星と霧の小夜曲④

「では次、トーマ君。ハチドリについて教えてくれるかね」


 アキラとトーマがコーヒーを飲みながら来客用の茶菓子を勝手に頂いていると、机に向かっていた白鷺がいきなり話題を振った。少し考えるようにしてトーマは口を開く。


「うーん、とりあえず今はかなり落ち着いてる。普段は静かにしてて、俺が眠っていたりぼーっとしている時に少し話しかけてくるくらいだな」


「どんな話をするの?」


 アキラの問いにトーマは肩をすくめた。 


「本野の怪我の事がほとんどだよ。気にしてるんだ」


 俺や理事長はどうでもいいみたいだけどな、と唇を尖らせるトーマ。意外な話の内容にアキラは目を瞬かせる。


「私よりトーマくんの方が酷い怪我だったと思うけど……」


「そりゃあ、自分を救ってくれたやつのことは気になるだろう。お前はハチドリの目を覚まさせたんだ、恩を感じてるんじゃないか」


 ――恩。


 アキラはその単語がピンと来ず、手元のコーヒーカップに視線を落とした。


 アキラがハチドリにしたことと言えば酷いものだった。必死だったとはいえ彼にタックルして押し倒し、コーヒーを頭からぶっかけ更に嫌がっていた魔除けの指輪を無理矢理嵌めたのだ。


 アキラの部屋でトーマが不意に指輪を抜いた時も、内心冷や汗をかいた。恨まれているのではないかとアキラは思っていたからだ。しかし彼はアキラの手に恐る恐る触れた。怒ってはいないことは伝わってきたが、まさか恩を感じているとまでは思っていなかった。


 悶々とそんなことを考えていると、白鷺が机から身を乗り出して言った。


「他の霊についての情報を聞くことはできるかい?」


 それはつまりハチドリと会話ができるかということだ。実際にトーマはアキラの部屋で魔除けの指輪を抜いてハチドリと人格を交代して見せた。それをまたやろうというのだ。


「いいけど……本野、絶対触らせるなよ。絶対だぞ」


「そんな大袈裟な」 


 トーマはハチドリがアキラの怪我に触れたこと――主に服を乱したことを未だに怒っているようだ。アキラは驚きはしたものの肩を多少見られる程度では別段怒る気もなかったが、トーマはアキラのそんな態度もにも気を揉んでいるらしい。


「まあお触り禁止ってことで。トーマ君頼むよ」


 白鷺の若干親父臭い発言を受け流し、トーマは渋々と目を閉じて指輪を抜いた。


 一拍置いてトーマの雰囲気が変わる。その瞼が持ち上がると、強く光る瞳がアキラを捉えた。 

 

『アキラ』


 隣に座る人物を認識するや否や、腰を浮かせてその手を取ろうとするハチドリにアキラは静止の声を上げる。 


「わわ、ハチドリ!」


「はいはい、ストップ。お触り禁止ね」


 ソファの背もたれ側から二人を引き離す白鷺に、抗議の目線を向けるハチドリ。


『何をする』


「しつこい男は嫌われるよ?」


『………………』


 むすっとしつつも素直にソファに座りなおすハチドリの姿に、アキラは少年らしさを見出し親しみを感じた。


 ――そうよね、私とそう歳の変わらない男の子なんだもの。 


『怪我は?』


「大丈夫。骨に異常はないって」


『そうか』


 ハチドリは少しだけ安堵の表情を浮かべる。そんな些細な変化にも、アキラの視線は釘付けになっていた。トーマが言った『大人しくなった』という意味が分かってくる。   

 

 もしかしたら、生来の性格に戻ったのかもしれない。アキラは彼の変わり様に内心喜び、そしてそんな彼を悪霊化させた出来事を思い出して胸を痛めた。

 

