閑話 ある一日の出来事
第32話
『大会』及びティパモール紛争が終わってから三日。
崇人たちは三日間の完全休暇をもらった。とはいえ、その内訳は『起動従士になるための準備期間』であり、そのうちの二日はその準備に奪われた。
しかし、唯一一日だけが残り、崇人はマーズの家でのんびりと最後の平穏を過ごしていた。
「……まあ、国付きの起動従士となったとしても、卒業するまでは学生としていることには変わりないからな」
マーズが寝転がる崇人に苦言を零した。
「いいじゃないか。少しくらい」
崇人はそんなことを言いながら、これまでのことを振り返ってみた。
四月、大野崇人はこの世界に飛ばされた。その意味は、未だに解らないが――もし、この世界に飛ばした相手がいるとするならば、何か理由があって飛ばしたに違いなかった。
そして、リリーファー起動従士訓練学校への入学。
息つくまもなく、『シリーズ』と呼ばれる獣との戦い。
パイロット・オプション『満月の夜』の解放。
そして、『大会』での赤い翼殲滅――自分でも何が何だか解らないほどの毎日だった。
崇人は今、そんな日々が逃れられたとでも言わんばかりの平穏な日常を、わずか一日でありながらも獲得したのであった。
「あー……やっぱこういうふうにだらだらするのも最高な一日だ……」
「そうか? 私はどうも身体が鈍ってしまうものだからな。……ちょっと顔出してくるわ」
「どこに?」
「シミュレーションセンターだよ。別に言わなくても解るだろう?」
そんな会話を交わして、マーズは部屋を後にした。
◇◇◇
さて、会話する相手も居なくなった崇人は心底暇になった。
何をしようにもこれまでの疲れからかやる気が出てこず、結局はソファでテレビを見ながら寝転がるということしかしなかった。
時計が十二時を知らせるまで、崇人はそんな自堕落を気にも止めず、ずっとテレビを見ていたのだが。
不意に、来客を報せるチャイムが鳴った。
「誰だよ、ったく……」
崇人はぶつくさ言いながらも立ち上がり、玄関へと向かう。
玄関の扉を開けると、そこに居たのはエスティとアーデルハイトだった。彼らは青のナップザックを肩にかけていた。
「……二人とも、どうした?」
崇人が訊ねると、待ってましたと言わんばかりにエスティは微笑んで、ポケットから写真を取り出す。
その写真は、青い青い海だった。見渡す限りが海。白い砂浜に、等間隔に並ぶヤシの木はまるで絵画のようにも思わせるほどだった。
「これね、ここから電車で二十分くらいのところにある湖なんだよ」
「へ? 海じゃないの?」
崇人がさらに訊ねると、ちっちっちと指を振る。
「違うんだなー。確かに日光のバランスとか、砂浜とか見ちゃえば海にしか見えないんだけれど……実際のところは湖なんだよ。しかも泳げる!」
「そりゃ、湖でも泳げるところは泳げるだろ」
「そうだけどさー。そうじゃないんだよねー」
どういう意味なのだろう。崇人はそう考えながら、一先ずエスティの意見に耳を傾けることとした。
「私たち、起動従士になったということはこれから国の仕事に就くということ。ということはあまり遊ぶこともできないだろうし、それに起動従士のみんなで仲良くなる、というのも大事じゃない? チームワーク的にも」
「まあ、そう言われてみると確かにそうか……」
納得はしたが、これはあくまでも上辺だけのものだった。実際には未だに頭に疑問符を浮かべている。
「それで? どうやって、そこへ向かうんだ。近いんだろ? 電車で……三十分くらいだっけ」
「二十分だよ。タカトくん、ちゃんと話聞いてる?」
「あ、ああ。すまん……ちょっと眠っていてね」
「惰眠を貪っていたのか」
今度はアーデルハイトがクククッと笑った。
正直うざかった――崇人はそんなことを考えて、エスティの方を向き直る。
「とりあえず、俺も水着を持ってくればいいんだな? ……ちょっと待ってろ。今持ってくる」
そう言って、崇人は再び家の中へ入っていった。
