星と霧の小夜曲②

 

 アキラははっと目を開けた。また、何か夢を見ていた気がする。この感覚は家で眠っている時にはない。目を開けた瞬間に、夢の内容がサラサラと形を失うように消えてしまう。


 ぼんやりとする頭を回転させる。アキラは器用なことに、背筋を真っ直ぐにして椅子に座りながら船を漕いでいたらしい。


 そのまま目線を前に遣ると、教壇に立ちながら怪訝そうな顔をしている星野と目が合う。


 そうだ、今は授業中で……。


 アキラの霞がかる視界が段々と晴れてきた時、星野が自身の腕時計を見て口を開いた。


「終了。では、筆記用具を置いて用紙を後ろから回収して」


 ぽかんとするアキラを星野は困ったように一瞥し、小テストを終了させた。


「本野、紙回して……って、大丈夫か?」


 前の席に座るトーマが振り返り、呆けたままのアキラに声をかける。アキラは慌てて自身のテスト用紙を伏せてトーマに渡した。


 用紙に名前を書いた後から記憶がない。アキラは内心冷や汗をかいた。いくら病み上がりでも、真っ白な答案用紙は言い訳が出来ない。


 案の定、放課後に星野から呼び出しを受け、がくりと肩を落とすアキラだった。



「病み上がりで、不審者騒ぎもあったのは分かるけどな、」


「すみません……」


 放課後の教室は茜日に照らされる。まるで尋問でもされているかのように縮こまるアキラに、星野は小さく息を吐いた。


 中間試験前の小テストだったとは言え、テスト時間にうたた寝をしてしまったことはアキラにとっても予想外だった。転校前もそれなりに真面目にやってきたのだ。この学園に来てからも、前の学校とややずれのあるカリキュラムに頑張ってついてきていたつもりだった。


 しょんぼりと肩を落とすアキラを、星野はじっと見つめる。責めるような視線ではないが、どうにも居たたまれなくアキラは膝の上でスカートをきゅっと握りしめた。


 未だ包帯の下でじりじりと痛む手の甲を隠すようにもう片方の手で覆うと、星野の視線も自然とそちらに移る。


「良くないな……」


「はい。もうしません」


 いや、と星野は顎に手を当ててじっとアキラの手を見る。


「その手と肩はどうしたんだ?」


「転びました。病院には行ったので……」


「そうか」


 ふと、星野の手が包帯で巻かれた方のアキラの手に伸ばされる。アキラは一瞬虚をつかれたが、その手が触れる前に避け、胸の前で庇うように手を隠した。


 星野はアキラのその様子に瞠目し、パッと伸ばした手を引っ込める。


「悪かった」


「いえ、」


 ばつが悪い様子で頭に手をやる星野に、大袈裟に身を引いてしまったことを少し後悔した。


「まあ、居眠りには気をつけるように」


「はい」


「それと、実はこっちが本題で」


 本題という言葉にアキラは首を傾げる。居眠りのことはついでだったということだ。アキラは少し肩の力を抜くが、続けられた内容に再び体が強張る。


「例の不審者の件なんだが......他の生徒には見向きもせず本野さんを狙っているようなんだ。何か執着されるような心当たりは?」


 執着。アキラはその言葉を噛み砕き、記憶を辿る。若菜はアキラに興味があると言った。それは何故か。アキラの脳裏にひとつの可能性がよぎった。


「私が『転校生』だからーー」


 若菜はしきりにその言葉を使っていた。若菜は『転校生』であるアキラに興味があるのだ。そしてその言葉の意味は、もっと深いところにある。


 アキラはその仮説に愕然とした。若菜は『転校生』の意味を分かっていて近づいて来たのだ。きっと佐倉の死に学園の呪いが関わっていることを知り、真相を暴くため呪われた『転校生』を捕まえたいのだ。


