誕生日での秘密事(2)



 ――当日。




(大丈夫よ、あたし。これで勝負するわ)


 手提げの紙袋の中にあるプレゼントをじっと睨みながら、足を前へ進めていく。皮肉なことに雪が降り始めて、本格的にクリスマス・イブになってきた。


(ああ、帰りたい)

(部屋でのんびりしたい)

(なんでキッドの誕生日をお祝いしないといけないの)

(このあたしが)

(帰りたい)

(もしかしたらこのプレゼントを見て、鼻で笑われるかも)

(うわ、あいつならやりかねない)

(うわあ、なんて奴。失礼極まりない。……帰ろうかな……)


 クリスマス用に装飾されたキッドの家の扉をノックしてから、あ、と声が漏れた。


「無理だ。帰ろう。そういえば新しい宿題が出されたんだった。クロシェ先生ったら罪な人よね。でも宿題は大事だし、うん。帰ろう。今なら間に合う。帰れる。帰ろう」


 回れ後ろをして一歩進んだところで、腕を掴まれた。


「どこに帰るって言うんだ? テリー。俺の胸の中にか?」

「うわ、出た……」

「出た、ってお前な……」


 振り向くと、あたしを睨むキッド。キッドが息を吐き、あたしの腕から移動して手を握り、中へ引っ張った。


「おいで。待ってたんだから」


 キッドが口角を上げ、あたしを招き入れる。

 中にはもう人が集まっていて、誘拐事件の時に見た顔や、通り魔事件の時にいた人や、紹介所の職員や、ジェフが、ビリーが、料理を囲み、壁の前に立ち、階段に立ち、グラスを片手に持って、待機していた。


 紹介所の職員があたしに声をかけてきた。


「ご機嫌よう! テリー様! 何をお飲みになりますか?」

「……何あるの?」

「何でも用意できますよ!」

「……オレンジジュース」

「どうぞ!」


 オレンジジュースを渡されたタイミングで、キッドが手を叩いた。


「さあ、俺の愛するテリーも来たところで、始めよう!」


 キッドがビリーを見た。


「じいや」

「えー、では……」


 ビリーが、こほんと咳をして、お気に入りのマグカップを持ち上げる。


「我らが愛するキッドの誕生を、心より深く讃えて、乾杯しよう。キッドや、15歳の誕生日、おめでとう」

「えへへ! ありがとう、じいや!」

「というわけで」


 乾杯!!


 わっと、一斉に、小さな家の中が大盛り上がり。

 ある人は肉を噛み、ある人は昼から酒を飲み、ある人はキッドを祝い、ある人はキッドに見惚れ、ある人は一人で楽しそうに料理を作り、ある人はその料理を運ぶ。


「兄さん! ケーキはどこだ!」

「ふっ! ここだ! 俺が切るからお前が運べ!」

「実は俺、彼女が出来てよ!」

「なんだと! ブロック! お前、やるじゃないか!」

「これでクリぼっちは卒業だぜ! ふーう!」

「キッド様……素敵だわぁ……」

「目の保養……」

「あれで15歳だなんて……」

「はああ……私達……もう少し若かったら……」


(……なんか)


 狭い家の中で、ぎゅうぎゅうにされながらも、楽しそうな声が響いて、笑い声が聞こえて、笑顔が沢山ある。


(……変なパーティー)


 不思議だ。


(……居心地、悪くない気がする)


 こんなパーティー、知らない。


(社交界って嫉妬の塊だから)

(喧嘩も勃発するし、そのたびに皮肉の言い争いだし)

(でも)


 ここには、皮肉も嫌味も喧嘩も存在しない。皆が笑顔で、楽しそうにしている。


(……変なの)


 あたしには初めての経験だ。


(新鮮)


 料理も、オレンジジュースも一級品じゃないのに。


(……)


 フォークで口に運び、もきゅもきゅ食べる。


(……悪くないかも……)


 あ、ジェフがいる。


(なんだかすごく楽しそう。……横にいる人、誰かしら。……もしかして、奥様?)