荷物を整理して、それを持ってくるまでに数分とかからなかった。別に用意をしていたわけではない、と崇人は注記しておいた。
「じゃあ、行きましょうか」
「いいけど……来るのはエスティとアーデルハイトだけなのか?」
「ほかの人たちは全部ダメだーって言われたから。じゃあ、タカトくんだったら一発オッケーもらえそうだし……」
「ちょろい――って思ったから?」
「い、いや、そんなわけはないよ!?」
そう言ってエスティは顔を真っ赤にさせて、手を振った。
(……まあ、たまにはこういうのもいいか……)
崇人はそんなことを考えて、彼女たちとともにその湖へと向かうことにした。
セントラルヴァリス・ステーション。
文字通りヴァリス王国の中心に位置している駅で、ここから放射状にエイテリオ王国や、エイブル王国まで電車が走っている。
電車――というからには、電気で走る鉄道ということだ。
電気が通っていても何分不思議ではない。なぜなら、リリーファーは電気で動いているのだから、だ。
だからこの世界で電車と訊いても、崇人は驚くこともなかった。
『まもなく一番線に、ターム行きの列車がまいりまーす』
間延びした駅員の声を聞いて、崇人たちは列に並ぶ。既に幾人か並んではいるが、実際空いていた。崇人は長いあいだ企業戦士として通勤ラッシュを毎日のように経験しているのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれなかったが。
電車はオレンジで彩色されていた。車内は座席こそ埋まっていたが、立っている人間も殆どおらず、空いているといっても過言ではない。
「ちょっと混んでるねー」
しかし、エスティとアーデルハイトは口を揃えてこう言ったので、崇人は思わず口にする。
「そうか? こんなの『混雑』の範疇には入らないだろ。寧ろつり革が空いてるだけラッキー、と言った感じじゃないか?」
「またまた冗談をー。これでも混んでる方じゃない」
「……ヴァリエイブル王国の人口は、三百万人。広さは三万六千ヘクテクス。充分と広い大地に、これほどの人間しかいないので、これくらいでも『混雑』の範疇に入るのですよ。異世界転生クン?」
アーデルハイトはそうわざとぶって、崇人をからかった。
電車に揺られながら、彼らは話をすることとした。
「そういえば、タカトくん。新たな『世界』が見つかったんだって。知ってる?」
唐突に言われたその言葉に、崇人は耳を疑った。
新しい『世界』とはどういうことだろうか。世界が再構築されたわけでもあるまい。
「なんでも新天地だ。いろんな人間がそこにかける情熱はとんでもないだろうね。場所はヴァリエイブルから西海を通ってずっと向こう。どれくらい遠いのかも、見当がつかないらしい」
アーデルハイトの発言は何とも珍妙なものだった。崇人にとって、聞いたことがないからである。
「昨日のニュースだからな。昨日は一日中寝ていたと聞いたぞ?」
「誰から?」
「勿論マーズから」
『勿論』という言い草に崇人は引っかかったが、今それを議論している必要もないだろう――そう考えて、それ以上そこに触れないことにした。
「新天地ってのは、実際はどういう感じなんだ?」
「それがね、まだ大使がこちらに来たばかりで解らないのよ。強いて言うなら、あっちも似たようなロボット――リリーファーみたいなのを作っているというところくらいかしらね」
「やっぱたどり着くところってみんな一緒なんだな」
「そういうもんでしょ。ああ、でも科学はこっちのほうがまだ進歩している感じらしいよ」
「ロボットがあるのに、か?」
「其の辺は曖昧だけれどね」
アーデルハイトの言い分をつまりはこういうことだと言える。
少なくとも、ヴァリエイブルがそれで不利益になることは殆ど有り得ない――ということだ。
「まあ、それなら別に構わないんじゃないか? 結局俺たち下っ端には決められることなんて出来ないんだからさ」
