第六章

散りばめられた謎①


 雲の隙間から陽が差し、帰り路につく生徒たちの足元に影を作り出していた。校門付近には絶えず人影があり、アキラが急ぐ姿は少なからず視線を集める。


 そんな中、まっすぐに病院に向かうアキラの足が予期せず止まった。早馬のように校門を駆け抜けた勢いは空気が抜けた風船のように失われ、どんよりとした空気を纏い始める。


 その原因となった人物はアキラを見つけるとぱっと破顔し近づいてきた。


「やあアキラちゃん。中間テストお疲れ様」


 校門の前に立ち、芸能人風の目立つサングラスを外して胡散臭い笑顔を覗かせたのは、自称フリージャーナリストの若菜だった。


 アキラはその姿を認識すると無言でその前を通り過ぎる。そんなアキラの態度に若菜は慌てて立ち塞がるように両手を広げた。


「待って待って何もしないから。って今までも別に何もしてないんだけどね?」


「さようなら」


「辛辣!! って……あれ。アキラちゃん、今日はなんだか変だね」


「あなたにだけは言われたくないんですけど!?」


 思わず振返って若菜に食ってかかると、若菜は自身の目をしきりに擦ったりぱちぱちと瞬きを繰り返していた。


「なんかアキラちゃんが見えづらい……えーやだやだ」


「知りませんよそんなこと。話しかけないでください。見回りの先生を呼びますよ」


「今、普通の人には見えないようにしてるから大丈夫。それよりかわいいアキラちゃんがぼやけて見えるのは嫌だなあ」


 普通の人には見えない? アキラがその言葉の意味を理解する前に、若菜の手がふと眼前に伸ばされる。


 びくりと跳ねるアキラの肩に軽く触れ、そのまま肩にかけている鞄に若菜の指がかかった。


「これか」


 不意に低くなる声にアキラは身を固くする。若菜の指の先には、本田にもらった邪視除けのハムサのチャームがあった。


 アキラは一拍遅れて触れられた鞄ごと身をよじり、若菜の手から距離をとる。


「さ、触らないで」


 ほんの一瞬のことに心臓が騒つき始める。今、確実にハムサを外されそうになった。


 邪視除けのお守りを外そうとしたということは、


 アキラの疑念に満ちた視線を受けながら若菜は少し考え込んだ後、諦めたようにサングラスをかけ直した。


「まあ、今はいいか。ねえアキラちゃんまた怪我をしてるね。お兄さんは心配だよ。会う度に傷ついてる君は何か大変な事に巻き込まれているんじゃないかってね」


「さようなら」


「ああもうっ待てって!」


「きゃっ」


 腕をがしっと掴まれ短い悲鳴をあげるアキラを引き寄せると、若菜は含みを持たせるようにその耳元で囁いた。


「佐倉ひなこについて、情報交換しないか?」


「はあ?」


「こっちもあれから色々調べてね。アキラちゃんの知りたい事もきっと教えてあげられると思うんだ」


「なっ……意味が分かりません! 私、佐倉先生のこと知りたいなんて思ってないし」


「本当に?」


 若菜に掴まれている腕はいくら力を入れてもびくともしない。アキラは見下ろしてくる視線から必死に目を逸らして抵抗の意を示すが、若菜は構わず続けた。


「気になるでしょ? 『転校生』なんだから」


「ーーっ! あなたは一体、」



「そこまでだ」



 突如響いた第三者の声に、場の空気が一瞬凍りつく。声のする方を見ると、ジリジリと煙草の煙を燻らせながら星野が夕陽を背に静かに立っていた。逆光でその表情は伺えないが、警戒がとって見える。


