4-7 ピネーディアの攻防

 




「では……どうぞ、お召し上がりください」




 宿部屋に置かれた椅子にそれぞれ座り、互いに向かい合って。

 クレアは、右手に持ったシュークリームを、エリスにそっと近付けた。

 それだけで彼女は、生地の香ばしい香りと、中のクリームに混ぜられたバニラビーンズの香りを感じて……



「ん〜いい匂い♡ いっただっきまーすっ♡」



 たまらず、「あーん」と口を開けて……

 シュークリームに、かぶりついた。

 刹那、



「んんんんんんんんんんんっ♡♡」



 瞼を閉じ、悩ましげな声を上げ、悶絶した。


 エリスは一瞬、自分が天に召されたのではないかと錯覚した。

 それほどの多幸感が、一気に押し寄せてきたのだ。


 カリカリに焼き上げられた生地の小気味好い食感と、芳醇なバターの風味……そして、その中から溢れ出すたっぷりのクリーム。

 カスタードクリームの上に生クリームをホイップした、二層構造になっているらしい。こってり濃厚なカスタードの甘さと、ほどよく軽い生クリームの甘さとが互いを引き立て合い、奇跡と呼べるほど絶妙にマッチしている。


 嗚呼、なんだコレは……こんなに美味しいものがあっていいのか。

 コレは確かに、他人を蹴落としてでも食べたい。毎日食べたい。



 ……などと、エリスが恍惚の表情で口の中のものを味わっているのを眺めながら。

 クレアは静かに、欲情していた。


 上気した頬。虚空を見つめる、とろんとした虚ろな瞳。

 そして……口の端から溢れた、白くてとろみのあるナニか(クリーム)。


 こんなトロ顔を拝めるなんて……本当に、夜通し頑張った甲斐があった。

 だがしかし……満足するにはまだ早い。



「ふふ。そんなに美味しいのですか?」

「うんっ♡ おいひぃっ♡ コレ、すっごくおいひぃっ♡」

「それはよかった。ほら、まだありますから。遠慮なくどうぞ」



 目にハートを浮かべるエリスに、クレアは再びシュークリームを近付ける。

 その美味しさを知ってしまったからか、エリスは抑えきれず、がぶりと勢い良く噛み付いた。

 すると生地の端からクリームが溢れ出し、クレアの指にとろりと纏わりつく。



「ああ、慌てて食べるから……クリームが溢れてしまったじゃないですか」

「あ、ごめん……」



 二口目の美味しさに悶えつつ、エリスが謝る。が、クレアは……


 ──この時を、待っていた。


 そう、胸の内で呟きながら、



「ほら、もったいないですから…………全部きちんと、舐め取ってくださいね……?」



 熱を帯びた瞳で、命じるように、そう言った。

 他人の指についたクリームを、舌で舐め取る。

 普通なら躊躇ためらわれるようなその行動を、しかし今のエリスは……



「……うんっ♡ もったいないもんねっ♡」



 まるで催眠術にでもかけられたように、あっさりと受け入れた。


 そうして口を開け、ピンク色に艶めく舌をツ…と出すと……

 クレアの指ごと、ぺろりと、溢れたクリームを舐め上げた。

 その感触に、クレアは……背筋が痺れるのを感じる。

 エリスはと言えば、彼が欲情しているとも知らずに、ひたすらにその甘いモノを舐め続けた。

 こんなに美味しいシュークリームなのに、たった一つしかないのだから……どんなに微細な味も匂いも、残さず味わわなければ気が済まなかったのだ。



「ん……ん……っ」



 指の先端から付け根にかけて、万遍なく舌を這わせ……

 指の股、手のひらまでも舐め尽くし……

 かと思えば、今度はぱくりと口に咥え、しゃぶり始める。


 その様を、クレアはゾクゾクしながら眺めていた。



 生温かい、舌と唇の感触。

 くちゅくちゅ響く、いやらしい水音。

 懸命に、貪るように舌を動かす、彼女の表情。

 ああもう……どうにかなってしまいそうだ。



 二年前の、エリスの誕生日。

 学院アカデミーの寮に忍び込んだあの晩、彼女に指を舐められて以来……

 再びこの感触を味わうことを、ずっと夢見ていたのだ。


 そう、これは……

 もう一度、貴女の口内を犯すために描いたシナリオ。



「ほら……こっちにもついていますよ。ちゃんと舐めて」



 あの時貴女が、寝ぼけて指を舐めたりしたから。

 こんな、色欲に塗れた変態になってしまったのです。

 だからこうして、責任を取ってもらうのは……当然のことですよね?