「私たちは下っ端以前に国民よ」
今度はエスティの番だった。
「国民がそれを知る権利ってのは充分に必要だし、充分に存在価値があるものよ。だからこそ、教えて欲しいのに……全くそういう気配が無いからこまっちゃうね」
「しかしなんでもかんでも教えまくればスパイの存在も考えられないのか?」
「それは……そうだけれど……」
エスティがそうもじもじしていると、アーデルハイトが呟く。
「何女の子いじめてるんだ、お前は? 少しはダンディな仕草でもしてみろ」
「何言ってるんだ、俺はきちんとしたことを言っているだけで」
「お前はそう思っていてもだな……まあ、いい。もう着く」
『まもなく終点でございまーす。どなた様もお忘れ物のございませんよう、ご支度をしてお待ちくださーい』
アーデルハイトが言った直ぐに、車掌のアナウンスが聞こえてきた。
崇人が景色を眺めると、目の前にはもう湖が、崇人が写真で見た光景が目の前に広がっていた。
改めて崇人はアーデルハイトの方を向く。アーデルハイトは驚く崇人の表情を待ち構えていたように、ウインクをした。
「でしょ?」
その言葉に、崇人は強く頷いた。
◇◇◇
ターム湖。
ヴァリエイブル帝国のほぼ中心に位置するこの湖は国内外から人が訪れる観光スポットだ。
何故ならここは地熱によって冬でも暖かく、いわば天然の温水プールになっているのだ。
「いやあ……いいところねえ……」
そう言っているエスティ、それにアーデルハイトは既に水着に着替えていた。
エスティはセパレートの黒い水着を着ていた。面積はそれほど広くなく、かといって大胆でもなかった。
対してアーデルハイトは……なんというか、驚きのものを着用していた。
一般的なワンピース水着同様、前部の布と後部の布が底部で縫い合わされた構造となっており、股間部が分割されていない。背面の形状はU字形となっていて、上半身部分がランニングシャツのようになっていた。――要するに、今アーデルハイトが着用しているのは、
「なあ、アーデルハイト。どうしてお前は学校で使うスクール水着を着用しているんだ? もっといいのなかったのか?」
「お金の手持ちが無くてねえ……」
そう言ってアーデルハイトは身体をそらせる。それは、ある場所を強調(エスティはあまり豊かではない)しているようだった。エスティがそれを見て自らのと比較し、「どうしてあんなに大きくなっているんだ……」と怨念を吐き出すかのように小さく呟いている。
「まあ、こういうのはあんまり出来ないから……いいんじゃない?」
そうは言われても崇人にとって、そういうのは目のやり場に困るものだった。そうガツンと言ってやりたかったが、アーデルハイトがなんだか崇人を誘惑しているようにも見えるので、そうも出来なかった。
「アーデルハイトさん、ちょっとスク水ってどうなんです?」
「いいじゃない、スク水。オタク文化の象徴よ。なんでもこういうのに萌える人がいるらしいし」
「どうしてそういうことを知っているんですか!?」
「あら? その口ぶりだと知っているようね……」
「べべべべべ別に!? わわわたしは……知らないでしゅよ!!」
噛むほどに動揺している。つまりは、知っているということだ。
崇人はそれを見るのもさすがに疲れたのでため息をついて、一先ず彼女たちの間に入った。
「一先ず邪魔になるからほかのところで話そうな……ん?」
このとき、崇人は割り入るために両手を彼女たちの方へと向けていた。
その両手が何だか柔らかい触り心地を示していた。
どういうことだ――という思いと、もしかして――という思いが入り混じりながら、彼はそれぞれの方を見る。
すると、どうしたことかピンポイントに彼女たちの胸を触っていた。――タッチではない。鷲掴みのレベルだった。
エスティは慌てふためき、アーデルハイトは震えていた。
崇人はこの場を取り繕うとなんとか言葉を紡いだ。
「えーと……とりあえず、平和的解決?」
