(9)*

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(――大きな家だな)

 目的地に着いた昴は、目の前に立ちはだかる大きな洋館を見上げた。

 こんな家、どこかで見たことがあると思ったら、前に読んだことがある篠山紀信の「三島由紀夫の家」の写真に似ていた。

 昴が登録している家庭教師派遣の会社から行先を告げられた時、世田谷の一等地の住所だったから、多分大きな家だろうとは思っていたが、予想以上だ。

(――三島由紀夫の家みたいに、庭にアポロン像とかあったりするのかな?)

 昴がワクワクしながらインターフォンを押すと、お手伝いらしい女性が素性を訊いてきたので、昴は「家庭教師会社から派遣されてきた服部はっとりすばるです」と答えた。

 

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」

 エプロンをつけた愛想の良さそうな中年女性が出てきて、昴を門の中に入れた。

「ありがとうございます」

「ああ、お足元、お気を付けください。落ち葉が……」

 女性の言う通り、門から玄関へと続く石畳の道には、庭に植えられている銀杏や楓の落ち葉が降り積もっている。

 二人が歩く度に、軽く風が起こって、落ち葉が脇に除けて行った。

「はい」

 昴がニコニコしながら答えると、女性は少しだけ妙な表情をした。

 昴は女性の表情を見ても、特に気にも留めなかった。ただ、チラリと視線を向けた庭には、残念ながら三島由紀夫邸と同じようなアポロン像はないな、とだけ思っていた。


 家庭教師として派遣されて来た昴がこういう「少しだけ妙な表情」をされるのは、毎度のことなのだ。

 大学時代の昴は、時間が有効に使える上に時給も良い家庭教師のバイトにかなり入っていたが、大学を卒業した今では、レコード屋でのバイトとバンド活動をメインにしていた。家庭教師のバイトは合間合間にやる程度だった。

 昴が任せられる生徒は、他の家庭教師では難しいような生徒が多かった。

 今回もそうだ。この邸宅に住んでいる生徒は、かなり厄介な人物らしい。

 家庭教師の派遣会社のスタッフによると、今まで登録してきた生徒の中でもダントツに頭の良い生徒だと言う。

 そんなに頭が良ければ家庭教師なんていらないじゃないかと昴は思うが、なぜかその生徒は家庭教師の派遣会社に登録していて、来る教師来る教師が「お手上げ状態」になってしまうと言うのだ。

 そして、昴の元へ「派遣依頼」が来たというわけだ。


 昴は今までも他の家庭教師が「お手上げ」と言ってきたやっかいな生徒を、何度も手懐てなづけている。

 派遣会社のスタッフからは、密かに「最終兵器」とか「リーサルウェポン」と呼ばれていた。

 ただ、昴の色白で細っこい見た目からは、どう考えても「最終兵器」とか「リーサルウェポン」という言葉は想像できない。

 厄介な生徒を抱えている大概の家族やお手伝いは、昴を見るとこの中年女性のように「少しだけ妙な表情」をするのだ。

 でも、昴はそんな妙な表情をされても気にも留めないし、妙な表情をした大体の大人たちは時間が経つに連れて、昴に感謝の言葉を言うようになるのだった。




 昴が通された場所は、一般の家庭で言えば「リビングルーム」と呼ばれる場所なのだろう。リビングルームというには広々としていて、大きな窓にクラシック家具らしい革張りのソファが置かれている。

 本で読んだ三島由紀夫邸の内装とは違うが、外観に劣らず豪華な感じだな、と昴はぼんやりと思った。

「――少々お待ちくださいませ。今、坊ちゃんを呼んできます」

「はい」

 昴はニコニコして答えると、さっきお手伝いが持ってきてくれたケーキと紅茶に視線を落とした。

(――やっぱり、家庭教師のバイトの醍醐味だいごみはおやつだよな)

