第14話

 帰り道の道中。

 エスティと崇人は話をしながら帰っていた。


「……結局、仲良くなれるかなあ」

「あのメンバーと? どうだろうね。私もちょっと難しいかなぁ……」

「そうだよね……」


 崇人はミーティングでの各人のファーストインプレッションをまとめると、つまりはそういう結論になった。

 そういう結論になったとはいえ、結局崇人が大会に出ることには変わりない。寧ろ、それが変わることは有り得ない。まだ元の世界に戻る方法も見つからない崇人にとって、組織に所属することは仕方ないことでもあった。

 だからとはいえ、自分がこのようなところに出てもいいのか、と崇人はまだ考えていた。周りの出場メンバーは(大まかに見て)起動従士になろうという大きな夢を抱いている。突然にこの世界に到着して、成り行きでこの学校に来た崇人とは大違いだ。つまりは、崇人と崇人以外の人間とでは、この大会にかけるモチベーションが大きく異なる。

 自分はここでやっていけるのか――ある意味ではそれを判断するためのイベントだと、崇人が自己解釈出来たかどうかは、まだこの時において定かではない。



 いつもの分かれ道でエスティと別れ、崇人は自分が住む家に到着した。先ずは状況報告としてメンバーになったことを“上司”に報告せねばならない――崇人はそう考え、溜め息をついた。

 そして扉を開け、靴を適当に脱ぎ捨てる。この国では屋内(一般家屋等)の土足の有無について細かく定められていない。しかしながら、床が汚れないことに対する清掃の利便性等を考えると、結果として殆どの家庭では玄関で靴を脱ぎ、屋内では裸足やスリッパ等を履いて過ごすようになっている。ここ、マーズ・リッペンバーの家もそのようになっている。

 玄関でスリッパに履き替え、リビングに向かう。マーズは不在だったようで、部屋は仄かに暗かった。


「……おかしいな、今日は遅くなるとは言っていなかったはずなのに……?」


 まあどうせ『仕事』だろうと勝手に結論付けた崇人は、冷蔵庫に入っている麦茶を取り出した。そして、コップを取り出し並々に注いで一口飲んだ。直ぐに口の中に仄かな苦味が広がる。マーズが麦茶の沸かしに失敗でもしたのだろうか。

 そこで、崇人は改めて自らの置かれている状況を考えてみることとした。

 崇人は元いた世界では『D&Rエンタープライズ』という会社の技術部に務めていた。その会社はロボットを開発していた。

 二〇一三年当時、ロボット技術は著しく発展している分野で、崇人の居た会社はそれが日の目を浴びる前から目をつけており、ある巨大財閥から支援され一九九八年に設立となり、崇人はその初期スタッフとなって以後十五年もの間働いていた。

 崇人が開発していたのは所謂音声認識システムだ。もっと言えば、それを用いてコンピュータやロボットに命令を伝達するといったものだ。即ち、事前に書きこんでいたパターンに沿って動かすのではなく、『ロボット自体に人間の脳を組み込ませる』ことで、まるで人間のように動くロボットを作ろうと考えていた。そして、その中でも音声認識システムはその根幹を為す、言わば要となるものだった。

 崇人がこの世界にやってきたその日も、スプリントの終わりに間に合わせるために、音声認識システムのプログラムファイルのエディットを行っていた。


「なんだかなぁ……」


 それからのことは、この世界に来て一ヶ月余り経った今ですら理解出来ていなかった。突然の異世界。ロボット。崇人の世界では確実にオーバーテクノロジーと呼ばれるような技術。突然学校に通うことになり、成り行きで大会にまで出るようにまでなった。まったく、人生というものは理解出来なかった。

 斯くも人生とはここまで予測不可能なものなのか、と崇人は呟く。幾ら何でも、そんなものが予想出来るのは有り得ない。出来るとするならそれは夢見がちで現実逃避をしたかったか、ただの馬鹿である。

