図書館司書のドッグタイム(1)

(*'ω'*)CP上、キッドとテリーは婚約解消しております。

 ソフィア(23→24)×テリー(13)

 ――――――――――――――――――――――――――――――



















 親愛なる、天国にいるお父様とお母様へ。

 私は21歳には結婚し、24歳になる頃には子供を産んで一家庭を作るつもりでした。

 貴族に騙されて作られた幻の借金とそれに怯んで逃げた男達による環境も伴い、私の人生スケジュールはずたずたに引き裂かれてしまった所存でございます。

 苦労に苦労を重ね、時には殺されそうになり、時には呪いを受け、時には盗みを働きました。


 しかし、私は幸せです。こうなるのが運命だったのだと今ならば、受け入れることが出来ます。

 ……なぜならば、


 生まれて初めて、こんなにも恋焦がれる想いを募らせる相手が、私の前に現れたからです。











「殿下、26日は私の生まれた日なんです。部下の誕生日というものは上司からお祝いをいただくものですよね?」


 欲しいものがあるんです。


「テリーを下さい」

『却下』


 電話の向こうのキッドの顔が引き攣った気がする。しかし、ソフィアは微笑んだ。


「それは残念。ではキッド殿下、欲しいものをテリーに変更します」

『変更してないね』

「婚約は解消したと聞きました。それは、私へのサプライズプレゼントのためですよね?」

『はっはっはっはっ! お前、頭のネジがどこかに飛んでしまっているとは思ってたけど、とうとう故障したみたいだな。ソフィア、俺が帰ったらお前の命はないと思え』

「くすすすす。嫌ですね。キッド殿下ってば。私へのサプライズのために一芝居を入れるとは、あなたも粋な方だ」

『お前さ、テリーに癒しを求めてるんだよ。ほら、あいつ小さいくせに態度がでかいだろ? 可愛いペットみたいに思ってるんだよ。それだけなんだよ。目を覚ましな』

「ペット。ああ、いいですね。テリーに首輪をつけて芸を教え込んで、一日中一緒にだらだら出来たら……」


 キッドとソフィアが想像する。にゃーにゃー言ってパンチして来るテリーを想像する。三秒後、ソフィアから声が漏れる。


「……ぐすすす……」

『ソフィア、気持ちは分かる。だけど、そうだな。休暇も必要だ。お前休め。頭を休ませろ』

「……休み……」


 そういえば、今月は体調を崩す司書の代わりに、自分が勤務していた日が多かったと気づく。


「そうですね。有給でも使いましょうか」

『俺は今、隣国にて研究に忙しい。帰れないのは残念だけど、その代わりプレゼントはすごいのをあげるよ』

「本当ですか。テリーを下さるなんて、なんてお優しい殿下でしょうか」

『ソフィア』


 くすす、とソフィアが笑う。


(休みか。いいかもしれないな)


 貧乏続きで、ゆっくり休めた事などなかった。


(うん。有給を取ろう)


 二日くらいでいい。


(二日間、のんびりしよう)


 通話を終わらせ、ソフィアが受話器を置く。


(何しようかな)


 たまにはいいかもしれない。連休。


(何しようかな)


 ソフィアは考える。少し溜まった貯金で考える。


(何しようかな)


 とりあえずは、


(……部屋の掃除かな?)


 いつも通りのことに、くすすと、また笑った。





(*'ω'*)




 そんなわけで、有給を使い二日間の連休を取った。


(まずは掃除だ)


 ソフィアが部屋を片付ける。


(本棚も……)


 棚に置いてある本の隙間の埃を取っていく。ふと、ソフィアが見つける。


「ん」


 写真のアルバム。鍵付き。


「……」


 ソフィアが鍵を開ける。そっと開く。開かれたページには、苦い顔で映る少女の写真。


(……テリー……)


 色のついていない写真に、そっと触れる。


(……なんて可愛いの……)


 じっとこちらを睨んでいるような写真達。それでも着ている可愛い服装達。


(この服を着たテリーは可愛かった)

(こっちも可愛かった)

(これも)

(あれも)

(それも)


 様々なテリーの写真に、思わず息が漏れる。


「……はあ」


 アルバムを抱きしめる。


(テリーに会いたい……)


 図書館を休めば、会える確率は低くなる。


(テリーに会いたい……)


