(16)

 営業を終えてかれんと真人が古町のアーケード内に戻ると、いつもと同じように女の子の姿はどこかに消えてしまっていた。

「――あの、やっぱりこっちには来ないですね」

 真人がチラリと後ろを振り返った。

「うん、そうだね……」

 もしかすると、あのは昴のことが一方的に好きなのか、元カノで自分のことをつけているのかもしれない。

 そのことをずっと考えていたかれんは、上の空のような状態で真人に言葉を返した。


 かれんは真人と並んで昴の「マーズレコード」の前を通り過ぎようとしたが、昨日の出来事とあの女の子のことを考えると昴と顔を合わせづらい気持ちだ。

 今日、昴は家庭教師のアルバイトはないから店番はしなくても良いし……と思いながらかれんが「マーズレコード」を通り過ぎると、後ろで店のガラス戸が「ガラッ」と開く音がした。

 かれんは思わずギクッとして、後ろを振り返った。

 思った通り、ガラス戸から昴が「かれんちゃん、塩木君、お仕事お疲れさま!」と言いながらニコニコした表情で出てきた。


「ああ、服部さん、この間はどうも!」

 真人も昴に笑顔を返したが、かれんは何ともぎこちない表情しかできない。

 昨日、まるで捨て台詞のような言葉を言って立ち去った自分に対して、いつも通りの笑顔で接して来ようとすると昴にはやっぱり適わないな、とかれんは思った。


「これね、塩木君に渡そうと思って」

 昴は多分CDが入っているのであろう紙袋を真人に渡した。

「あっ、昼に話していたCDですね、ありがとうございます!」

「昼に話してた? CD?」

 あれ? とかれんは思った。

 この二人は昼に、自分の知らないところで何を話したというのだろうか。

「ああ、先輩に話してなかったですね。実はお昼休みにご飯食べに行った帰り、服部さんとここで会ってちょっと話したんですよ。そしたら、この間先輩が紹介してくれた曲も含めてCD貸してくれるって言ってくれて。

 いやーっ、服部さんって良い人ですね」

「ううん、そんなことないよ」

 昴が何とも晴れやかなニコニコとした表情で軽く首を横に振った。

 昴のニコニコとした表情を見ながら、かれんは半ば呆れて半ば感心した。

 この男、昨日の夜までは真人にヤキモチのような感情を持っていたはずなのに、自分が「東京時代の子」にヤキモチを焼いていたと知った途端、真人のことが気にならなくなったのだろう。


「そう言えば、服部さんって、音楽に詳しいだけでなく『謎解き』とかも超すごいんですよねー。野辺部長が言ってましたよ。もしかすると、あの俺のストーカーの女の子のこととかも誰なのかわかっちゃうんですかね? ねえ、加賀谷先輩?」

「えっ?」

 いきなりあの女の子の話を振られて、かれんはドキリとした。

 事情がわからないから仕方ないのかもしれないが、この目の前にいる男二人はトコトン空気を読めない天才らしい。


「ストーカー? 何? 塩木君は誰かにストーカーされてるの?」

 都合の悪いことに昴は真人の「ストーカー」の話に興味を持ったらしく、突っ込んで訊いてきた。

「そうなんですよ! でも、ただ万代の辺りで後をつけてくるだけで何もされたことはないんですけどね。それが、超スタイルが良くてがめちゃくちゃキレイな女の子なんです。あんなにストーカーされちゃって、困っちゃうんですよね」

「そうなんだ」

 その時、真人のジャケットのポケットからスマホの着信音が聞こえた。

「うわ! 野辺部長からですよ! きっと俺の今日の有志を褒める電話ですね。ちょっと、失礼します」


 真人がかれんと昴から離れて電話に出ると、昴がかれんに近づいてきた。

「ねえ、かれんちゃん。あの塩木君のストーカーの話って本当?」

「えっ? うん、そうだけど……。私と一緒に万代を営業してると、ずっとついてくる女の子がいるの」

「ふーん」

 かれんが(もう、ここまで来たら話すしかないな)と思いながら言うと、昴は大きな切れ長の黒い瞳をキラリと光らせた。「ねえ、かれんちゃん、その話、僕にもっと良く聞かせてよ」




 その日の仕事帰り。

 かれんは家庭教師のアルバイトがない今日こそは、昴が店主を務める「マーズレコード」に寄らなくても良いだろうと思っていたが、結局は仕事が終わると真っすぐに「マーズレコード」へ行くことになってしまった。


 昴に例の自分たちについてくる、あの女の子の話をするためだ。

(――どうして、昴はあの女の子の話に興味を持ったんだろう?)

 やっぱり、あの女の子は昴の元カノか何かだというのだろうか……。

 かれんはまたモヤモヤした気持ちになりながら、「マーズレコード」のガラスの引き戸を「ガラッ」と開けた。


「――あっ、かれんちゃん、いらっしゃい。お仕事、お疲れさま。待ってたよ」

 昴は店の奥の椅子に座ってノートパソコンを叩いていたが、かれんの姿が見えると立ち上がってかれんを出迎えた。

 かれんは昴のニコニコとした表情を見ながら、そんなに早くあの女の子の話の続きを聞きたいのか、それとも自分が来たのが単に嬉しいだけなのかわからないなと思った。

「そんなにあの女の子の話の続きが待ち遠しかったの?」

「まあ、それもあるけど、もちろん、かれんちゃんがお店に来てくれたのが嬉しいんだよ」

 かれんは思わず昴から視線を逸らした。

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