(13)

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「――それで、昴、そのまま新潟に帰って来ちゃったって言うの?」

 昴にしては珍しい「洋楽以外の長い長い話」を聞き終ったかれんは、開口一番モヤモヤしながら言った。

「うん、そうだよ」

 かれんの問いに、昴は何でもないように頷いた。


 ――本当に、この男は……。

 とかれんは思った。


 確かに昴は理由があってバンドを辞めて、新潟に帰ってきたのかもしれない。

 だからと言って、「一緒にアメリカに行こう」と言ってきたあの知里という少年を置いて、東京を去るなんて……。

(――だって、どう考えてもあの知里って子、昴のことが好きなんだよね?)

 昴のことが好きでなければ、「一緒にアメリカに行こう」なんて言わないだろうし、アメリカに連れて行きたいほど、昴のことが好きなのだろう。

 まあ、でも昴だって昴なりの事情があってバンドを辞めて新潟に帰ってきたわけだし、置き去りにされた知里もかわいそうと言えばかわいそうだけど、仕方のないことなのだろうか……。

 かれんは考えながら、じゃあ昴が「そのまま新潟に帰って来る」以外にどうすれば良かったのかの答えが見つからずに、結局はますますモヤモヤしてしまった。


「でも、昴が新潟に帰ってきたのって、一年以上も前のことだよね? どうして今頃になってその知里君、連絡してくるようになったの?」

 かれんは例のポストカードのことを思い出しながら言った。

 それにしても、あの知里という少年は今のラインやメールが主流のこの時代に、どうして「ポストカード」という古風な手段を用いてきたのだろうか。

「僕が新潟に帰ってからも、時々、知里君からラインとかメールで連絡は来てたんだよ。で、2・3ヶ月くらい前かな? ラインで『アメリカへ行けることになった』って連絡が入ったんだ」

「えっ?」

「何か、知里君が手伝った会社、すごい業績を上げたみたいで、知里君がアメリカに行っても十分やっていけるだけの資産が手に入ったらしいよ」

 昴はニコニコしながらまた何でもないような表情で言ったが、かれんはただただ驚いた。


 まだ学生くらいの少年がアメリカ留学の費用を全てまかなえるだけのお金を稼ぐなんて、相当なことだ。

 昴は知里のことを「君は僕が会った人の中でも一番頭が良いから」と言っていたが、それだけ頭が良いと大金を稼ぐこともやろうと思えばできるということなのだろうか。

 まあ、昴もこの「マーズレコード」を開店してから半年後に持ってきた貯金通帳の額もかなりのものだったし、自分とは違って生まれつき頭の良い人間は、やろうと思えば何でもできるということなのだろう。

 かれんはまたモヤモヤとした感情がこみ上げてくるのを感じた。


「そうなんだ。でも、どうして、ラインがポストカードになったの?」

「知里君、僕に『やっぱり、先生もアメリカに一緒に行こう』って言ってきたんだよ。でも、僕は断ったんだ。僕にはこの『マーズレコード』があるし、それにかれんちゃんがいるしね」

 昴に笑顔を向けられて、かれんは何となく恥ずかしくなって顔を逸らした。

「そう……」

「でも、知里君から何回もラインが来るんだよ。後、メールも。その度に僕は丁寧にお断りしたんだけど、もう、返事もしなくても良いかなって思って、最近は返信しなくなっていたんだ。

 そしたら、知里君、今度は前に僕があげたポストカードにメッセージを書いて『マーズレコード』に送ってくるようになったんだよ。それが、かれんちゃんが見たあのポストカード」


「えっ? 昴、返事しなくなったの?」

 かれんは再び昴の方に視線を向けた。

「そうだよ」

「何で返事しなくなったの? その知里君って子、ポストカードまで送ってきたのに」

「だって、同じことの繰り返しになるだけだし。それに……」

「それに?」

「知里君はもう僕がいなくても大丈夫だよ。僕のことは忘れて、アメリカに行くことやダンスをすることに専念した方が良い。僕は最後に『もう、アメリカのことについての返信はこれっきりでしないからね』って、知里君に送ったんだ。

 でも、彼は諦めきれないらしくて、ずっとラインやメールを送って来たんだ。そして、ポストカードも。そこまで僕のことを必要に思ってくれるのは嬉しいけど、彼はもう僕がいなくても大丈夫だし、僕は知里君にとっての『通過点』みたいなものに過ぎないからね」