 彼女を優しく抱きしめたい。腕に閉じ込めたら、最初は暴れるだろう。どこ触ってるんだ、なんて失礼な奴と罵って暴れることだろう。しかし、優しく、優しく頭を撫でれば、徐々に落ち着いてくる。やがて腕の中で静かになる。


 その瞬間が、たまらなく恋しいのだ。


(テリー……)


 ぐう。


「ああ、お腹が空いた」


(そういえば、食べるものがなかったな)


 ソフィアがアルバムをしまい、立ち上がる。


「よし、買いに行こう」


 買い物用のバスケットを持って部屋を出る。てくてく歩いて広場を歩いていれば、兵士たちがぼうっとしているのが目につく。


(見回りが怠っているな。殿下に報告を)

(横暴な取り締まり。殿下に報告を)

(おや。真面目に働いている若者が。あの子は新人だったな。殿下に報告を)

(昼間から女性にナンパ。ああ、やっぱりヘンゼル殿か。殿下に報告を)


「リトルルビィ、これはどうやるの?」

「アリス、それはね!」


(真面目に働いている少女があそこにも一人)


 くすすと笑いながら、微笑ましい先輩顔のリトルルビィを見て、遠くを歩き出す。


(四月辺りに新人が入ったって言ってたっけ。へえ、あの子か)


 ピナフォアがよく似合う少女に、リトルルビィが仕事を教えている。


(頑張るねえ)


 素敵な笑顔を浮かべる少女。純粋な笑顔そのもの。


(私がその笑顔を浮かべていたのは、何年前だっただろうか)


 両親が死んで、借金があると嘘をつかれてから、子供から急に大人に成長させられた気がした。純粋な笑顔を浮かべることは、もうとっくの昔になくなってしまった。


(でも、もう、私は大人ですから)


 ソフィアは微笑む。


(大人って、そういうものだから)


 商店街を歩き、適当に食料を買い、バスケットに詰めていく。


「ああ、重い」


 ソフィアがため息をつき、広い道から狭い道を歩く。こちらの方が人通りが少ない。


(近道の路地裏ってなかなか素敵)


 建物の陰で囲われて、実に幻想的だ。きらきら輝く影に、城下の建物。その狭い空間をソフィアが歩く。すると、か細い音が耳に響いた。


「くぅん」

「ん?」


 ソフィアがちらっと振り向く。その先に、首輪のついた小汚い子犬が地面に転がっている。


(おやおや)


 ソフィアがしゃがみこむ。小汚い子犬の顔を覗く。舌を出し、ぜえぜえと荒い息を繰り返している。


(……捨てられたのか?)


 首輪は錆びれている。体もぼろぼろだ。


(困ったな。うちのマンションは動物禁止だし……)


 そう考えていると、子犬の目が開いた。ソフィアと目が合う。


「ん?」

「っ」


 子犬が慌てて離れる。後ろに後ずさり、鋭い目つきでソフィアを睨み、鳴いた。


「わん!」

「うん?」


 ソフィアはきょとんとする。子犬は鋭くソフィアを睨みつける。じいいいいっと睨みつける。その姿で、一人の少女を思い出す。


「……くすす。君はテリーに似てるね」

「わん!」

「くすす。何怯えてるの」


 しょうがない。これをあげよう。

 ソフィアがバスケットからベーコンを一枚置く。子犬がじっとベーコンを見る。


「お腹空いてるんでしょ。食べるといい」


 ソフィアが微笑む。子犬は睨む。


「食べないの?」


 ソフィアが肩をすくめた。


「そう」


 ソフィアが立ち上がり、一歩、二歩、三歩下がって、またしゃがみこむ。


「これならいい?」


 離れたソフィアを見て、子犬がそっと近づく。ベーコンを口で拾い、再び後ろに下がる。そのままがつがつ食べていく。


(食欲はあるみたいだ)


 辺りをきょろりと見回す。


(親の犬はいない。なるほど。やっぱり捨てられた可能性が高いな)


