散りばめられた謎②

 他愛のない話をしながらアキラとトーマは学園を背に夕陽の中を歩く。昨日の夜のドラマを見逃しただとか、休みの日は何をしているかとか、トーマが一方的につらつらと話すのをアキラは冷静なふりをして聞いていた。


 若菜に掴まれた腕と、何故か突然唇を落とされた手の甲を気にしながら、アキラはもやもやと心に積もる感情が何なのか考える。


 怨み屋なんかにハチドリは渡さない。


 そんな強い意思のようなものがふつふつと湧き上がっていた。


 ハチドリだけではない。タツミに取り憑いた『彼』も、今なおアキラを呪っている、残る三体の霊たちも。人の都合で悪いことに利用されてはいけない。


 アキラにとって若菜はであることを改めて突きつけられたのだった。



 しばらくして目的地である本田医院に着くと、既に白鷺とタツミが話をしていた。


「説明は大体終わっているよ」


 タツミは首に包帯を巻き、青白い顔をしている。体の見えている部分はガーゼや絆創膏で覆われており、モデルの仕事に差し支えることは明白だった。アキラは痛々しいその姿に顔を顰める。


「神崎くん、大丈夫?」


 タツミはアキラの呼びかけに緩く頷いてみせる。魔除けの銀の十字架を首にかけているところを見ると、人格は乗っ取られていないようだ。


「お前なんで地下に居たんだよ」


 トーマがむすっとした表情で問うと、タツミはこうべを垂れた。アキラが慌ててトーマを宥める。


「ちょ、トーマくん。神崎くんはまだ具合が……」


「君たちに嫌がらせしようと思って」


「はあ?」


「悪かったよ」


「な、なんだよ急にしおらしくなって……」


 素直な謝罪にトーマは毒気を抜かれたように口を噤む。アキラも多くは聞かなかったが、恐らく夜の待ち合わせを揶揄おうとしていたのだと想像した。そしてそのまま導かれるようにして部屋に入ったのだろう。


「理事長、『クジラ』の霊はどうなっているんですか?」


「神崎君の中で眠っているようだ。会話は難しいだろうな」


「そう、ですか」


 一人にしないでくれと、そう言った『クジラ』に封じられていた霊。銀の十字架でタツミの体に封じられている彼は、果たして何を思うのか。


 ハチドリのように協力的であることを願いながらも、消耗しているタツミを見るとこのまま眠らせておいた方がいいのではないか。アキラが相反する思考に悩まされていると、ふとタツミの目がアキラを捉えた。


「本野さんもごめん。迷惑かけたし、それといつかは退屈だなんて言って。こうやって痛い目にあって、君が刺激を求めない気持ちが分かったよ」


「ううん、気にしないで。とにかく無事でよかった。気分は、どう?」


「自分に霊が憑いてるなんて信じられない。地下に入って少ししてからの記憶が全くないんだ」


「やっぱり覚えてねーんだな。俺もそうだったよ」


 タツミはふと白い天井をあおぎ、思考を巡らせるように難しい表情を浮かべる。

 

「理事長の言うことさっぱりだ。この学園は霊に呪われてて? その霊が俺を生贄に蘇ろうとして? 本野さんとトーマがそれを止めたけど霊はなぜか俺の中に居る? 訳がわからないよ」


「すごい、全部合ってる」


「理解力の鬼」


「いやあ僕もびっくりだよ。トーマ君の時と大違いでー」


「悪かったな!」


「というわけでこれ」


 ぷんぷんと怒り出すトーマを無視して、白鷺が鞄から取り出したのは一枚の紙だった。見覚えのあるそれに、アキラは口元を引きつらせる。


「それってまさか入部届けじゃ……」


「そのとおり! 事情を知る生徒は強制入部です」


「でも神崎くんはモデルの仕事もあるし、そんな無理には」


 危険な目に遭ったばかりだというのにこれ以上タツミの負担になるようなことは避けるべきでは。しかしそんなアキラの考えとは裏腹に、タツミは渡されたペンでさらさらと名前を記入してしまう。


