第44話

 監視役を務めるレヴィエント・サーファイヴは暇だった。

 どうして自分が監視役などしなくてはいけないのか――そう考えると虚しくなってしまった。


「……ねえ」

「ん?」


 そこで声が聞こえて、レヴィエントはそちらを見た。

 そこではコルネリアが鉄格子を持っていた。彼女は悲しげな表情を浮かべていた。


「どうした」


 レヴィエントは低い声を立てる。

 対して、コルネリアはしくしくと涙を流して、言った。


「……怖いのよ」

「怖い? お前たちがした行為に対する行為だ。決しておかしな話ではない」

「怖いの。何かに襲われているような……」


 そこで、彼は。

 彼女が発している言葉の意味を、漸く理解した。

 彼女が怖がっているのは、捕まったという状況ではない。

 それ以外の――何かがいるのだ。


「何だ」


 興味に駆られて、レヴィエントは訊ねた。


「何に、怖がっているんだ。恐れているんだ」

「それは……」


 そう言って。

 コルネリアが顔を上げた――その時だった。

 レヴィエントは頭に強烈な痛みを感じた。

 それは殴られたからだということは、薄れる意識の中漸く彼が気づいたのだった。


「案外騙されたわね」


 マーズが鍵をレヴィエントのポケットから取り出し、鉄格子の鍵を開けて言った。

 マーズとしても、正直ここまでいくとは思わなかった。失敗した時にどうなるかも心得ていた。なのに、こう簡単にうまくいくとは思わなかった。


(こいつはコルネリアに感謝するしかないわね……まあ、一先ずはここを脱出してからの話なのだけれど)


「一先ず、ここを脱出しましょう……と言っても、ここはいったいどこなのかしら?」

「一応、北はこっちです」


 マグラスがそう言ったのでマーズはその通りに指差す。


「それじゃあ、北へ向かいましょう。もうどうなってもいいわ。もし、リリーファーでもあればいいのだけれど」


 そして、ハリー騎士団は行動を開始した。



 ◇◇◇



「……お前が……シリーズ……だと?」


 その頃、崇人とエスティは帽子屋と邂逅していた。帽子屋はニヒルに微笑むと、さらに一歩踏み込む。


「そうだよ。僕はシリーズ、その中でも参謀役を勤めている。『帽子屋』と言うよ。よろしくね、君とは長い付き合いになるはずだから」

「どういうことだ」

「まあ、僕が言うより実際に体感する方がいいのだろうけれど……これだけは言わせてもらうよ」


 帽子屋はそう言って、堆くある書物の山に腰掛ける。


「この戦争も、今までに君があったことも、凡て。それどころか、この世界が始まってから凡て、人類だけではない、僕たちによって動かされてきた……ということをね、知っておいて欲しいんだよ。自覚して欲しい……と言った方が正しいかな」

「なぜ、俺たちに言ったんだ」

「だから言っただろう?」


 帽子屋は首を傾げる。


「君たちには知っておいて欲しい、自覚して欲しい、ってね」

「自覚、ね」


 崇人はそれを聞いて、鼻で笑った。

 おかしかったからだ。


「果たして、それを聞いて俺たちが信じるとでも?」

「信じるか信じないか、ではない。そういうふうに動くのだよ。時代はすでに決められていて、君たちは結末まで動かされるマリオネットだということを、自覚してもらいたい……僕はそう言いたいわけだ」

