4‐3.壁は自ら崩れていく

 新しい動きがあったのはその夜だ。


 梨乃は部屋を飛び出し、さらには家を出て研究所の中を歩き始める。監視の夜勤に就いていた藤原は、梨乃に気づかれないようにあとを追った。

 水槽のある部屋に食堂、トレーニングルームに監視室……。研究員たちが寝静まり、ワーカロイドホームたちも充電をしている真夜中に、彼女は徘徊し続けた。


 研究所の一員という認識を持たせるために梨乃にも社員証を持たせていて、立ち入り禁止区域などは特に作ってはいない。それがここで大活躍するとは思わなかった。

 ときどき興味深そうに器具や施設に顔を近づけて目を輝かせるが、その光はすぐに失われた。


 二時間ほどかけて研究所のほとんどを回り、残ったのは研究員たちの寮だけ。梨乃は案の定その方向へと足を運んだ。

 五人全員の部屋の前を通る。最後に戻ってきたのは一ノ瀬の部屋だった。


「一ノ瀬を親だと認めてるのか……?」


 陰から覗く藤原は、正直心が躍っていた。

 ここまでの徘徊はロボットやインストールした精神データのような、設定されたものじゃない。完全に梨乃の意思で動いていて、ワーカロイドホームのときのように革命を起こしてくれるのではと思った。


 梨乃はきょろきょろと周りを見回してから、社員証をかざして一ノ瀬の部屋のドアを開けて中へと入った。

 ドアが閉じてから、藤原は部屋の前で聞き耳を立てる。聞こえてきたのは、全てを告白する親と、それを受け入れようとする子どもの会話だった。



   *   *   *



 午前四時ごろ、一ノ瀬は体を誰かに叩かれて目を覚ます。


「ん……」


「ごめんなさい、こんな時間に」


 深刻な顔で梨乃が一ノ瀬を見下ろし、ぼんやりしていた意識はたちまち覚醒した。

 布団から出て椅子に座り、逆に梨乃を布団の上に座らせる。


「梨乃、お前なんでここに」


「パ……、一ノ瀬さんに相談」


 思春期に更新をして初めて呼ばれたが、その呼び方は躊躇ったあとに他人行儀なものに変わってしまった。

 一瞬の出来事にひどく心が痛くなったが、しかし梨乃から直接来た相談依頼だ。一ノ瀬は動揺を隠して話を切り出す。


「相談って?」


「私がアンドロイドだっていう話のこと」


 梨乃は膝の上で両手を強く握りしめる。視線は下を向いていて、どんな顔で話しているのかは見えないが、声は不安だらけのように聞こえる。


「自分がアンドロイだって知って、梨乃はどう思った?」


「実験台みたいだなって思った」


 真実を打ち明けたときも同じことを言っていた。


「それは俺たちの扱いがそう感じだったからか?」


「ここのみんなは私に優しかったから、直接実験台みたいな扱いはそんなになかった、と思う。定期更新と監視くらいかな」


 梨乃はまた同じことを言った。機械を頭に取り付けられて、何をしてるのか全然分からない、と。


 生まれたときから研究所暮らしで、その中で週に一回必ず、HMDの装着と薬による意識の消失を強制させられる。意識が戻ったときにはいつの間にか違う思考回路になっていて、しかも誰からもそれについての説明はされない。

 普通の人間であれば、同じことが自分の身に起こっていれば混乱して狂ってしまうかもしれない。しかしそれは人間であればの話で、梨乃はアンドロイドだ。それが利点でもあり欠点でもある。


「ねぇ、一ノ瀬さん。あの機械と薬は何? 私に何をしてるの?」


 人間っぽく言えば本能だ。人工知能をその身に宿して生まれたからには、学習したい、理解したい、解決したい、成長したいという意識が本能的にあるのだろう。

 何せ真夜中に部屋を抜け出してまで、わざわざ相談を持ち掛けてきたのだ。


 梨乃は一瞬溜めてからそれを吐き出した。


「私は、何?」


 大人として、そして生みの親としてそれに答える義務があるだろう。


「これから梨乃の全部を話そう」


 梨乃はつばを飲み込み、一ノ瀬の目を見る。もう聞く覚悟は出来ている顔だ。

 一ノ瀬は彼女に、一ノ瀬の知っている彼女の全てを洗いざらい話した。誕生から体の仕組み、HMDと薬のことや研究所のことまで全て。


 言うたびに胸が苦しくなる。人間と同じように接していても、本当のことを言ってしまえば梨乃は作り物。その事実は変わらない。


 そう感じていたのは、梨乃も同じだった。


 一ノ瀬が全て言い終わったあと、彼女はぎこちない笑顔で言った。


「ここに来るとき、研究所を全部回ってきたの。色んなものがあって、楽しかった。でも、それを見るたびに思った。ああ、私はやっぱりアンドロイドで、この研究所で作られたんだな、みんなと同じ人間じゃないんだな、って」


 そう言いながら笑顔は徐々に歪んでいき、ついには泣き崩れた。一ノ瀬の体にしがみつき、服を涙で濡らす。

 一ノ瀬はそれを支え、梨乃が泣き止むまで黙って背中を撫で続けた。

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