「テリー」


 キッドが小声であたしを呼んだ。ちらっと見ると、キッドが微笑み、あたしの手を握ってくる。


「ねえ、上に行こう。プレゼント交換しようよ」

「ああ」


 紙袋を差し出す。


「はい」

「馬鹿」

「あ?」


 あたしが眉をひそめると、キッドが不満そうな顔をした。


「上でやるの」

「上って?」

「俺の部屋」

「あんたの部屋で二人きりでプレゼント交換?」

「そうだよ」

「ここでも出来るでしょ」


 紙袋を差し出す。


「ん」

「駄目。上でやる」

「何よ。そのこだわり」

「婚約者だろ。二人の大事な時間を二人で過ごそう」

「あたし、もう少しここにいたい」

「あとでいくらでもゆっくりすればいいさ。プレゼント交換するだけなんだから」


 手を引っ張られる。


「ほらほら、誕生日に喧嘩なんかしたくないよ。早く行こう」

「面倒くさ……」

「早く。テリー」


 人混みの中をかき分け、二階へ上がる。


「こっち」


 キッドが扉を開けた。こじんまりとした狭い部屋が視界に広がる。


(……何。ここ。豚小屋?)


「ようこそ。テリー。俺の部屋へ」

「……意外と綺麗なのね」

「じいやが掃除してくれるからな。ほら、そこ座って」


 ベッドに導かれてゆっくりと座る。そして、隣に座ってきたキッドを見て、あたしは瞬時に頭の中で思った。


(どうやって……)


「お前、今、どうやって逃げ出すか考えただろ」

「……ふえええええ? どーしてー? そんなこと考えるわけないじゃなーい? イケメンのおにーちゃんが隣にいてくれるのに、逃げ出したいなんて、そんなこと、考えるわけないじゃなーい! やーだー! ぷーう!」

「あはは。お前、本当に分かりやすいな。誤魔化す時はいつもスイッチが入る。何? その子供スイッチ。どこにあるの? 俺がOFFのボタンを押してあげるよ」

「うるさい。やめて。触らないで」


 額を人差し指でぽちぽち押し始めたキッドの手を払う。


「せっかく祝ってあげようと思ったのに、あんたのせいで気分が冷めた。あーあ! やーめた! もうやーめた!」

「へえ。祝ってくれるんだ?」


 顎を掴まれて、顔をぐいっとキッドに向けられる。グキッと骨が鳴って、顔をしかめた。


「ちょ、痛い!」

「ん、痛い?」

「あたしの可愛い顎がゴキッてなったじゃない!」

「お前が悪いんだろ」

「なんであたしが悪いのよ」

「……」


 キッドが黙り、じっとあたしを見てくる。


「……何よ」

「……何が?」

「不満顔」


 見上げて、その頬に触れる。


「坊や、せっかくのお誕生日に、不機嫌な顔をするものじゃなくってよ」

「子供のお前に坊やなんて言われたくないし、俺、不機嫌な顔なんてしてないよ」

「してるじゃない」

「何言ってるの。笑顔だろ」

「目が笑ってない」

「何言ってるの。ほら、馬鹿なこと言ってないで、ちゃんとお祝いして。俺もお前にプレゼント用意したから」


(あ)


 キッドがラッピングされた袋をベッドの端から取り出して、あたしに見せてきた。


「……本当に用意したの?」

「お前の誕生日を祝えなかったからな」

「……別に良かったのに」

「俺が贈りたかったの」


 キッドが先にあたしに差し出した。


「はい」


 キッドが微笑んで、あたしに渡す。


「遅くなったけど、11歳の誕生日、おめでとう」

「……」


 素直に受け取る。


「ありがとう」


 今度はあたしが差し出す。


「はい」


 キッドに渡す。


「15歳の誕生日、おめでとう」

「ありがとう。テリー」


 キッドの目が和らいだ。ちゃんと嬉しそうに笑ってる気がする。


(……機嫌がコロコロ変わって、気難しい奴ね。微妙なお年頃ってやつ?)


