1-36 零課
それから一週間が経った。
昼夜問わずの捜査にも関わらず、渡利の姿は忽然と消えた。
それは現代においてはあまりにも不自然な現象だった。
「なんでドグマゼロの行動予測が尽く外れるんだ?」
新島はオフィスで捜査資料をアイスで読みながら、そう呟いた。
高性能のAIでさえ、渡利の足取りを掴めない。
潜伏候補地への捜査は全てが無駄足だった。
新島の問いにジンがアイスで新聞を読みながら答えた。
「壊れてるんじゃねえか? それともストライキかね。人にこき使われれば感情も芽生えるさ」
「もしそうなら、神戸にある本体ごと燃やしてやる」
そう言って新島は電子煙草を一服した。
後ろからやって来た圭人が非難の声を上げる。
「やめて下さい。殺人ですよ。それにエターナルドグマは自己メンテナンスできるんですから、壊れてるなんてあり得ません。僕が証明です。そもそも壊れるって言葉自体が不適切です」
現在AIは多くの医療現場で使われている為、エターナルドグマが壊れれば、機能不全に陥る。
その為、圭人は殺人と表現した。
新島は椅子にもたれ、頭の後ろに手をやった。
「人の本質はどこまで行ってもアナログなんだよ」
「・・・・・・なんですか、それ? いやみですか?」
むっとする圭人だが、新島はそれどころじゃないと資料に見直す。
矢頼は奥のサーバーからコーヒーをマグカップに淹れていた。ゆっくりと落ちてくるコーヒーをじっと見つめて言う。
「そう言えば昔に似たような事件があったな。容疑者のハッカーが中々見つからなくて、メディアもAI万能説に否定的な論調を書き立てていた。しばらくして自首という形で捕まったが、あれに似ている」
それを聞いてジンが頷いた。アイスを捜査しながら、サンドイッチを頬張る。
「あったあった。確か犯人は七人の革命家の狂信者だったな。軍事AIにハックを仕掛けて、成功する直前にドグマゼロに端末ロックされた。慌てて逃げ出した奴は三日間の逃亡の末にわざわざ本庁にやって来たわけだ。だが、逃亡中の事は一切話してなかったはずだ」
ジンの会話に何かを思った新島が口を開く。
「・・・・・・そう言えば、デノクシーへのテロの時も奴らは七人の革命家の事を口にしてたな。人質が持っていた社内端末にクラウンアイが残っていた」
「だがよ、いるかどうかも分からない幻想みたいな集団だぜ? 俺は思想の一つだと考えてるがね。革命の偶像だよ。ゲバラのTシャツを着るみたいなもんさ」
その会話に吉沢が椅子に座り、眼鏡を拭きながら加わる。
「学生運動の時に団体リーダーがよく口にしてたな。俺が七人の革命家だって。でもその大半は何も持たない若者だった。今でもアングラネットではメンバー構成が議論されてるけど、固定されたのを見たことないぞ。そもそもは誰が言い出したんだ?」
「確かなデータはなかったはずだ」と新島。
矢頼が頷く。
「自然発生的な集団と言われているが、それにしても人数まで指定されているのは不自然としか言えない。古い映画を参考にされたとも、学生運動の発端となった国立大学の数と関係してるとも言われてるが、誰もその発祥を知らなければ姿も見たことがない」
「ある意味、エターナルドグマと共通してるな。誰も本体を見たことないのにその存在を前提として社会が動いてる」
ジンがそう言うと、圭人が反論した。
「僕は見たことありますよ。映像データは出せませんけど」
「見たって言っても、ドグマゼロが入ってる施設の外だろ。制作者だって今は内部に入れないんだからな。この国どころか全世界で一番セキュリティーが固い所だ」
「僕が言いたいのはテロリストの妄想と、エターナルドグマを同列に語らないで下さいって事ですよ」
「ハハハ! 言うじゃねえか」
ジンが笑うと、他の大人も合わせて笑った。
馬鹿にされた気がして圭人はまたむっとした。
ドアが開き、昼休みの夏音がやって来た。
ネクタイを緩め、シャツはボタンが三つ外され、胸元が開いている。
それを見て新島は眉をひそめた。
「あんまりじろじろ見ないで下さい」
夏音はそう言って胸元を手で隠し、オフィスの奥に向うと壁にアイスからネットテレビを映した。
「何を見るんだ?」ジンが聞いた。
「ドラマです。授業中に配信されたみたいで」
不定期配信のドラマは若者に人気があった。いち早く見なければネットに情報が拡散して、ストーリー展開が分かってしまうので配信されると競うように視聴するのだ。
夏音がはまっていたのは学生達の恋愛模様を描いたものだった。ちゃんとした学校に通っていない夏音にとっては、ここから得る情報で学生成分を補う。
