4-15.
◆
表彰のときには厳粛だった会場も、授賞式が終わってパーティーに変わるとすっかりにぎやかになっていた。
壇上には「三六九二年紅龍学園都市絵画コンクール」とおおきな文字が掲げられ、毒々しく繊細なタッチの薔薇の絵が厳かに飾られている。今時珍しい非魔法方式で描かれたアナログのカンバスだ。今回のコンクールで大賞に輝いた作品だった。
わたしはノクテリイ家の名前を出して父の知りあいにかけあい、こっそりとパーティーへもぐりこんでいた。周囲を見まわし、艶やかなロングの黒髪を探す。
今まで知らなかったが、紅龍学園都市絵画コンクールとはずいぶんおおきな賞なのだった。
この学園都市に住んでいれば誰にでも参加資格はあるわけで、ざっと二万人程度はいるだろうとおもわれる都市から、一人何作でも自由に応募できるというものだ。
絵を専攻して国立学園の人文科へ進んできた学生から、セミプロやプロ、院生や教員などの専門家もいるなかで、十六歳でしかも技術科のシャノンが大賞に選ばれたので、表彰式には多くの報道陣がつめかけていた。国営チャンネルにも今日の表彰式の様子が流れたようだ。
わたしはシャノンを探して会場を歩いてまわる。あまり目立つのも嫌だとおもいユアンは外に待たせてあった。使用人を後ろに引き連れてダンスや食事をする人はいないからだ。ユアンを説得するのに苦労して、会場へ入るのが遅れてしまった。
高層ビルの屋上に行ったあの日以来、ユアンはなかなかわたしから離れてくれなくなり、正直鬱陶しいほどで、言い争いばかりしていた。全面的にわたしが悪いので強く命令できなかった。そうこうしているうちにシャノンを見失った。
会場にはこっそり潜入したはずだったのに、くるくるりめまぐるしく人々は入れ代わり立ち代わり社長令嬢に挨拶をしにやってきてわたしはおおいに目立ってしまっていた。慌てて壁際のほうへ移動する。
一息ついたとき、やっとシャノンを見つけた。
シャノンは隅のカーテンに隠れるようにして立っていた。彼女らしからぬ無表情で、いや、少し泣きだしそうにも見えた。わたしはシャノンの冷たい手をつかんだ。びくっとシャノンの肩が震えた。おおきな目を見開いて、彼女はわたしを見た。振り返った動作で艶やかな黒髪がふわりなめらかに揺れる。楽団がわたしの知らない曲を奏でているのが遠く聞こえていた。しばらく、わたしたちは無言で見つめあう。
「どうして……」
シャノンが言った。
「どうして……」
「迎えに来ました」
「どうして……?」
「だって、こんなところでワインなんか飲まないでしょう。カフェモカを飲みに行きませんか。シロップでうんと甘くしたやつです」
振りほどこうとシャノンが手を振るのでしっかりと両手で握りしめた。どきっとするほど冷たい手だった。もう離すものかとおもった。たとえどんな悪意にさらされても、意見の相違があっても、傷つく言葉を言いあったとしても、わたしはこの子を失いたくないのだと、そうおもっていいってマスターが教えてくれた。
屋上の端で、あんなふうに後悔するのはもう嫌だった。
「どうして……あたし、ムーウさんにひどいことを言ったのに……」
「誰かを大切にするということは、『絶対に傷つけあわないようにすること』ではないんだって、教えてくれた人がいます。人間は完璧じゃないから、傷ついたり傷つけたりすることもあるけど、それを受けいれあえるようになりたいです。わたしはこの手を離しません。シャノン」
「言ったでしょ……! 今、あたしには人をおもいやる余裕がないって……! どんなひどいことでも言えてしまえるって……! 恩返しは不要だって、言いましたよね……!」
「どうしてあなたばかり我慢する前提なんですか。あなたのかなしみを、わたしにも分けてください」
「あたしはあなたを忘れちゃってるの――」
「だからわたしを遠ざけようとしているのですか。わたしを守ろうとして、独りで傷ついて。そんなの嫌です。あなたを失いたくない。これからもいろんなことが起こるでしょう、わたしだってなんにも確かなことは約束できないけれど、それでもわたしはシャノンと友だちでいたいです」
シャノンが睨んでくる。手を振りほどこうとしつつ、鋭い視線をわたしへ刺すように向けてくる。シャノンに似合わない、でもよく慣れているといった様子のかなしい表情だった。パーティー会場の明るい喧騒が遠のいていく。
離してなんかやるかとおもった。
わたしはシャノンの手を握り直して人混みへまっすぐ突っこんでいった。会場を駆けながら後方へ叫ぶ。涙がこぼれた。これは綺麗事だろうか。どうしようもなく汚い綺麗事だった、それでも。
走りながらおもった。
すべての人間関係は、いずれ終わる。
泣きつつ走る。
出逢った人とは、いつか、確実に別れがくる。
駆ける。絨毯を蹴って足を踏みだす。
喧嘩別れかもしれない。引っ越しかもしれない。卒業かもしれない。死別かもしれない。でもいずれ全員と百パーセント別れることになる。
息があがって、足がもつれそうになる。
最後には別れるということを最初から知っていて、それでも人は関係を作ろうとする。
全身を貫くようなかなしみに、意志が掻き乱されていく。
たぶん、でもさ、人間は、誰かを好きになることでしか自分自身を救済できない。
わたしはわたしを救うためにシャノンと一緒にいたいとおもってしまう。
それがシャノンをも救うことになってくれたら嬉しい。
エゴだけど許してくれるだろうか。
シャノンのことを、好きでいたい。
「――改めて、わたしはムーウといいます」
「えっ……」
「わたしの名前です。N・ムーウといいます」
「そんなことより手を離して――」
「年は十五です。珍しくシャノンより年下なので、呼び捨てしてください」
「あのね――」
「あなたは一歳年上ですが、特別にタメ口でもいいって言ってくださいました。敬語は性格で直せませんが、名前は呼び捨てさせてもらってます」
「人の話を無視しないで……あたし、あなたとは――」
「シャノン」
乳鋲の打たれた分厚いホールのドアは荘厳に人間たちを出迎えている。独りでいるときには壁と変わらないそれもシャノンとならドアとしてちゃんと機能して、夢中で駆けたら呆気なく会場を飛びだしていた。外で待っていたユアンが出迎えてくれる。曇天の真下に二人と一台で三つの影法師をつくる。ぽつ、ぽつ、と小雨が降り始めた。
「シャノン。わたしはあなたが生きるのを手伝いたい。そして、生きるのが下手なわたしを少しだけ手伝っていただけませんか」
珈琲店アナログアンブレラ、とちいさく書かれた真っ赤な傘をわたしはシャノンの頭上に広げた。
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