 あたしの手からプレゼントを受け取り、キッドが何か違和感を感じたのか、袋を揉んでみる。


「……ん。何だこれ? もふもふしてる。何これ」

「開けてみれば?」

「ふふっ。なんだろうなー?」


 キッドが唇を舐め、乱暴にラッピングを破っていく。あたしは顔をしかめる。


「……開け方汚い」

「いいんだよ。開けるだけだから」


(はん。これだから庶民のガキって嫌なのよ。子供ね)


 一方、あたしは包みを止めているテープをそっと外す。あ、破けた。見なかったことにして丁寧に包みから箱を取り出し、蓋を開けてみると、


「「あ」」


 キッドと、あたしの声が重なった。


(これ)


「……香水……」


 赤い液体が小さな瓶に閉じ込められている。瓶の形も可愛い。……見た目だけは高級そう。


(一年分のお小遣いを使わせちゃったかしら)


 ふっ、と、鼻で笑った。


「キッド、11歳のあたしに、香水なんてまだ早くってよ」

「大人になるお前へのプレゼントだよ。必要になったら使えばいいさ」

「そうね。必要になったら使う」


 香水は確かに好き。自分の体臭と違って、いい匂いがするから。蓋を開けて、匂いを嗅いでみる。


(うわ、甘……)


 鼻を遠ざける。


「何これ? 苺?」

「そう。苺のケーキの匂い」


 キッドが匂いを嗅いだ。


「女の子って、甘いもの好きだろ」


(……当時のあたしなら、超喜んだわね……)


 蓋を閉める。キッドが囁いた。


「おまけ。メッセージカード付き」

「うわ」

「うわって言うな」

「あんた、自分のやってること寒くならないの?」

「気持ちを伝えるには手紙ってとてもいいと思うんだ。字って、目に見えて残るものだし」


 キッドが視線を手元に移す。


「……で、テリーは」


 キッドがプレゼントを見つめた。


「……マフラーをくれたんだね」


 たまたま、茶屋の隣の雑貨屋で、マフラーが店の前に飾られていたのを見た時に思った。そういえば、キッドはマフラーをしてなかったって。


「……外で遊ぶことも多いみたいだし、いざって時に風邪で倒れられてもごめんよ。せいぜいそれで風邪予防することね」

「あ、お茶の葉も入ってる。……あー! お前センスいいな! これ美味しいやつだ!」


(……チッ。知ってたか……)


 キッドの反応に舌打ちすると、キッドがマフラーを抱きしめた。


「……ん。あったかい。これはいいな。体が温まりそう」

「そうよ。温かい格好して、健康でいなさい」

「ふふ。なんか、テリー、お母さんみたい」


 くすくす笑い出すキッドは、どこか表情が明るく見える。


(……。なんかよく分かんないけど、機嫌治ったわね)


 じゃ、あたし、もう帰っていーい?


 腰を持ち上げようとすると、上機嫌のキッドに微笑まれ、あたしは動くのをやめた。キッドがマフラーを広げる。


「ねえ、マフラー巻いていい?」

「お好きにどうぞ」

「あ、テリーにやってもらおうかな」

「……なんでよ」

「いいじゃん。愛しい婚約者にマフラーを巻くなんて、簡単だろ?」


(めんどくさ……)


 キッドの目が鋭くなった。


「……お前、今、面倒くさいって……」

「やーだー! おにーちゃんったら! あたし、思ってないってばぁー!」


 慌ててマフラーをキッドの首に巻く。そして、あ、やっぱり、と思った。下から上まで見たけど、うん。ぴったり。サイズもちょうどいい。シンプルなデザインで、深い紺色のマフラー。


 キッドになら似合うと思った。


(……やっぱり似合ってた)