可愛いセーラー服を着た美人の女優と、背が高いイケメンの俳優がくっつくかくっつかないか。夏音はそれをいつもハラハラしながら見ていた。
だが、ここは職場だ。
新島は夏音より権限の高いアイスでドラマをニュースに切り替える。
ドラマを見ていた夏音は口を開けて、涙目になり、振り返った。
「何するんですかっ!?」
「こっちの台詞だ。お前は仕事場で何をしてるんだ?」
「だって、ここのスクリーンの方が大きいし、音質もいいんですよ!」
「せめて自分の部屋で見ろ。今時テレビに縛られるなよ。今の若い子はみんなアイスでダウンロードして見てるぞ。時間を電車とかバスの移動時間に設定してAIアプリに編集させてる」
「あたしは全部見たいんですっ!」
夏音はそう言って、新島のアイスを取ろうと近づいた。新島は取らせまいとし、もみ合いになる。
アイスは指紋以外に10件以上の生体データを登録してある為、本人以外使えない。奪っても意味がないがそれでも夏音はドラマが見たかった。
「いいじゃないですかっ? どうせ何もせずに喋ってるだけなんですから」
「大人には体裁ってのがあるんだよ。それを無視すると予算が下りなくなるんだ」
まるで兄と妹の様に言い合う二人を周りは呆れて笑って見ていた。いつもの事だった。
そんな二人の声が混じり合う中、まずジンがニュースの声に振り向いた。
『それでは明日に迫った、中共、中民両代表による川上総理との会談です。今も尚、新国境線での小競り合いが続く両国ですが、互いに経済問題を抱える現在、安定した和平交渉に向けての仲介役に日本が選ばれました。この意図はどこにあるんでしょうか?』
女子アナの質問に男性アナが答えると矢頼や吉沢もスクリーンを見つめた。
『分裂前こそ反日体制での挙国一致を目指した中国ですが、日本は大戦へ積極的な参加を見送りました。一応中民を支持する米国への支援は行いましたが、基本的な関与はない、というのが政府の言い分です。中共からすれば日本が参戦すれば国の存亡自体が危ぶまれていましたからね。大戦中期に中共から日本大使館へ頻繁に人が出入りしていたのは、軍事介入を牽制するためだろうと言われています』
『つまり、日本政府には中共政府と、中民議会両方とのパイプがあると?』
『はい。地理的にもそうですし、今、米国は大統領選挙の真っ只中。与野党の交代が起こると言われている不安定な時期です。その為、政治的にも経済的にも安定した日本が選ばれた。日本政府としても、まだまだ復興需要が見込める両国と良い関係性が結べる事に加え、互いの国民感情の改善が見込める。まさに一石二鳥なわけです。川上総理としては倫理発言問題で下り坂になった支持率の立て直しを図りたいでしょうし』
『しかし、日本としてはセキュリティーの問題があります』
『はい。先日起きた証券会社デノクシーの本社襲撃事件、アメリカ船舶の炎上事件に加え、先月には陸上自衛隊の軍事AIへのハッキング騒ぎもありました。今回の会談は全世界が注目します。大戦後ではアメリカ大統領の来日を超える規模の警備体制がしかれるでしょう』
『では、今日行われた警察庁、自衛隊合同の警備訓練の模様をお送りします』
映像が流れる。対テロ対策に警官や自衛隊員、そして両前足にライオットシールドを備えた大きな蟹の様な警備ロボットが規律正しく奔走していた。
皆の顔つきは真剣そのものだ。警察官の腰にはリボルバーが、自衛隊員の手にはアサルトライフルが持たれ、物々しかった。
その中で一人、一瞬だが女性が映った。それを見て、臼田が顔を明るくする。
「あ、先輩だ」
神崎は規制線を監視していた。マスコミを静かな目で睨んでいる。それを見て臼田はうっとりしていた。
だが、他の男達は反応が違った。
「一課は大変だなー。手当は出るのか?」ジンが気にする。
「出るなら俺は一課に転属かな」吉沢は笑う。
「人手不足で応援にいかされてもか? 俺は勘弁願いたい」矢頼は首を横に振った。
そんな中、昭和のリモコン争奪戦顔負けの闘いに敗れた夏音が涙目で新島を睨んでいた。
新島は気にせずにニュース映像を見ている。過去の歴史や、これからの政策などをゲストで呼ばれた大学教授二人が話している。
彼らを睨むように新島は腕を組み、背もたれにもたれ、口を開いた。
「俺が渡利なら、明日やる」
新島ははっきりとそう言った。
それを聞いて誰もが同感し、場が静かになった。
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