 そうでありながらも、崇人は結局はこの世界を好きと思いつつあった。

 しかし、前の世界にもまだ『離れたくない』という思いはあった。

 彼は、そして、その中で葛藤していた。

 それは、誰にも、この世界で生まれ過ごした誰にだって、解りえないことだった。



 マーズが帰ってきたのは、それから二時間も経ってのことだった。崇人が冷蔵庫にある材料から野菜炒めを作り、ちょうど食べ終わった時だった。


「いやー、ちょっと用事が入っちゃってね」

「飯は?」

「食ったよ。……あれ。もしかして、ご飯用意しちゃってた? ごめんよ、メールなりなんなりすりゃよかったんだが、あの王様ずっと私にベタベタくっついてたもんでさ……」

「またあいつか。だったら、話をしたくないからメールでやれとでも言えないのか?」

「あれでも一国の王だからねえ。無理だとは思うよ」


 マーズはため息をついて、冷蔵庫にある缶ジュースを取り出す。プシュという空気の抜けた音とともにジュースが開けられ、一口飲んだ。


「まったく、疲れちゃうよ。今日だなんて、聞いてもなかったしね。聞いていたなら、もうちょい余裕もっていたんだけど」

「なんについてだったんだ?」

「『大会』と『ティパモール紛争殲滅作戦』についてだよ。もっとも、私にとっちゃ後者の方が圧倒的に大きいパーセンテージを占めているがね」

「殲滅……作戦?」

「これはオフレコだけどね」


 そう言って、マーズは崇人に話を始めた。

 ティパモール紛争殲滅作戦。

 ティパモール独立運動により紛争が多発しており、それによって経済事情も滞りつつあることを確認した政府は国王の名のもとに殲滅作戦を実行することを決定した。

 ティパモールとはひと月もしないうちに『大会』が行われるが、それと同時進行に展開していく。リリーファーを三台投入し、『赤い翼』などを含むティパモール独立派のアジトを徹底的に叩き潰すのが目的だ。


「……大体は解った。そして、これが『大会』当日にいけないという用事か」

「まあ、そんな感じだね」

「そんな感じってな……。解った、こっちもとりあえずメンバーには確定したよ」

「ご苦労さん。それで、あとは一月後の大会待ちってわけだ。ところで……あんた、なろうと思えば国付きの起動従士になれるのに、なろうとは思わないわけ?」

「まだ考えてちゃいないよ。まだ、前の世界に戻りたい気持ちの方が強いってのもあるし」

「前の世界、ねえ……」


 マーズは呟く。そして、何かを思い出したかのように話を再開した。


「ねえ、どうしてあんたがこの世界に来たのか考えたことはない?」

「……なんでだろうな。案外カミサマってやつの気まぐれだったりしてな?」


 俺はカミサマだなんて信じていないんだが、と付け加えて崇人は笑いながらその質問に答えた。


「カミサマねえ。……だとするなら、カミサマってのは本当にクソッタレな存在なんだな。相変わらず」


 ――十年前と、変わらない。

 最後にマーズが言ったその言葉は、崇人の耳には届かなかった。



 次の日、崇人はいつものとおり、起動従士クラスに来ていた。入学式から無遅刻無欠席であるため、これが異世界に来てちょうど一ヶ月ということになる。

 そして、それは、大会まであと少しということを意味していた。


「タカトくん、元気だねぇ……」

「どうした、エスティ。夏バテか?」


 だったらまだいいけどね、とエスティはつぶやく。


「昨日は、ちょっと徹夜しちゃって……。おかげで、今日の一時間目は睡眠学習に頼りそうな勢いだよ」


 もう既にエスティは半分夢の世界に旅立っていることは、崇人もわかっていたが、それを言わないのが優しさってもんだろう――崇人はうんうんとそう頷きながら言うと、エスティをそのまま寝かせておくことにした。


 ――其の後、エスティが一時間目の教員に頭を叩かれたことは、言うまでもない。



 ◇◇◇



 お昼休み、食堂は今日も混んでいた。


「あいかわらず、ここの混み具合は変わらないというか、なんというか」


 そんなことをつぶやきながら、崇人はきつねうどんをトレーに乗せ、いつものようにエスティたちが待つ場所に向かった。このスタイルは僅か一ヶ月ですっかり崇人の生活サイクルの中に組み込まれるようになり、それは崇人もいいことだろうとしてなおざりにしている。


「しかしまぁ、こう毎日うどんとか飽きないのか? タカト、君くらいだぞ。食堂のおばちゃんは君のこと、『うどんマスター』とか呼んでるくらいらしいし」


 ケイスは、そう言って定食のご飯をかっ込んだ。定食の御菜は、茄子と肉を混ぜたようなもの(に見えるだけで、実際に材料は違うことだろう。現に、ケイスが茄子と思しき何かを箸でつまんでいたが、その色は真っ赤だった。そんなナスは果たして存在するのか? とも崇人は考えていた)で、崇人はそれを食べるには少々抵抗があった。とはいえ、この世界全ての食材が崇人にとって苦手というわけでもなく、特に崇人が好きだったのは缶詰だった。マーズ・リッペンバーという女子は、調理があまり得意でなく、失敗することも多い。そのため、恐らくその保険として、大量の缶詰がリッペンバー家には備蓄されており、崇人はそれをかなりの頻度で食べることになる。