 だけど残念。


「うちは動物駄目なんだ」


 ソフィアがもう二枚、ベーコンを地面に置いた。


「ここに置いておくよ。何とか生き延びて」


 子犬がベーコンを見たのを確認して、ソフィアが立ち上がる。


「じゃあね。坊や」


 ソフィアが歩き出す。バスケットからはベーコンが消えた。しかし、後ろから美味しそうに食べる音が聞こえ、思わず、くすすと、笑い声が出た。


 ――それにしても、


「本当に、テリーに似てる目だったな」


 余計に会いたくなってきた。


「ああ、恋しいよ。テリー……」


 そう呟きながら、ソフィアのヒールが音を鳴らした。




(*'ω'*)




 二日目の休日も特にやることなどなく、ソフィアはカメラを持って広場を歩いていた。


(美しいものが撮りたい)


 彼女のヒールがコツコツと鳴る。


(西区域に行って、レンガの道でも撮ろうか)

(それとも湖のある公園に行って、その風景でも撮ろうか)


 写真は素晴らしい。本当に素晴らしい。美しい光景が絵になるなんて、なんて素晴らしい道具なんだろう。


 ソフィアが路地裏に入る。ヒールが鳴る。声が鳴る。


「わん」

「ん?」


 見下ろすと、鋭い目つきの小汚い子犬。ソフィアが微笑む。


「おや、また会ったね」

「わん」

「何? お腹でも空いた?」

「わん!」


 子犬がじっとソフィアを見上げる。何かくれと言いたげな目。


「わん!」

「くすす! その生意気で横暴な態度も、テリーにそっくりだ」


 ソフィアが笑って歩き出す。


「待ってて。何か持ってくるよ」

「わん!」

「大丈夫。そこで待ってて」


 そう言うと、ぴたりと子犬が止まった。ソフィアが商店街に行き、厚めのベーコンを購入した。それを持って、路地裏に戻ってくる。子犬は同じ姿で待っている。ソフィアを見て、尻尾がふわりと揺れた。


「お待たせ。良い子だね」

「わん!」

「はい。例のブツ」


 ソフィアが厚いベーコンを地面に置く。子犬が乱暴に食べていく。あまりの美味しそうな子犬の食べ方にソフィアも微笑み、道の階段に腰掛け、子犬を眺める。


「お前、主人は?」


 子犬はベーコンを食べている。


「家は?」


 子犬はベーコンを食いちぎった。


「そんな小さな体で、ホームレス?」


 手を伸ばし、細い毛に触れる。すると子犬が驚いたように体をびくっと痙攣させ、慌てて後ずさった。


「わんっ! わん! わん!!」

「触るなって? はいはい。どうぞ。触らないよ」


 ふん! と鼻を鳴らして、またベーコンを噛む。


「ここで捨てられたの?」


 子犬はベーコンを食べている。


「これからどうやって生きていくの? 食料はゴミ箱から漁る?」


 子犬は尻尾を揺らしている。


「そうそう。貧しい時に限って、お腹が空くんだよね」


 何度パンを求めたことだろう。何度ミルクを求めたことだろう。それでも足りないお金は全てあるはずがなかった借金返済に回されたのだ。


「ああ、今や私は幸せだよ。全てから解放されたのだから」


 子犬がもぐもぐベーコンを食べて、ソフィアの足に近づく。匂いを嗅ぐ。


「うん? 匂いを嗅ぎたいの?」


 ソフィアが微笑む。


「いいよ。いくらでも嗅ぐといい」


 子犬が匂いを嗅ぐ。ソフィアはそれを見て、思わず呟く。


「やっぱりテリーみたい」


 手を伸ばす。子犬がびくっと体を揺らすが、今度はソフィアの手を待つように止まる。鋭い眼はじっとソフィアを見つめ、睨み、どうくるか相手を観察している。ソフィアはそのまま手を伸ばし、子犬の頭を優しく撫でた。もう一度撫でた。もう一回撫でた。子犬がほんの少しだけ近づいた。もう一回撫でた。子犬が大人しくなった。


「お前、意外と人懐っこいね」


(テリーみたい)


「……テリーって呼んでもいい?」


 子犬は返事をしない。ただソフィアの大きな手を感じるだけ。


「くすす。テリー」


 子犬は見ない。ただソフィアの大きな手の温もりを感じるだけ。


「くすす。無視か。そういうところも、テリーに似てる」


 ソフィアが呼ぶ。


「テリー」


 子犬は見ない。ソフィアの手の温もりを感じるだけ。


(……流石に連れて帰っちゃ駄目か)


