(3)

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 その日の日曜日は母の日だった。

 木村家ではいつも通りの日曜日の夕餉ゆうげを済ませると、とおる妙子たえこ莉子りこの家族三人はそれぞれゆったりと過ごしていた。

 ふと、娘の莉子は立ち上がると、自分の部屋へと引っ込んで行った。

 少しして戻って来た莉子の手には、深紅のカーネーションの花束が握られていた。


「お母さん、いつもありがとう」

 莉子は母親の妙子に笑顔を見せると、カーネーションの花束を渡した。

 莉子は姉のように慕っている親戚のかれんが、母の日に毎年母親にカーネーションの花を贈っていると言うことを聞いて、自分も数年前から母親にカーネーションを贈るようになっていた。

「莉子、ありがとう。こっちこそ、いつもありがとうね」

 妙子はカーネーションの花束を受け取ると、少し涙声になりながら嬉しそうに言った。

「うん。お母さん、これからもずっと一緒にいようね」

「そうね」

 莉子と妙子が向き合いながら笑顔を見せ合っていると、横にいた父親の透が「そうそう」と言い始めた。

「そうそう、俺も母さんに……」

 透はそう言ってリビングから出て行き、手に何やら小さい包装された包みを持って戻って来た。

 そして、包みを妙子に渡した。

「私に?」

 妙子が意外そうな表情をした。

「そう」

 妙子が包みを開いてみると、中から出て来たのはホワイトゴールドのダイヤモンドのネックレスだった。

「わあ、キレイ! お父さん、ありがとう」

「母さんにはいつも頑張ってもらっているし、ほんのお礼だよ」

 妙子は早速ネックレスを自分の首元に付けてみると、カバンの中から手鏡を出して来て自分の首元を映してみた。

「お父さんからもプレゼントをもらえるなんて……。莉子からもカーネーションをもらったし、今日は本当に良い日だわ」

 妙子はそう言うと、ふと涙を零し始めた。

「やだ、お母さん。嬉しいんだったら泣かないで」

 莉子が言うと、妙子は「そうね」と言いながら慌てて涙を拭った。



 翌日。

 透が洗面所で顔を洗い終わって、朝食を食べにリビングへ行こうとすると、リビングの方から何やら言い争いをしている声が聞こえてきた。

 妻の妙子と娘の莉子の声だ。

「――おい、どうしたんだ?」

 透が慌ててリビングに入ると、莉子が昨日母親にプレゼントしたカーネーションの花束をつかみ取ろうとしているところだった。

 莉子は半分泣き出しそうな真っ赤な顔をしていた。

 莉子は花束を持ったままリビングの窓を開けると、窓からカーネーションの花束を投げ捨てた。

 

 カーネーションがテラスの木の床に当たって、深紅の花びらがバラバラに散らばって行った。


「――莉子!」

 妙子が莉子の方に駆け寄ったが、莉子は妙子に向かって「どうして、私のこと裏切るの? お母さんなんて大嫌い! 口もききたくない」と吐き捨てると、そのまま自分の部屋がある二階へと引っ込んで行ってしまった。

 残された妙子は顔を手のひらで覆うと、泣き崩れてしまった。


「おい! どうしたんだよ」

 透は慌てて妙子の元に駆け寄ったが、妙子は何も言わずに泣いているばかりいる。

 昨日、透からもらったダイヤモンドのネックレスが、何かを物語るかのように、妙子の首元でただ冷たく光っていた。


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「――ふーん、じゃあ、どうも莉子ちゃんと妙子おばさんは何か言い争いをしていたみたいで、それが莉子ちゃんが口をきかなくなった原因らしいけど、それが何なのか二人とも絶対に話さないってことなんだね?」

 昴が言うと、かれんは頷いた。

「そう。何かがあったのは確かなんだけど、何があったのかはわからないの。莉子ちゃんだけでなく、妙子おばさんも何も言わないし……。それにしても、せっかくプレゼントしたカーネーションの花束をテラスに投げ捨てるなんて、相当のことがあったんじゃないのかな?」


 かれんが(本当に、何があったんだろう……)と考えながら言うと、昴はおもむろにイスから立ち上がった。

 かれんが(?)と言った感じで昴の様子を伺っていると、昴はレコードが並んでいる棚からザ・ジャムの「ザ・ギフト(The Gift)」のレコードを引っ張り出して来て、ボブ・ディランのレコードと交換して蓄音機に乗せた。

 昴がレコードの針と落とすと、「ザ・ギフト」の9曲目の「カーネーション(Carnation)」のイントロが流れてくる。


「ちょっと、昴!」

 かれんがモヤモヤしながら言った。「もう! 何で今、レコード変えるのよ?」

「だって、かれんちゃんの話にカーネーションが出てくるから、急にザ・ジャムの『カーネーション』が聴きたくなったんだ」

 ザ・ジャムのボーカル兼ギターのポール・ウェラーの歌声が流れる中、自分の向かいに座って何でもないような表情で紅茶を飲んだ昴を見て、かれんはため息をついた。

 本当にこの男、いつでもどこでもマイペースなんだから……。


「だからって、話の途中でレコード変えなくてもいいんじゃあ……」

「あっ! そう言えば、かれんちゃん、ポール・ウェラーのことが好きだったよね?」

 昴はかれんの言葉はまったくムシし、かれんのことをジッと見つめながら言った。

「えっ? 私が?」

 確かにザ・ジャムの細身のスーツに細いタイという出で立ちはスマートだし、特にフロントマンのポール・ウェラーの見た目は非常にカッコ良い。

 まあ、確かにかなりかれんの好みだ。

 でも、好きとかそんなことを昴に言っただろうか、とかれんは首を傾げた。


「ほら、僕が新潟に戻って来た時、かれんちゃん、引っ越しの手伝いしてくれたでしょ? その時に僕が持ってきた音楽雑誌のポール・ウェラーの写真見て『わあ、カッコ良い』って言ってたじゃない?」

「えっ? 言ったっけ? って言うか、どうしてそんなこと覚えているの?」

 自分が言ったことさえ記憶にない、ボソッと言ったことまで記憶しているなんて……。昴の記憶力は本当に半端ないな、とかれんは思った。

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