「信じないわ、そんなこと」


 それを言いだしたのは、エスティだった。エスティは一歩踏み出し、ちょうど帽子屋を見下ろす位置に立った。


「信じようが信じないが知らないと言っただろう」

「だから、そんな事実変えてみせるって言っているのよ」


 それを聞いて、帽子屋は鼻で笑う。

 立ち上がって、エスティを睨みつけた。


「いいかい、君は知らないんだ。これから起きることを。だから、教えてあげようじゃあないか。これから起きることを少しだけね」


 そう言って帽子屋は「うーんと」と言って右上を指差す。

 崇人とエスティには何をしているのかまったく解らなかった。

 そして、帽子屋は一言言葉を紡いだ。


「これから起きる戦争は解決する。しかし、タカト・オーノ、君は大いなる悲しみが降りかかることだろう。それを乗り越えることが出来るかは……君次第だけれどね」

「どういうことよそれ……」


 エスティがそれに反論したそのとき、彼女は急に咳き込み始めた。咳はあまりにも激しく、見ていた崇人が背中を何度も激しく摩る程だった。

 それを見て帽子屋は失笑した。


「まあ……その子が大切なら、大切にしておくべきだよ。大切なら、ね」


 そして、帽子屋はその場から姿を消した。


「あいつ、シリーズって言ってたよね」


 エスティが言った言葉に、崇人は頷く。


「シリーズ……本当にどのような存在なんだ……」


 崇人は、帽子屋が言っていた言葉をリフレインする。



 ――タカト・オーノ、君は大いなる悲しみが降りかかることだろう。それを乗り越えることが出来るかは……君次第だけれどね。



「あいつは……いったい何を知っているんだ……!」

「タカト」


 エスティがそう言ったので、崇人は振り返る。

 エスティはじっと崇人の目を見ていた。

 怖い気持ちもあっただろう。恐ろしい気持ちもあっただろう。

 それでも彼女は――前を見ていた。


「……行こう、マーズさんのところへ。そして、私たちが手に入れた情報を教えるの」


 それを聞いて、崇人は大きく頷いた。



 牢屋からの脱出に成功したマーズたちだったが、然れどその状況を喜んでいる様子ではなかった。


「この牢はあまりにも広すぎる。それは方位を解らなくさせる程にね」


 そう。

 この牢屋はあまりにも広かった。彼女たちが知る由もないが、カーネルの起動従士訓練学校地下全体にこの牢屋が広がっている――そう説明すれば、ここの広さがどれくらいであるかなんとなくの見当はつく。

 だが。

 そう簡単には諦めない。

 そう簡単には転ばない。

 どんな物事にも終焉がある。

 終わりのない物事など存在しない。

 起動従士はそんな簡単に物事を諦めたりはしないのだ。


「こうなれば適当に看守らしき人間を叩いて出口の情報を奪うほかないようね……」

「マーズさん、流石にそれは不味いんじゃあ……」

「捕まった時点で、もうどうだっていいのよ。相手がそうやってきた。だったらこっちだってやってやるのが当たり前じゃあない?」


 マーズの言葉には誰も返すことが出来なかった。確かにその言葉は正論だったからだ。


「倍返し、してやろうじゃあないの」


 そう言ってマーズたちは牢獄を駆け出していく。



 ◇◇◇



 その頃。

 カーネルのある壁外。

 一体のリリーファーがそこに現れていた。

 厳戒態勢が敷かれ、壁内からは大砲やらコイルガン、はたまたレールガンを出して徹底的に応戦するようだった。

 壁はリリーファーにも用いられている素材で造られているため、非常に堅い。そう簡単に潜り抜けることは出来ない。

 そしてそれを舐めるように見る黒いリリーファーがいた。

 ペイパス王国の所有する『国有リリーファー』ではない、『民有リリーファー』の一つ。しかし現在はペイパス王国が持つ半国有リリーファーと化すリリーファー。

 その名前はペルセポネ。

 テルミー・ヴァイデアックスという人間が操縦するリリーファーのことだ。世代では第四世代であり、ムラサメと比べると若干バージョンが低いものとなる。

 今、テルミーは小さく微笑んでいた。

 何を考えていたのだろうか?

 何を考えているのだろうか?