 王族に仕える者として、マンションのルールは守らないと。


「分かった。残念ながら休みは今日でおしまいなんだ。でも、仕事が終わったらベーコンを食べさせに来るよ。それで許して」

「わん!」


 まるで返事をするように、子犬が鳴く。くすすと笑い、ソフィアが呼んでみた。


「テリー」

「わん!」


 おや、返事をしたようだ。


「ふふっ。テリー」

「わん!」

「くすす。テリー」

「わん!」

「ふふふふ!」


 ソフィアの手の温もりに、子犬は喜ぶように、顔をすり寄せる。


「テリー」

「わん!」


 路地裏でソフィアが微笑む。子犬が尻尾をちぎれんばかりに振ってくる。それが見ていて嬉しく感じてしまう。


(必ず来よう)

(明日、この子に会いに来よう)


 その誓いを守るように、ソフィアは翌日の仕事の終わりに、ベーコンを持って路地裏に行った。


「テリー」

「わん!」


 ソフィアはその翌日の仕事の終わりにも、ベーコンを持って路地裏に向かった。


「テリー、お座り」

「わん!」


 またまた翌日も。


「テリー、お手」

「わん!」


 気がつけば、有給の休み期間から、子犬のテリーを見つけてから、毎日暗くなっても、路地裏に通った。

 テリーに会いにいけば、遅かったなと言わんばかりに走ってくる。


「よしよし、ベーコンだよ」

「わん!」

「待て」

「わん!」

「待て」

「わん!」

「……」

「くぅん……」

「よし」

「わん!」

「くすす!」


 ソフィアが笑う。子犬のテリーの頭を撫でる。テリーはベーコンを食べる。その際に、尻尾を沢山振る。ちぎれそうなほどに振る。ソフィアは優しくテリーを撫でた。


「お前は『待て』が上手だね」


 テリーは待てと言われたら、待っている。ずっと待っている。


「もしかして、ご主人はそう言ってお前をここに待たせたのかい?」


 テリーは美味しそうにベーコンを食べる。


「そうやって捨てられたのかい?」





 ――久しぶりに夫婦で出かけてくるわ。帰ってきたら、旅先でのことを聞かせてあげる。

 ――ソフィア、留守番を頼んだぞ。

 ――待っててね。あっという間に帰ってくるから。




「同じだね」



 ソフィアがぽつりと呟く。


「私も待つよう言われたよ」


 二人は帰ってきた。

 帰らぬものになって帰ってきた。

 一人になったソフィアには、両親を妬んだ貴族の嘘だけが残された。


「……」


 ソフィアは微笑む。胸に残るもやもやには蓋をする。笑顔を浮かべれば消える気がして、口角を上げれば笑顔になる。しかし、胸にはもやもやが残っている気がする。ソフィアは目を閉じる。深呼吸する。言い聞かせる。


「ああ、全く、つまらないことを思い出した」


 目を開ける。全てを忘れる。今現在、充実して生きる我に戻る。


「……ん?」


 テリーがソフィアを見上げている。


「どうしたんだい? 物足りない?」

「わん!」


 テリーが背筋を伸ばして立ち上がる。前足をソフィアの膝に乗せ、鋭い目でソフィアを見上げる。


「わん!」

「何? 慰めてくれるの?」

「わん!」

「くすす。よしよし。お前は優しい子だね」


 ソフィアがテリーの頭を撫でる。慈しむように、撫でる。


「ねえ、テリー。実はね、君に会わせたい人がいるんだ。多分、あの子も動物が好きだと思うんだよ」


 私の恋しい人。


「最初は悲鳴をあげるだろうけど、害が無いと分かれば、きっと可愛がってくれると思うよ」


 テリーは尻尾は振る。


「連れてくるよ。明日図書館に来るって言ってたから」


 テリーの尻尾がふと止まり、鋭い目をソフィアに向ける。


「くすす。気になる?」


 とても恋しい子だよ。


「君も気にいると思うよ」


 ソフィアが微笑み、恋しそうに、テリーの頭を優しく撫でた。テリーも瞼を下ろし、そのぬくもりを心地よく感じているように、再び尻尾を振り始める。


 胸のもやもやは、どこかへ飛んで行った。





(*'ω'*)