 この世界の缶詰のバリエーションは、崇人が元居た世界以上に多く、味付けもそれに近い。何故かは知らないが、崇人にとって、それはある意味救いだった。


「うどんマスター……ねえ。けれど、俺はどうもうどんしか食いたくないというか、うどんが大好きというわけでもないんだよなあ。懐かしの味……と言ったほうがいいのかな。まあ、そんな感じだよ」

「懐かしの味、ねえ」


 ケイスは箸を置いて、水を一口飲んだ。よっぽど崇人が言った『うどんは俺の懐かしの味』というのが余り理解できなかったらしい。けれども、懐かしの味ってやつは人それぞれだからどうでもいいだろう、というのが崇人の正直な感想だったため、特になにも感じていなかった。


「そういえば、もうすぐ『大会』だけど、ケイスくんは魔術クラスの代表として出るんだよね」


 エスティが言うと、ケイスは少し照れながら頬を掻いた。

 魔術クラスといった、起動従士クラス以外のクラスは一クラスの代表一人しか出ることが出来ない。だから、それに選ばれることは名誉であり、かつそれに選ばれることはそのクラスの重圧がかかるということだ。

 また、代表に選ばれるのはクラスの上位の成績を誇る人間であるが、それがトップであるとは限らない。いろいろと基準があり、それを満たした者こそが代表としての権利を得る。それを選ぶのは学校の先生ではない。『大会』のために集められた有識者――『オプティマス』である。オプティマスは大会が開催される度に成立と解散を繰り返している。また、三回以上の続投は許されておらず、それ以後はオプティマスへ参加することは許されない。これは、大会参加者とオプティマス参加者の間の癒着を防ぐためでもあり、それは即ち大会自身の平等をはかっている。


「……そういえば、今年の『オプティマス』に起動従士クラスのアリシエンス先生が就いたって噂があるけど」


 ケイスは小さく呟いた。


「それ、どうして知っているの……?」

「噂だよ、噂。最近アリシエンス先生、公欠多くない?」


 崇人は最近の記憶を思い起こしてみる。そう言われると、確かに最近の授業では三回に一回の割合くらいで休講にしており、もうすぐ補講も二回くらい連続でやるというのだから、学生としては少し微妙な感じになっている。


「それで、アリシエンス先生が『オプティマス』のメンバーに選ばれたんじゃないか、って話だけど……。まあ、まだ噂でしかないよ。噂ってのはいっぱいあるさ。例えば、ペイパス王国に居る起動従士はこの学校の学生と同じくらいの年齢だとか。まあ、マーズ・リッペンバーの例があるし、とても驚くことではないと思うけれど」

「オプティマスに選ばれる……でも、アリシエンス先生は元起動従士だしありえそうだよね。確か、マーズさんが『大会』で選ばれた時に引退したらしいから、ちょうど七年前かな?」

「七年前……。早すぎやしない?」

「特に問題もないんじゃない。だって、選ばれたんだし。選ばれたもん勝ちでしょ」


 エスティはそう言うが、正直それは胸を張れるものなのだろうか。明らかに違うのは、崇人もどことなく解っていた。

 とりあえず、崇人は次の授業はなんだったかな、とか考えながら、最後のうどんを啜った。



 ◇◇◇



 一日も終わり、さて帰ろうとした時に、崇人は声をかけられた。振り返るとそこに居たのはアーデルハイトだった。彼女は珍しくゲームをしていないようだった。どうやら、スマートフォンを忘れてしまったらしい。


「少し、質問があってきたんだけど。ちょっと、いいかな」


 少し考えて、崇人はそれにイエスと答えた。



 アーデルハイトと崇人がやって来たのは、通学路の傍にある古い喫茶店だった。マスターも店内も年季が入っており、なんだか落ち着ける雰囲気を醸し出している。


「マスター、アイスコーヒー二つ」


 あいよ、と言ってマスターはコーヒーメーカーにコーヒー豆を淹れる。中にはクラッシックの音楽が流れ、ゆったりと時が流れているようだった。


「……さて、ところで、話をしようか」

「ここまで呼び出したからには、よく解らないですけど、重要な話をするんでしょうね」

「物分りが早くて助かるよ。実は、こういうものでね」


 アーデルハイトの口調は学校とのテンションとは非常に異なるものだったので、崇人としてもぎこちなく応答してしまった。そして、アーデルハイトから受け取った名刺にはこう書かれていた。