 それは彼女にしか解らないことだ。彼女にしか知り得ないことだ。


「……世界が変わろうとしている」


 テルミーの隣には、帽子屋が立っていた。


「世界?」


 テルミーが居る場所はコックピット。即ちそう簡単に入ることも出来ないのだが――テルミーはそれを無視して話を続ける。


「世界はあっという間に変えることが出来る。それも新しい世界ではない。元々あった姿に、だ」

「元々あった……つまり世界は変容してきていた、ということ?」


 その言葉に帽子屋は頷く。


「君は賢いね。そうだ、そういうことだよ。世界は変容していき……まもなく昇華する。それはどちらに昇華するのかは……僕たち『シリーズ』にしか解りえないことだ」


 テルミーは帽子屋の言葉をうんざりがるように頷く。

 帽子屋はそれを見て、小さくため息をついた。


「……どうやらもう会話をする時間でもないようだね。ここでお別れだ、テルミー・ヴァイデアックス。また会おうじゃあないか」

「あんたみたいな輩とはまた会おうだなんて思わないけれどね」

「謙遜か」


 帽子屋は呟く。


「そんなものじゃあない」


 テルミーは答える。


「……そんなつまらない認識じゃあない」


 そして、帽子屋はコックピットから姿を消した。

 再び、コックピットはテルミーだけになる。

 テルミーはため息をついて、前方を向く。

 再び、壁と対面する。

 壁は大きく、とても簡単に壊せるとは思えない。

 にもかかわらず、彼女はここにいた。

 理由は簡単だ。

 ラトロの権益は喉から手が出るほどに、どの国も欲しがっているものだ。リリーファーの最新技術が手に入るからだ。

 この世界において、最新技術が手に入るということは戦争で優位に立つ事が出来る。

 即ち。

 それは彼女が実際に『したい』ことではない。

 だが。

 それを彼女が口に出した瞬間、彼女は彼女では居られなくなるだろう。

 起動従士はその秘密を厳重にするため、起動従士が殉職すること以外で辞職する場合においては、その記憶を凡て消し去らなければならない。

 起動従士に関する記憶だけではなく、それ以外凡ての記憶を消し去る理由は、起動従士だった人間をそのまま抹消する意味を持つからである。

 では、そのあとの起動従士だった人間はどうなるのだろうか?

 答えは簡単だ。記憶だけを消した状態で『偽りの記憶』を植付け、名前も変えてどこかの場所へと住まわせる。保護は国が行う。少々面倒臭い方法ではあるのだが、リリーファーの秘密を守るためにも重要な事であるのだ。

 だから、彼女は従わざるを得ない。

 たとえその任務が理不尽であろうとも。

 彼女はそれに従わなくてはならないのである。


「……やるぞ」


 彼女はマイクを手に取り、通信を行う。


「これから、リリーファー『ペルセポネ』は壁の破壊を試みる!! いいか、壁の破壊に成功したら追撃しろ!!」

『――了解』


 短い返答を聞き、テルミーはマイクの電源を切る。

 そして。

 テルミーはニヤリと微笑んだ。


「さあ――作戦開始だ」



 ◇◇◇



 その頃。

 崇人とエスティは廊下を闊歩していた。

 どこへ向かっているのか?

 待ち合わせ場所に向かっているのであった。

 では、その待ち合わせ場所は?


「……そういえば、待ち合わせ場所ってどこだったっけ?」

「さあ?」


 二人は今迷子になっていた。

 元はといえば、待ち合わせ場所をきちんと聞いていないことが問題であるのだが、このままではたくさんの問題が生じてしまう。


「……どうにかして、先ずはここから脱出せねばならないだろうな……」


 崇人がそう呟くと、エスティは再び咳き込んだ。

 それを行ってから、「ああ、ごめんね」とエスティは頭を下げる。


「エスティ、大丈夫か?」


 崇人の問いに、エスティは頭を縦に振った。


「風邪?」


 さらに崇人は訊ねる。

 対して、エスティは首を傾げる。


「風邪、なのかなあ。解らないんだよ、正直言って。リリーファーに乗り始めてそれほど時間は経っていないけれど、たしかリリーファーに乗り始めてから風邪っぽい症状になったよ」

「休むことはしないのか?」

「人員が足りない、ってマーズさんがよく言うからね。人員過多とまで言われる状況になるならば悠々と休めるのかもしれないけれど。まあ、自分にはそんなこと出来る余裕なんてないけれどね」