「どう? 似合う?」

「……そうね。……悪くないんじゃない?」


 キッドに似合ってると言ったら調子に乗るから、絶対言わない。いいこと。お前にそのマフラーは、悪くないだけよ。覚えておきなさい。


「いい意味で予想が外れたな」


 キッドがマフラーを撫でる。


「嬉しいよ。テリーがマフラーを用意してくれるなんて、思ってなかった」

「あたしはあんたの婚約者なんでしょう? キッド如きのプレゼントの一つや二つ、用意出来るの」

「うん、婚約者として、この贈り物でしょ。だから嬉しい」


 キッドが、にこりと、満面の笑みであたしを見た。


「そんなにテリーが俺を束縛したいなんて、俺、嬉しくてしょうがないよ」





 ……。……。……。……。……。……。……。……。……。……。





(は?)


「は?」



 思ったことが口に出た。

 束縛?

 いつ? あたしが? 誰を?

 訊こうと口を開く前に、キッドがあたしを見つめたまま口を動かす。


「だって恋人にマフラーって……」


 ――その人に首ったけ、もしくは、束縛していたいっていう意思表示なんだよ。テリー。


 満面の笑みのキッド。真っ青なあたし。


 (こいつ……この顔……あたし知ってる……!)


 あたしを思いきり、からかってる顔。


(おうおうおうおう! やろうっての!? いい度胸じゃない!)


 あたしは笑顔で否定した。


「おほほ。嫌だわ。お兄ちゃんったら。そんなのただのデマカセ迷信嘘百発よ。贈り物に意味なんて関係ない。大事なのは気持ち。人の親切心よ。分かる?」

「うん。だから、俺を好きすぎて拘束するものを用意したんでしょ?」

「おほほほほほほほほ。お前は何を言ってるの。拘束なんて、束縛だなんて、そんなお下品で重たくて面倒なことを、このあたしがするとでも? おっほっほっほっ! なめてもらっちゃ困るわね! いいこと。何事も自由が一番よ。あたしの心は広大なの。大海原なの。束縛なんて、するわけないでしょ」

「テリー、たまには素直になりな。俺が他の女の子に気を取られてしまわないか、お前は不安なんだ。なるほどね。よく分かったよ。いいよ。お前が俺を拘束したいなら、いくらだってこのマフラーの餌食になろう」

「そのままくたばってしまえばいいのに!」

「お前の愛の餌食になれってか?」

「そんなこと言ってない!」

「いいよ。お前が俺に首ったけなら、俺もお前に拘束されよう」

「いい! お前なんていらない!」

「心はそう言ってないかも」

「あたし、心の底から言うわ! キッドいらない!!」

「全く、意地っ張りめ。愛してるよ」


 (いいいいいいいいい! 気持ち悪い!!)


 ぞっとしてキッドを睨むと、キッドが笑い出した。


「くくくく! 俺、お前のその目が好きなんだ」


 俺を睨む女の子なんて、お前くらいだよ。


 キッドがあたしを見て上機嫌に口角を上げる。一方、あたしは口角を下げる。


(……睨まれてるのに、なんで喜んでるわけ……? 意味分かんない……)


「ね、俺がむかつく?」

「分かってるじゃない。お前はむかつくクソガキよ」

「発散したい?」

「ええ。お前の首を絞めてやりたいわ」

「してみる?」


 マフラーを外すキッドに、あたしはきょとんと瞬きする。


「……何を?」

「首、絞めたいんだろ?」


(ん?)


 気が付いた時には、キッドに両手首を優しく掴まれ、誘われる。


「ほら」


 キッドが微笑む。あたしの両手が、キッドによって、首に触れさせられる。


「握ってみて?」


(え? 何?)


 これ、どういうこと?


