第52話

 次にマーズが目を覚ましたのは小さなベッドだった。


「……ここは?」

「気が付いたようね」


 マーズが呟くと、ベッドの傍にある椅子に腰掛けていたメリアが声をかけた。

 メリアは立ち上がると、テレビのリモコンを使って電源をつけた。

 テレビはニュース番組を映し出していた。


『――というわけで、繰り返しお伝えします。本日、カーネル自治政府がヴァリエイブルの軍事介入を容認することを発表し、内閣総辞職しました。それによりかつて置かれていたカーネル自治政府は撤廃され、ヴァリエイブル連合王国の手によって直接管轄されるものと見られています』


 ニュースキャスターは慌てずにそう原稿を読み上げる。

 マーズはそのニュースを見て事態を漸く理解した。


「終わったのね」


 それを聞いて、メリアはため息をつく。


「ああ、インフィニティが放ったあの荷電粒子砲によって『ムラサメ』に載っていた魔法剣士団は一機を除いて凡て『消失』した。軍事介入して漁夫の利を狙おうとしていたペイパス王国もペルセポネの消失によってこの件から手を引くとのことだ。まあ、それが賢明な判断だろうな」

「それが事の顛末……ってことね。まあ、あっさりしすぎじゃあないの?」

「しょうがないでしょ。だって世界最強のリリーファーとして謳われる『インフィニティ』が暴走を起こして、一つの街を破壊した。それが報じられてからの世界の影響はどれほどのものか、あなたは知っているのかしら?」


 それを聞いて、マーズは思い返す。あの暴走したインフィニティが齎したことを。

 そして、この戦争が何を齎し、何を失ったのか――その凡てを知る者は、今ここにはいない。




「……というわけで、これでカーネルの話は一応終わりを告げたわけだ。意外と早く終わってしまったね。用意しておいた保険も使わなかったし」


 白い部屋、帽子屋の発言と同時に『シリーズ』はモニターから意識を外した。

 チェシャ猫は直ぐ様立ち上がり、お盆をどこかに持っていった。大方新しいお茶を用意しに言ったのだろう。シリーズの今の風景は、まるで家で映画を見ているような、そんなアットホームな雰囲気を漂わせていた。


「……あのインフィニティ・シュルトがあなたの計画のピースであることは理解した。だが、まだ理解し得ない点がたくさんある」

「君がそれをつっこみたい気持ちは大いに理解できる」


 バンダースナッチの発言を、帽子屋は言葉で制した。


「だがね……事実を知ってはつまらないだろう? 我々は観測者……きみはたしかにそう言ったが、実際は違う。我々は言わばシナリオライターと演出家だよ。この世界の行く末を僕たち『シリーズ』が演出していくわけだ」

「演出家……ね」


 バンダースナッチはため息をつき、立ち上がる。向かったのは部屋の壁に接して置かれている本棚だった。本棚にはハードカバーの本がずらりと並んでいた。

 そしてバンダースナッチは、その中にある一冊の本を手に取る。


「……世界の演出、ね」


 その本のページは凡て真っ白だった。――最初のページを除いては。

 そのページにはたった一言、こう書かれていた。



 ――インフィニティの封印が、ひとりの起動従士によって解かれる



 そう、はっきりと書かれていた。



 ◇◇◇



 ヴァリス城、その地下奥深く。

 あまりの恐ろしさに誰も行こうとはしない場所があった。


『うわあああああああああああああああああああああああああああああああ、あああああああああああああああああああああああああ!!』


 その部屋と外界とを唯一つなぐ扉から絶叫が漏れ出してくる。

 その部屋を守る看守が、もうひとりの看守に訊ねる。


「……なあ、もうあの絶叫が五分に一回くらいのペースで聞こえてくるぞ? ずっと聞いてちゃまいっちゃうよ」


「なんで俺たちがこの部屋を守るように言われたのか、お前知らないのか? 先の戦争で活躍した『インフィニティ』の起動従士がいるという噂だぞ」


 この部屋に誰が居るのか、知っている人間は数が限られている。

 ここに幽閉されているのはほかでもない、タカト・オーノだ。

 彼の精神は、マーズによって回復こそしたが、それでも戦闘ができるほど余裕があるとは思えなかった。

 ヴァリエイブル連合王国の元首であるラグストリアル・リグレーはこの事態を「誠に遺憾である」としながらも、インフィニティの存在価値を考えて、崇人をこの独房に閉じ込めたのだ。

 治るのは恐ろしいほど時間がかかる――メリア・ヴェンダーはそう語っていた。

 しかしながら、それを王は糾弾した。早く治せと責め立てた。

 それは崇人が思った以上の功績をあげたからかもしれない。

 だからといって、目の前で友人が殺された崇人を、そのまま戦場に行かせる――そんな王の命令を鵜呑みにできるハリー騎士団ではなかった。

 ハリー騎士団は代わりとしてある少女の加入を提示した。

 ラグストリアル・リグレーはそれを聞いて、直ぐに了承した。

 その少女とは魔法剣士団の団長、エレン・トルスティソンだった。



 ◇◇◇



「……時は誰も待ってくれない、という言葉を聞いたことはあるかい?」


 再び白い部屋。帽子屋がチェシャ猫、ハンプティ・ダンプティ、バンダースナッチ、ハートの女王、白ウサギにそう訊ねた。


「聞いたことがあるぞ。少し前の小説にそう書いてあった気がする」


 答えたのはハートの女王だった。女王とは言うが、実際には男である。だが、シリーズという存在はもはや性別すら超越しており、『女王』に誰がなっても代わりはないのであった。