 そう言ってエスティはシニカルに微笑んだ。


「そんな余裕なんて……まあ、確かにないな」


 崇人はそこでふと昔のことを思い出す。それは彼が企業戦士だった頃の話だ。

 企業戦士。

 それは企業のために自らの身も家族をも顧みず会社や上司の命令のままに働く姿を『戦場で戦う戦士』として例えたブラックジョークに近いものであるが、現にそのような人間は、崇人の居た世界では常識だった。

 だから、彼は自分で考える力はあるものの大抵は上司や会社の命令に忠実に従う――そういうスタイルをとっていた。

 だが、この世界ではそういうものをうまく組み合わせなくてはならない。崇人が元々いた世界の常識は通用しないと思っていいだろう。

 常識が通用しないからこそ、崇人は自らの頭で考えねばならない。ヴィーエックのような例外も確かに存在するのだが、平均化すれば全員が崇人の『常識』を『非常識』と認識しているということなのだ。

 それを考えるならば、崇人には常に余裕がない状態である。強いて言うなら、この世界に慣れてきて漸く余裕が出てきたくらいだろうが、それでも緊張は続いている。気を抜いて前の世界の常識を出してしまえば取り返しのつかないこととなるかもしれないからだ。


「だけれど……」


 エスティの声を聞いて、崇人は我に返る。


「余裕がないのは、まあ解る。しかし、この状況では余裕がないとどうなるかは解るよな? だから、どうにかしなくちゃいけないんだ。だけれど、どうにかするといってもどうすればいいのかが解らない」


 崇人の言葉に、エスティは頷く。

 エスティは崇人の言葉に納得していないようであったが、崇人の話は続く。


「余裕がなければ最善の選択をとることも出来ない。それは即ち意味がないことと同義だ。……エスティ、解るだろ? ここでの選択の誤りは、何を引き起こすか解らない。自分を死に追いやることだって考えられるんだ」


 崇人は自分の人生で、手に入れたものをエスティに語っていた。何しろ、人間が生きている上で手に入れているものは、どのような価値にも代え難いものだ。


「……じゃあ、どうすればいいのよ」


 エスティはそう言って口を尖らせる。


「それは……解らない」

「解らない?」

「そうだ。ともかく、ここから出よう。でなくては、話にならないだろ?」


 その言葉に、エスティは小さく頷いた。



 ◇◇◇



 その頃、マーズたちはここから脱獄するため、行動を開始していた。

 マグラスの言った『北』を目指して歩く。途中かなりの確率で牢屋の向こう(鉄格子の向こう、と言った方が正しいだろう)から暴言が聴こえる。しかしマーズはそんなことはシャットアウトしていた。他の団員にもそれはするよう伝えてあるが、殆どの人間が軍籍になって数日の、謂わば素人とも言える人間ばかりであることを考えると、恐らく恐れ戦いてしまっているに違いなかった。

 とはいえ、その威嚇に乗るのもつまらない。無駄に時間をかけてしまい、逃亡出来なくなってしまうからだ。だからといって囚人たちをそのままにしておくのも不味いだろう。これほどの声だから、看守たちに大まかな位置が知らされているかもしれないからだ。ともなれば先回りされている可能性がある。

 先回りされていて仮に戦闘に発展した場合、マーズたちハリー騎士団に勝ち目は無いだろう。


「どうすればいいかしら……!」


 そんな時だった。マーズの耳に囚人たちの声に紛れてか細い声が入ってきた。

 直ぐにそれが何処か判断し、その場所に向かう。そこは独房だった。独房には茶色いローブを着た人間が立っていた。


「何の用だ」


 マーズが短く訊ねると、人間は答える。


「……聞こえたようでよかった。そうでなければあなたたちを助けることは出来なかっただろうから」

「お前が発したのは軍で使われていた救援信号だった。怒号に紛れてもそれだけは聞こえたものだからな」

「……手短に話しましょう」


 そう言って人間は鉄格子を開けた。それを見て、マーズは思わず目を見開いた。


「牢を出入り出来るならば何故脱獄しない?」

「しない、のではありません。出来ないのです」


 そう言った人間の言葉を聞き、一先ずマーズたちはそれに従うこととした。



 独房は思ったよりも広く、マーズたちハリー騎士団が入ってもその広さは充分だった。マーズが入ってすぐ監視について訊ねたが、ローブを着た人間は「ダミー映像を流しているので、問題ありません」と軽く笑うだけだった。