「うん、だから、握ってみて。ぎゅって」


 いや、何言ってるの。こいつ。握ったら、首が絞まるじゃない。首が絞まったら分かってるの? 呼吸が出来なくて、苦しくなるのよ。


「手に力を入れればいい。簡単だろ? 日頃の俺の恨みでも思い出せばいいさ」


 あたしは呆然とキッドを見上げる。キッドは微笑むだけ。


「テリー?」

「……あんた、どうかしてるんじゃない?」


 唖然とした声で言うと、キッドがクスクス笑って、あたしを見つめ続ける。


「そうかもね。テンションがすごく上がってるのかも」

「よくあることよ。大事にならないうちに、やめておきましょう。はい。離して」


 キッドは手を離さない。


「嫌だ」


 キッドはにやける。


「テリーがやってくれるまで、手を離さない」

「……何言ってるの」


 なんで目が本気なのよ。


 狼狽えるあたしに、キッドは笑う。


「テリー、やって」

「やめて。あたし、やりたくない」

「やってよ。俺の誕生日なんだから、甘やかせて?」

「はあ? 首を絞めることが、甘やかすことなの?」

「そうだよ。俺は甘えてるんだ。テリーにデレデレしてるんだ。だから俺の我儘に答えて」

「やだ」

「絞めてみて」

「嫌よ」

「やって。テリー」


 キッドは笑う。


「やって?」


 その目に、嘘はない。


「……」


 あたしは首を振る。キッドが見てくる。

 あたしは血の気を引かせる。キッドが押さえてくる。

 あたしは逃げようと腰を浮かせる。キッドがあたしの手を掴んだまま、あたしの足に足を引っかけて、押し倒してきた。


「っ」


 あたしの目が見開かれる頃、あたしの背中がベッドに倒れる。キッドがのしかかり、あたしの手は、キッドの首。


「ほら、テリー」


 見下ろしてくる、生意気な青い目。


「やるまで、終わらないよ」


 にやける口角。


「テリー」


 低い声が、あたしにずしっとのしかかってくる。


(何?)


 キッドの視線が、まるで錘のようにのしかかる。


(重い)


 息が苦しくなる。


(重い)


 視線が重い。


(これは)


 あたしは、覚えがあった。


(この視線は)




 恐怖。




 青い瞳が、命令する。




「やれ」





 あたしの手が、無意識に、ぎゅっと、キッドの首を絞めつけた。キッドがぴくりと、体を揺らす。


「……ん」


 あたしの手に、力が込められる。


「……んー。……弱いな」


 余裕に笑う。


「もう少し強くして」


 あたしの手に、ぎゅっと力を込める。キッドの首が絞められる。


「足りない」


 あたしは手に力を入れる。


「足りない。テリー」


 あたしの手が、キッドの首を絞めていく。


「……んぅ……」


 キッドが唸った。力を緩ませる。


「駄目」


 キッドがあたしの手を離さない。


「もっと絞めて」


 あたしは力を入れる。キッドの首を絞める。


「……あはっ……」


 満足そうに、嬉しそうにキッドが笑う。


「んふふっ」


 キッドが笑う。

 キッドが笑う。

 キッドが笑う。



 首を絞められて、笑っている。





 その笑みが、まるで笑う群衆に見えて、

 その笑みが、まるであざけ笑う囚人達に見えて、

 その笑みが、まるで、



『素晴らしい演奏でした。テリーお嬢様』



 はははははははははははははははははははははははは!















「……。……。……。……テリー……?」



 視界が歪んでいく。



「ちょっと」



 キッドが顔をしかめた。



「なんでお前がそんな顔するの」



 あたしの手が震え始める。



「ああ」



 あたしの眉間に皺が増える。



「テリー」



 あたしは目を瞑って、か細く、声を漏らした。



「……こわいっ……」



 キッドが手を離した。





「……あーーーー……」


 キッドが苦い顔をして唸ると、あたしはうつ伏せになり、ベッドに顔を隠す。


(嫌い)


 枕を涙で濡らす。


(キッド、もうやだ。嫌い)


 しゃくりあげ、鼻をすすり、体の震えが止まらない。


(首絞めさせるなんて、何考えてるの)

(嫌い)


 お前なんて、嫌い!


