3-05.

       ◆


 その日の講義後もムーウは図書館の隅の机で独り感情を叩きつけるようにして小説を書いていた。


 重厚な時の流れを刻む赤茶けたレンガに「文学館」とプレートがはめこまれた第五図書館は、相も変わらずどれだけの数の魔法が使われているのだろうと呆れてしまうほどたくさんの魔法にまみれていて、精巧なステンドグラスの天窓の絵画みたいなひかりが、吹き抜けからそれら全館の魔法を明るく照らしだし、幻想的な、一昔前のファンタジー文学を彷彿とさせる古めかしく新しい世界観が演出されていた。


 紙の本がほとんど読まれない現代、こんなに多くの紙版本がずらりずらり並べられた空間はほかに見たことがない。圧倒的な本の数だった。


『どこか懐かしい感じのする紙の匂い、指先の一ページの感触、そのときにかかっているジャズや、飲んでいるアールグレイの風味……そういったものを含めてすべてが私にとって本を読むということだ』


 図書館に集められた本のこのなんとも言えない懐かしさが不思議だった。レコードやモノクロ写真を見て、自分は使ったことがないのに懐かしいとおもう感覚だった。紙版本は視覚的にも嗅覚的にも懐かしい。それだけでムーウにとって此処に通うには充分な理由だった。


 本棚は人間のたましいのふるさとなのかもしれない。


 ムーウの視界の端で革表紙の本がくるりまわりながら宙に浮いている。返却された本がふうわり浮かんで棚に戻っていくところだ。古風な貸出票に押された日付印がめくれて見える……。


 第一次魔法期以前の魔法が存在しなかった時代に人間は想像力を働かせていろいろなファンタジーを描きだしていた。本の香りの懐かしさと同様に、人間が魔法期以前に抱いていた未来予想も何故だか共通したものがあって、魔法と言えばこういうもの、と人々が予想した創造物のなかからいくつかピックアップして作られたのがこの図書館なのだそうだ。


 過去も未来も自分が経験していないものを共通認識として持っている人間という生きものの感覚って面白いな、とムーウはおもう。


 だからこそ此処は創作意欲が掻きたてられる。


 本を読んだり、書いたり、また読んだり書いたりしていて、いったん書くのを休憩しようと空中キーボードから手を離したとき、インターネット上で公開してあるムーウの短編作品に感想がついているのを見つけた。


 空中ディスプレイに表示された小説ページのレビューをクリックしてみる。ぽんっ、とページが開き、そんなに長くない文章が映しだされた。


『うーん、ちょっと暗すぎるかなと思いました。主人公は五体満足でお金も持っていて見た目もいいんですよね? まだ若いし。心身ともにボロボロなのは分かるけど、それにしてもくどいかな。テンポが悪いです。いつ救われるの? 感情移入できませんでした。普通こんなふうに「生きろ」って必死に言ってくれる友だちがいたら少しはよくなるでしょ。その友だちに失礼だよね。どうして主人公が繰り返し死のうとするのか分かりません』


 本が落ちた。先ほどムーウが執筆のあいだにちょこちょこと読んでいた文庫本だった。机に置いてあったものに肘でぶつかってしまったのだ。床を見る。


『心身ともにボロボロな少女を一杯の不思議なコーヒーが救う――』


 帯の文字が踊っている。


 一話目で主人公のおおきな悩みが解決して、二話目でそれを補足するかたちで喫茶店に就職することが決まり、三話目から新しいお客さんの悩みを主人公とお店が解決していく、典型的なカフェ小説だった。


 ムーウは叫びたくなった。


 フィクションのなかで人間はあまりに安易に救われすぎている。そういう共通認識が人々のあいだにあるみたいだ。


 誰と話してもなにを書いてもどれを読んでもムーウの発する質問文すら相手には理解されない。探したい答えは一生見つからない。


『人生が変わるって言ったでしょ!? そういうお店なんだよ、ここ。……だからなにかあったらここで話せばいいよ、ね? あたしも協力する!』


『――では八十二番、罰則を言い渡す。一週間後必ずこの珈琲店で双子からグリクトを受け取ること』


『なんて言ったらいいか分かんねえけど、俺たち、君の味方だから』


 嫌いな自分の部品ばかり巨大だ。からだからわたしをアンインストールしたい。書いては消して、書いては消して、書いたことを、考えたことを、生きたことを否定して、諦めきって、おしまいにする。


 ほとんどの人には伝わらないとおもって小説を書いているのだ。分かるひとにしか分からないものを分かっているということの痛み。あああ。


 ――その日書き終えた小説のなかで、主人公が頑丈なロープを持って近所の公園の桜の木に向かってしまうのを、ムーウは今回もとめることができなかった。

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