 翌日。


 仕事が終わり、ソフィアは少女と手を握る。彼女の歩幅に合わせて歩き、少女を連れていく。


「……どこまで行くの」


 ソフィアの恋しいテリーが、むすっとした顔のまま引っ張られていく。


「ねえ、テリー。犬は好き?」

「……そうね。……まあ、……嫌いじゃないかも」

「くすす。それは良かった」


 薄く笑い、テリーと共にいつもの建物の間に入っていく。テリーがソフィアを見上げる。


「ねえ、そんなことより、いいものって何?」

「もう少しで会えるよ」

「会えるって?」


 テリーの手を引っ張る。わくわくして引っ張る。


(この子なら、きっと喜んでくれる)


 子犬のテリーを見て、今までに見せたことのない顔を見せてくれるだろう。小汚いと言いながらも、嬉しそうな顔をして、ふわふわの子犬の毛を優しく撫でることだろう。


(でも子犬のテリーは人見知りだからな。最初は吠えるかもしれない)

(この子のことだ。吠えられたら落ち込みそう)


 わん!

 がーん! もういい! あたし帰る!


「テリー、諦めちゃ駄目だよ」

「ん? 何が?」

「大丈夫、心が通じれば何とでもなるから。ファイト」

「何? なんであたし応援されてるの?」


 テリーの眉間に皺が寄る。ソフィアは微笑み、歩いていく。今日もそこに行けば、目つきの悪い子犬のテリーが待っている。自分が行かないとテリーは待ち続ける。だから行かないと。主人の代わりに、自分が行かないと。

 テリーの可愛い鳴き声が聞こえてくるようだった。


(テリー)


 ソフィアは微笑む。


(テリー)


 いつもの路地裏に辿り着く。


 ――しかし、路地裏はとても静かだった。


「……ん?」


 ソフィアがきょとんとした。


「あれ?」


 ソフィアが辺りを見回す。


「テリー」

「何?」

「くすす。君じゃないよ」

「はぁ? あんた何言ってるの?」


 あたしはテリーよ。


「違う違う。君もテリーだけど、もう一人のテリーだよ」

「はぁ?」

「いや、もう一匹、かな?」


 ソフィアが微笑みながら、辺りを見渡す。


「テリー」


 テリーの鳴き声はない。


「……?」


 ソフィアは見渡す。しかし気配はどこにもない。


「……テリー?」

「うわ」


 テリーが声をあげた。


「何これ。ボトルの破片? うわ、……酒くさ……」

「え?」


 ソフィアが振り向く。階段に小さな血がついている。その側には、ボトルの破片。


「何ここ。汚い。あんた、こんな汚い所に綺麗で美しいあたしを連れてきて何する気よ。いいものって何よ」

「……」


 ソフィアが黙る。右を見る。気配はない。

 ソフィアが黙る。左を見る。人の気配がする。向こうから声が聞こえる。


「テリー、ここにいて」

「え」


 ソフィアとテリーの手が自然と離れる。ソフィアが大股で歩き出した。


「ちょ、ちょっと!」


 テリーは路地裏に置いていかれる。ぽつんと立つと、陰の間から不気味な風が肌に当たる。


「……ソフィア! ちょっと待ちなさい! か弱いあたしを連れてきて、置いていくな!! 不審者に襲われたらどうするのよ! あたしの美しいおめめに変な輩の汚い姿が映ったらどうしてくれるのよ! 別におばけなんか怖くないけど!? こういう所は不気味で嫌いなのよ! おいこら! ソフィア!! 待たんかい! 聞かんかい! 話さんかい! こら!!」


 ソフィアが一本道に進む。どんどん奥へと進んでいく。どんどん暗くなっていく。どんどん建物の壁が迫ってくる。どんどん道が狭くなってくる。どんどん気配が近くなってくる。