「……テリー。ごめん。泣かすつもりはなかったんだよ」


 キッドの手が優しくあたしの頭と、背中に触れ、ゆっくりと撫で始める。


「テリー」


 キッドが覗き込んでくる。あたしはふいっとそっぽを向く。


「テリー」


 キッドが追いかけてくる。あたしはふいっとそっぽを向く。


「こいつは困ったな」


 くくっと笑って、キッドが上からあたしを抱きしめてきた。そのぬくもりは、とても暖かい。


「ごめん。テリー」


 優しく、撫でられる。


「泣かないで」


 あたしは鼻をすすって答える。


「……泣いてないけど」

「……。あ、そう。じゃあ、なんで鼻声なの?」

「……鼻水が出てきたの」

「……。俺の枕、湿ってるんだけど」

「……。魔法使いが、っ、濡らしたの」

「あー、うん、うん。そうだ。そうだ。魔法使いさんが現れたんだ。そうだった。そうだった。……ふー。……」


 キッドが眉を下げた。


「……ごめん。テリー。俺が悪かった。俺がやりすぎた。俺が意地悪だったよ。ねえ、ごめんってば。テリー。お願い、泣かないで」


 後ろからキッドがあたしを抱きしめて、拘束する。


「お前に泣かれたら、どうしていいか分かんない」

「……あたし、っ、泣いてない……」

「はいはい。そうだ。お前は泣いてない」

「……離して」

「お前が泣き止んだらね」


 キッドの手が、あたしの背中にぽんぽんと当たる。リズムを刻んでいるように、ゆっくりと、優しく。それが、少し心地好く感じる。


(……なんか、落ち着いてきた)


 ぽんぽん、と手が当たる。


(……体の震え、止まってきた)


 ぽんぽん、と手が当たる。


(……)


 ぼうっとしてしまう。手の当たる感じが、ゆっくりで、その手に、キッドのぬくもりに、酔いしれてしまっているように。


(……)


「……」


 キッドの手が動いた。あたしの顎の下に指を滑らせ、ごろごろと撫でる。今度はなんだと驚いて、肩が揺れた。


「んっ……」

「しー」


 ごろごろされる。


「……どこ触ってるの」

「顎下?」

「……あたし、猫じゃないけど……」

「うん。確かにテリーは猫っぽいね」

「……くたばれ……」

「はいはい」


 首にキッドの指が滑る。


「っ」


 体が強張らせると、再びキッドの手が、あたしの背中にぽんぽんと当てられた。


「何もしないよ」

「……」


 枕に顔を埋めて隠す。上から抱きしめてくるキッドがため息をついた。


「……ごめん。テリー。本当にごめん。なんか、お前が可愛く思えて、つい意地悪しちゃったんだよ。ほら、可愛い子には意地悪したくなるやつ」

「……」

「テリー?」


 顔を覗かれる。あたしはそっぽを向く。


「テリー」


 ぎゅっと、キッドの腕の力が強くなる。


「ごめん」


 切なげなキッドの声が聞こえる。


「テリー」


 キッドがあたしの肩に顔を埋めた。


「ごめん。ねえ、こっち見て」


 あたしは顔を上げない。


「テリー」


 キッドがあたしの背中を撫でた。


「テリーってば」


 キッドが覗き込んでくる。あたしはそっぽを向いた。


「もう」


 キッドの呆れたような笑い声が聞こえる。


「テリー」


 ――ちらっと、振り向いてみる。


「あ」


 キッドと目が合う。


「やっと見た」


 ちゅ、と、頬にキスをされた。


(っ!!)