 かれんは昴が話すのを、例のモヤモヤした気持ちで聞いていた。

 確かに昴の言うこともわかる。

 昴にはこの「マーズレコード」があるし、昴の生活だってあるのだ。

 だからと言って、自分のことを必要と思っている人間に対して、「返信はこれっきりでしないからね」と宣言したからと、本当に返事しないのはひどいのではないだろうか。


 かれんはそう思いながら、ますますモヤモヤした気持ちになった。

(――私、何でまだこんなにモヤモヤするんだろう)

 自分は昴から「東京時代の子」の知里の話を聞くまでは、「もし自分が昴に東京時代のことを訊いて、昴が東京時代のことを思い出してしまったら、また手の届かない遠い存在になってしまうかもしれない」と不安に思っていたではないか。

 実際、昴に「東京時代の子」のことや知里の話を聞いても、昴は知里に「僕のことは忘れて、アメリカに行くことやダンスをすることに専念した方が良い」とキッパリと言っているし、昴がかれんの元から離れて、かれんが恐れていた「手の届かない遠い存在」になる可能性はないだろう。

(――それで、お終いでいいじゃない)

 知里が「一緒にアメリカに行こう」とどんなに誘っても、昴にはその気はさらさらない。

 それで「何だ、良かった」とお終いになる話なのに、何で自分はまだこんなにも「モヤモヤ」するのだろうか、とかれんは自分でも不思議だった。


 多分、自分はその知里という少年に同情しているのだろう。


 同情なんて言葉を使うと上から目線な感じだが、自分は本当に知里という少年に同情しているのだろう、とかれんは思った。

 自分がその知里という少年の立場だったら……と、かれんは思わず考えてしまったのだ。

 昴は「いつでもどこでもマイペース」な人間で、時々「もう!」と思ってしまうことがあるにせよ、昴本人は非常に温厚で穏やかな人間だ。

 ヤキモチを焼いてねた表情を見せることもあるが、怒ったりしているところを見たことがほとんどない。

 

 そんな温厚な昴に、ラインやメールを無視されてしまったら……。


 いくら自分の方がしつこく「一緒にアメリカに行こう」と誘ったとは言え、あの知里という少年は非常に悲しいし淋しい思いをしたのではないだろうか。

 だって、自分があの知里と同じ立場だったら、絶対に悲しいし淋しい思いをするはずだ。

 そう、昴が東京時代のことを思い出して、また手の届かない遠い存在になってしまったらどうしようかと不安に思っていた自分のように……。


「――もう! 昴ってば、何でいっつもそうやってマイペースなの。その知里って子がかわいそうじゃない」

 かれんは突然座っていた椅子から立ち上がると、大きな声を上げた。

「えっ? どうしたの、かれんちゃん? 何で怒ってるの?」

 昴がキョトンとした表情でかれんを見上げた。

 昴がまるで何もわかっていないような感じだったので、かれんはますますモヤモヤした。

「だって、その知里って子、かわいそうじゃない。その子、昴のことを必要だと思ってるんでしょ? アメリカに一緒に行ってほしいくらい。そう思ってる人に無視された人の気持ち、考えたことあるの?」

「確かに無視したのは良くないことかもだけど、知里君は僕のことよりもダンスやアメリカに行くことに専念した方がいいんだよ。僕は現実的にアメリカに一緒になんていけないし」

「でも、知里君、昴がアメリカに一緒に行かないの、納得してないんでしょ? ラインとかメールで言っても納得しないなら、直接会って話をするとか……」

「でも、僕、お店があるし、それに……」

「確かにそうだけど、私が同じことされたら、絶対に悲しいって。知里君も悲しいと思ってるって」

「かれんちゃん、どうしてそんなに知里君のことを……」


 かれんは珍しく昴が真顔で自分を見つめていることに気づいて、ハッとした。

(――やだ、私ってば、何でこんなにムキになってるんだろう)

 自分でも意味がわからない。

 さっきまでは「東京時代の子」にヤキモチを焼いていたのに、今はその「東京時代の子」である知里に同情して、昴にモヤモヤしている。

 本当に、自分でも意味がわからない。支離滅裂とはこのことを言うのだろう。

(――私、昴の前にいるといっつもこんな感じなんだから)

 小さい頃からずっと一緒にいるのに、この「モヤモヤ」とした気持ちがいつまでも消えないのはなぜだろう。

「とにかく、その知里君とかいう子に、一回昴から連絡した方が良いって。知里君、昴からの連絡、待ってると思うから……」

「かれんちゃん……」

「じゃあ、私、帰るから」

 かれんは昴の方を見ないようにしながら傍に置いてあった仕事用のカバンを取ると、「マーズレコード」を足早に出て行った。

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