「……にしても、『女王』ね。僕からしてみればその名前はなんとも皮肉だよ。その制度を恨むくらいさ」


 ハンプティ・ダンプティはハートの女王の身体を舐めるように見つめながら、そう言った。


「そうかな? 僕は別に構わないけれどね。女王が女王じゃあなくたって構わない。もはや『帽子屋』や『ハンプティ・ダンプティ』といったのは名前ではなく能力名。キャストのようなものだからね」

「キャスト……まあ、そう言われればそうになる」

「ハンプティ・ダンプティ。そういえば君はこの中で一番古いんじゃあないかな? アリスだってもうだいぶ変わってしまったし……正直な話文献よりも君の話を聞いたほうが昔話も理解しやすい」

「とはいえ、私も大分むかしの記憶を無くしてしまっている。無くしてなかったとしても、『こうだったのではないか』という朧げな記憶を元に新しい記憶を構成してしまう。そんなところは人間もシリーズも変わらないだろうな」

「……私はまだ、はっきりと記憶が残っているよ」


 そう答えたのは、バンダースナッチだった。


「君の場合はどちらかといえば、昇格したほうが正しいだろう? もともとは僕たち『シリーズ』がつくりあげた木偶人形だったのだから」

「仲間にその言い分はなかろう、帽子屋」


 帽子屋の失言を、ハンプティ・ダンプティが制す。


「僕たちは『仲間』と呼べるほど結束力もそう高くないさ。強いて言うならば、『インフィニティ計画』を実現するため、そのために結束しているだけに過ぎない。そうだろう?」

「……まあ、それは間違いないな」

「それに、バンダースナッチ。君はそう言うが、まさかタカト・オーノのあの状態を見て僕たちから寝返るなんてことはしないだろうね?」

「すると思っているのか、帽子屋」


 バンダースナッチの返事を聞いて、帽子屋はくつくつと笑い出す。


「……ああ、いや。君は元々あの世界ではカミサマみたいに言われているからねえ……。世界最初のリリーファー『アメツチ』に乗り込んだ最初の起動従士……という設定。僕たちの書いたシナリオを忠実に実行してくれた。しかしながら、まさか君がシリーズになるというのは、本当に予想外だったけれどね……、イヴ・レーテンベルグ」

「よせ、昔の話だ」

「昔の話……まあ、そうだ。君が人間界で活動したのは百年ほど前、人間の寿命でもぎりぎり届くくらい前だ。でもね、バンダースナッチ」


 帽子屋は本名のイヴ・レーテンベルグではなく、バンダースナッチに再び呼び直した。

 帽子屋の話は続く。


「君がどう足掻こうとも、今更シナリオの変更は出来ないんだよ。彼らは僕たちシリーズの書いたシナリオに沿って動き、僕たちが望んだ結末へと動いている。それは今もそうだし、止めることもできない」

「……タカト・オーノの精神をあそこまでしたのも、計画通り?」


 バンダースナッチの問いに帽子屋は頷く。


「ああ、そうだ。タカト・オーノの精神へのダメージを与えることによってインフィニティは新たな力を引き出す。それがインフィニティ・シュルトだったわけだ。それについて、質問があるのかな?」

「……どこまで答えてくれるのかは甚だ疑問だけれど、インフィニティ・シュルトの解放は別にエスティ・パロングの殺害を引き金にする必要はなかったのではないかしら?」

「君は頭が固いね。きちんと理由があるよ」

「ならばその理由をはっきり言ったらどうだ! ほかのシリーズも、どうして帽子屋の横暴に抗議しない! これは重大な使命を違反していることに……」

「うるさい」


 刹那、バンダースナッチの頭が横にスライドした。

 そしてそれは、白い部屋の壁に激突し、べっとりと赤い血を壁に付けてゆっくりと重力に従って床に落ちていく。

 帽子屋は血で濡れた指を持っていたハンカチで拭いた。


「……バンダースナッチは殺しても良かったのか」


 チェシャ猫の問いに、帽子屋は頷く。


「最近帰ってきてから彼女はうるさかったからね。計画にいらない子はゴミ箱に捨てるのが一番だ。そして新しい人員を入れてやったほうがよっぽどマシだよ」


 気が付けば、帽子屋たちが座るソファの後ろにひとりの女性が立っていた。

 それに気がついて、帽子屋は振り向いた。


「ねえ。……バンダースナッチ?」


 そこには、エスティの姿があった。


「これは……」

「大丈夫だ、すでに生前の記憶は消してある。あとは彼女に『バンダースナッチ』という記憶を植え付ければいい」


 帽子屋は立ち上がるとバンダースナッチ『だった』女性の頭に人差し指を突っ込んだ。

 少しして、人差し指を引き抜くと、人差し指に粘り気のある光り輝く白い液体が付着していた。それを見て満足げに微笑むと、エスティの方に向かう。

 エスティの頭に人差し指を押し当てると不思議なほど抵抗もなく指が入っていった。

 そして、指を取り出した時にはもうそれはなかった。


「ようこそ、バンダースナッチ」


 目を瞑っていたエスティ――バンダースナッチが改めて目を開けて、ニヤリと微笑んだ。


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