 息を呑んで、瞼を閉じて、もっと体を強張らせると、キッドがあたしの背中を撫でる。


「怖くないよ。テリー」


 俺、お前には怖いことしないよ。


「俺の希望にそんな恐れ多いこと、するわけないだろ」


 キッドがあたしの背中を撫でる。


「テリー」


 あたしはまたそっぽを向いた。


「こら。テリー。また逃げようとする」


 キッドがくすっと笑った。


「逃がさないよ」


 ――ちゅ。


 あたしの首にキッドがキスをした。


「ひゃっ……!?」


 ちゅ。


 今度は、うなじ。


「やっ、ちょ……おまっ!」


 ちゅ。


 次は頭。


「………んっ、……やっ……」


 ちゅ。


 次は耳。


「ひゃっ!」


 大きく肩が揺れたのを見て、キッドの手も一度止まる。そして、また優しく、あたしの背中を撫で始める。


「……耳、弱いの?」


 耳元で囁かれ、体が揺れてしまう。


「……うるさい」

「くすぐったい?」


 キッドの指があたしの耳を滑るようになぞってきた。驚いて、また肩が揺れてしまう。


「んっ!」

「くくっ」

「も、やめてよ……! っ、くたばれ! ロリコン!」

「テリーって、他にどんな反応するの?」


 キッドの指が、あたしの顎をなぞる。


「ね、見せて」


 キッドの指が、あたしの首をなぞる。


「もっと見せて」


 キッドの指があたしの唇をなぞる。


「俺、もっと見たい」


 キッドの指があたしの頬をなぞる。


「テリー」


 キッドの手が、あたしの顎を掴んで、無理矢理振り向かせてくる。


「んっ」

「ほら、テリー」


 無理矢理覗き込んでくる。


「見せて」


 そこには、純粋で、無邪気な笑みが浮かんでいた。何も悪いことしないよ、と言いたそうな、純粋な、青い瞳。きらきら輝いて、あたしを見て、あたしだけをその目に映して、あたしと目を合わせて、あたしの目玉が拘束されたように、動かなくなる。


 キッドの深い瞳に、魅入られる。


「テリー?」


 キッドの顔が近づく。


「ねえ、テリー」


 キッドの瞳が近くなる。


「見せて」


 キッドがあたしに顔を寄せてくる。


「もっと」


 キッドが近づく。


「もっと」


 キッドの吐息があたしの頬に当たった。

 あたしの吐息がキッドに当たった。

 キッドが近づく。あたしは青い瞳に魅入られる。

 動けない。

 目玉が綺麗。

 眺める。

 近づく。


 唇が、近づく。




 ――直後、扉がノックされた。




「キッドや」


 ビリーの声が部屋中に響き、はっと、キッドとあたしが我に返る。


「いるのかい?」


 扉が叩かれる。


「ちょっと早い客人だぞ」


 扉が叩かれる。


「出ておいで」


 キッドがきょとんと瞬きした。

 あたしがきょとんと瞬きした。

 顔が近い。距離が近い。


 唇が、近すぎる。


「~~~~~~~~っっっ!!」


 あたしは目を見開き、キッドをベッドから突き飛ばす。


「おふっ」


 キッドがベッドから転げ落ちた。

 その隙に、

 ばっ、とベッドから起き上がり、

 ばっ、と紙袋を掴んでベッドから離れ、

 ばっ、と扉を開ければビリーがそこにいて、

 ばっ、とビリーの横を通り過ぎて、

 ばっ、と階段を駆け下り、

 ばっ、とコートを着て、

 ばっ、と一階の窓を開けて、

 ばっ、と身を乗り出して、

 ばっ、とそこから外へ出た。


 ジェフが驚きに目を丸くした。


「テリー様!? どちらへ!?」

「帰る!!!!」


 あたしは積もった雪の上にダイブした。


「おふっ」


 雪から出てくる。


「テリー様! 玄関から出られた方が……!」

「あたし、帰る!!!!!!」


 あたしは泳ぐように雪の上を進んでいく。


(もう帰る!!)