 星野は動揺し始めたアキラを見て呟いた。


「分かっているんだな」


「え?」


「この学園において、転校生は特別な意味を持つようだ」


 アキラは息を飲んだ。星野はのだ。アキラの特殊な立場を、『転校生』のことをーー。


 アキラの信じられないというような顔を見つめながら星野は続ける。


「これ以上関わらないのが身のためだ。もっと危険な目にあう前に、理事長から離れたほうがいい」


 星野は椅子に座りながら前のめりになってアキラに言う。それは生徒を心配する教師の言葉だったが、どこか懇願のような、アキラには焦りのようなものが感じられた。


 アキラとしても、星野の言うとおりに関わらずに居れたらどんなに楽な事だろう。しかしそれはもうできないのだ。アキラはハチドリのことを思い出し、そして星野の目を真っ直ぐに見た。


「それは、でも……もう遅いです。だって私『転校生』ですから、既に呪われているんですよ?」


「何だって?」


 眉間に皺を寄せ聞き返す星野に、アキラは困惑した。


「えっ……それは知らないんですか?」


 アキラには星野がどこからどこまで知っているのか判断出来なかった。転校生が特別である事は知っているようだが、その理由までは知らなかったのだろうか。


 ならば余計なことを言ってしまった。アキラは唇を噛んで席を立つ。


「か、帰ります」


「待って本野さん! 今のはどういう意味ーー」


「痛っ」


 星野が焦った様子で掴んだのは、アキラの痛めていた肩だった。ごめん、と言いながら星野は手をずらし、アキラの両方の二の腕に手を置いた。


 決して強い力ではないが、両腕を封じられ星野の真正面から逃げられなくなってしまったアキラは泣きそうな表情で訴えた。


「先生、やめて……」


 う、と星野は声にならない声で呻き、動きを止める。善良な教師である星野は、このシチュエーションを良くないと考えたのだろう。しかし星野は引かなかった。


「本野さん頼む、知っている事を教えてくれないか」


「やっ……離して下さい」


 アキラはショックを受けていた。星野には安心感を抱いていた。その星野までまるであの若菜のように『転校生』の事を探ってくる。


 じわりと視界が滲む。瞳に溜まっていく涙に、星野ははっとして両腕を掴む手を緩めた。


 アキラが身をよじってその手から逃れようとした時、ガタンと教室の扉が開く音がした。


「あれ、教室間違えちゃった」


「神崎……!」


 勢いよくアキラから手を離した星野は、扉を開けたまま立ち尽くしている男子生徒の名を呼ぶ。


 呆然としながら星野の背中越しにその姿を確認したアキラは、その生徒のスタイルの良さに目を瞬かせた。よく見ると大きな眼鏡で隠れた顔の作りも整っている。


 正に美形といっていいその生徒は、星野とアキラを交互に見て合点がいったように頷いた。


「忘れ物とりに来たんだけど……二人は


「ちがう!」


 星野は神崎と呼ばれた生徒に駆け寄り息巻き弁明をし始める。アキラはその隙に荷物をまとめ、教室から走り去った。


「あっ! 本野さん」


「先生、生徒に手出すのは良くないんじゃないの」


「だから違う!」


 その生徒、神崎タツミは星野の焦り様に少しだけ口元を緩める。



 雑誌の撮影を終えて帰ろうとしたが、学校に愛用している音楽プレイヤーを置いてきた事に気づいたタツミはこうして放課後の教室に戻ってきた。


 自分の席にある目的のものを回収しようやく帰ろうとした時、隣の教室から声が響いてきたのだ。


ーー待って本野さん! 


ーー先生、やめて……。


 タツミの野次馬精神は皆無に等しかったが、その声の内容が内容だけに隣の教室の前まで足をのばした。


ーーあの星野先生がねえ。


 ごく真面目な教師としか言えない星野が女子生徒に迫っていると思うと、人は見かけによらないということをタツミはしみじみ思った。


 タツミは我関せずといった風にその場から去ろうと足を踏み出したが、次に聞こえた声に思わず動きを止めた。


ーーやっ……離して下さい。


 おいおい。タツミの脳裏に『無理矢理』という単語が響き渡る。逡巡の後、タツミはその教室の扉を開けた。



 タツミは基本的に冷めている。しかし、刺激的な物事に対してはその限りでは無かった。退屈な日常にはもう飽き飽きなのだ。



 必死に口止めしてくる星野を尻目に、タツミは走り去っていったアキラの後姿を興味深そうに見送った。

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