「ところで、いつまでそのローブをかぶっている? 別に外してもいいんじゃあないか」


 マーズに訊ねられ、それは小さく頷きローブを外した。

 その正体は少女だった。透き通った白い髪は見るものを圧倒させる。目の色は青く、肌も血の色が感じられないほど白かった。今そこにいるのは人形なのではないか――そう錯覚させる程であった。


「私の自己紹介から行きましょうか。私の名前は、ロビン・クックといいます。『シリーズ』の番外個体……というとかっこいいけれど、実際にはシリーズから除外された存在です」

「シリーズから……除外?」


 その言葉にロビンは頷く。


「私はあることをしてしまったためにシリーズから除外されてしまいました。それがどういうことなのか、今はお教えすることは出来ませんが……おかげで私はこのような場所で隔離されましたが、こうしてあなたたちと会うことが出来た。特にタカト・オーノ。あなたには……って、あれ?」


 そこでロビンは違和感に気がついた。


「タカトなら、ここにはいないけれど?」

「おかしいですね……。確かここに来るはずだったのに」

「来るはずだった?」


 マーズはその言葉を聞いて、ロビンの肩を掴む。


「それって、どういうことよ」

「そのままの意味。私は『目』を持っている。その『目』は凡てを見通す目であるし、凡てそれに|準(なぞら)えて進んでいく。私が話の流れを作っていた」

「……何を言っているのかよく解らないけれど、つまりはあなたは『預言者』だったということ?」


 マーズの問いに、ロビンは頷く。


「預言者、というのは少々大層らしいけれど、まあそれに近い存在だったのは確か。けれど、それでも私はシリーズには必要ない存在だったようだけれどね」

「シリーズには……序列が存在するとでもいうの?」

「あなたが『シリーズ』をどう思っているかは知らないけれど、案外人間味のあるものよ。きちんと序列がされてあるし、人間のように趣味を持って語らったりすることもあるくらいに、ね」


 マーズにはそれが理解出来なかった。

 彼女が知っている『シリーズ』というのは、人間とは程遠い存在であると思っていた。しかし、そういうわけでもないようだった。

 『シリーズ』はもしかしたら、人間を知ろうとしているのではないか?


「……そんなことはありませんよ、少なくとも私だけの解釈でありますが」


 しかし、その考えはロビンに直ぐに否定された。


「シリーズが人間を知ろうとしていた……そう思うのはあなたの勝手です。しかし、実際は異なるのにそうも考えてしまうのは、私としても非常に鬱屈です。ですが、私としては、あなたたちに協力せねばなりません」