――その言葉が崇人の墓穴となったのは、言うまでもない。
◇◇◇
崇人はエスティの膝の上で目を覚ました。既にエスティは怒っていないらしかった。
「あ、あのーエスティさん?」
「どうしたのタカト? 私はオコッテイナイヨ?」
「目が笑っていないんですが……」
「一先ず! もう少しおとなしくしていて! もしかしたら川を渡っていたのかもしれなかったんだから」
「三途の川!? やだー! まだ死にたくないわー!」
崇人は思わず叫んでしまうが、エスティは何の反応も示さない。寧ろ、それが怖いのだが。
「大丈夫だよ、タカト。本当にもう怒っていないから」
「本当に……?」
崇人は訊ねながら、起き上がる。辺りを見渡すと、アーデルハイトの姿が見えなかった。
それを察したのか、エスティが言った。
「アーデルハイトさんはね、今かき氷を買いに行ったよ。今日はとても暑いし」
「そっか。なるほどね」
崇人は頷き、一先ずエスティの隣に座ることにした。よく見ればこの場所はパラソルによって影ができていた。
おそらくは、湖の管理者だかボランティアだかが置いてくれたものなのだろう。水に浸かってはいるものの、頭は日光に殆ど当たっている状態になる。そうなれば、熱中症にもなりやすい。
「やっほ。かき氷買ってきちゃったよ」
アーデルハイトが三人分のかき氷を持ってきたのは、それから五分ほど経ったときの話だった。かき氷の味は、ブルーハワイとレモンとイチゴ味であるということが、シロップの色で大抵理解できる。
シロップを見て、崇人はイチゴ味のかき氷を取る。エスティはレモンを取り、アーデルハイトは渋々ブルーハワイのかき氷をそのまま右手に持ち替える。
「ああ、旨い」
一口、かき氷を口にして崇人は呟く。
「……ところで、大丈夫かタカト?」
アーデルハイトが訊ねる。それを聞いて崇人は、
「ああ、別に大丈夫だ。心配させてすまなかったな」
そう言って小さく微笑む。
それを見て、少しだけ顔を逸らしてかき氷を食べ始めるアーデルハイト。しかし、慌てて食べてしまえば――その結末は誰にだって想像出来る。
「――っ!」
アーデルハイトは頭を抱える。大方、頭が痛くなったに違いない――崇人はそう考えた。
崇人はこんな平和な世界がいつまでも続けばいい――思ったが、ふと『騎士団』の名が過ぎった。
彼らが騎士団として正式な活動を開始すれば、平和な世界などそう望めないだろう。下手すればこのようなことは二度と行えないのかもしれない。
だからこそ、エスティは崇人たちをここまで連れ出したのだ。
それを考えると――崇人は思わず笑顔が溢れた。
◇◇◇
その頃。
ヴァリス王国南部にある都市――グラディア・エルファートは今日も快晴であった。そのグラディア・エルファートの中心にある劇場では、オペラが開催されていた。
その二階席、ある男がワイングラスを片手に観劇していた。
男は誰かと一緒に観劇していたようで、もうひとりの男はこれが初めてなのか落ち着かない様子を見せていた。
「どうした、ケイスくん。慌てずとも、堂々と構えていればよいのだ。君も男なのだろう」
「そうなのですが……どうも落ち着かなくて。こういうところは」
「はっはは。君もそう思うか。実は私もでね、こういうのを見るのは初めてなんだ」
男はせせら笑うと、ケイスは訊ねた。
「……ならば、どうしてここを?」
「ここならば有意義な話が出来ると思ってだね。まあ、あの辛気臭い場所よりかはマシだろう?」
こくり、とケイスは頷く。
男はそれを見て、あるものを取り出しテーブルに置いた。
それは小さな箱だった。そして、それを開けた。
その中には、小さな箱がマトリョーシカよろしく入っていた。それを見て、ケイスは怪訝な表情を示す。
「なんです、これは?」
「まあまあ、怪しむほどでもない。なんでもカーネルで開発された最新型のエンジンらしい。私たちにはまったくもって理解出来ないがね」
「解析など、いかがなさるおつもりですか?」