 どんどん近づいていく。


 どんどん声が大きくなる。


「おりゃ!!!」


 楽しそうな、男の声が聞こえる。


「いっくぜー! おら!!」


 何かが蹴られるような音が聞こえる。


「もういっちょ!」

「まだまだ!」


 ソフィアが近づく。行き止まりにたどり着く。その場で、40代ほどの男性二人が、小さなふわふわしたものを蹴飛ばしていた。


「ほらほら、どうしたよ!」


 小さなものはうずくまる。


「わんって鳴いてみろよ! おら!」


 蹴飛ばす。小さなものを蹴飛ばす。


「変な目の形しやがって!」


 蹴飛ばす。弱いものを蹴飛ばす。


「ははははは! おらおら! どうしたよ! わん! わんわんわん!」

「鳴けよ! 犬だろ!? ほら、鳴いてみろよ!」


 一人が蹴れば、また一人が蹴る。

 なんでそんなに蹴るのか分からない、理不尽な暴力が繰り返される。

 ソフィアが立ち止まる。その光景に絶句する。

 足が当たる。小さなものに当たる。足が当たる。小さなものが悲鳴をあげた。


「鳴いたぞ!」

「おら! もっと鳴け!」


 醜い暴力が繰り返される。

 小さく丸まったものは、荒い呼吸を繰り返す。

 男たちの足が上がった。


「実に不愉快だ」


 二人の足が止まった。振り向く。そこにはソフィアが微笑んで立っている。


「なんだ? 姉ちゃん、俺達と遊びたいのかい?」

「くすす。素敵なお誘いですこと」


 男のおぼろげな目がソフィアの全身を舐めるように見る。下から、上に上がる。足を見られ、腰を見られ、胸を見られ、顔を見られ、ソフィアが微笑む。


「ははっ! こりゃあ、すげえ! 姉ちゃん、良い体してるじゃねえか」


 二人の男がにやりといやらしい笑みを浮かべ、ソフィアに近づいた。ふらつく足取りから、手にもつ酒のビンから、やはり酔っ払っているようだ。


「しかもべっぴんさんだ」

「いいねえ。俺達と遊ぼうぜ」

「くすす」


 にやけて近づく二人に、ソフィアがくすりと笑い、拳銃を一丁取り出した。そして、容赦なく銃口を二人に向ける。二人が一瞬きょとんとする。ソフィアは微笑む。男達は笑い出した。


「「はっはっはっはっはっ!!」」

「おい、てめぇの汚ぇ顔のせいで、綺麗な姉ちゃんが怖がってるじゃねえか!」

「おいおい、レディ、俺たちゃ、なーんも怖くねぇよ。優しい紳士だよ。俺たちは」

「ああ、その通り。だから、俺達と一緒にいいことしようぜ」


 男の一人がソフィアの肩に手を触れた、瞬間、ばきゅんと大きな音。


「……え」


 ソフィアが微笑みながら、男の右膝を撃った。


「え」


 左膝を撃った。


「ぎゃっ!」


 男が悲鳴をあげて倒れる。


「なんだ、この女!」


 ソフィアが天使のように微笑みながら、男の腹を撃った。


「ひぃ!!」


 男が地面に倒れる。二人が地面で這いずり回る。


「いてぇ! 足が! 足が!!」

「うううう……」

「くすす。足が痛いですって?」


 ソフィアが微笑みながら、膝を押さえる男に近づく。


「ここですか?」


 膝を蹴った。


「ひっ!」

「くすす」


 膝を蹴った。


「や、やめろ!」

「くすすすす」


 膝を蹴った。


「あぁあぁああ! やめてくれ! やめてくれ!!」

「無様だなぁ!」


 ソフィアがヒールのカカトを膝に押し込む。男の顔が青くなり、悲鳴をあげた。


「ひぎぃいいいいいいい!!!」


 ぐりぐりと押し込む。


「あぁぁぁああああ! ぁあ……! ああああ!」

「ほらほら、いいことしましょうよ?」


 ソフィアが微笑む。


「もっと楽しませてごらん」


 体を蹴り上げ、男が悲鳴をあげる。一人を蹴り飛ばせば、次はもう一人の男に振り向き、ソフィアが微笑みながら、一歩踏み込んだ。


「ひぃ!!」


 男が腹を押さえながら後ずさった。


「や、やめろ! やめろ!!」


 ソフィアが笑う。

 天使のように笑う。

 胸のもやもやを隠すために笑う。

 感情を隠すために笑う。

 すさまじい怒りを胸の中にしまいこむために、笑う。

 笑う。笑う。笑う。天使のように、優しく微笑む。


 しかしその姿は天使ではなく、悪魔。


 くすすすすすすすすすすすすすす!