 積もった雪から出て、雪かきされた道に足をつければ、その後は、全力で走って帰るだけ。あたしは、真っ赤な顔を誤魔化すために、全力で足を動かした。




(*'ω'*)




「……」

「……」

「……。……」

「……。……」

「……やってくれたね。じいや」

「何をしようとしていた」

「別に?」

「別にじゃないだろ」

「怒られるようなことはしてない」

「あの子の年齢を分かってるのか?」

「11歳だよ」

「4歳年下の女の子をからかったらいかん。キッド」

「……からかってないよ」


 キッドがごろんと寝返った。


「行儀が悪いぞ。寝転がるなら、ベッドにしなさい」

「はいはい」

「客人だ」

「誰」


 ビリーから名前を聞いて、キッドが顔をしかめた。


「……早くない?」

「早く来てしまったらしい」

「母さんは?」

「まだじゃ」

「はあ」


 キッドが上体を起こした。


「テリーは?」

「一階の窓から出て行った」

「ぶふっ」


 キッドが吹き出す。


「一階の窓? 何それ」

「お前、何をしたんじゃ」

「連れ戻して」

「もう帰られた」

「連れ戻して」

「駄目だ」

「やだ。テリーが来るまで、俺、動かないから」

「我儘言うな」


 ビリーが眉を吊り上げ、部屋の中に入る。


「ほら、立ちなさい」

「やだ」

「キッドや」

「じいや。俺、予想以上にテリーが気に入ったんだ。ねえ、テリー、連れてきて。でさ、家に泊める手配して」

「もう帰られた」

「じゃあ動かない」

「キッドや」

「やだ」


 キッドがにやけた。


「もっとテリーの反応が見たい」


 くくっと笑い、自らの首を撫でる。


「あいつ、面白いんだよ。じいや」

「テリー殿は見せ物ではございませんよ」

「婚約者だ」

「ああ、そうでしたな」

「そうだよ。テリーは俺のものなんだ。だから、ほら、早く。連れ戻して」

「立ちなさい」

「……立たせて。じいや」

「もう15歳では?」

「立たせて」

「全く」


 ビリーがキッドの手を掴み、引っ張り上げた。



(*'ω'*)



 走る。

 走る。

 寒空の下を、

 走って、駆けて、あたしは、


 裏庭に着いた。



 ぜえぜえぜえぜえ。


 すっ。


「ああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 叫ぶと、木からメルヘンな効果音を鳴らして落ちてくるドロシー。

 積もった雪から銀色のパンプスをゆらゆら揺らして、慌てて体を起こし、星のついた杖を構えた。


「な、なんだい!? なんだい!? 敵か!? 吸血鬼か! 誘拐犯か! よーし! この大魔法使いドロシーちゃんにお任せだい!! どんな獣だって僕の大魔法にかかれば、あら不思議! とってもキュートな子猫ちゃんに大変身だい!」


 ――うん。確かにテリーは猫っぽいね。


 呪いのように、キッドの声が頭から離れない。

 ぐわんぐわんと頭の中で響き、あたしはドロシーの前で倒れた。


「うわっ」


 倒れたあたしをドロシーが青い顔で見下ろす。


「え? え? どうしたの? 大丈夫? テリー」

「呪われた」

「え?」

「お前のせいよ」

「え?」

「馬鹿」

「馬鹿!? 馬鹿だと!? いきなり僕を馬鹿呼ばわり!? ちょっと、それはあんまりだよ! 酷いよ! 馬鹿の意味を知ってるのか! 馬と鹿だぞ! 僕を馬と鹿のどっちで例えてるって言うんだ! 馬か! 鹿か! 答え次第では許さないけど、個人的には鹿の方がかっこよくて好きだよ!」


(キッドの吐息が忘れられない)

(キッドのぬくもりが忘れられない)

(キッドのあの目が)


 ――……忘れられない。


「……呪いだわ。……あたし……ウイルスを埋めつけられたんだわ……。ああ……なんてこと……!」

「テリー? ねえねえテリー? どうしたの? テリーちゃん? ねえねえ。テリーちゃーん? ちぇ、ちぇりーちゃーん? あー、はん?」


 肩をつんつんするドロシーを無視して、あたしはぶるぶる震える体をたくさん優しく撫でてあげる。横には、手提げ袋が一緒に倒れていた。



 そこから、赤に染まった香水が、プレゼントの箱から姿を覗かせていたのだった。






 番外編:誕生日での秘密事 END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る