「しようとは思っている。だがね、恐ろしいのだよ私は。どうしてこうも簡単にカーネルが開発した最新型のエンジンが我々の手にあるのか――ということについて」
男の言い分も、ケイスには解っていた。
カーネル――機械都市カーネルは最新技術の結晶が集まっているといっても過言ではないが、その分セキュリティは比例して高度である。そんな場所からいとも簡単に手に入るのだろうか? 勘ぐる気持ちも解らなくもない。
「……もしかして、カーネルが何か……」
「可能性はある、な」
そう言うと、男は葉巻を手に取り、火をつけた。
葉巻を口に付け、吸う。そして、煙を吐いた。吐かれた煙は枝分かれして、空気へと霧散していく。
葉巻の香りは仄かに甘く、そして苦いものだった。エルリアの花から染み出るエキスを葉っぱに染み込ませたもので、若者から高齢者まで人気の葉巻であった。
「さて、君の話も聞かせてもらおうか。……シリーズと戦った、と聞いたが」
「はい。残念ながら、逃してしまいましたが」
「それでいい」
男は頷く。
「寧ろシリーズとぶつかって生きていることが奇跡だ。……ところで、どうだった。実際に戦ってみて」
ケイスはそれを聞いて、形だけ考える振りをした。なぜそうしたかというと、既に彼の中でひとつの結論が出ていたからだ。
頃合を見て、彼は結論を出した(正確には、出した『振りをした』)。
「なんだか……人間と似たような雰囲気でしたね。もしかしたら、彼らは人間だったのかもしれません」
「そいつは憶測だが、ふむ……一理ある」
男はそう言って小さくため息をついた。
そして、見計らったかのように時計を見て、男は立ち上がる。
「それでは私は用事があるからこれで失礼するが……君はどうする? まだこれを見ていくか」
「見る機会も少ないですし、見ていくことにします」
「そうか。……君も物好きだ」
そう言って、男は立ち去っていった。
男が帰ってすぐ、ケイスは冷や汗をかいた。やはり、ああいう人間との会話は慣れないものだ――たとえそれが上司であったとしても。
今、ケイスと会話していた男は、秘密組織『新たな夜明け』のリーダー、ヴァルト・ヘーナブルという人間で、ケイスの直接の上司だった。
「ほんと……なんというか染み出てくるオーラというのがすごいというか」
ケイスはそう呟くと、再びオペラの観劇へと戻ることとした。
◇◇◇
リリーファーシミュレーションセンターでは、マーズがシミュレーションを終え、滴る程の汗を拭いているところだった。それを見て、紙パックのオレンジジュースを飲みながら、メリアは呟く。
「あんた……休みというのにシミュレーションとか、ほんと仕事バカだよねえ……」
「もう少し言葉を選んで欲しいわね。自主練よ」
「言いたいことは分かるけれど」
メリアは飲み干して空になった紙パックを近くにあるゴミ箱へと放り捨てる。
「少しは休憩しないと、その練習も毒になるわよ?」
「だけれど、今年になって色々とありすぎる。だから……頑張らなくちゃ」
「少しは頼ったらどうよ? あのインフィニティを操縦する……タカト、だっけ? とか。経験こそ少ないが、あのリリーファーは世界最強だぜ」
「経験が少ないのは、この世界では命取りなのよ」
「だからとはいえ、あんただけが張り切ってもうまくはいかないだろう」
確かに、メリアの言うとおりだった。
マーズは『個』であれば絶対的な力を誇る。
しかし、『団体』であれば誰かが足を引っ張る可能性だってある。そうなれば彼女の力が百パーセント発揮されることはない。
それを彼女は恐れていた。
それを彼女は出来ることなら考えたくなかった。
「まあ、あんたのことだから騎士団結成後は特訓でも積ませるんでしょうが……」
「騎士団結成のニュースって言ったっけ?」
「騎士団結成のために十機ものリリーファーを調整したのよ。だからすごく眠くてね」
そう言って、メリアは大きく欠伸を一つした。そのあとに「ほらね」と付け足す。
