(11)

 かれんが家に帰ってカバンの中からスマホを取り出してみると、希恵からラインが入っていた。

 昴とのやり取りで、着信に気が付かなかったらしい。

 かれんは直感で「きっと、手塚との仲の進展の件だろう」と思い、慌てて希恵からのメッセージを読んでみた。


『今週、時間ある? 会って話したいことがあるんだ』


 話したいことって何? とかれんは返信したが、希恵からは「その時に話すね」と言う返事が来るだけだった。

 そう言えば、土曜日はちょうど何も予定がない。かれんは希恵に「土曜日でどう?」と返事をした。




 土曜日、希恵が「じゃあ……」と指定してきたのは、古町の片隅にあるひっそりとした喫茶店だった。

 18時を少し回ったくらいにかれんがその喫茶店の扉を開けると、希恵はもう店の一番奥の席に座ってかれんを待っていた。

 かれんは座っている希恵の表情を見ただけでは、何があったのかまで悟ることはできなかった。


「――希恵、お待たせ」

 かれんが希恵の向かいの席に座ると、希恵は顔を上げて、「かれん、来てくれてありがとう」と言った。

 店の中には店員以外、ほとんど人がいない。

 ただ、時々食器が触れ合う音やコーヒーのサイフォンの音、そして静かに流れるジャズのBGMが聴こえてくるだけだった。


「今日、ごめんね。急に」

 希恵が軽く頭を下げると、かれんは首を横に振った。

「いいの。ほら、前にも言ったじゃない、土曜日は結構ヒマだって」

 かれんが何でもないような笑顔で言うと、希恵も笑顔を見せた。

 近くで希恵の笑顔を見ても、希恵に何があったかまで悟ることが出来なかったが、何だかいつもの希恵の笑顔と違うような気もしないでもない。

(――やっぱり、手塚さんと何かあったのかな?)

 希恵の今日のこの表情。

 手塚と「何かあった」にしても、あまり決定的なニュアンスが込められているような感じには見えなかった。


「うん、実はね」

 希恵は顔を少しうつむかせながら話しを始めた。「かれんたちとマリンピア日本海に行った後、今度は手塚さんと二人っきりでドライブしに行ったの、胎内たいない市の方に」

「そうなんだ、良かったね」

「で、私、あの占い師さんの言葉の通り、手塚さんを『観察』してみたんだ。手塚さんの服装とか乗っている車とか行動とか。そしたら、手塚さんの車の運転席側の後部座席に……」

「後部座席?」

 かれんは思わず声を上げた。

 手塚さんの車の運転席側の後部座席って、マリンピア日本海に行く時に昴が妙にこだわっていた箇所だ。

 昴も希恵も、手塚の車の後部座席に何があると言うのだろうか。


「手塚さんの車の後部座席、座るところは座席シートが置いてあって良く分からないんだけど、背もたれの部分にうっすらと何かへこんだような跡がついてたの。何かを置いたような跡が」

「跡?」

 後部座席に何かの跡。

 もしかすると、昴がマリンピア日本海に行く時も帰る時も運転席の後ろの席にさっさと座ったのは、その「跡」を隠すためだったのだろうか。

(――でも、その跡って、一体)


「私、その跡が何なのかが妙に気になって……。手塚さんと別れた後に家でネットで調べてみたの。そうしたら……」

「そうしたら?」

「その跡、チャイルドシートの跡だったの」

「えっ?!」

「ネットで検索したら、ちょうど手塚さんの後部座席と同じようにへこんでいる跡がついている写真があって、間違いないなって」

「でも……」


 でも、どうして、手塚の車の後部座席にチャイルドシートの跡がついているのだろうか。

(――まさか)

 それって、もしかして……、とかれんは希恵の方をハッと見た。


(――そんなこと、考えたくない)

 かれんは「もしかして、そのチャイルドシートの跡って、手塚さんの兄弟の子どもとかを乗せた時についた跡じゃあ……」と考えそうになったが、慌てて首を振った。

 また、昴の言葉を思い出す。


「自分と同じような立場の人を悪いって思うのは確かにイヤな感じもするけど、そういう先入観とか価値観に捕らわれ過ぎると、物事の大切な部分が見えてこないよ」


 また、自分は「手塚がそんなことをするわけがない」という先入観で物事の真実をねじ伏せようとしてしまっていた。

 チャイルドシートの跡がついていたという後部座席に座った昴が、手塚に訊いていたではないか。


「――ちなみに手塚さん、ご兄弟はいるんですか?」

 昴は運転している手塚に向かって訊いていた。

 すると、手塚は「弟が一人います。大学院行ってて、今度卒業するんですが、大学に残って研究続けるとか言ってます」と答えていた。

 さすがに学生の手塚の弟に、チャイルドシートを使う子どもがいるとは思えない。


 ――あの男は、とかれんは思った。


 昴は視力が良いから、かれんよりも先に車の中を見て、後部座席に何かしらの「跡」がついていることに気付いたのだろう。

 昴はその跡が「チャイルドシートを設置した時にできる跡」だということにも気づいたのだ。

 金沢に住んでいる昴の姉には子どもがいる。昴の姉は時々車で新潟に帰って来るし、昴が後部座席についている跡がチャイルドシートの跡だと気づいてもおかしくない。


 あの後部座席の跡がチャイルドシートの跡だと気づいた時、昴はとっさに「いつでもどこでもマイペース」な性格にしては場の空気を読んだのだ。

 このチャイルドシートの跡が、かれんや希恵に気付かれるのはまずい、と。

 さすがにこれからマリンピア日本海へ「ダブルデート」しに行くのに、手塚の車の後部座席にチャイルドシートの跡がついているということに気付かれるのはまずい、と思ったのだろう。


 だから、「僕が運転席の後ろでも良い?」とかれんのことを差し置いて、さっさと手塚の後ろの席に座ったのだ。

 昴がさっさと座ってしまえば、昴の身体でチャイルドシートの跡が見えなくなる。

 そして、さっきかれんが思った「もしかすると、こういう理由もあるかもしれない」ということを、手塚にさりげなく確かめたのだ。


「――ちなみに手塚さん、ご兄弟はいるんですか?」

 と……。


 かれんが古町のアーケードの中で大声を出してしまった、「かれんちゃん、世の中には僕が解かない方が良い謎もあるんだよ」という昴の言葉の意味はこれだったのだ。

 さすがに「いつでもどこでもマイペース」な昴とは言え、この「謎」の答えをかれんや希恵に教えることはできなかったのだろう。

 この謎は、昴の言う通り、希恵が解き明かすべき謎だったのだ。


 マリンピア日本海のチケットの日付がおかしいとかれんが昴に話した時、昴が(何か、今の昴、ヘンだな)という表情をしたのも、言いにくいことだったからなのだろうか……。

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