「どうして? その理由をはっきりしてもらえないと、私は信用出来ないわ」

「……いいでしょう」


 そう言って、ロビンはため息をついた。


「タカト・オーノはこのまま行けば『最悪の存在』になることでしょう。それは誇張表現ではなく、まったくそのままの意味です」

「まったくそのままの意味……?」

「それを今、あなたたちにいうことは出来ません。ですが、タカト・オーノ、彼だけには言わなくてはならないのです。真実を、凡てを」


 ロビンの言葉を、未だマーズは信じることは出来なかった。

 しかし、ロビンの目は濁ってなどおらず、ただまっすぐマーズを見ていた。

 それを見て、マーズは立ち上がる。


「……解ったわ」


 ロビンを見上げ、マーズは言った。


「あなたのことを、まだ信じたつもりではない。それだけは覚えておいて」

「恩に着る」


 そして、マーズはロビンに手を差し出した。

 ロビンはそれを微笑んで、手を差し出し、握り返した。



 その頃、崇人とエスティは学校から脱出するために廊下を走っていた。

 廊下はあまりにも長い。その長さゆえにループしているのではないかと錯覚するほどだ。


「ここはいったい……」


 どういう場所なんだ、と崇人が呟いたちょうどその時だった。


「ねえ」


 声をかけられたので、崇人は振り返る。そこに居たのはひとりの少女だった。崇人はその少女に見覚えがあった。セレス・コロシアムで開催された『大会』、そこで会った少女。


「君は確か、『大会』で会った……」

「タカト、どうかしたの?」

「君は真実を知らないだけ」


 そう言って、少女はエスティを指差す。

 少女は笑うことも悲しむことも怒ることも哀しむこともなく、ただ無表情でエスティの方を見ていた。


「真実を…………知らないだけ?」

「そう。知らないだけ」


 少女はそう言って、口を歪めた。

 少女の姿を改めて見てみると、少女は白いワンピースを着ているだけだった。金色の髪はどことなく透き通って、輝いて見える。

 少女の表情は無機質だった。まるで半導体のシリコンウエハーのように、何もない平坦な表情を浮かべていた。


「……エスティ・パロング。あなたはまだ知らないのかもしれない。だとするなら、あなたは何れ真実と向き合う場面にぶつかる。それは権利じゃあない、義務よ」

「まるで、これから何が起こるのか知っている口ぶりだな」


 崇人が訊ねると、少女は鼻で笑った。


「私が仮に凡てを知っているとして、だとしてもそれを教えることは出来ないよ。権限的な問題でね」

「権限的な問題、だと? だとするなら、どうしてここに来たんだ」


 崇人は訊ねると、少女はゆっくりと歩き出し、やがて崇人の目の前で立ち止まった。


「なに、……質問、かな?」

「質問?」

「後悔をしているかしていないかの、質問」


 そう言われただけではあまりにも範囲が広すぎて、少女が何を聞きたいのか――崇人には解らなかった。


「君も勘が冴えないね。それくらい言われても気が付かないのかい? 元の世界がよかったか、今の世界がよかったか。その後悔に決まっているだろう?」

「勝手に決められたことなのに、後悔も糞もあるかよ」


 崇人は乱暴に答えると、少女は声高々に笑った。

 余程滑稽だったのだろう。しかし崇人からしてみれば、何が面白かったのか、まったくもって解らなかったのである。

 対して、少女はその笑いを少しづつ抑えて、


「悪かったね。とてもテンプレート通りの発言ではないからね。いいものを聞かせてもらったよ。確かにその通りだ、君は『何者かに』勝手にこの世界に連れて来られた。それは間違いでもないし、正しいことだ。なるほどね……とても有意義な発言を聞かせてもらったよ」


 急に饒舌になった少女は、口調すらも変わっていたように見えた。

 しかし崇人は別段それを気にすることもなく、話を続けた。


「……それはともかく、お前はいったい何者なんだ? 『大会』の時といい、今といい。まるでこの世界に居る人間じゃあないような……」

「そこまでだ」


 そう言って、少女は手で言葉を制した。


「それ以上は、言ってはいけない」


 崇人はその言葉に不審な点を抱いたが、そもそも彼女の存在自体が『不審』であり、崇人はそれに対して何とか解明しようとしているのだが、何分ヒントが少ない。だから、そう簡単にはいかないのだった。


「まあ、あなたが今知り得る情報では、ここまでとさせていただきましょう。それ以上は、また話が進んで……という感じにはなりましょうか」


 まるでRPGの重要キャラみたいだ――崇人はそんなことを思ったが、口に出すのはやめた。

 そして。

 少女は崇人たちの目の前で――姿を消した。


「消えた……」

「ねえタカト、彼女は何者だったの?」

「何者……と言われても、知らないんだよなあ」


 崇人はそう言って苦笑する。

 エスティもそれを見て、それ以上少女のことについて訊ねることをやめた。

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