「だったら寝ればいいじゃない。私に付き合わずとも」
「私しか起動できないんだし、あんたがやったら確実にシミュレーションがうまくいかないのよ! だって、ほかの起動従士と聞いてみなさい? あんたの難易度は遥かにそれを上回っているから!」
メリアはそう言ったが、やはり眠気には勝てないのだろう、ふらふらと部屋を後にする。
「帰るときはフロントで言っておいて……私は寝るわ……」
そう言った、メリアにマーズは「おやすみ」と声をかけた。
それを聞いたメリアは、小さく手を振った。
さて。
一人になった部屋で、マーズは改めて考えてみることにした。
それは、騎士団結成の真の意味だ。
恐らく、騎士団は『インフィニティ』を保護するため――という意味が強いのだろう。それを考えると、ほかのメンバーは謂わばインフィニティの囮ということになる。
だから、各個人が力を備えなければならない。
今まで学生身分だった彼らに、突如として起動従士の位とリリーファーを与える。
『大会』でもある制度ではあるが、この制度にかなり不安がある人間も多い。現にマーズがなったときはかなり批判もあったものだ。
しかし、それから彼女を守ったのは今の国王――ラグストリアル・リグレーだった。
だからこそ、彼女は彼に感謝せねばならない。だって、今の地位があるのは彼のおかげであるのだから。
マーズはため息を一つつくと、ポケットからスマートフォンを取り出す。
スマートフォンには様々な情報が書かれている。今や、この世界においてもスマートフォンは必須であり、これを持っていない人間は遅れている――そんな文句があるほどだ。
スマートフォンを起動し、シミュレーション中にメールが来ていないかどうかを確認する。
案の定、メールが一件届いていた。
ラグストリアルからのラブコールだったら消してしまおうか――マーズはそんなことを考えていたのだが。
ふと、宛先を見て――それを止めた。
「……アーデルハイト?」
彼女といつの間にメールアドレスを交換したのか、マーズも覚えてはいなかったが、そんなことはどうでもよかった。
寧ろ気になったのは、件名の方だ。
「『とある新興宗教の教祖演説』……? 何か気になるタイトルだこと」
本文を見ると、そこにはなにも書かれていなかった。
強いて言うなら、添付ファイルが一つ、動画ファイルとしてあったくらいだ。
仕方がないので、マーズはそれを見てみることとした。
そこには、『光の教会』とタイトルが付けられていた。
動画の長さは三分弱だ。その中で白い服を着た男が延々と話している。
それは全て、あるものに関することだった。
――神など、いない。
それは、宗教として如何なものか――しかしカミサマを信じない宗教も確かにあるわけで、それを無宗教のマーズが信じようにも無理な話だった。
男の演説は続く。
『神などいないのだ! 考えても見てくれたまえ! もし神がいるとするならば、祈れば神は助けてくれるはずだ、君たちの信じている「神」とやらは! そのために君たちは毎日祈っているのだろう?』
「カスタマーセンターじゃあるまいし」
マーズは男の演説にツッコミを入れるも、まだ演説は終わってなどいなかった。
『だからこそ――私は、神などを信じなくてもいいのだと思っている。ならば、何を信じるか? リリーファーを信じれば良いのだ! 人間によって造られた異形は最早、神と言っても過言ではない! 世界を守ってくれる存在は、君たちにとって何者だ? 戦争が始まったとしたとき、何が守ってくれる? ……そうだ、リリーファーが守ってくれるのだ! リリーファー――ひいてはそれに乗る起動従士! 私はそれを崇めるべきだと思っている!』
男はそう言って、拳を高く掲げた。
『何もしない神など、最早神ではない! 信じるべきは……リリーファー、起動従士なのだ――!』
それを聞いて、マーズの顔がこわばった。
とうとう出てきてしまった。