 ――『ペイパス王国 起動従士

    アーデルハイト・ヴェンバック』


 それを見て、崇人はアーデルハイトの顔をもう一度見る。アーデルハイトはその反応も予想通りだったらしく、小さく微笑んだ。


「つまり、そういうことだ。改めて、よろしく」


 アーデルハイトはそう言って小さく頷いた。


「……つまり、どういうことだ。あんたはスパイってことか」


 崇人はその名刺を見てから、明らかに態度を変えていた。

 なぜなら、役職を偽っていたからだ。しかもその正体が今も戦争をドンパチやっている他国の起動従士だというのだから、信じられなくなるのも解る。


「……詐称していたのは謝る。だが、これはペイパスとヴァリエイブルで取り決めた密約によるものなんだ。私は、つまるところ、何も悪くはない」

「ペイパスとの密約?」

「そうだ。私はペイパスの起動従士でもあるが、隠れてこの国の学生として居たんだ。勿論、今回の『大会』に参加するまで、上から言われたシナリオ通りだったがね」

「シナリオ通り……? つまり、これは元々決められていたものだってことか」


 崇人の言葉を聞いて、アーデルハイトは頷く。コーヒーを一口飲み、ポケットからあるものを取り出し、それをテーブルに載せる。それは写真のようだった。写真に映されていたのは、少年だった。


「……これは?」

「『アリス・シリーズ』という単語を聞いたことがないかな。彼はその元締めと呼ばれている」


 そこに写っていた少年は中肉中背で、髪が白かった。果たして、これは人間と言えるのかも怪しい存在だった。


「最近、国を襲っているのが居るだろう? 襲っているのが彼らでね。ああ、主犯格って意味でだよ。彼らが直接手を下したのは、恐らく今まで無かったはずだ。今回の……、あのときの演習のことは覚えている?」

「ああ。それって、最初のリリーファー演習のときの、か?」

「そう。リリーファー演習の時に出た、あの化物……いや、化物なのかな。生き物なのは確かなのだけれど、まあ『化物』ってことにしよう。『怪異』でも、あるいは正しいかもしれないが」

「……それで、それがどうしたんだ?」


 崇人はうんざりしたように呟く。

 アーデルハイトはそれを見て、小さく頷いた。


「話が進んでいなかったね。だけれど、これを話さなくては、話が進まないってものがあってね。……えーと、『アリス・シリーズ』ってのは、どうやらこの世界に元々住んでいた存在らしいんだ」

「どうしてそれが?」

「この前の化物の体内の構成成分を調べた。そうしたら、人間に限りなく近い構成成分が含まれていることがわかった。つまりは、人間に遠くて近い存在であり、かつこの世界に元から住んでいたということだ」


 崇人にはアーデルハイトの言葉が理解し兼ねた。アリス・シリーズ。今までの崇人の常識では考えられない存在。果たして、それは本当に実在するものなのか、崇人は一切解らなかった。

 けれども、崇人は実際に見てしまった。『アリス・シリーズ』のひとつ、『ハートの女王』を。

 アーデルハイトは、理解していることを前提に、理解してもらいたいがために話しているわけではなかった。

 アーデルハイトは、そう考えながら、話を続ける。


「ところで、『アリス・シリーズ』という存在は、未だに解らないことが多くてね。それが何なのか、まだ調べきれていないんだ。アリス・シリーズが何なのか、完璧に解明出来れば、この世界ももう少し平和になれるだろうに……」


 崇人は暫く、アーデルハイトの話を聞くだけに留めることにした。まだ、崇人はこの世界を完全に理解していない。ならば、口を出さないほうがいいだろうと思ったからだ。アーデルハイトは、崇人の本当の正体を知らないからだ。

 そう暫く話していると、アーデルハイトはお金をテーブルに置く。


「すいませんね。突然に。奢りですんで」


 そう言ってそそくさとアーデルハイトは去っていった。

 崇人はその姿を見て、残って、氷が溶けてしまい、少しだけ薄くなったアイスコーヒーを飲み干した。


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