 待ち望んでいた光景に、淫らな舌の感触に、クレアは身体がぶるりと震えるのを感じながら……

 ふと、夢中で舐め続けるエリスの元から手を離すと。


 半分ほど残っていた、手の中のシュークリームを……

 ぱくっ、と。自身の口に放り込んだ。


 その、思いがけない行動に。

 エリスは一瞬、何が起こったのか理解できず、放心してから……



「………………………………はぁぁああああ?!」



 怒りの混じった声で、絶叫した。



「ちょ、な、え?! 何食べてくれちゃってんの?!」

「すみません。貴女があまりにも美味しそうに食べているので、つい。……あ、コレほんとに美味しいですね。確かに指まで……舐めたくなります」



 などと言いながら、先ほどまでエリスが舐めていた自身の指を、見せつけるようにして口に咥える。

 しかしエリスにとって、間接キスがどうのといったことはまるで問題ではなく。



「ひどい! 一個しかないから、大事に味わって食べてたのに!! 断りもなしに食べちゃうなんて!!」

「え? だって約束したじゃないですか。美味しいものは何でも二人で、半分ずつ舐め合おうって」

「言ってなぁぁああいっ!! ううぅ……あとちょっと……もうちょっとだけ、食べたかったのに……」



 と、怒りを通り越し目に涙を浮かべ始めるエリス。よっぽど食べたかったのだろう、本気で凹んでいるようだ。

 そんな彼女の顔を覗き込むようにして、クレアは微笑みながら、



「そんなに言うのなら……ほら」



 ぺろっ、と舌を出して、



「ここにまだ、残っていますよ。甘くて濃厚な、クリームの味。最後まで味わいたいのなら……どうぞ舌を絡めてください」



 自身の舌を指さしながら。

 からかうような口ぶりで、そんなことを言い放った。

 それにエリスは、



「舌を………絡める……………………って?!」



 さすがにその意味は理解したのか、面白いくらいに顔を真っ赤に染め上げた。

 彼女のうぶな反応に、クレアは口元がニヤつきそうになるのを堪えつつ、



「……なーんて。すみません、また冗談を……」



 言ってしまいました。

 そう、言おうとしたが、



「……………っ!」



 直後、エリスはクレアの胸ぐらを両手で掴み……

 ぐいっと、顔を近付けてきた。

 それはもう……あと少しでも近付こうものなら、唇が触れてしまいそうな距離で……


 顔を真っ赤にしながら、震える瞳で、エリスはクレアの瞳を見つめる。

 攻撃魔法をぶっ放されるのを覚悟で言ってみただけだったクレアは、予想外の展開に大いに困惑する。



 ……えっ、ちょ、え? まじで??

 まじでこのまま………キスできちゃうかんじ??

 ていうか、このそれでいいの? そこまでして味わいたいの?いや、誘ったのは自分なんだけど……


 ……やばい。すごく近い。可愛い。

 今、キスなんかされたら、きっと……きっと………


 ……キスだけじゃ、済まなくなってしまう。




 どくんどくんと、身体中に響く鼓動を感じながら。

 クレアはエリスを、見つめ返す。

 彼女の瞳に、困惑した自分の瞳が映っているが……

 彼女もまた、クレアの胸ぐらを掴んだまま葛藤するような、困ったような表情を浮かべていた。


 そしてそのまま、エリスは意を決したように瞳を閉じ。

 さらにクレアへと近付いてきて……



 ………え。本当に? 本当に……?

 このまま、エリスと唇を重ね……


 夢にまで見た、甘い甘い、口づけを………

 



 ……………と、クレアも瞳を閉じかけた、その時!!




「……………って、ムリに決まってんだろこのヘンタイがぁあっ!!」



 ボゴォッ!!


 クレアの頬に、エリスの拳が炸裂する!

 受け身を取ることもままならず、そのまま無惨に吹っ飛ぶクレア!!



「ぐはぁっ!」



 壁に背中を強く打ち付け、彼は吐血しながら崩れ落ちた。

 エリスは未だ赤い顔をしたまま、はぁはぁと肩で息をして、



「や、やっぱり、今からでもお店に行って、魔法使って買い占めてくるっ!」



 などという恐ろしいことを告げて、部屋を出て行こうとするので、



「ま、待ってください……その前に、私の部屋を……開けてみてください……」



 殴られた痛みをこらえながら、クレアが制する。

 それを無視してもよかったが、エリスはなんとなく気になり、



「…………………」



 廊下に出てから、言われるがままに隣のクレアの部屋を開けてみた。すると……



「…………わぁ……!」



 そこにあったのは、テーブルの上に高々と積まれた……




 数え切れないほどの、シュークリームであった。


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