「星野先生!」


 アキラは声の主に縋るように近づこうとするが、険しい顔をした若菜に腕を引かれた。


「おかしいなあ。僕たちは今見えないはずなんだけど」


ならそうかもな。ご丁寧に結界まで張ってうちの生徒に何の用だ」


「おいおい、随分と怖い先生がいたもんだ。さしずめ特殊派遣員ってところか?」


「そういうお前は『ハーリット』だな。今すぐその手を離せ」


 身も凍るような一死触発のやりとりに挟まれたアキラは逃げ出したい気持ちを抑えて二人の会話を聞く。


 結界、特殊派遣員、ハーリット。


 聞き慣れない単語の羅列に目を白黒させていると、腕を掴む力がふと緩まった。


「ふん……まあいいさ。アキラちゃん、今度二人きりでゆっくり話そうね」


「ひえっ!?」


 星野を睨みつけていた若菜はアキラの腕を残念そうに離すと、そのまま縋るようにアキラの手の甲に唇を落とす。思わず飛び跳ね後ずさったアキラが一瞬目を離した隙に、若菜の姿は消えていた。


「な、なんなのあの人!」


「厄介なのに目をつけられたな。予想通りといえば予想通りだが……」


「来てくれてありがとうございました先生。あの人が例の不審者なんです! 校門の前で待ちぶせされてて」


 アキラは星野の側に寄ってわたわたと身振り手振りで事情を説明する。星野は一を聞いて十を知ったように頷いた。


「特殊な結界を張っていた。あの男はハーリットの一員と見て間違いないだろう」


「ハーリット?」


「歴史考古学的研究集団(Historical - Archaeological Research Intelligence Team)。通称『H-ARITハーリット』……表向きは遺跡や遺物の調査発掘を目的とした組織。しかしその実態は呪物の回収、それを使った荒稼ぎを目的とした専門集団で、うらみ屋まがいの事をしている連中だ」


「う、怨み屋ですか?」


 思いもしなかった言葉に首を傾げるアキラに構わず星野は続けた。


「要するに人を呪ってお金を稼いでるのさ。世の中には誰かを苦しませたくて金を払う人間が山ほど存在する。そういう奴らに囲われて、ハーリットは昔から国内外で暗躍しているんだ」


「人が人を呪うって……そんなことが出来るんですか? 霊じゃないのに」


「ハーリットが使う呪術は古来から人の手で練り上げられてきた術式だ。奴らは集めた呪物を使って強力な術を使う。邪霊の力を狙うのも、呪術に使うためだろう」


 アキラは若菜の人好きのする笑みを思い出し愕然とする。初めから胡散臭くはあったが、そんな恐ろしい集団に属していたなど微塵も感じさせなかった。怯えながらもアキラは口を開く。


「つまり、人を呪うために霊を捕まえようとしてるってことですか」


「そういうことだ。やはり君に接触してきたな……あいつらに邪霊の力を渡すわけにはいかない」


 星野はそう言ってアキラに向き直る。


「で、その怪我は?」


「えっ」


「昨日の夜はどこで何してた?」


「ええっ!?」


「さて、これから学校に不審者の報告もするし、ついでに夜遊びをする悪い生徒に指導でもするか」


「き、今日はとても大事な用があって。怪我は、転びまくっただけで。その、」


「いや冗談だよ。危ないから送ってーー」


 星野は昨日の儀式に感づいている。このまま尋問コースかと諦めかけた時、日直の仕事を終えたトーマがタイミングよく校舎から出てきた。アキラには神の使いのように輝いて見えるその姿は、こちらに気付き訝しげな視線を送ってくる。


「あーー! そういえば西條くんと一緒に帰る約束をしてたんでした!」


「何だよ本野、先に行ってるんじゃなかったのか」


 校門を抜けた途端アキラにぐいぐいと腕を引かれ焦り出すトーマ。星野はそんな二人の姿を眺めるように見た後、その手に光る蹄鉄の指輪に視線を移した。


「……そうか。じゃあ、二人とも気をつけて帰るんだぞ。本野さん、話はまた今度」


「はあ」


「あ、今度ですか、はは。さようなら先生……」


 何のことか分かっていないトーマをずるずると引きずりながら、ようやくアキラは病院に向かって足を進めた。


「なあなあ話って何だよ?」


「今度なんて来なくていい」


 星野の追及を受ける日を想像し、がっくりと肩を落とすアキラだった。

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