「やめろ! やめろ! やめ、やめろぉ!!」


 ソフィアの目が黄金に輝く。

 ソフィアが笑う。

 ソフィアが歩く。

 男が恐怖のあまり、絶叫した。


「ママァァアアアアアアアアア!!!!!!!」





 黄金の目が光る。







「ソフィア!!!」





 腕を引っ張られ、髪の毛をぐいと引っ張られ、屈んだ隙を突かれて頭を掴まれた。ぐっと上半身が下に下ろされる。きょとんと瞬きをすれば、恋しい子の焦った顔。


 目の前に、テリーの姿。


「やめなさい!」


 テリーの声が響く。


「おやめ!!」


 テリーの声が響く。


「やりすぎよ!!」


 テリーの声が響く。


「落ち着きなさい!!」


 テリーが叫んだ。


「ソフィア!!!!」




 ――はっと、瞬きをする。黄金の目の輝きが無くなっていく。怒りの花が急激にしぼんでいく。瞬きを繰り返す。テリーが鋭い目で自分を睨んでいる。


「……。……テリー……」

「ああ……、……目眩が……」


 テリーがずるずるとしゃがみこみ、その腰をソフィアが支えた。


「……」

「……あんたが貧乏人に優しいのは分かった」

「……ん」

「深呼吸して」

「……すー……はー……」

「……落ち着いた?」

「……どうかな。恋しい君がキスしてくれたら落ち着くかも」

「くたばれ」


 テリーが悪態をつき、ソフィアの頭を開放する。ソフィアもテリーの腰から手を離す。ソフィアが屈ませた背筋を上に伸ばし、くるりと振り向くと、二人の男は気絶し、小さなもふもふしたものも、小さな呼吸を繰り返していた。


「ああ、そうだった」


 ソフィアが駆け寄る。


「こんな無駄な時間を過ごしている場合じゃない」


 子犬のテリーを抱き上げる。


「テリー」


 舌をだらんと出し、体は傷だらけ。酔っ払い二人の憂さ晴らしの対象にされてしまったようだ。見るのも辛いほど、ぐったりしている。


「……ソフィア」


 ソフィアが振り向くと、テリーが道に指を差した。


「……ママの知り合いで、動物を扱ってる病院、近くにあるわ。……行くなら、案内するけど」

「頼める?」


 ソフィアが歩き出す。テリーも小走りで道を進む。白目を剥いた男二人は『無傷のまま』その場に残された。


 ソフィアは大股で歩く。テリーは小さく走る。雀の息の子犬をちらっと見ながら、彼女なりに余裕なふりをして、急いで案内してくれている。


(テリー)


 呼吸が小さい。


(どうか、無事で)


 ソフィアの腕に抱かれながら、傷だらけのテリーは、小さく、呼吸を繰り返していた。





(*'ω'*)





 病院に着くや否や、すぐに医者が取り合った。子犬のテリーの状態を見て、すぐさま治療に取り掛かってくれた。激しい損傷なのか、緊急で処置が行われ、一時間後、ようやく医者が集中治療室から出てきた。


「今日は安静にさせた方がいいでしょう」

「……大丈夫ですか?」

「麻酔で寝てます。ご安心を」

「ああ……」


 ソフィアが胸をなでおろした。


「良かった。後遺症とかは?」

「今は、まだ何とも」

「そうですか」

「とりあえず、今日はこちらでお預かりします」

「お願いします」


 ソフィアが頭を下げ、受付カウンターに向かう。


「治療代を」

「合計で……」


 看護師が合計金額を出すと、横から手が伸びた。


「これで」


 テリーがスッ、と金貨を出した。看護師が目を丸くする。ソフィアがきょとんとする。


「足りませんか?」

「いえ、あの、大丈夫です」

「じゃあこれで。領収書も」

「あ、はい。かしこまりました。お宛名は?」

「書かなくていいわ」


 ソフィアが瞬きする。領収書を受け取ったテリーが横目でソフィアを見上げる。


「……貧乏人は黙ってなさい」

「……これくらい払えるのに」

「一つ貸しよ。倍にして返して」

「…くすす。ありがとう」


 テリーは何でもない顔をしている。こうして見ると、自分との身分の差を嫌でも感じてしまう。


(涼しい顔して、平気で金貨を渡すんだから)


 ああ、貴族って、怖い怖い。


「テリー、送るよ」

「当たり前よ」


 二人で病院を出る。空は既に暗くなっていた。






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