「これで俺もボランティア部の部員だ」


「分かってると思うけど、危ないんだぞ」


 トーマが念を押すと、タツミは青白い顔で頷いた。


「うん。迷惑かけた、お詫び。俺はトーマのように戦えるのかは分からないけど、でも学園の呪いを解くのに少しでも人が必要なんじゃない?」


「それはそうだけど……」


「それともトーマは俺がいると不都合なことがあるの?」


 そう言ってタツミはにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。トーマはそれを見て、がしがしとタツミの髪をかき回した。


「不都合なんか、ねーよ! ったく、ようやくいつもの調子に戻ったな」


「それじゃあ情報の共有と今後の予定は、みんなの体が治ってから理事室で話し合おう」


 白鷺の言葉に三人が頷く。その時タイミングよく部屋の外から声がかかった。


「ちょっと失礼しますよ~」


 診察室から姿を現した白衣姿の本多が、タツミに向けて話し始める。


「神崎くん。親御さんが迎えに来るって」


「親にはなんて説明したんですか?」


「過労による意識混濁。倒れた時に打撲と裂傷。首の掻きむしった跡は過呼吸のせいって言ってあるよ」


「ありがとうございます」


「私は親御さんと少し話をさせてもらうよ。学園内で大事な息子さんに怪我をさせてしまったからね……」


「じゃあ今日のところは帰ろっか。神崎くんお大事にね」


 そそくさと帰り支度を始めるアキラにタツミはおもむろに向き直った。


「タツミでいいから。よろしくアキラさん」


「ア゛ッ!?」


「う、うん? タツミくん。また学校で」


 トーマの奇声に驚きながらも別れの挨拶をし部屋を出る。


 途中、思い出したようにアキラは本多に耳打ちをした。


「本多先生。この邪視除け、効いたみたいです。ありがとうございました」


 鞄につけたハムサのチャームを目で示すと、本多は怪訝そうな表情を浮かべる。


「効いたって……それは良かったけど。また透視されたの?」


「多分、されそうになりました」


「それは困ったね。また色々対策を考えておくよ」


 本多は腕を組み、心配そうに眉を下げる。アキラはぺこりと一礼してトーマとともに医院を後にした。



「タツミはああ言ってたけど、俺は何もできなかった」


 口数の減った帰り路で、トーマは覇気なく呟く。珍しいその様子にアキラは瞠目した。


「そんなことないよ。トーマくんが居なかったらと思うとぞっとする」


「俺じゃあない。なあ本野、お前が必要としているのは俺じゃなくてハチドリだろ」


 肩を落としながらそう問いかけるトーマに、アキラはすぐに言葉を出すことが出来なかった。


 もしかしたらトーマは、アキラが散々悩まされている無力感に苛まれているのかもしれない。その仮説に行き着き、アキラは急いでぶんぶんと首を振る。


「そんなことない! 私には二人とも必要だよ。ううん、二人だけじゃない。もちろん理事長も……」


『俺は白鷺を疑っている』


 ふと星野の言葉が浮かび、アキラは一瞬言葉に詰まる。それを誤魔化すようにぱっと笑顔をトーマに向けた。


「みんなに支えられてる。とても恵まれてると思ってるよ」


「呪われてるのに?」


「うん」


「そっか……。お前には敵わねーな」


 トーマが顔を上げて微笑むのを見て、アキラはほっと胸を撫で下ろす。


 いつも明るいトーマに支えられているだけではいけないのだ。大切な仲間なのだから。


 アキラは手首につけた天珠をそっと撫でて、学園の方向を見遣った。


 茜色の空を切り抜くようにそびえ立つ校舎は、中にいる時よりも冷たく排他的で、思わず足を止める。


 小さく見える窓の一つ一つから視線を感じるような、嫌な気配にアキラは早足でトーマの腕を引いた。


「どうした?」


「何でもない。早く帰ろっ! トーマくん今日は自転車じゃなくてバスなんだね」


「こんなグロッキー状態でチャリは無理だって!」


「ふふ。確かに」


 不安は伝播でんぱする。アキラは冷える背筋を無視して無理やり笑った。

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