 昴が例の大きな切れ長の黒い瞳をキラキラさせていると、部屋のドアが「ガチャ」と開いた。


 昴がドアの方に視線を向けると、先ほどのお手伝いの後に続いて、小柄な男の子が一人、部屋の中に入って来るのが見えた。

 高校一年生と聞いていたが、年よりは幼く見える。

 色白で、軽くウェーブしている髪の色や瞳の色がかなり茶色っぽい。全体的に色素が薄いイメージだ。

 家庭教師の派遣会社のスタッフが「今まで登録してきた生徒の中でも指折りで頭の良い生徒」というだけあって、何とも言えない賢そうな、「りん」とした雰囲気がある。

 実際、バレエか何かをやっているのではないかと思うほど姿勢が良く、たたずまいが美しかった。


 昴は少年の茶色い瞳が気になった。

 澄んだキレイな瞳ではあるが、生気というものがまったく感じられない。

 まるで、世界中のもの全てが「面倒だ」とでも言いたそうな、うれいを漂わせている。


 昴は座っていたソファから立ち上がると、いつものようにニコニコとした笑顔を見せながら、入ってきた少年に近づいた。

「――」

 少年は昴とは対照的に無表情のまま、ジッと昴を見上げていた。

「こんにちは。今日から家庭教師することになった、服部昴です。よろしく」

 少年は近くに立った昴の頭のてっぺんからからつま先まで観察するようにジロリと見ると、わずかに口を開いた。

白城しらき知里ちさとです」

 小さいがキレイな声が聞こえてきたと思ったら、少年はすぐに口を閉じてしまった。

「知里君ね、よろしく。――じゃあ、早速、勉強始めようか? 知里君のお部屋にお邪魔しても良いかな? 二階?」

 昴は(あのお手伝いさん、ケーキと紅茶を知里君の部屋まで持ってきてくれるかな?)と考えながら後ろを向き、さっきまで座っていたソファに置き去りにしていた自分のトートバッグを肩に掛けた。


「――坊ちゃん!」

 その時、お手伝いの慌てたような声が聞こえてきたので、昴は後ろを振り返った。

 さっき、知里と名乗った少年が、どこにもいない。

 遠くの方で、「ガチャ」と玄関のドアが開くらしい音が聞こえる。

「どうしたんですか?」

 昴が不思議そうに訊くと、お手伝いが昴に気まずそうな表情をした。

「申し訳ございません、今、連れ戻してきますから……」

 お手伝いは慌てて部屋を出て行った。

 あの少年、もしかして逃げ出したのかな? と昴は思った。

 でも、昴は今までも「逃げ出す少女」とか「勉強をボイコットする少年」と向き合ってきたので、特に驚くことなくお手伝いさんの後をついていった。


「知里君、外、出て行ったんですか?」

 昴が玄関でお手伝いに訊くと、お手伝いは頷いた。

「本当に申し訳ございません。せっかく来て頂いたのに……。坊ちゃんの靴がなくなってますし、扉も開いてますから、外へ行ってしまったのではないかと……」

 お手伝いが言いながら開きっぱなしの玄関のドアをくぐると、外には誰もいなく、たださっきと同じように落ち葉が石畳に降り積もっているだけだった。

「――」

 昴は外の石畳を見ると、後ろを振り返って、今自分が歩いてきた廊下の方を見た。

「もう、どこにもいない……。坊ちゃん、どこへ行ってしまったんだろう。新しい家庭教師の先生が来ると、いつもこれなんだから。――あっ、先生……」

 お手伝いが後ろを振り返ると、昴は自分の少し後ろにあった納戸を開けようとしているところだった。


「見ぃつけた」

 昴が納戸を「バッ」と開くと、中で知里が両手に靴を持って座り込んでいた。

「坊ちゃん! まあ、こんなところにいたなんて……」

 お手伝いが驚いたような慌てたような声を上げたが、知里はまるで何も聞こえていないかのように無表情のままジッと昴の方を見上げた。

「――何で、ここにいるってわかったの?」

 ニコニコしている昴に向かって、知里が独り言のような小さな声で言った。

「うん、外に落ちてる枯れ葉がね、人が通ってすぐの割には僕が歩いて来た時よりも乱れてないから、外に出るフリをして、本当は外に出てないんじゃないかって思って。

 で、本当に外に出てないとすると、玄関のドアの音が聞こえてからお手伝いさんがここに来るまでの間に隠れることができる場所と言ったら、この納戸しかないかなって思ったんだ」

「――」

 昴がニコニコしながら言うと、知里は黙って納戸から出て、玄関に靴を揃えて置いた。

「じゃあ、かくれんぼはお終いにして、勉強始めようか。知里君のお部屋にお邪魔しても良いかな? 二階?」

 昴が言うと、知里は黙って階段の方へと歩いて行った。

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