いや、寧ろ今まで出てこなかったことがおかしいとも言えるだろう。
リリーファーは、現時点において人類同士が戦う上での唯一の手段で最強の手段といえるだろう。それを持たない人間は、リリーファーに守ってもらうほかないのだ。
とすれば、リリーファーを神格化する人間が現れてもおかしくはない――いや、もしかしたら彼女が知らないだけで以前からいたのかもしれない。
しかし、どうしてアーデルハイトはこのタイミングでこれを報せることとなったのだろうか? そのことは、マーズには解らない。
気になったので訊ねてみようともしたが――それはやめることにした。
何れ、自分が目の前で見ることだろう、とマーズは独りごちり、立ち上がった。
◇◇◇
結論から言って、湖はとても崇人にとって有意義なものだった。きっとそれは、アーデルハイトやエスティにとっても同じだったに違いない。
なぜそういうことが解るのかといえば、彼女たちは今崇人を支えにして寄っかかって眠っているためだ。電車の中で眠っているので、崇人が寝るわけにもいかない。
「まあ……
崇人は独りごちると二人の顔を眺める。その顔は至極満足そうな表情を浮かべていた。
崇人はひとつ欠伸をした。彼も疲れが溜まっているのだ。とはいえ、眠るわけにもいかない。寝過ごすのはあまりよくないからだ。
眠気覚ましにも彼はこれからのことを考えてみることとした。
騎士団――と国王、ラグストリアルは言った。
騎士団とは、実際にどういうことなのか。
定義だけ考えても、意味は違うものとなるだろう。
しかし、三十五年日本で企業戦士として生活してきた崇人に、そんなことは到底解らなかった。
だとするなら。
「黙って受け入れるしかないってわけか……」
崇人は独りごちる。
たまに崇人は、こう考えてしまう時がある。
――もし、戻れなかったら。
この世界で一生生きていくことになる。
だが、それでも特に悪くはない――崇人は最近そう思うようにもなった。
この世界は、巨大ロボット『リリーファー』を戦争に使う世界で、不運にも起動従士として選ばれてしまったわけだが、幸運にもこのような人物と仲良くなっていった。
このまま行けば、確実に戻れなくなる。
崇人は、そんなことを考えて、騎士団結成のことを聞いていた。
だが、それに反対することも出来ない。
そんな意志など、許されているとも思えなかったからだ。
「……そんなものは戯言だ」
崇人はどこかで読んだミステリー小説の主人公の口癖を真似てみた。それはとても無意味な行為だったが、たまには無意味な行為をしたくなるのが人間というものだろう。
しかし、確かにそんなことをしても意味などない。
ならば、どうすればいいか。
「そんなことは、自分で切り開くしか……ないよなあ」
そう言って、崇人は空を見る。空には夕焼けが広がっていた。そして、それを斬るように飛行機雲が一閃していた。
◇◇◇
「……しっかし骨が折れた」
白い部屋で『白ウサギ』が湯呑に入っている茶を啜っていた。
「ご苦労さまだ。まったく」
帽子屋がそう言って、白ウサギの横に座る。
「なによ、あの坊や。まったくもって恐ろしいじゃない」
「人は見かけによらない……って言うだろ?」
「そうかもしれないけれど……」
そう言って白ウサギは卓袱台に置かれている皿に入っているマカロンを一つとってそれを口に入れる。直ぐに彼女の口内には甘い味が広がる。
「ああ……仕事のあとのマカロンは最高ったらありゃしない」
「甘ったるいものがあんまり好きじゃないんだよな、僕は」
「そういうのって好き嫌いって言うんじゃない?」
「いいや、違うね」
帽子屋は微笑んで。
「それは食わず嫌いって言うんだ」
「自分で言うかなそれ……」
そう言って白ウサギはもう一個マカロンを頬張った。
――そうして、それぞれの一日が過ぎ去っていった。
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