解して、言葉を口にするんだな」
それだけを言って、ヴァルベリーは小さくため息をつく。
「さて、作戦会議の再開と洒落こもう。次に話すことは……」
……と、その次に話す内容を、ヴァルベリーが言おうとした――ちょうどその時だった。
船体が急に左に動き始めた。
どういうことだ。
右側に衝撃がかかったのか。
強い衝撃だ。
総員急いで対抗せよ。
そんな声が廊下から響いてくる。
「どういうこと!?」
会議室の扉を開けて、ヴァルベリーは声を聞き取れるようにした。
「おお、メルキオール騎士団の皆さん」
そこに居たのは、副船長レベックだった。
「御託はいいわ。つまり、これはどういうことなのか、説明していただけますかしら」
「どうしたもこうしたもない。右舷の方角から攻撃だ! あれは潜水艦なのかそもそもリリーファーなのかはわからないが……」
「潜水型のリリーファー!? そんなものがいてたまるもんですか!」
どうして彼女がそこまで潜水型リリーファーに驚いているのか、その答えは単純だ。
潜水型リリーファーが存在しないためである。ラトロが今まで開発してきた中でも、潜水型――即ち長く水中に潜ることのできるタイプのリリーファーは居なかった。だから起動従士も国も、自ずと水中戦を避けて陸上のみで戦うようになっているのだ。
もし、その話が本当だというのなら――圧倒的不利な状況に、この『アフロディーテ』は立たされたということになる。
今ここにいるリリーファーは計十三機。しかしそのどれもが長時間水中で戦えるようになっていない。そのように設計されていないからだ。
「まさかあいつらそんなものまで開発していた……というのか」
舌打ちして、部屋を出る。
「ヴァルベリー騎士団長、どこへ……!」
「決まっているだろう! これから出動する!!」
「落ち着け。私たちの潜水艦に乗っているリリーファーは全機水中換装を行っていない。この意味が解るか? 長時間水中で戦うことが出来ないんだ。そうして、そのあとには何が残されるか、何もわからない。だからこそ心配している。主戦力であるヴァルベリー騎士団長自らが前に出て大丈夫なのか、と」
「そんなもの、前から知っている」
踵を返して面と向かって話をしないまま、ヴァルベリーは立ち去った。
「……それに騎士団長の私が居なくなったとて揺るぐような若輩者でもない」
その言葉を最後に、ヴァルベリーの足は格納コンテナへと向かった。
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