 白鷺が向かいのソファに腰を掛け、背筋を伸ばして切り出した。


「では改めて。こんにちは。私はこの学園の理事長の白鷺といいます」


「私は本野アキラです」


 俺は……、とハチドリは少し躊躇いながら続ける。


『トーマはハチドリと、そう呼んでいる』


 ハチドリの言葉に白鷺がいきなりガクンッと俯いた。見ると眉を寄せ目頭を押さえている。アキラはその様子に体を引きながらも「理事長……?」と声をかける。


「こんな、こんな日がやってくるとは。霊と普通に会話ができるなんてっ」


「いや……前にも出てきたじゃないですか」


「彼ね! 私のことは眼中になかったようだからさ! 今日が話すの初めてなんだよ、うう」


 白鷺が感涙に震えている間も、ハチドリはずっとアキラのことを見ている。アキラが居心地悪そうにコーヒーを飲むと、ハチドリが口を開いた。


『あの時の水の匂いがする』


「ああ、コーヒーね。飲み物よ」


 ハチドリはトーマの分のコーヒーカップを手に取り中身をまじまじと見つめる。すんすんと匂いを嗅ぎ、次の瞬間にはカップを傾け喉を鳴らしていた。


「あっ」


 恐らく魔除けの効果があるそのコーヒーを、ハチドリが飲んでしまった。アキラは動きを止め、ただハチドリを見守る。


『苦い』


 渋い顔をしてぺろりと舌を出す様子に、アキラは肩の力を抜いた。


「飲めるのね……トーマくんの体だからかしら」


「ふむ、邪霊でなくなったからかもしれないね」


 苦いと言いながらもちびちびとコーヒーを飲むハチドリ。アキラと白鷺は黙ってその様子を見ていたが、ふとハチドリは思い出したようにカップをテーブルに置いた。


『俺が使うとこの体に負荷がかかる。用件は何だ』


 それはトーマの体に影響が出るという事だろうか。アキラは不安げに白鷺を見ると、白鷺は黙って頷いた。


「君と同じようにこの学園に居る霊のことを教えてほしい。居場所は分かるかい」


『俺と同じように――?』


 ハチドリは眉根を寄せ白鷺の言葉を繰り返した。そのピンと来ていない様子にアキラは首を傾げる。


 ――もしかして、他の幽霊の事を知らない?


「君は昔……無念の死を遂げた。そしてずっとこの地に留まっているんだ。それは分かるかね?」


『……ああ』


 白鷺の言葉に視線を落とすハチドリ。アキラは彼の最期を思い出し、ぎゅっと唇を噛みしめる。


「そして七十年前に一度封印された。他の四人と一緒に。そのことは?」


『分からない』


「……なるほど。今の君は自分が亡くなった時からの記憶が抜け落ちているわけだね」


 邪霊だった間のことが分からないようだ。恐らく自我が無かったのだろうとと白鷺は仮定する。


『ずっと悪い夢を見ていた気がする。外の者を必死に追い払って……』


 ハチドリは頭を抱えて俯く。アキラは思わずハチドリの手に自分の手を重ねた。


『アキラ』


「あ、トーマ君に怒られちゃうかな。ははは」 


 自分の行動が徐々に恥ずかしくなり、アキラはそれを誤魔化すように笑った。離そうとした手をハチドリが引き止める。


『アキラ。お前のおかげで悪夢から覚めることができた。俺はお前に感謝してもしきれない』


 その言葉にアキラは思わず胸を打たれた。賊の襲撃を受け、無念の死を遂げたハチドリ。今までずっと炎の中水を求めて彷徨っていた。


 彼の記憶が流れ込んできたときに感じた怒りと無力感が、少しずつ溶けていく気がした。


「うんうん、それはよーく分かった。そしてそのアキラ君が今、君とは別の霊に呪われているんだ。アキラ君のために分かることを教えてくれないか」


 アキラのため、という白鷺の言葉にハチドリは顎に手を当てて考え込む。


『誰が霊になっているのか分からない。誰かが居るのは分かるけれど、誰がどこにいるかは分からない』


 その曖昧な返答に白鷺は静かに目を伏せた。


 アキラが思い返すと、確かにハチドリの最期の記憶には他の生徒の姿がなかった。彼が囮になるために別行動をしていたからだ。


「では、今君の他に起きている霊はいるかな」


『ひとり……いや、ふたり。気配を感じる。けれど、ひとりは気配が薄い。恐らく上手く隠れている』


「うん、その事が分かっただけでも収穫だ!」


 白鷺はようやく笑顔を浮かべ、ハチドリの片手を無理矢理握り込みぶんぶんと上下に振った。


「これからもよろしく頼むよ! なあアキラ君!」


 ちらちらとアキラに視線を送ってくる白鷺。どうやら乗って来いと言っているようだ。アキラは咄嗟に笑顔を作り明るい声で言った。


「うん、ハチドリが協力してくれたらすごく有難いなあ」


 重ねたままの手をぎゅっと握ると、ハチドリも応えるようにそっと握り返す。


『そうか……分かった。俺にできることがあれば』


 本当はいい子なんだよ、という言葉がアキラの脳裏に浮かんだ。誰がいつ言ったのかは思い出せなかったが、アキラはその事を十分に分かっていた。


 ハチドリは静かに目を閉じ、眠るようにソファに凭れた。




「本野……触らせるなって言ったよな?」


 繋がれたままになっている手を視線の高さに上げ、トーマは不機嫌そうに呟いた。


「あっいや、その。私から手を握ったの! ごめんね」


「それなら、まあ。いやでもな……あ、だめだ体スゲー怠い」


 トーマの体にはやはり負担がかかっていたようだ。すぐにソファに沈み込んでしまったその姿に、アキラは一抹の不安を覚える。


「少し休ませてあげよう。これから頑張ってもらわないといけないからね」


「はい……」


 新たな協力者を得た代わりに、トーマの負担が増えることになる。一歩進んだように見えて、実際はリスクが増えたのではないだろうか。


 アキラは首から下げた銀の十字架を握りしめ、トーマの身を案じるばかりであった。 



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